PC三昧 二十六会 旅・旅・旅 マイ・ホーム アルバム ブックマーク ホームページ

 初秋のある日、友人のI氏N氏とともに、フラリと東北一周のドライブに出た。あらかじ め、コースのあらましと初日の宿だけを決めた旅である。この先どうなることか?

(初日)
 スタートの日は、いまにも降出しそうな空模様であり、いかにもこれからの旅の占うようで もあった。早朝N氏が小生とI氏とを拾い名古屋INTから中央自動車道に入った。瑞浪INT を過ぎる頃から雨が降り始めモーニング・ティータイムとばかり恵那SAに飛込んだ時は猛烈 な降りであった。コーヒーの香りに眠気を払い店を出てきたらI氏の傘がない。多分急に降り出したせいで、 雨具を用意せずに入った客が持ち帰ったのであろう。I氏には気の毒であるが、これで厄払いが すめば安いものである。
 車が岡谷ジャンクションから長野自動車道にはいり頃は、雨もいつしか小降りとなっていた。 自動車道の終着である中野INTからは18号を上越市へと北上した。お昼時になり何処かうま い店はないかと物色しながら走行していると、道路脇に「長寿うどん」との看板が目に映った。 信州で「蕎麦」ならぬ「うどん」をセールスポイントにしているのは珍しいとばかり、店へ飛込 み「長寿うどん」なるものを食した。野生のよもぎを加えうちあげたもので、いわゆる「草餅」 ならぬ「草うどん」である。食後は国道から脇道へそれ「野尻湖」へと立ち寄った。小雨にけむる湖は、天候のせいか訪れる客も少なく閑散としていた。
 車窓から妙高高原が見え隠れしだしたとき、ふっと若い頃、高校時代の同級生とともに毎冬赤 倉スキー場を訪れたことを思い出した。当時は夜行列車の旅で、妙高高原駅からは雪の中を、 スキー場までの坂道を、ソリを肩にかつぎ小1時間かけて登り、宿に着くやいなや一刻も無駄に しまいと、ゲレンデに向かったものである。

瀬波温泉からみた日本海の夕焼け

 上越から再び北陸自動車に入り米山SAで少憩の後、新潟INTで降りてルート8号+345号を北上、村上市の瀬波温泉を目指した。
 目的地近くで、ナビゲーターが次の交差点を「左折して下さい。」との音声ガイの後、画面がクロ ーズ・アップされた。指示どおり左折したつもりだが、どうも1つ手前の交差点を回ったようであ る。センサー付きで、ルート補正を自動的に行う最新鋭のナビゲーターであったが、隣接して交差 点が続く場合、画面がクローズアップされてしまうので転回には、要注意である。
 午後5時頃に瀬波温泉「三嶋屋」に着く。部屋から見えた日本海に沈む赤い夕日は太平洋側に住 む小生とって格別な景観であった。露天風呂につかりゆっくりと旅の疲れをいやす間もなく明日の スケージュールと宿の手配に専念する。宿が取れると、これで明晩も野宿をすることはないかとホ ットする。ヤレヤレ!!
(2日目)

奇岩が連続する笹川ながれ

 本日は男鹿半島までの工程である。快晴な天候に恵まれ楽しいドライブ が出来そうである。345号を北上すると間もなく景勝地「笹川ながれ」に着いた。まさに日本海の 松島と称されるように海岸線は奇岩の連続であった。
 暫く走行すると、ルート345号は7号と合流するが山形県下に入るとすぐ山側の方に右折し鶴岡市へと向かうため、海岸に沿ったルート7号+県道+7号を走ることとした。
滑走路の下を県道が横断している 珍しい庄内空港を走り抜け、お昼頃には鳥海ブルーラインに着いた。県境付近の展望台は日本海側に 開け庄内砂丘が一望のもとであった。また、国民休暇村の近くに登山道の入口があり、駐車場付近を散策したがもう秋がそこまで忍び寄ってきている感じであった。

鳥海ブルーラインの駐車場付近

 ブルーラインを後にし象潟町のルート7号まで降りてきてのが午後2時ごろであった。ここでヤット昼食にありつくことができた。ラーメンを食べながらこの店の女将と話をしていると、今晩の宿は網元が経営しており 新鮮な魚料理が自慢とのことであった。ここから秋田市まで走り続けたが海岸線の向こうに時々顔を出す男鹿半島と羽越本線の列車との出会いが単調になり勝ちな気分を払ってくれた。7号と別れ男鹿温泉を目指し半島を南から回周していく。
 鵜の崎を過ぎてから道は登り始め眼下に夕日に赤く照らされた海岸が見え隠れする。「白糸の滝」 とある地点で、四方を見渡すが滝らしい音はすれど一向に姿は見えない。注意深く標識を読むと、海上からでないと滝は見えないとのこと。
 午後6時ごろ、
男鹿温泉「万盛閣」に着く。2日目となると余裕がてでくるものか、明日は明日の 風が吹くとばかりに、ゆっくりと温泉につかり疲れをいやして部屋に戻ると、評判どおりの海鮮料理 の用意が出来ていた。早速、ビールの栓を抜きお造りなどをつまみながら歓談にふけったものだ。お 腹もふくれ、いい気もちになったところで、明日のスケジュールの相談と宿の手配をする。明日は、 津軽半島の竜飛崎泊りと決まった。

(3日目)

北緯40度線上にある入道崎

 今日は、石川さゆりの演歌「津軽海峡冬景色」で名高い竜飛岬までの旅である。やゝ曇ってはい たが初日のような激しい雨になる心配はなさそうである。宿をでると男鹿半島の最北端に位置する入道崎に立ち寄った。白と黒の縞模様の灯台周辺はなだらかな芝生が続いたが、対照的に岬は断崖絶壁で厳しい冬には荒れ 狂うことであろう。また、この岬はちょうど北緯40度線上にあたり、多分、地元で産出する岩で作ら れたモニュメントがラインを示すように立並んでいた。
 次に、半島のほぼ中央にある寒風山にに登った。山頂にある回転展望台からは、八郎潟、秋田港など 360度のパノラマを楽しませてくれた。モーニング・ティーを飲み気分を新たにしたところで、山をくだり八郎潟の脇道をとおり、ルート7号へ出た。
 この頃から天候が回復し始めた。海側の道路脇に高さ2m位の柵らしいものが施されている異様な風景が続く。おそらくこのあたり冬には相当風が吹くので、横風による車両事故を防ぐためのものであろう。その後、ルート7号とも別れ青森県の五所川原市まで海岸線沿いのルート101号をひた走った。

広大に岩が敷かれた千畳敷海岸

 途中、波しぶきをかぶりながら入浴するといわれる「黄金崎不老不死温泉」を横に見て、千畳敷で少憩した。まさにその名がのと示すとおり、岩場の連続で、中には人の姿を連想させる岩もあった。五所 川原で左折、ルート339号を竜飛崎へと向かう。金木町で太宰治の生家である「斜陽館」へ立ち寄って、コ ーヒーでも飲みながら文学気分にも侵たろうかと思ってみたが、残念なことに保存工事中のため空振り に終わった。
 十三湖から見た岩木山は「東北の富士山」と呼ばれるとおりの雄姿ぶりであった。現在、無感地震が 活発化し火山噴火の危険性もあることから、登山は規制されているとのこと。
 午後6時近く、風車発電所を抜けて、津軽半島最北端の竜飛崎温泉の「ホテル竜飛」へ無事に到着。 夕ぐれの中かなたにうっすらと北海道が横たわっている。この宿は青函トンネルの真上にあり、トンネル内を列車が通るとロビーの上にあるライトの色が変化するよう細工がされていた。また、トンネルの 掘削工事によって温泉が噴出したそうである。沖合いには、夜通しイカ漁船のいさり火が連なっていた。 明日は、酸ケ湯温泉泊りとなった。

(4日目)

この階段が国道339号線

 本日も快晴。昨日からのルート339+280号で、青森市まで出るつもりであったが、車が通れない国道が辺境の地に存在した。竜飛崎灯台の脇から海岸までの急斜面を駆け下りるようにして作られた階段が339号であった。そして、階段の下から海岸の国道までは、漁村の軒先をくぐりぬけるような露地がクランク状に取付けられていた。
 三厩湾から陸奥湾へと対岸の下北半島を眺めながら青森市経由で八甲田へと車を進めた。史実小説 「八甲田山死の膀行」の舞台である八甲田雪中遭難の地で車を止め、高原にふさわしいものを食したのち付近を散策した。精悍たくましい軍人たちが、遭難死するような場所とは今の季節からは到底考えられ ない。
 このあとは、奥入瀬渓流から十和田湖、そして戻り道からやゝそれた酸ケ湯温泉までの工程である。 十和田湖を源流とする奥入瀬渓流はまことに水量が豊富で変化が激しい清流の連続であった。石ケ戸、 白布の滝銚子大滝付近で車を止め、渓流の魅力を十二分に体感した。
 十和田湖の休屋で車を停め、現在地は青森県であるのに何故か秋田名物のきりたんぽを食しながら乙女の像を見物した後、杉林が茂り昼間でも暗く感ずる小経をとおり十和田神社へと向かった。神社では、これまでの無事を感謝するとともにこれからの道中の無事を祈願した。
 できることなら瞰湖台まで足を延ばし十和田湖の雄大さを充分に味わってみたいところであるが時間も 午後4時を過ぎている関係上、断念せざるを得なかった。

奥入瀬渓流銚子大滝 十和田湖乙女の像

 酸ケ湯までの道は、うっそうと茂る十和田樹海のなかを走る。時々、漏れびが幻想的な風景を醸し出している。 紅葉の季節に訪れたら素晴しい眺めであるのになぁと痛感した。周りから硫黄の香りが漂い始めた頃、 「酸ケ湯温泉旅館」についた。

紅葉に包まれた十和田樹海

 広く湯治宿と知られた温泉で、総ヒバ造りの千人風呂は、男女混浴で浴場内は初めに入る浴槽、後に入 る浴槽、打たせ湯、上がり湯等があり、初めての入浴客でも困らないようにと、効果的な入浴法が掲示されていた。明日は宮古市泊りとなった。
 海抜 約1000mの高地のせいか体が冷え、深夜に目が醒めた。すぐに、千人風呂へ入りに行った。とうに0時は過ぎでいるのに変な外人を含め、十数人の湯治客が入浴していた。盛況なことである。打たせ湯 でしっかりと足腰をたゝき、疲れをほぐすとともに体を温めたので翌朝までぐっすりと睡眠をとることが出 来た。

(5日目)

北山崎展望台よりみた陸中海岸

 本日も快晴である。経路にあたる陸中海岸はさぞかし見晴らしの良いことであろう。ルー ト394号から県道経由でルート102号+4号+104号を進み、陸中国立公園の北の起点ともいえる 八戸市に入った。ここからは、45号を主に、海岸線に沿って走る県・村道を通行した。
 陸中海岸シーサイドライン脇にある北山崎の展望台からの風景は、高さ200mともいわれる断崖が左右に林立するととも に海食洞や奇岩が連続している様子は、壮観そのものであった。
 宮古国民休暇村付近にある崎山の潮吹穴へ立ち寄ってはみたが、海が凪いでいたため、潮ではなく、水蒸気が大波が寄せてきた時に吹き出していた。海が荒れている時 には、十数mに達する潮を吹上げるとのこと想像しただけでも圧巻である。
 午後5時頃に、宮古市の「宮古シティホテル」についた。旅行期間中初のホテル泊まりである。N氏などは小生とI氏とに挟まれ、まるで鼾をステレオで聞いているようで、よく寝られないと嘆いていたが、今晩だけはゆっくり熟睡できそうである。複数で旅をするときは、時にはホテルで泊まる必要もある。旅の教訓 として銘記しておこう。
 夜食をとるため、宮古市内へ繰り出した。旅館の夕食はどこの土地でも「お造り」に「天ぷら」と「茶碗蒸」などは定番のようであり、4日も続くといくら高級料理でもゲッソリとするものだ。しかし港町のこと魚料理店が圧倒的に多い。 もっと違うものが食べたいとの執念で、探しあてたのが焼肉店であった。そこで食べたカルビ、ホルモン、焼野菜などは久しぶりで実に美味しかった。明日は、福島県の土湯温泉泊まりと決まった。

(6日目)
 やゝ曇りがちの日であった。昨日までは、頑固に海岸線を走ることに徹してきたが、今日からは一転して 内陸部を走ることになる。まず、ルート106号+340号で遠野市まで走行し、次にルート107号+4号で平泉まで、その後は東北自動車道で福島西までと走るプランである。

 民話のふるさとと呼ばれる遠野市では、その集大成ともいえる伝承園に立ち寄った。重要文化財の曲がり家 、水車小屋などを見学、素朴な東北地方の農耕文化に触れたような気がした。また、この遠野市は、純情スターのイメージが売物であった「藤田 朋子」がヌード写真集を発刊するにあたりヘアー写真が:掲載されていた。 これは契約違反であるとして芸能ニュースで話題となったロケ地でもある。

平泉中尊寺の金色堂前

 さすが、東北を代表する名刹である中尊寺。なかでも金色堂はそのシンボルでもあり、国宝にも指定されて いる。損傷を防ぐため覆堂で覆われているが軒から床板に至るまで惜しげもなく金箔が張りつけられおり、当時の繁栄ぶりが偲ばせられた。

 東北自動車道の福島西INTを降り、ルート115号で土湯温泉「つたや」についたのはほぼ予定通りの午後5時前後であった。昨晩、この近くにある「不動湯温泉」に泊まるつもりで予約の手配をしていたのが、電話のかけ間違いか?、「つたや」を予約してしまったいきさつがある。夕方から降出した小雨の中、温泉街を散策してい たら、物売りのおばちゃんから「つたや」と「不動湯温泉」とは姻戚関係にあるとか、世間は狭いものである。 明日は、川路温泉泊まりとなった。

(7日目)
 昨夜来の小雨が少し残っている感じの朝であった。宿からルート115号を西に、そして磐梯吾妻スカイラインをとおり抜け、裏磐梯高原へと出た。三差路交差点近くの洒落た喫茶店でモーニングコーヒをとった。おおきな窓越しに咲き誇ったコスモスと名も知らぬ小さな池とが非常にマッチして、一幅の絵画を見ている感がした。桧原湖を右手に見ながら喜多方市へと向かった。「蔵の街」、「ラーメンの街」と呼ばれるだけあって、市街地に入るとラーメンの看板と数々の蔵が目につく。ラーメン製造元の「はすぬま」さんでお土産を購入した。次に、喜多方ラ ーメン随一の老舗である「源来軒」さんへ飛込んだ。午前11時前というのに、店内はすでにお客でいっぱいで あった。人気の高さが窺い知れる。幸い、奥の1卓が空いていたので評判の「ネギラーメン」を食した。腰の強 い麺と独特の醤油スープ、それにツンとしたネギの香りとが融合して非常に美味であった。
 喜多方市を後にしてルート121号で会津若松へ、白虎隊の悲劇で名高い飯盛山を左手に見ながら駅前を過ぎた頃、 右左とクランクに走り味噌田楽の店で評判の「満田屋」へ立寄った。お客が店内に入りきらず、列をなし待って いる繁盛ぶりである。30分も待ったであろうか、やっと店内にはいると右側に囲炉裏にいろいろな具の味噌田楽が炭火で焼かれている。セットものを注文したが、田楽が来るまでがこれまた長い。美味しいものを食するためには忍耐が必要である。余談にはあるが、生揚げの田楽がとくにおいしかった。
 「満田屋」で予定外の時間を過ごしてしまったので、鶴ケ城にも立寄らず車窓から眺めながら121号を南下し、 川治温泉へとひた走った。幸い行き交う車を少なく午後5時頃には、「いずみや」旅館に到着した。宿のおかみ から河原に共同の露天風呂があると伺い、タオルを肩にかけ下駄の音を響かせながら対岸の露天風呂へと足を運ん だ。清流の音を聞きながらの入浴はなかなか乙なものであるが、湯がぬるいのが難点であった。栃木県に入り、実 質上、一週間に亘った東北一周ドライブの旅は終わったことになる。

 明日は、東北自動車道と東名高速道路を乗り継ぎ、いっき名古屋まで帰ることとした。