2004年9月
今の「つぶやき」に戻る

「韓国・ソウル1泊2日の旅」そのヨン様

毎度の言い訳。昨日は終日の研修後、老体にムチ打つかのように職場の野球の公式戦があった。19:20〜21:00。私は上から2番目の年齢なので「出なくて良い」と言ったのに、途中から出る羽目になった。2回の打席で三振と内野ゴロ。特に2階目の打席は満塁、逆転のチャンスだった。この時ばかりは日頃の肝臓の鍛錬に費やす時間を、バッティングセンターに行くべきだったと猛省した。守備はサード、肩がボロボロで投げるのがしんどいが2つのサードゴロは無難に捌いた。

さて、ソウルに戻ろう。

同窓会は予定通り始まり、焼肉を始め韓国料理に舌鼓を打つ。早くも焼酎の空き瓶がテーブルに溢れる。オチョコではあるが「回し飲み一気」が始まった。しかし、一次会は和やかに終わった。

こんなもんじゃ韓国の夜は終わらない。当然二次会と相成った。仲の良い卒業生やら一次会で打ち解けた連中と、すっかり良い気分で二次会の店に入った。

私が一番親しい卒業生、A君は今日の顔ぶれの中でかなりの豪傑。酒の量も半端ではない。私に対しては紳士的だが後輩達にはかなり厳しい。

しばらくすると、さっきまで私の前でニコニコしていたA君がいなくなった。「タバコでも買いに行ったかな」とあまり気にせず、盛り上がっていると、今日の幹事のB君が神妙な顔で「ちょっと来て頂けますか」と私を呼ぶではないか。A君と親しい友人や後輩にも声がかかった。

気分もかなりハイになっているせいもあり、事の重大性に気づく前に彼の言うとおりについていく。彼が事情を説明し始めた。

「A君は携帯を前の店に忘れたらしく、取り入った。店の対応が気に入らなかったようで、そこで暴れてしまった。止めに入ったお客さんにもケガをさせて、今警察で事情聴取をされている。警察には『今日は同窓会で日本から恩師も来ているので、何とか許して欲しい』とお願いしている。なので、一緒に警察まで行って欲しい。」とのこと。

早速タクシーで警察に向かう。交番ではない。本格的な警察だ。酔っぱらっているので、あまり緊張感が無い。幸いお客さんのケガは大したことがなかったと聞いてほっとした。

意外と冷静で、私が警察に言ってもあまり効果がないのはわかっていた。本人会える確率も低いと思っていた。でも、何かの役に立てればと思い、警察のロビーで待機した。記憶が断片的だが、自動販売機でオレンジジュースを2度買った。1時間半位その場所にいたのだろうか。結局、思ったとおり面会は出来ず、タクシーで戻ることとなった。タクシーには被害を被った店のママも乗っていた。彼女は怒りよりも疲れ果てた表情をしていた。幸いB君が良く知っている人だったので、穏便に話はついたようだ。

既に三次会になっていた。この辺からはあまり記憶にない。といってもその時は意識があって、ちゃんとホテルにもたどり着いた。それから先輩と1時間ほど色々話して寝たのは5時を回っていた。

さて、やっと2日目になった。昨日はホントに24時間だったのかなって思うくらい濃い一日を過ごしてしまった。まさか韓国の警察にお世話になるなって。(私じゃないけど)

転がりこませてもらった先輩はある説明会に出るために、他のスタッフと8:30にロビー集合。焦って準備をしている。のんびりしていたが、私は居場所がなくなる。別の部屋の同僚に電話して、そっちの部屋に転がり込む。

同僚の部屋でシャワーを浴び少し復活し、先輩からもらった朝食券で同僚と朝飯食う。彼は警察こそ行かなかったが、三次会まで一緒だったので飲みすぎ寝不足で死んでいる。それに引き換え外国お出かけ大好き男の私は、朝からパンを4ピースも頬張り、同僚に「元気ですね」と呆れられる始末。

同僚と、先輩や他のスタッフが行っている説明会に行ってみることにした。場所が怪しいが昨日先輩が「○ントラルホテル」と言って、地図を見ていたのを思い出した。それほど遠くないし、地下鉄で10分ほど。既に地下鉄にはお世話になっているので、たどり着けるだろうと判断した。

順調に地下鉄をおり、そのホテルに近づいてきた。しかし、不吉な予感が・・・。(またかい?)

外観からその説明会をやりそうな雰囲気ではない。幸いにフロントの人は日本語が出来たので、尋ねると「ここではない」とのこと。二日連続「国際的迷子」である。似たような名前のホテルがないか聞いてみるがわからない。

そこで、携帯を持っている、説明会に行っているスタッフに電話する。「『○ントラルホテルではなく、○トラルシティー。○リオットホテルのホテルの隣」と教えてくれた。すぐにホテル前でタクシーを捕まえて「○リオットホテル」というとやや老年のドライバー、申し訳無さそうに「わからない」と言った(はず)。歩道にいた人に聞いてくれるがわからない。そこでドライバー氏、ホテルのフロントへ。流石に今度はニコニコしながら帰ってきた。やっと目的地に向けて出発。しかし、そのホテルが見つかるまでは、半信半疑でどうも落ち着かなかった。そして、目的地の英語の表示が出てきた時、ホッとすることができた。

降り際に、私の素晴らしいハングルが飛び出した。「リョウチュチョ、チュセヨ(領収書ください)」かのドライバー氏、日本のドライバーと寸分違わず、レシートを手渡してくれた。皆さんも覚えておきましょ!

灰皿は「チュトリ」、従って「チュトリ、チュセヨ」。ビールは「メッチュ」、「メッチュ、ハネビンチュセヨ(ビールを一本下さい)」
美味しいは「マナッソヨー」以上ハングル語講座でした。

この後、仲間と合流、その1時間ほどで帰国の時間となった。残念ながらこの後は事件らしい事件はもう起こらなかった。因みにA君、この日には釈放されたそうだ。私には未だに連絡はない。アー、疲れた。

この「台風温泉」から始まったこの8日間はヒジョーに濃い時間を過ごしちゃいました。

PS:この上の行まで書いたところでエラー発生、一瞬データが消えたかと思った。しかし流石XPは賢い!データは残っておりました。ヨカッタァ!


「韓国・ソウル1泊2日の旅」其の参 2004.9.23 12:28

昨日は睡魔に負けて更新できずにスイマせん!(ワカッタカナ、ワカンネェダロウナ・・・)

さて、初日なのに、既に「其の参」とは・・・。ある方から「ホントは7泊8日位なんじゃないの」と指摘があったくらい。そんなに日程が取れたら幸せです。

さて、つづき。

傘もささずに飛び込んで行くはずのホテルが見当たらない。どうやら降りるバス停を間違えたらしい。韓国のリムジンバスは目的のバス停の後に、次の停車バス停も案内する。私は目的地のひとつ前降車してしまったのだ。この事実に気づくの随分後であった。

仕方なく、まず傘をさすことにした。近くのビルの軒先で傘を広げようとする。8月下旬にコンビニで買ったばかりの折りたたみ傘。韓国がデビュー戦になるとは思っていなかった。が、使えないのだ。開くには開くのだが、開いた状態で固定されない。雨だけでなく風が強い。このまま固定しながら歩くのは結構しんどい。

まさに「泣きっ面に蜂」。今回は「どうせ1泊2日だし、ガイドブックも不要」などと思い、ガイドブックや地図もない。せいぜいホテル周辺の地図だけだ。完全に「国際的迷子」である。自分のいる位置さえわからないのだから。

「さて、どうしよう?」と思ったが、目の前には地下鉄の入り口。「とりあえず、雨は凌げる」と思い、構内へ。しばらくホテル周辺の地図を見つめていると、その地図の周辺駅に「弘大入口」を発見。「この駅を探せば良いんだ」と気がついて、路線図を凝視する。しかし、基本的にはハングルである。読めるはずが無い。韓国では基本はハングルだが、一部で漢字が使用されている。あった、ありましたよ「弘大入口」。標記が漢字で助かった。どうやら隣の駅らしいことがわかった。ホッと一安心。窓口で地図を指差し、何とか切符を購入した。「国際的迷子」から「日本国的旅行者」に舞い戻った。

と安心したのも束の間、どっち行きに乗れば良いのか。上り下りどちらのホームに行けば「弘大入口」に行けるのか。勘の鋭い私は「多分!」と思ったホームに向かった。そのホームの表示に次は「弘大入口」の表示で安心した。

せっかくなので韓国鉄道事情をご説明しておくと、今では日本の地下鉄の各駅に「S36(確か瑞江駅)」等の表示がついているが、これは韓国の方が先輩。随分前から導入されていた。英語表示が少ない韓国では外国人の鉄道利用に大いに貢献していること間違いない。

さて、やっと目的地にたどり着いた。しかし、私は同僚の部屋に転がり込むので当然チェックインが出来ない。彼が来るまで2時間余りの時間を潰さなければならない。

日本語の話せる卒業生とお茶でもしようかと電話をするが、仕事で彼が到着できるのは17:00過ぎ。仕方なく近所を散策することにしたが、先ほどの風雨である。コンビニでまたまた傘を購入し、歩き始めた。といっても雨の中。街は飲み屋が多く、昼の散策にはあまり適さない。1時間もすると時間を持て余してしまった。ホテルのレストランで時間を潰す。フロントは日本語OKだが、ここのレストランは英語だけ。

アイスカフェオレを注文し、ボーっとすることにした。運ばれてきたそれを口にした瞬間「韓国に来たな」とふと感じた。韓国のコーヒーは独特の味なのだ。コーヒーなのにシナモンの味わいと必要以上の甘さ。でも、これが韓国らしさで嫌いではない。やることもないので、店にいる人物像を観察することになる。

まず、ウエイトレスの女性。なかなかの美人。韓流のドラマに出てきそうなタイプ。笑顔なら素敵なのに、ちょっと表情が硬いなぁ。

右のテーブルのカップル。男性が遅れてきた。会話が弾んでいない。男性が言い訳風にぼそぼそと話しているが、女性から言葉が出ない。雰囲気的に「別れ話」かな。

向こう側のテーブルには大声で携帯電話をしているオヤジ。店に轟き渡る声であちこちに電話をかけている。「こういうヤツって態度デカイだよな」と思っていると、案の定、店の人にも何やら偉そうに指示をしている。

後ろの席には15人ほどの団体さん。どうやら親戚のようである。「法事かな」って雰囲気だが、もう少し華やいだ感じだ。久々に親戚が顔を合わせた様子で、明るい話し声が聞えていた。

ウトウトしていたこともあり、韓国であることを忘れてしまいそうな気分だった。

さて、そろそろ同僚が空港に着く頃かと思い、同僚の携帯に連絡を入れると「ホテルに着くのは17:30頃」。「ゲー、いよいよ居場所が無い、どうしよう」と相談すると「うちの職場のスタッフが既にチェックインしてるはず」とのこと。なーんだ、最初からその部屋に行けば良かったんだ。この2時間は何だったんだぁ。

という訳で、無事今日の寝床は確保し、夜の同窓会の時間を待った。この後、今回最大の山場が待っていることも知らずに・・・。

つづく(まだ1日目は終わらないのだ)

「韓国・ソウル1泊2日の旅」其の弐 2004.9.21 22:41

今日はとっきーより早く帰宅したので、夕食を作ることにした。ま、大したものはできないのでお馴染み「チャーハン」にした。いつもよりやや本格的に、ショウガ、ニンニクをみじん切りにし油で炒め風味を出し、そこにニンジン、タマネギを放り込む。残念ながら肉類が無かった。そこで、冷蔵庫を物色してみると素晴らしい具材発見、「キムチ」である。夏頃から冷蔵庫にその存在を確認していたが、今日こんな形で出会うとは・・・。本日の夕食が以下の画像である。非常に美味かった。久々のヒットである。
ピリカラで良い感じ。適当に作った割りに好評。とっきーも納得!

という訳で、つづき。

韓国に旅立った私は順調に仁川(インチョン)空港へのフライト。飛行機は予定通りの時間にランディングした。しかし、雨だ。アジアのハブ空港を目指す仁川空港は、もの悲しげに私を迎えてくれた。

同僚よりも早い便で到着したため、一人旅。まずは入国手続きだ。並んでいる。見渡す限り「ヨン様ブームにやられたお姉さまの大群」が溢れかえっている。「どうせ焦っても、どうせヨン様には会えないのに・・・」等と心で思いながら、傍らのプラズマテレビのCMを眺める。韓国映画ヒットの火付け役となった「シュリ」の俳優さんが出ている。しばらく内容に惹かれて観ていたが、あまりに同じもののリピートに、流石に飽きた。多分30分以上の時間を費やしただろう。

さて、機内持ち込みの荷物以外はないので、そのまま両替に進む。2万円を両替。ご存知の方も多いと思うが、韓国の通貨単位「ウオン」は円の1/10。つまり2万円=20万ウオン。1000ウオン札で20枚ももらって、すっかりお金持ち。気分を良くして、リムジンバスを探す。

今回、転がり込むホテルは、空港から直行バスが出ているので気が楽だ。バス停を探し、行き先を確認。どうやらここで良いらしい。まずは一安心。片言ながら日本語のできるニイチャン(一瞬怪しく感じるが、皆良い人)がチケット(7000ウオン)を売りに来る。バスが来たので、ドライバーに「○○ホテル?」と行き先を訊ねると「違う」と言われた。

ほどなく目的のバスが来た。念のため「○○ホテル?」と訊ねると、ハングルだから解らないが否定していないようだ。後ろの席に陣取ろうと奥に向かって歩き出そうとすると、ドライバーが誰かに向かって大声を出している。「うえせぇーな、誰に向かって叫んでんだよ」と振り返ると、かのドライバーが私に向かって叫んでいた。良く聞くと「シートベルト締めてください」と言ったようだ。

ふと昨年のことを思い出した。路線こそ違うが、昨年もリムジンバスに乗った。雨が降っていた。そして、すごーいスピードで高速道路をかっ飛ばしたのだ。そうか、今日もぶっ飛ばすんだ。と覚悟を決めるシートベルトを装着するや否や、バスは昨年より張り切ってスピードを増量していった。

「ここまでくれば、後は目的地で降りるだけ」眠気も襲ってきたので、一眠りするか、ウトウトとし始めた時、車内放送が流れた。ハングルである。当たり前だ、ここは韓国(テーハミング)なのだ。辛うじて、ハングルの後に英語のアナウンスが流れている。ややホッとするが、バスは疾走を続ける。恐らく日本のバスでは考えられないスピード(多分120km/hは出ている)で雨の高速道路をソウルに向かってる。つまり、エンジン音がうるさくて、車内アナウンスが聞えない。席をスピーカー近くに移動するがあまり効果は無い。こうなると「勘」しかないと開き直った。

停留所を告げるいくつかのアナウンスが流れた。その中に私の目的地を何とか捕らえた。意気揚々とバスから降り、雨のソウルに降り立った。バス停の左前方に目的地のホテルが・・・、

見つからない。

つづく

それではリクエストにお応えして 2004.9.20 23:30

ありがたいことに「台風温泉」の反応が良く、「韓国・ソウル1泊2日の旅」を書いて欲しいと言う声を頂いた。なので、またシリーズ物でいってみようと思う。(引っ張るぅ!)ただし、今回は画像がありませんので、お生憎。

大体「日本から近いとは言え、外国に1泊2日で行くか。大韓民国に対する冒とくである」という声さえ聞えてきそう。その通り、全く失礼な話である。もっと言えば昨年も同じパターンであった。理由は「時間が無い」のです。10月中旬にあるイベントがあり、その事務局を引き受けている。その申込みがこの時期にあたり、この日程さえ無茶なのである。既に4回目の訪問だが、私は観光をしたことが皆無に等しい。ゆっくり韓国にいける日はいつになるやら。

「じゃ、何で行くのよ!」と更なるお怒りを頂くかも知れない。その通り。この時期は願わくば行きたくない。しかし、行かねばならないのである。

私の職場は学校関係で、毎年60名前後の留学生を受け入れている。卒業生は韓国だけで既に400名を越える。その同窓会がこの時期にソウルであり、初期から関わっていた私は行かざるを得ない。私も毎回何とか都合をつけて、行きたいと考えている。

「仕事絡みなので、職場で費用負担をしてくれるんだ。良いな、タダで韓国行けて!」と思ったあなた、大間違い。全て「自腹」です。今回は部下を公務で行かせたため、私は私費です。といってもマイルが貯まっていたので、往復航空券はは無料。(成田空港、韓国・仁川空港使用料はしっかり取られる!)なおかつ、ホテルは同僚の部屋に潜り込むという大技。(ホテルにはほとんどいなかったが・・・)

さて、事件がなかったかというと、ちゃんとあるから不思議である。

「台風温泉」から帰った週末の土曜日、10:00発の飛行機に乗るために「テロ警備も厳しいだろうから、1時間前には空港に着くように出よう」と思って床に入った。しかし、既にご承知の通り、前日は「るあ」の肝臓鍛錬の日であった。

成田空港までは所要時間1時間を考えていた。予定では我が家を7:15発。9:00には余裕で成田空港第二ターミナルビルでモーニングを食べているはずだった。ところが目覚めると既に7:30を回っている。げっ、ヤバイ!慌てて家を飛び出し、携帯の「乗換案内」サイトにアクセスすると空港到着時間は「9:20」を回っている。土曜でカウンターは混んでいるのが予測できた。また、出国手続きがテロ対策で、やけに時間がかかりそう。出発の40分前はドキドキの40分前である。

四の五の言っても仕方が無い。取り合えず瑞江駅から本八幡駅へ。京成八幡駅から成田空港を目指す。瑞江駅まで向かう道すがら、「車で行けば40分か・・・」と過ぎった。しかし、まずは瑞江駅を目指すことにした。

幸い「乗換案内」に出てこなかった成田空港行きの特急に乗れ、ナント9:00前には第二ターミナル駅に到着。ナンデェ、焦って損しちまった。

ともっ思ったのも束の間、出発カウンターには人の波。一難去ってまた一難。

カウンターの待ち時間25分+出国手続き25分=50分
あくまでも予測だが、余裕があるとはいえない。「間に合うかなあ・・・」と不安が募る。

と、カウンターに向かおうとしたその時、傍らに何やら機械を発見した。「自動チェックイン」の機械である。国内線では毎度お世話になっている代物だが、国際線では使ったことが無い。ましてや私は公式な「無賃乗車(乗機?)」であり、サービスが良い筈は無いと考えた。「(えーい、ヤケクソダ!と開き直り)、このチケット、自動チェックインは出来ますか?」とたずねると、大きく頷くグランドホステス。荷物が無いことを告げ、パスポートで照会こそ若干の時間を要したが、明らかに農協の団体の皆さんに紛れ、愛想の悪いカウンターの姉ちゃんの手続きを待つことを遥かに駆逐した。


こうして、思いの外スムーズに日本を抜け出した私に、韓国でどのような出来事が待ち受けているか。それはまた次回のお楽しみに。(紙芝居風になってきた)

つづく

ライブ終了、そして・・・ 2004.9.19 23:31

長編ドキュメンタリー「とっぴん家の九州・台風温泉の旅」ですっかり疲れて、サボってしまった。でも、意外と好評だったので、ちょっと安心しました。

昨日は大下さんの企画ライブ。様子はコロッケのHPに載っています。酒の量まで書いてあるとは・・・。(最近、PCが不調で、アルバムサイトに繋がらず、写真がアップできません。困った)

私は出番まで中学の仲間と別の店で飲んでおり、出演前に彼らを連れて、コロッケ入り。つまり私の酒の量は入っていない。ということは「ホントはもっと多い」ってこと。恐ろしや。

酒のせいか、予定外のことも多々あったが、楽しいライブ。先ほど稲作DVカメラが撮影した映像を見ながら出来をチェックしたけど、確かに良く飲んでいる・・・、じゃない、「るあ」お馴染みの「酔いどれライブ」でんなぁ。

さて、次は11月の「深川ギャザリア・ライブ」に向けて準備をスタート。何が出るかはお楽しみ。

一部でリクエストがあったので、「韓国・ソウル1泊2日の旅」を書くつもりです。乞うご期待!

 さっきHPを開けると「29998」。危なく「30000」をゲット。身内がゲットしたら罰ゲームありか?

とっぴん家の九州・台風温泉の旅 其の五 2004.9.17 1:20

起承転結で言えば「結」である。帰らなければならない。残念ながらこのまま九州に居座る訳にはいかない。

帰る日は、「誕生日」であった。誰とは言わないが、一昨日既にミニバースデイを済ませていた。今考えると、前日にやらなくて良かった。いや、それはそれで面白かったか?(ホントはケーキよろしく、ローソクを消した人がいた)


ご覧のように台風18号は北海道に行ってくれた。でも、北海道でも大きな爪痕を残したと聞いて、心が痛んだ。

そして、昨日行けなかった雲仙経由で長崎空港から帰るつもりで考えていた。しかし、道路状況に一抹の不安を感じた。フロントに長崎空港直行の所要時間を訊ねると「3時間」とのこと。焦る必要は無いが、14:30に長崎空港の営業所でレンタカー返却を考えるとリスクが大きい。そこで、空港直行を決意した。(そんな大袈裟な問題か?)

9時過ぎに楽しい思い出を作ってくれた温泉宿に別れを告げた。(そうそう、もちろん朝食前に朝風呂は賑わっていたことを書かなきゃ!)


途中、「道の駅・肥後小国」お土産物を物色する。それは良かったのだが、またもう一波乱あろうとは・・・。

30分ほどの買い物を終了し、台風一過の晴天の中を快調に走り出した。所々に台風の残骸を確認しながら。10分ほど走ると不吉な看板が・・・。

「この先、通行止」

ま、まさか。東京じゃあるまいし迂回道路がたくさんある筈も無い。とりあえず、行ける所まで行ってみることにした。

しかし、現実は厳しかった。「通行止」は事実だった。たまたま遭遇した宅急便の運ちゃんに聞くと「土砂崩れで通れないよ。小国まで戻って遠回りするしかない」とのアドバイス。タイムリミットが決まっている我々。とにかく指示に従って走ることにした。しかし、もう一つの不安が頭をよぎる。「その道は大丈夫なのか?」

しばらくは快調なテンポで、白いビッツは快走していたが、やはり「あの看板」が登場した。「通行止」である。さて、どうしたものだろうか。一度車を止めて地図を見ることにした。

止めた場所は偶然にも、サッカー・ワールドカップでカメルーンを受け入れ先で有名になった、大分県中津江村だったことを書き添えておこう。

「通行止」になっているが、対向車が多い。その時思った、「行ける!」(某NHK番組風)

道は所々片側通行。木が倒れたり、土砂が道路を塞いでいる。台風の猛威をまざまざと感じ、「昨日は動かなくて良かった」と嫌が上にも実感させられた。

再三このような状況が続き、一部に渋滞はあったものの、何とか大分道の日田ICに辿りついた。ホントにホッとした。後は警察のお世話にならない程度に、高速道路を高速で進む。

お昼は長崎に因んで
 
ちゃんぽん  皿うどん
をサービスエリアで食した。

大村湾を右手に見ながら、長崎空港は近づいてきた。珍道中はまもなく終わりを告げる。

早めに着いた空港でお土産を物色していると
 
さだまさし氏ご本人も絶賛、清酒「精霊流し」、清酒「関白宣言」発見!

これもまた楽しい旅の思い出に彩を添えてくれた。

 
帰りの機中でのツーショット。感想を述べているが・・・

ドキュメント「とっぴん家の九州・台風温泉の旅」完結です。
さて、次は同じ週に行った「韓国・ソウル1泊2日の旅」でも書くかな。皆、読みたい?

とっぴん家の九州・台風温泉の旅 其の四 2004.9.15 23:12

いよいよ三日目。
「台風の速度は早まる」の言葉はあっさり裏切られて、どうやら我々の行く手を直撃の様相。それでも、予定の雲仙のホテルに状況を説明し、「遅くなっても伺います。念のため私の携帯をお知らせしておきます」と行く気満々。(しかし、ホントは不安だらけ)とにかく、早く台風が行過ぎることを期待した。

この天気だと恐らく予定した熊本→雲仙間のフェリーは欠航だろう。フロントに「雲仙まで一般道でどのくらい時間がかかる」か確認すると「5時間」と言われた。台風が通り過ぎた後の5時間だとすれば、何時に着くのだろう。

そうこうすると今回の旅行を頼んだJ○Bの知り合いから「上司も危険なので、雲仙はキャンセルをした方が良いのでは」との電話。確かに雨風もすごいが、道がどうなっているか、土砂崩れや倒木の心配が脳裏をかすめる。

「よし、辞めよう。しかし、その前に今日の宿を確保せねば!」と、まずはフロントに連泊希望の旨を伝え同じ部屋を使えるようにしてもらった。同時に、雲仙のホテルにキャンセルを入れる。その後、J○Bのかの人から「今回は台風という不可抗力でのキャンセルのため、雲仙分は返却します」とのありがたいお言葉。そして外はますます台風が全力投球をする構え。

「まっ、ここの温泉も気に入ったので、のんびり台風観察と温泉堪能を決め込もう」と思った。しかし、幸せは長くは続かなかった。
 
光っているのは緊急灯 

テレビでは近くの停電情報が流れていたが、11時過ぎに、ここも停電となった。

さて、困った。テレビが映らない。今まではテレビが暇つぶしの台風情報収集も出来なくなってしまった。一つの楽しみを失った私は、持参したギター(こんなところにも持って行ったが、あんまり弾いていなかった)で時間を潰すことになる。

なおかつ不幸なことが起こった。やることも無いので風呂に行こうとすると、フロントで「停電なのでお湯を汲み上げるポンプが動かないので、温いですよ。入らない方が良い」とのこと。「温かったら出てきますよ」と笑いながら風呂に向かった。確かに露天風呂は9月後半の学校プールよろしく、温いより寒い。内湯は元々やや熱めだったので、そこそこ入れる。

温泉に入れない温泉宿に泊まった人は、それほど多くは無いだろう。

こんな大荒れの天気でも「お昼はどこに食べに行こうか!?」とルンルンの誰かさんであったが、よく考えればこんな日にやっている飲食店などあろう筈が無い。だって客来ないでしょ。昼食のことを考えなきゃと思い始めた時、仲居さん登場。「賄い飯ですが、良かったらどうぞ!」と涙が出るほど嬉しいお言葉。ご好意に甘えて、台風を観察しながらの昼食となった。
 
おにぎり、そして大根とイカの煮もの。味がしみてて絶品!

昼食も終わると本当にやることが無くなった。ギターを弾くもの飽きてしまい、如何ともし難い。ともなれば、「うつらうつら」しかない。電気のつかない部屋で、二人してマグロ状態でゴロゴロと過ごす。

明るいうちは良かったが、やがて辺りが暗くなってきつつある。居場所が段々窓側に寄って行く。そうこうしていると、またまた仲居さん登場。遂に「ローソク&懐中電灯」の台風セットの登場である。これにラジオがあったらビンゴである。幼少の頃に、「台風が近づくとこうして盛り上がったなぁ」と記憶が蘇る。

 まさか懐中電灯とローソクのお世話になるとは・・・

さて、夕食はどうなるのだろう。仲居さんに聞くと「1階の食事処にご用意は出来ます」とのことで、一安心。後で迎えに来てくれると言う。

さて、夕食のお迎えが来た。懐中電灯を持った仲居さんに連れられた客達が、各自懐中電灯を手に集まってくる姿は、どう見ても「心霊スポット探索ツアー」の番組のようで非常に滑稽だ。

小さな自家発電機で工事用のライト2灯に照らされた夕食もまた不思議な体験だ。これはこれで結構楽しいもんだ。変な体験でテンションが上がっていく。この頃には台風もだいぶ遠のいた様子。

 2灯の工事用ライトがその日の夕食を照らす。(電気を大切にしよう!)

 やることも無いので、ローソク越にカメラに向かって(まるで心霊写真)

21時過ぎ。やることもなく「寝るしかねぇか」と思っていると、暗がりの電話が鳴った。「うちの温泉は使えないので、30分ほどのところにある内牧温泉にお連れします。バスを出しますのでいかがでしょうか」なかなか出来る経験じゃないと思って参加した。阿蘇に向かって30分ほどの道は、いかにも「台風が通りました」と言わんばかり。道こそ無事だが、方々に小枝や葉っぱの残骸がある。

客だけでなく、仲居さんも数名参加したこのミニ温泉ツアーも面白かった。仲居さんの解説によると内牧温泉は名湯らしく、「三日はお肌ツルツル」だと。入った時は「小さくて汚ねぇ風呂だなぁ。こんな風呂は入るために九州まで来たわけじゃない」と思ったが、これもまた人生。結構楽しめた。

帰る頃に、「電気がついたそうです」と仲居さんが教えてくれた。これでやっと「暗がり」から抜け出せるとほっとした。

「とっぴん家の九州・台風温泉の旅」、クライマックスのくだりでしたが、まだ少しだけ続いちゃいます。


とっぴん家の九州・台風温泉の旅 其の三 2004.9.14 22:51

さて、二日目はやはり雨だった。昨日できなかった街の散策を小一時間ほどした。途中、当地名物の「ぷりんどら」に舌鼓を打つ。
 
ありそうで無かったプリンとドラ焼きのコラボレーション「ぷりんどら」

湯布院から黒川温泉に向かう。一般道を使えば良いのに、高速を利用したら行き過ぎたようだ。ナビ付きのレンタカーなので気が楽だが、どうも使い勝手が今ひとつ。併せてレンタカー屋の兄ちゃんの言葉を思い出した。「最近、新しい道が出来てますが、ナビの情報が更新されてません」「国道といっても大した道じゃありませんから、十分気をつけて走ってください」と。説得力のあるお言葉を思い出したものの、かの兄ちゃんが教えてくれた道は全く無視して走っていた。

黒川温泉に向かっていて気づいた。黒川温泉は「熊本県」。「こんなことも知らずに旅に出るとは不届きこの上ない」と反省しつつも、ドライブは続いた。かなりの高原に来たようで、牧場があるところで昼食にした。
 
山中に忽然と現れた飲食店 
 
好物「高菜スパゲッティー」を注文(高菜は名物らしい)
 
とっきーは地元料理「だご汁(「だんご汁」とも言う)」にした

相変わらず降ったり止んだりを繰り返す天気の中、13時過ぎには黒川温泉に到着。チェックインはだめかと相談すると、気さくにOKしてくれた。部屋は落ち着いた和室だ。窓側の椅子と机が良い味を出している。
落ち着いた部屋。窓際の木製の椅子と机がまた良い

一息ついて、温泉街の散策に出かけるが、すごい雨。私は早々に引き上げたが、とっきーは一時間半もあちこちをうろついていた。その間、台風迫る露天風呂を堪能し、風呂上りにビールを楽しんだ。

幸いケーブルテレビに加入しており、「ウエザーチャンネル(天気専門チャンネル)」を観ることが出来たのは助かった。しかし、確実に18号はこちらを狙ってやって来ている。そして・・・。

つづく

とっぴん家の九州・台風温泉の旅 其の二 2004.9.13 22:25

昨日はリクエストにお応えして「其の二」を書こうとも思ったのだが、この土日の1泊2日韓国の旅は思いの外しんどく、挫折してしまった。(これもまた、珍道中だったが九州ほどではないので)

さて、九州の続き。

大分空港でレンタカーを借り、順調にスタート。曇りから雨の予報がはずれて、太陽がのぞき始めた。「サングラス、持って来るんだった」と後悔しながら、湯布院へ向かう。途中、別府で食べた昼食、「黒ごま担々麺」がなかなかの味。
 ビデオからの画像なので美味しさが伝わりにくいか・・・

ますます気を良くして走り出すと、高速道路の案内板が「湯布院・キリのため通行止」を示す。天気も徐々に曇りから雨に。結局高速は使えず、一般道を利用することになった。この旅行を行末を暗示していたとは知る由もない・・・。

13時過ぎには湯布院に入った。雨がすごいので車で美術館などを散策。雨が小降りになったので湯布院の観光の目玉、金鱗湖(といっても池だね)を一周する。

さて、宿に。素敵な女性スタッフが丁寧な対応をしてくれる。女性客を相当意識している感じで、インテリアや人形など可愛らしいグッズ満載。(オジサン的には、かなり照れてしまう)
ベットに座ったうさぎ人形  アップです

日曜日の午後のため部屋も空いているらしく、予定の洋室の他に和室も見せてくれ、気に入った方を選択できると言う。畳にベットも変なもんだか、やけに落ち着いたので和室をチョイス。

早速温泉に向かったのだが、ここの温泉は翌日の黒川温泉での出来事がインパクトがあり過ぎて、ほとんど記憶に無い。宿のホームページに行ったが思い出せない。でも、良いお湯であった。

何だか疲れてしまい、この日は21時には寝てしまった。そして夜中の1時頃目が覚めたので、台風情報でも観ようとテレビをつけると、あれっ、「地震情報」である。「台風情報」は左下に追いやられて、津波を警戒する放送が流れている。まだ、初日、不吉な前兆がこの時にも・・・。

つづく


不思議な職場 2004.9.11 1:26

すいません。予告を裏切り、「其の二」は延期して(引っ張るなあ・・・)、今日(昨日)の出来事を書いちゃいます。

私のオフィスとは別の建物で、18:30頃ある会議が終わった。帰ろうかと思っていると携帯が鳴った。業務の連絡と「もう一つの用事」であった。

「もう一つの用事」とは、私の好きなS真理さんとS藤薫さんのライブが今日の19:00からあるということを告げる内容だった。小躍りしながら、会場である職場のある場所に向かった。

数日前にそのライブが行われる場所に行く用事があり、何気なく歩いていると、前述のお二人のリハに遭遇、びっくりした。「そうそう、前に彼らのライブの話を聞いていたので、そのリハか」、と嬉しいやら納得するやら。しかし、ライブの日程をチェックするのを忘れていた。つまり、ライブ当日だった。

そして、ライブ会場では懐かしの曲、あれこれ。カバーもカーペンターズの一番好きな曲をやってくれて、これも鳥肌物。ついでにバックの方のギター、そしてS氏のがいずれも私の所有メーカーと一緒。何か運命的なものを感じてしまった。

と、ここまで書いて私の職業を知らない方はかなり「不思議な職場」だと感じたに違いない。

とっぴん家の九州・台風温泉の旅 其の一 2004.9.9 23:25

九月に入ってまだ二回目の更新。今月は突っ込まれない程度に更新しようっと!

さて、とっぴんは9月5日(日)から8日(月)まで九州方面の温泉三昧ツアーを挙行した、遅い夏休みであった。とっきーの誕生日もあり、ちょっぴり贅沢に過ごすことにした。

前日は夕方から”るあ”のれんしう。真面目に三時間程のれんしう後、恒例の飲み会だ。翌日の九州旅行を考えれば深酒は避けたい。越後屋も「翌日はマラソンに出るので」と言っていた。稲作は、天候で海に行くのを諦めたらしく、結局いつものパターンと相成った。時間こそ10:30解散とやや早いが、酒の量は相変わらず、本当に飲兵衛な輩である。(今回は泡盛が中心!)

そして出発の朝。朝食は空港で食うことにして、地元の路線バスでリムジンバスの通る隣の駅へ。路線バスも順調に進み、予定より早くリムジンバス乗り場に到着した。すると既にリムジンバスが待っている。成田空港行きも出ているので確認すると、ジャストミート!つまり、待ち時間無しでまんまとリムジンバスに乗り込み、空港に向かった。高速も順調で全てが予定より早くことが運んでいた。

快適に順調にスタートした。楽しい旅になるはずだった。しかし・・・。

(この続きは次の更新で!)

懐かしの・・・ 2004.9.2 0:12

9月1日中に更新しようと思ったが、電話が入ってしまい断念。(ホント残念!)

今日は飯を食いながらDVDを鑑賞。月曜日にルーサーの店でまんまと買わされた(正しくは喜んで買った!?)カーペンターズのDVD2枚。一つはデビューからカレンの死に至るまでを関係者による証言と映像でまとめたお涙物(お宝映像満載)。

もう一つは日テレで放送した、彼らの絶頂期の武道館での公演である。この会場に私はいた。上手ステージ横で彼らに必死に手を振っている14歳の少年の映像・・・、はどこにも無かった。

当時はビデオなどないので、このオンエアをカセットテープに録音した。今でも大切な宝物だ。DVDを見ながらナレーターのコメントまで覚えていた。

そして、武道館の14歳の少年に完全に戻っているヤツに、呆れる視線を感じた。が、少年は少年のままであった。