旅立ち 2004.3.31 23:03

年度末である。職場や学校でも様々な人的な異動があることだろう。私の職場でも、部下が退職していった。

彼のバンドはインディーズではあるが、既にプロダクションに所属し、CDも発売され、春からは地方へもツアーに出る。友人が作ってくれたかっこいいプロモーションビデオまで制作し、パーフェクTVでも放送されたそうだ。

バンドと仕事の両立が難しくなりそうなので退職し、音楽活動中心の生活を送るそうだ。聞えは良いが、食えるはずもないので、今の職場で引き続き補助作業をすることにした。

彼とは音楽繋がりでいろいろな話をした。HOTコロッケに来たこともあった。気がつけば、彼はしっかり音楽の道で生きていく決心を固めていた。

もちろん彼のような生き方をするつもりはなく、またそんな実力も無い。アマチュアとして今後も音楽を楽しんでいくつもりだ。自分ができない生き方だからこそ、心の中で「悔いの無いように、頑張れ!」と祈っている。

明日から新しい年度。学校はまた新しい出会いが待っている。


憧れ年金生活 2004.3.28 22:59

大阪に所用があったので、帰りに四日市の伯父の家に泊めってもらった。久々にいろいろな話を花が咲いた。

小学生の従妹の息子(伯父から見れば孫)の話になった。ある日、おじいちゃんの生活を見てふと言ったそうだ。

「僕も早く、年金生活してみたい!」と。

それまで年金があることを祈る。子供の夢を壊してはいけない。


稲作ぷろでゅーす 2004.3.27 0:57

明日は、6:30東京駅発の新幹線に乗らなければならいない。起きられるのだろうか・・・。

なのに今日もHOTコロッケ「クラシックの日」に行ってしまった。今日の雰囲気はとても良くて、良い具合に酔っ払いながらの更新である。

さて、相棒稲作が「次の『るあ la mode』はクラシックとのコラボだ」と言い始めた。確かに面白ろそうな企画。そんじゃ、橋本マスターに日程を聞いてくる様に促すと、最初は躊躇しながらもマスターのもとへ走り、その足で「クラシックの日」レギュラーのS氏との交渉し、概案を作った。

という訳で6月12日(土)は「るあ la mode vol.2」が決まった。先にも書いたようにクラシックとのコラボレーションとなった。どのようになるのか、稲作プロデューサーに期待がかかる
(とプレッシャーをかけるリーダー的存在!)

にゅーよくざい 2004.3.26 0:55

先日、珍しく詰替え用「にゅーよくざい」を買ってきた。後でボトルに入れようと脱衣場に置いた。

暫くするとそれが無くなっていた。代わりにボディーソープのボトルが風呂の洗い場の手前に、その中身を十分に蓄えて置いてあった。嫌な予感・・・。

その日の夜から、アメリカ映画式お風呂を堪能している。

手作り 2004.3.24 23:20

先日ジョイント&音響を担当したポール・ガランさんが十条の労音会館に出ると聞いたので、行ってみた。前回同様、数組のアマチュアバンドと最後にポールさんの娘と二人の息子が演奏した。

流石フィリピンのプロ歌手の子供達、いや彼らはプロとしてやっているのではないかと思った。一番下の息子は14歳だが、風貌や雰囲気からももっと年上に見える。日本の14歳とは比べ物にならない位しっかりしている。

2つのアマチュアバンドしか聴けなかったが、それなりに楽しかった。トリは当然、ポールさんのご姉弟バンド。良い感じだ。

しかし、我々が携わった時にも感じた「手作り」の良さは、裏を反せば、「アマチュア」「ボランティア」「チャリティー」という言葉への甘えではないかとの疑問を感じた。誤解のないようにいうが、バンドの演奏レベルを問うているわけではない。

1500円を徴収しておきながら、席はない。知り合いが椅子を出してくれたが、それまでは立っていた。音響もアコギのマイク集音ではハウリまくる。客に対する配慮が一切ない。

「素人だから仕方がない」「ボランティアだから、チャリティーだから良いじゃないか」と考えているなら大きな間違いだと思う。アマチュアだろうがボランティアだろうが、椅子は出せるはずだ。音響だってもう少しPAについて知っている人ならば、ああはならない。

主催者が何に視点を置いているかだとつくづく思う。今回の収益も、前回同様フィリピンの貧しい地域の学校運営資金に回される。それ自体は素晴らしいことだ。ならば、もっと集客できるイベントにすることが必要ではないだろうか。そのために何をすべきかもっと考えて欲しいものだ。「素人だから」「ボランティアだから」では所詮内輪のイベントで完結してしまう。

この教訓を主催者にまとめて伝えようと思っている。そして、来年は参加しないつもりだ。

今日、帰り際にポールさんが、「来年も一緒にやろうな」と握手しながら微笑んでいた。

じんましん 2004.3.23 23:02

「JIN・Machine(JINTAさんの機械)」ではない。サバを食べ過ぎた人の話である。

「なんだか、くやしい。だから。ウリウリウリッ!『私のじんましんを見ろ〜っ!!』と見せびらかしている。」と、かの人が日記で書いていた。

私はその「じんましん」を見せられ、思った。
「確かに由緒正しい、典型的なそれだ」。

「じんましん」と「じまんしい」は似て非なるもの。

試験合格! 2004.3.21 22:03

1月25日に「試験は終わった」というタイトルで書いたその結果が出た。ナント合格!本人ビックリ。

かの日の「つぼやき」には「さて、試験の結果は・・・、2ヶ月後になる。感触は・・・、次回試験の4月に向けて準備を始めよう。」とある。4月の試験準備をしなくて良くなった。バンザーイ!

出先からメールをチェックすると「合否の発送」があったとのこと。その日は合格の夢を見るほど(しかも3回ぐらい「これは夢だ!」と気づいたのだ)。

内容証明での発送とあったので、不在で郵便局に持ち帰ったと思い、出先から郵便局へ直行した。少し待たされ、渡された青い封筒、ドキドキしながら封を開けた。筆記・実共に「合格」の文字、嬉しかった。試験の出来が芳しくなかったこともあり、自信がなかった。4月の試験に向けて準備をしなければと思っていたが、どうもやる気にならない。それだけに余計嬉しかった。合格といっても滑り込みセーフ。まっ、合格は合格さ。

どちらかといえば「もう、試験勉強をしなくて良いんだ」という気持ちの方が強かった。この心境って予備校時代にも感じた気がする。

という訳で「唄うキャリア・カウンセラー」が産声を上げたのだった。

合格通知(一部抜粋)


永年勤続表彰 2004.3.18 23:50

今日、総務から「渡辺さん、永年勤続表彰の対象です。申請をしてください」との電話。私の職場では10、15、20、25、30年と勤続の永い職員を表彰する。私は満20年となり、それを表彰してくれると言う。

ここ数年、この制度は廃止の方向に進んでいる。「永く勤務すれば良いというものでもない」というのがその理由である。戦力にならなければ、「在職する価値はないし(つまりリストラ)、ましてや表彰するなど論外」なのだ。日本の社会はかつての右肩上がりの「家族的=終身雇用型」から、「成果主義=キャリア重視型」に変容しつつある。それ自体は悪いとは思わない。

「成果主義」と言いつつも適正な評価システムがあるのかと言えば、疑問である。笑い話だが「ゴルフとコンピュータができないヤツは出世しない」と噂話が流れたことがあった。(ちなみに私はゴルフに興味はない)

先週、上司から「永年勤続表彰はもうなくなるかも」と言われていたのであまり期待していなかった。今日の電話は余計に嬉しかった。社会人になってやっと「成人式」を迎えた。しかし、この制度が今年ラストだとすると、来年の対象者はどうなるのだろう。もし、自分がそうだったら・・・。

どんな良い職場でも、毎日が順風満帆とはいかない。失敗したり、落ち込んだり、嫌な仕事をやらなくてはならないことや、自分が悪くもないのに頭を下げなくてはならないこともある。そんなことを考えると、ある意味で「人生修行」だ。こうした表彰はその苦しい修行の合間の、ちょっとしたご褒美ではないだろうか。

さだまさし原作で映画化された「解夏(げげ)」
。その言葉の意味するところは「永い修行が明ける日のこと」だそうだ。さすればサラリーマンのそれは「定年」であろうか。未熟な私の修行はもう少し続くのだろう。

まもなく20000アクセス! 2004.3.17 23:03

ありがたいことに我々のHP「るあ la mode」がまもなく20000アクセスに至る。正直、1年3ヶ月でここまでになると思っていなかった。

さて、20000人目の方に何をプレゼントしようかと考えている。「るあのお宝○○」にしようかと思ったが、メンバーの場合も考えられる。なんとなく「おG」が二冠に輝くか、「Oしたさん」のゲットか注目される。いっそ「るあ」のアイドル、「越後屋ぐらびあ集」にでもするか(越後屋が当たったりして・・・)。

20000人目の方とご相談しよう。お楽しみに!

(因みに「おっぴん独占権」・・・。とっきーでも要らないであろうよ。フンッ!) 

越後屋人気 2004.3.17 0:15

久し振りに「Profile」
を覗いてみた。

画期的なある事実に気づいた。「楽器倉庫」のアクセス数が他のメンバーは100前後なのに、越後屋だけは150を越えている。

越後屋は「るあ」のアイドル的存在となった。今や越後屋なしで「るあ」は語れない。


時間と空間の交差点 
2004.3.15 23:37

さて、昨日のコンサート会場となった目黒区民センターは、稲作のHPに書いてある通り「懐かしいホール」である。

高校3年生の時、2つ年上の大学生の知り合い(後に、「るあ」先代ピアニスト)から、「あるコンサートでさだまさしの曲をやるから手伝って欲しい」と言われ、授業終了後に稲作と二人で駆けつけたのがこのホール。制服も初々しい、まだ酒の味も解らない健全な高校生がそこにいた。稲作の記憶によると「飛梅」という曲をやったという。よく覚えているもんだ。

あの時はずいぶん広いと思ったホール、なぜか広さは感じない。やっている内容はあまり変わらないが、全く違ったスタンス・スタイルで立った同じ舞台。不思議な「時間と空間の交差点」にいる自分。考えてみれば、「るあ」はあの頃、稲作と二人で始めた形が原型となっているんだ。

43歳-18歳=25年、よくもだらだらと続けて来たものだ。ただ、25年間の中で真剣に、継続的やっているのは19歳〜23歳位で、後はここ3、4年だ。

そのステージに呼んでくれた張本人がお客さんとして来てくれた。久々に昔のメンバーに聴いて貰えたことがやけに嬉しいだけで、昨日はそんなことにも思いは至らなかった。今日ふと振り返り、もう一つの「時間と空間の交差点」のことを思い出した。


ポール・ガラン氏チャリティーコンサート 2004.3.14 23:18

ポールさんのチャリティーコンサートが終わった。直前まですったもんだあったが、本番は非常に順調で、良い内容だった。お客さんもポールさんも大満足の様子だった。

ポールさんとの付き合いも3年目。2度も「フィリピンに来て、ライブをやろう!」とお誘いを頂いた。るあもいよいよ世界進出か!?

しかし、出演者と音響を兼任するのはもう辞めようと心に誓った。大変!9時のホール入りに8時半だが現地到着。終了後は機材を返却し、23時帰宅。体がついていきましぇーん。

さて、大きなトラブルは無かったのだが、大チョンボは休憩のBGM。何を間違えたか「せくしぃつぅ」の練習を録音した音源が流れてしまった。すぐにBGMに替えたが、「天使の誘惑」が客席に波紋を呼んだことであろうよ。思わず、赤面!トホホ・・・。

 
写真提供:ばくさん

花うさぎ 2004.3.14 0:13

「せいしぃ・つぅ」でもお馴染みのtomokoの日記、
「花うさぎ 〜tomokoのひとりごと〜」がスタートした。3月1日のJINどのを囲んでの飲み会の席で大いに盛り上がった話だが、JINどのと密かに準備を進めていたとは・・・。

またひとつ見るサイトが増えた。嬉しいことだ。「一言メッセージ」にぜひ「最近、更新してないじゃん!」と突っ込みを入れたいものだ。

音楽だったり、日記だったり、時には飲み会(?)など
皆が様々な「表現」を受止め、様々な反応があることがまた嬉しいんだよね。

さて、明日(もう今日だ!)はフィリピンの音楽家、ポール・ガランさんのチャリティーコンサート。出演だけでなく、音響も担当する。大変な一日になりそうだ。今日はこの辺で布団の誘いに身を任せるとしよう・・・。

街を作る男 2004.3.13 1:02

ここ数日、毎朝通勤路で出会う友人がいる。

彼は新築工事の現場主任である。4階建てのマンションを建てるそうだ。彼は地元で、建築の仕事を継いだ。

私の住んでいる所は区画整備で、街の姿は一変した。あろうことか神社まで位置を動かす羽目になった。お陰で周辺はきれいに整備されたが、どこか趣がなくなってしまった。

彼の現場はその神社の隣り。きれいになった区画整備地域で、今は建物の基礎工事を進めている。大袈裟に言えば、彼は地元をリニューアルさせる、つまり「新しい街作り」を進めているのだ。

ヨーロッパには100年以上も経った建造物が、生活の場となっている。地震の国である母国にとっては無理な話であろう。しかし、時として羨ましく感じるのは私だけであろうか。

私は彼を批判するつもりは毛頭ない。彼は時代の要請を受けて黙々と「街を作っている」のだから。きれいな街、住みやすい街、消防車が入れる広い道、生活はどんどん快適なってゆく。それも否定するつもりもない。

実家で写真提供した、江戸川区の100年を写真で紹介した書籍を見た時、そこには「長閑な光景」が広がっていた。まるで、時代劇のセットのような風景と素朴な人たち。交通の便は悪く、雨が降ればみみずの大群に悩まされ、時として水害に襲われた。素晴らしいとは言い難いところではあった。しかし、そこには生き生きとした人間らしい生活が、脈々と流れていたに違いない。

この地に産まれて43年、この地に住んで41年、変わりゆく街の姿を忘れずにいたいと思う。

BGM 2004.3.11 22:56

職場からの帰り道、
越後屋に録音してもらったピアノ中心の曲を聴きながら帰ってきた。

今日は夜まで暖かく、春を感じさせる一日で、心弾む帰り道だ。見上げると、小さな星が瞬いている。BGMが見事にマッチして、まるで映画のワンシーンのようだ。

時々、歩きながら音楽を聴いていると、視界がすべて映画やドラマのような錯覚に捉われることがある。通いなれた通勤路ででさえ鮮やかな、悲しい音楽であれば少し暗めに見えてくるから不思議なもの。こうした感性の中から新しいものが産まれて来るはずだが、実際はなかなかそうも行かない。

反応 2004.3.10 23:57

3/8に「更新していると意外と反応がないものだ。」と書いたら、「ちゃんと読んでるよ〜!」の反応を頂いた。

「更新されてるとなんかホッとするのであ〜る。」「2月のライブパンフに書いてあった、卒業したいこと、あれはマジだったんだーとびっくりしてます。」ホント嬉しい反応で、感謝感激。

こうしてどんどんサボれない状況になっていくのだ。皆さん、ありがとう!


参考書 2004.3.9 23:26

「参考書」を買った瞬間から、勉強もしないのにやった気になってしまった経験はないだろうか。私はその典型的な人だ。いつも手垢のつかないきれいな参考書が本棚にずっと飾ってあった。

最近も変わっていない。本屋に行くと、つい「ギタリストのための***」「アコギスト***必携」「アコギ演奏能力開発***」などのレッスン本(大抵がCD・DVD付き)を購入しては、本棚に燦然と光り輝いている。当時と同じで、数回開いた後はほとんど見たことはない。ひどいのになると、同じ本が2冊あった。(しかもそれが2種類だったこともあった)

こうして私の素晴らしい才能は未だに開拓されずに、未知の可能性を秘めたまま眠り続けている。(誰か起こしてぇ〜!)

更新してます! 2004.3.8 23:16

この「つぼやき」、更新していないといろいろと意見が出るもんだが、更新していると意外と反応がないものだ。(内容がつまらいないかな?)


ばくさんが日記の中で「いまだ更新の勢い、留まることを知らず・・・。」と書いてくれたのは嬉しかった。併せて「誰も褒めて?くれないと、不安になったりもするのですが・・・」とあったけど、この気持ちよくわかるなぁ。皆、読んでくれてますよね?

時々サボりながらも、何とか毎日書くことを捻り出すことにちょっとだけ快感を覚え始めた今日この頃。
さて、いつまで続くやら・・・。

久々の運転 2004.3.7 22:47

3/14(日)のチャリティーコンサートの打ち合わせで目黒の会場に入った。当日は機材のこともあり、車で動くことになる。下見を兼ねて車で行くことにした。日曜日の午前中であれば、目黒は電車より早い。約40分で現地に到着した。

そういえば車に乗るのは何ヶ月ぶりだろう。近所に10分程度の乗車はあったものの、本当に久し振りだ。エンジンをかけた瞬間、「ちゃんと動いてくれ」とちょっとだけ祈る気持ちだった。問題なく快調にスタート、予定通り到着に至った。

ここのところ試験、れんしう、ライブと車に乗る機会が減っていた。先日、ディーラーから「今年は車検です」の知らせが来るまで、車検も忘れていた。

帰りにガソリンスタンドで、数ヶ月ぶりに洗車して気分一新、今週末の機材運搬で活躍してもらおう。


土曜日の出勤 2004.3.6 22:38

私の職場は土曜日も休みではない。交代で休みを取っている。

先日、いつもの時間に駅に向かい、いつもの電車に乗るつもりだった。しかし、土曜ダイヤだったので1分遅れの電車となった。
当然、「1分遅れて新宿に到着する」と理解していた。これがいけなかった。

私の利用している路線は日中と土日に「急行」が登場する。そいつのお陰で到着時間が更に遅れる。

途中の駅で、後から来る「急行」に乗り換えれば、問題なく予定時間に到着するのだ。その労を惜しんだために、先日見事に遅刻してしまった。

今日はそれを見越して、1本早いのに乗った。土曜日の通勤は気を遣わなければならない。

20回目の卒業式 2004.3.5 23:48

私にとって今日は20回目の卒業式だった。職業柄、当然毎年卒業生を送り出す。気がつけば20年目の春である。

現在、学校現場にいない私は卒業式には出ていない。終了後の祝賀会で学生を見送った。

祝賀会では彼らの2年間のVTRが大型映像で流れる。単に彼らの入学から卒業式までの姿が、BGMと共に流れるだけだが、やけに感慨深いものがある。見ているだけで、ウルっとてしまった。

毎年思うこと、「今年も卒業できず、取り残された」という不思議な感覚。

そして4月、また新しい出会いを迎える。

温泉に行きたい 2004.3.4 22:50

最近、やけに「温泉に入りたい!」と思う。寝不足が続き、少し体が疲れているせいだろうか。

若かりし頃はその魅力を知り得なかった。「若気の至り」とはこのことをいうのだろう。体がいうことを聞いてくれているうちは、あまりそうは思わないのだろう。歳をとった証拠なのかもしれない。

昨年、11月下旬に鹿児島に行った時もそうだ。指宿でも日帰り温泉に浸かった。最近はドライブに行っても、温泉を探してしまう。


今日はHPで、あちこちの温泉を見て回った。箱根や伊豆高原等の単純泉は少し飽きてきたので、成分の違うところへ行ってみたい。

それほど温泉好きとはいえないが、私の中でのベストは佐賀・嬉野温泉。縁あって2度行くことになったが、初めて「温泉」を意識したお湯であった。

どなたか、お勧めの温泉をご紹介してくだされ。


TV局引越し 2004.3.4 0:37

汐留の方に引っ越した某テレビ局の旧社屋近くのうどん屋に入った。

昼時を外れていたので、客は私だけ。従業員の女性が昼食を食べ終わったところだった。注文を待つ間に「TV局の引越しは痛いですよね」と尋ねると「大打撃です」と微笑みながら応えた。確かに大企業の移転は、こうした飲食店の存亡に関わる大問題。「関連会社が入るそうですよ」とは入ったものの、何のフォローにもならない気がした。

TV局は高層ビルを建てるのが流行りなのだろう。やけに上を目指しているようだ。この不景気になぜかTV局は儲かっているらしい。変な話だ。広告費は減少し、どの番組も制作費削減の嵐のはずなのに・・・。そのしわ寄せはどこに行っているのだろうか。

HP引越し 2004.3.3 0:29

昨日(3月1日)は「信濃屋」ことBAKUJINのJIN殿が仕事で東京に来たので、宴を挙行した。ルーサーを除く「るあ」、8438、TOMOKOちゃんが参加。JIN殿も同僚の方をお連れになった。非常に楽しい夜であった。ただし、JIN殿の同僚の方は参加者の、あのテンションの高さに戸惑っていたに違いない。

さて、前日の夜の寝不足と酒の勢いも手伝って、楽しい夜は一転して「眠い夜」と化した。帰宅すると眠気に負けて、遂に更新を挫折。皆が「遂にやった!」と喜んだであろう。(その割りに掲示板へのクレームがなかったのが、少し寂しかったが・・・)

もともとメインプロバイダーの容量が足りなくなっていたため、「つぼやき」の更新も厳しくなっていたため、一部のページの引越し作業を必要とされていた。今日はその作業とともに更新ができた。

既にお気づきの方がいると思うが、一部ページに広告が出ている。それが引っ越した証拠。広告の出ていないページは前のまま。

「越後屋ちゃん」ページも引越しを目論んだが、広告の位置が良くないので諦めた。こんなところでも「越後屋ちゃん」は個性を発揮していた。

2004年3月
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