98年度のシーズンは、いい意味で転機のシーズンだった。
前年度、横浜青葉台にいたときは通勤ランができず、距離が伸びなかった。結婚1年目
ということもあり、夜間の練習時間がとりずらかった。また、岡山へ長期出張(3ヶ月)もあり
不慣れな土地ではトラック練習もままならず、レベルをかろうじて維持するのみだった。

今年度は
1.通勤ラン、自宅そばの多摩川、織田フィールドでのトラック練習など環境が整ったこと
2.HP開設をして、掲示板やメール等で、新たな仲間が増えて大いにやる気が沸いたこと
3.故障も経験し走れないことのつらさを体験、いい勉強になったこと
など収穫が多く、気持ちの充実から記録の停滞に終止符を打つことができ、
4年ぶりに自己ベストを達成 (^o^)V。新天地の調布での生活にも慣れ、調子は上々である。

記録を振るかえると、4-6月期はスピード練習を行うたびに調子が上がる感じがあった。
自分でも不思議なくらい体の動きが良くなる感じだった。トラックの記録も
1500mでは、4分04秒、5000mでも15分16秒、さらに毎年楽しみにしている富里スイカ
ロードレースで初めて優勝!復活の手ごたえは充分すぎるくらいだった。

7-9月期は合宿や北海道遠征で距離を伸ばし過ぎたせいか、北海道マラソン以降に
疲労状態に陥り、別海町パイロットマラソンでは伸び悩んだ。

その後、右ひざを痛めていまい、階段の上り下りも満足にできない状態へ。
走れなかったせいか体力があまってしまい、なんとnaochanが妊娠!(^_^; 事態は予期せぬ
方向?!へ転がりはじめた。年明けには足の問題も解消、いいペースで練習をこなすことができ、
99/02/14東京国際では、このコースでは初めて2時間30分をきり、かつ念願の自己記録を
マークした。一年間を通して最低限(月間200km)の練習量を確保できたのは、社会人になって
初めて。日々の生活とランニングには一体感があり、無理に練習をしている感覚がないので
走ることが嫌にならない。通勤ランも板についてきたようで、できない方が寂しいくらいになった。

99年度は大いに期待している。昨年の同時期にくらべ体は軽く、春夏のトラックで自己記録の
更新を狙い、夏場の走り込み後、照準は福岡国際!もちろん2時間20分きりをねらう。
後輩の「物理の先生」には負けられないのである。

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