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☆ はじめに
 間もなく、二人目の孫が生まれそうな平成12年4月15日(土)、長男が孫娘の「梨伽」を預けにやってきた。この話をもちかけられた時、2歳1ケ月余りの幼い子が本当に「親元を離れて長い間、過すことができるのか」と疑問を感じた。しかし長男にとっては背に腹は変えられぬところである。可愛いそうだが心を鬼にして当たらねばと思っていた。幸いなことに小生の仕事も4〜5月は休みであるので、面倒は見れそうである。
 小生と家内とが名古屋駅まで出迎え地下街で夕食をともにした。孫に何を注文するかが一番の興味であった。「さわらの照焼き」と「茶碗蒸」を細いながらもなんとか食した。長男に普段なにを食べているのかいろいろと伺ってみた。
 翌日の午後、長男は寂しがるといけないとの気配りから娘に別れを告げずに横浜に帰っていった。

☆ 悩みの日々
 父親がいなくなっても「梨伽」は泣出すようなことはなく、寂しそうな気配も見せない。余程、気丈なのか、それとも幼心にもおかれている境遇が分るのか、これなら長期間に亘り預かれそうである。
 預かってみて困ったことは偏食が強く、しかも食が細い。育ち盛りでもあるので、なんとか色々なものを沢山食べさせようと苦労したが最後までこの努力は実らなかったと思う。
 常食としてくれたものと云えば、「糸引き納豆」「焼きおにぎり」「ライスバーガ」のライス部分に、「ポテトチップ」の真中部分、蜆やアサリなどを具とした「赤出し」などである。
 或る日、スーパで「チリメン・ジャコ」の試食をしていたとき、少し「梨伽」に与えてみたらお代わりをするではないか。新しい発見である。それからは、ご飯に「ジャコ」をふりかけたことは云うまでもない。また、喫茶店でジュースなどを飲む折には、ケーキを決まって食べてくれるが、ティクアウトしてくると食べてくれない。なにか食欲をそそるような雰囲気づくりが必要であろうか?
 その精もあって、3〜4日ぐらい便意をもよおすことがない、強い便秘症で、しかも便が握りこぶし以上に太いのでスムースに排便できない。そこで薬剤師のアドバイスを受け、整腸剤と植物繊維の粉末を乳酸飲料などに混ぜて飲ませたりした。それでも4日ぐらい排便しないような場合は止むを得ず浣腸を施した。横浜に帰るまでのほぼ3ケ月の間に5〜6回ほど実施した勘定である。


☆ 楽しみな日課

大秋公園

 「梨伽」を三輪車に乗せて、近くの「大秋公園」へ散歩することから孫との日課が始まるようになった。
 滑り台、ブランコ、鳩に餌を与えたりして一時を過ごした。毎朝続けていると、孫の姿を見ると鳩のほうから傍に寄ってきて、餌をねだるまでに慣れてきた。中には手のひらに乗って餌をついばむ鳩まで現れるようになった。或る時、いつものように餌を与えていると、一斉に鳩が羽ばたいて飛びたったので、孫がびっくりして駆け寄ったきた。何事が起きたのかと周りを見渡すと黒猫が一羽の鳩をくわえて走り去るのを垣間見た。猫に狙われやすい片隅で餌を与えていたせいで、外敵が近づいたのも知らずに夢中で餌を食べていたためである。可愛そうな事をした。それからは、園内の中央付近で回りに注意しながら餌を与えるよう心がけた。

朝の散歩に出発 滑り台で遊ぶ
ブランコに乗る 鳩に餌を与える

 GW明けの5月12日に治療中であった犬の「ベル」が亡くなったが、孫のお陰でペットロスナイ症にかかる暇もない。
 それからは少し孫と過す時間的な余裕も生じたので、「大秋公園」へ行った後は、「梨伽」が、なるべく同じ年代の幼児たちとお話が出来るようにと思い、「上の宮幼稚園」へ立寄り始めた。

上の宮幼稚園

 幼稚園の始業時間は午前10時からであり、それ以前に行くと園庭でたくさんの園児が遊んでいる。孫が門扉越しに眺めだすと、数人の園児が寄ってきて話かけ始めてくれた。まだ満足に会話も出来ないが、一年年上の「やまもと しずか」ちゃんとは気心が通じたようである。
 午前10時になると、クラス毎に整列し朝礼がはじまる。この頃、幼稚園を後にして道をはさんで西側にある「上の宮公園」へ、公園の遊具でひと通り遊んでから家路に着く日課へと変わった。

上の宮公園 遊具で遊ぶ

 時には昼食にとモスバーガ店へ立寄り、好物の「ライスバーガ」をゲットしたりした。それからは、家内が「梨伽」を連れて近くの郵便局に行くときにも、モスバーガ店へ立寄らなければならなくなったとのこと。
 6月から小生の仕事が始まったため、残念ながらこの日課は休日しか出来なくなった。したがって「幼稚園」への立寄りが省略されてしまった。
 日が暮れてから、小生と家内と孫との三人が徒歩で犬の散歩に連れ出して町内を一周してくるのが日課の終わりであった。犬が亡くなった後でも散歩する方向が本陣駅の方へと変わりはしたが、三人の夜の散歩は横浜へ帰る日まで続いた。

☆ 想い出の外出
 「梨伽」と始めて外出したのは、4月19日、名古屋西INT近くにある「アズ・パーク」へ行ったことである。ここはスーパーに衣料・家電・玩具の大型店のほか専門店などが入居しているモール街である。ショッピングの狙いは「トイザラス」で孫を乗せて出歩くため、乳母車ならぬ三輪車をゲットすることである。目的のもの以外に犬のぬいぐるみまで「おまけ」でゲットさせられた。

ぬいぐるみの犬と 三輪車に初乗り
汽車に乗る梨伽 自動車に乗ってご機嫌

 その後、この「アズ・パーク」には度々訪れるようになった。とりわけ6月に入ってから、小生が仕事で帰えりが遅くなった時などは、特に、頻繁に出かけたものである。孫も、車内から「トイザラス」の看板が目につくと「キリンちゃん・キリンちゃん」と大層喜んだものである。ここでは「麺類」を食した後、ゲーム・センターで汽車に乗り、続いて「トイザラス」をまわってから、「ソフトクリーム」か若しくは喫茶店で「ケーキ・セット」をゲットするかが、いつしか定番コースとなった。

 そろそろ、夏物の衣類・帽子とサンダル靴などを準備しようと、名古屋駅前の「名鉄百貨店」と「JR高島屋」を巡ったがお目当ての物がなくウインドーショッピングに終わった。GWを前にした或る日、「丸栄百貨店」の小児用品クリアランスセールの広告を見て出かけてみた。催場には、それらしいものがなかったが、店内の小児専門店で赤い「サンダル」をゲットした。近くの「三越百貨店」「栄地下街」をブラついた後、久屋大通りにある小児用品メーカーの直営店に立寄ってみた。リュックがあると出かける折、紙オムツなどを持たせるのに便利である。デニム調のものを「梨伽」に薦めたら、赤色のリュックの方を所望されたので、それをゲットした。このリュックが非常に気に入ってくれたようで、何処へ出かけるのにも、自ら、紙オムツを入れて背負って連いてくるようになった。
 このお店でショッピングしたのがきっかけで特別セールの招待状が送られてきた。丁度、GWで帰郷した長男を名古屋駅で出迎え、その足で会場である東海道線笠寺駅付近の「レインボー・ホール」まで行き、夏物の衣類数点と少し大きめの帽子をゲット。久しぶりに「梨伽」は父親と逢ったのに、普段と変わらぬ様子であった。

名古屋駅ホーム

 4月29日の夜、男子誕生の一報がはいった。
翌日、長男とともに寝屋川の産院へ出かけた。 「梨伽」と始めての遠出である。GW中でもあり、新幹線も混雑するのではないかと心配したが、すんなりと指定席がとれたので安心した。新大阪から環状線に乗換え京橋駅下車。ここで帰り列車の指定席もゲットできた。そこから京阪電鉄で香里園駅まで乗車。目指す産院で二番目の孫と対面した。
 「梨伽」の目には、二週間ぶりに逢う母親、寝屋川のおばあちゃん、それに生まれたばかりの弟など、どう映ったのであろう。復路も同じルートで帰った。新幹線の中で「梨伽」とともに駅弁でも食べながらと考えてはみたが、偏食の強い孫ゆえ、所詮は夢である。

 GW明けの5月14日、この日なら連休中に混雑した行楽地も空いているだろうと思い立ち、「東山動物園」へでかけることとした。わが家からは地下鉄で乗換えなしで行ける便利な地である。地下鉄「東山公園」駅に降り立つと、壁や柱に動物の絵が書かれており、これを見た「梨伽」はもうはしゃぎ始めた。
 広い園内を見て回るには「梨伽」の足では大変だと思い、ゲートをくぐったところでベビー・カーを借り、これに乗せようとしたが、振りきって人の流れに沿って歩きだした。余程嬉しいのだろう。

インド象舎 キリンさんと

 主に、インド象、キリン、白熊、コアラ、アザラシなどをみた後、中央広場でチョットと遅い昼食がてら休憩をとった。ベビーカーにも乗らず歩き回ったので、疲れてたのではないか思い、「梨伽」に帰ろうかと尋ねてみたらもう一度「象さんが見たい」とのこと。そこで北園の方へと足をのばした。北園には、お目当てのアフリカ象のほか、ゴリラ、チンパンジー、サイを見て回った。この頃になると、さすが疲れと眠さからであろう、ベビーカーに乗ってくれるようになった。お土産にと家内が「キリン」のぬいぐるみを買ったあと、ペンギンを最後に見て動物園を後にした。考えてみれば、長男・次男の小学生時代を最後に動物園へは行っていなかった。久し振りに色々な動物を見られたのも、「梨伽」のお陰である。感謝!感謝!

 「梨伽」との別れが近づいた6月の最後の土曜日に「名古屋港水族館」へ出かけた。地下鉄の「栄」で乗換え、目的の「名古屋港」駅へ。正面に南極で活躍した「ふじ」の雄姿が見える。小生にとって水族館を訪れるのは始めてのことである。家内の方は一度来たことがあるらしいが、はっきりとした場所を覚えていない。右手の方へ向かって進んだら、お土産店の先の観光会館に突き当たってしまった。ゲームセンターで暫く遊んだ後、広場で軽い昼食をとる。
 会館をあとに、海岸まで出たところで水族館を探し当てた。早速、ゲートをくぐり標識に沿いながら珍しい魚類などを見て回った。

水族館前から「ふじ」を望む 海亀水槽付近にて
ペンギンの置物と 「ふじ」に向うブリッジ

 「梨伽」が特に興味を示したものに、丁度餌付けをしていた「海亀の赤ちゃん」と水槽の中ではすばやく泳ぎ回っているのに陸にあがると対象的にじっとしている「ペンギン」であった。出口近くの売店で「ペンギン」のぬいぐるみをゲットさせられたのが証であろう。
 水族館を出てからは、ブリッジを渡り「ふじ」の脇をとおりながら帰途についた。

☆ あとがき
 出産後、しばらく実家にいた長男の嫁が6月末に横浜へ戻ること。長男の海外出張の日程と小生の仕事との関係から、「梨伽」を連れて行く日を7月8日(土)と決めた。一週間後なら丁度3ケ月預かったことになる。
 帰る日の朝、いつものように大秋公園で餌を与えながら、鳩達にも別れを告げさせた。手荷物を整理している中で、熊のプーさんがプリントされた「風船」を「梨伽」に持たせて返そうと糸の部分を短くしていると、元に戻すようにと急に泣出し始めた。多分、一時的な外出であり、戻ってくるものと思ったのであろう。
 この日の新幹線はかなり混んでいたようで、予定した列車の指定席が取れなくて、一列車後のしかも一番前の車両しか空席が無かった。列車の到着時刻を長男に連絡した後、時間もあるので「エスカ地下街」で昼食をとったり、お土産物を購入したりしているうちに、発車時間が近づいたので、プラット・ホームへ出てみた。「梨伽」は出入りする列車を見ては、喜んではしゃぎ回っていた。

いざ横浜へ ホームではしゃぐ

 新横浜駅に降り立ったときは、発車する列車を見送ってから出口のほうへと歩み始めたので、プラット・ホームにはもう人影も無い。突然セルラーのベルが鳴り出した。改札口に現れるのが遅いので、出迎えにきた長男が心配して電話をかけてきたのであった。
 いつか、「梨伽」が地下鉄の本陣駅で乗ってきた電車に「バイ・バイ」と手を振りながら見送ったとき、車掌がこれに答えてくれたことがある。それからは、電車を必ず見送るようになった。
 横浜に着いたその夜も、いつものように孫と散歩にでかけた。歩きながら「何でも食べて、もっと大きくならなければいけないよ」と言い聞かせたときは、殊勝にも「ハイ」と答えてくれたのが、とても印象深かった。
 横浜での3日目、今度は、長男が孫を連れて来たときとは反対に、「梨伽」が寂しがるといけないと思い、別れも告げず黙って帰途についた。これで、ほぼ3ケ月にわたる孫との生活は終わった。「毎食」の悩みこそあったが、「梨伽」のお陰で張りと楽しみに満ちた生活をさせてもらった。また、方々の町並みに色々な足跡を残していってくれたので、そこを通りかかるとき、孫がこんなことをした所だなぁと、ふと思い出させてくれる。