━━1998/ 8/23━━━☆━━━━━━━━━━━━━━━☆━━━━━━
                 たま
        バンコク発!<地球>乗り見聞録
━━━☆━━━━━━━━━━━━━━━━━[第三号]━━━━━━━
                      (第二第四日曜日発行)うそつけ!

  ☆☆☆久慈ちゃんのバンコクで、たま乗り☆☆☆
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(3):《Down Home Blues> ==================================================================

  皆様、長らくおまんたせしまして、大変失礼致しました。
ようやくネタがまとまりましたんで発表させてもらいます。
当初は前回のバンコク散歩の続きを書くつもりだったが、
先日ビザのクリアランス の為にちょいとタイ北部の方を旅して来たのでその事を書こうと思う。

 7月19日午後2:00頃、北バスターミナルの新しく完成したビルに着いた。
この北バスターミナル、タイ語でモチット・マイ(新モチット)と呼ぶから
このビルはモチット・マイ・マイ(新新モチット)とでも呼ぶべきだろうか。

 普段は一番安いロット・タマダー(冷房なしバス)を利用しているのだが、
今回は旅費に多少の余裕があるので、ビルマとの国境の街メーサイまで
V.I.Pバス(最高級の長距離バス)で優雅に旅を楽しむつもりだ。

 カウンターに行き、メーサイまでのチケットを買ったのだが、
妙な事にこの時、名前を訊ねられた。
以前にもV.I.Pバスを利用した事は何度もあるが名前をきかれた事など 一度もなかった。
一瞬、切符売りの姐ちゃんがオイラにソン・チャイ (興味がある、気になる)
で思わず名を訊ねてしまったのだろうか などと手前勝手な誤解をしてしまった。
メーサイまでの料金は441バーツ。まあ、お手頃な値段だろう。

 チケットに表記された発車時刻を見ると何と午後6時の出発となっている。
後4時間程もあるではないか。さて困った、どうすべぇ・・・・
このモチットには何も無くて退屈だし、メシもいまいちうまくない。
本を持って来るのを忘れてしまったので時間をつぶす術が無い。
あれこれ思案した結果、
すぐ近くにあるチャトゥチャクの
ウィーク・エンド・マーケットを久々に、ひやかしてみる事にした。

 赤バス(市内を走る最も安いバス)に乗っかり10分程で目的地に到着した。
このチャトウチャク公園は毎週、土、日曜日に
その広大な敷地の北側で 大きな市が開かれる。
衣類、アンティーク物、植物、ペット、食料品等、
ありとあらゆる物が安く売られていて、訪れる観光客も数多い。

 ペットを売っているコーナーへ行きワンコと遊ぶ事にした。
ここでは色々な種類の子ワンコが 1頭1000〜2000バーツ程で売られている。
どのワンコもぬいぐるみの様に可愛らしい。 締め殺したい程だ。
思わずかっぱらって行ってしまいたくなる。

 その他には、描、鳥類、魚類はもちろん、
爬虫類もへビ、トカゲ、カメ と充実していて、
変わった所ではサソリやイグアナなんかも売っている。

 2時間ばかりあちこちをブラついた所であまりの人込みと、
暑さに 堪えられなくなりモチットへ戻った、が、まだ出発まで1時間半以上もある。
きしょう、ヒマだぜ。
待合所のべンチに座ってじっと出発時間を 待っていられる程オイラは大人ではない。
新ビルの中を探検してみよう。

 2階はガランとしていて何もなかった。
3階に上がると、そこは1階と同じく待合所になっていた。
チケット・カウンターの字を読んでみると、
どうやらイサーン(東北部)方面行きのターミナルになっているらしい。
以前、イサーンヘ行くバスは、ここから ちょっと離れた所にある
モチット・ガウ(旧モチット)から出ていたはずだが、 こっちヘ移って来たらしい。
すると、あっちの方はどうなったんだろうか?

 そうこうしているうちに、
ようやく出発の時間が近づいて来たので指定のプラットホームヘ移動した。
西日がモロにあたってめちゃくちゃ暑いホームに立ち、自分が乗るべきバス を捜したが、
出発10分前にもなるというのにまだ入って来ていない。
早くしろい、こちとら暑くてかなわんぞな、
などとブーたれながら 辺りを見まわしてみると、ものすごい物が目に入った。

 ショッキング・ピンクのスーツに同色の帽子、髪は金髪で、どえらい厚化粧の、
年の頃は34、5の女性。おそらくどっかのバスの乗務員だろうが、
ナイト・クラブの姐ちゃん顔負けの、まったくものすごい出で立ちである。

 発車時刻5分前になって、ようやくメーサイ行きV.I.Pバスが入って来た。
V.I.Pバスには幾つか種類があって、オイラは2階立て式のやつを 期待していたのだが、
今入って来たのは客席の位置の低いタイプのやつだ。
チケットの座席番号を見ると どうやら通路側の席らしいし、
これはちょいと車窓を眺めるのが難しそうだ。 乗り込んでみるとやはり通路側の席だった。
が、一番前の席なので 眺めは悪くない。
でも、運転席や乗務員席との境の所にカーテンが ぶら下がっているので、
いずれこれは閉められてしまうのだろう。
横の窓は 一番前の席なので三角形になっていて小さいうえに、
上部分にスモークが入っているのでひどく外が見づらい。う〜む困った。

 定刻から10分程遅れてバスはメーサイに向って走り出した。
さすがV.I.Pバス、
タイヤのスプリングが柔らかく効いていて 船に乗っている様な乗り心地だ。
道路の上を滑るように快調に飛ばして行く。
10分程走った所で、乗務員が飲み物を配って回りに来た。
残念ながら、オッサンではあるが・・・。
天井のスピーカーからは、ルーク・トゥン(タイの演歌)が大きなボリューム で流れている。
田舎へ向かうバスで聴くルーク・トゥンには、 えもいえぬ哀しい味がある。
ま、いわゆるブルースって奴ですな。

4時間ばかり走り、ナコン・サワン県に入った辺りでバスがドライブ・インに停車した。
へへっ、待ってました、お楽しみのメシの時間である。
V.I.Pバスにはメシがおまけについて来るのが嬉しい。
そして、夜行バスのメシはお粥というのがお決まりのメニューである。

 食堂に入るとすでにお粥の入ったナベとおかずが用意されていた。
乗車券を従業員に示し、席に着く。
だいたい、1テーブルに4人が座り、1つのナベからお粥を分け合って食べる。
友達を作るには絶好の機会なのだが、今回オイラと一緒に座ったのは
寡黙な人達ばかりだったのでオイラも仕方なく黙って食い始めた。

 おかずはカイ・ケムという卵の塩漬けと、
魚と小エビの干物、 それと切干大根みたいなタイの漬物。
腹ペコだったので4杯食った。
すると目の前に座っていたオバチャンが呆れた様に
「そんなにお腹空いてるのかい?」と苦笑しながら
自分のカイ・ケムを オイラによこしてくれた。どうもっす。
メシが済んでタバコを一服し終わった所でちょうどバスの出発時間になった。

バスが走り出してすぐに案の定、目の前のカーテンが引かれてしまった。
隣のオッサンもカーテンを閉じて眠ってしまっている。
オイラは乗り物に乗るとあまり眠れないタチだ。
しかし、もはや外を眺める術を封じられてしまった。
眺めの見えないバスほど退屈極まり無い物はない。
まるで拷問だぜ、とイライラしていると、天はそんなオイラを憐れんだのか、
奇跡が起こった(って大袈裟だな)。

 乗降口のドアのロックがバカになってるらしく、 何度閉めてもガチャリと開いてしまう。
仕方なく乗務員はカーテンを外し、 それを紐にしてノブに括りつけ、ドアを固定した。
再びオイラの眼前に広い世界が現われた。おお、神よ・・・ってなモンである。

バスは真っ暗な田舎道を静かに走って行く。 オイラは前方を見つめながら、
あれこれと過ぎし日々の事どもを想い起していた。
逢いたくても逢えない人達の事や、愛したくても愛せなかった人の事等が
次々と 頭の中をよぎって行く・・・・
そして一つ、溜息をついた・・・。 (何気取ってんだ?)

いつの間にか眠ってしまったらしい。
目が覚めると、 バスはすでにチェン・ラーイのバス・ターミナルに到着していた。
もはやメーサイは目前である。
ここで半数近くの人々が降りてしまって、 車内はガランと寂しくなった。
午前5:20バスはタイ最北の街メーサイに到着した。
バンコクから11時間、ロット・タマダーより2、3時間速い。

ターミナルに降り立つと、サムロー(オート三輪のタクシー)の運転手や、
バイク・タクシーの兄ちゃん達が口々に「どこへ行く?」
と言いながら まるでゾンビの様に群がって来る。
いつもなら、こんな奴等は無視して
乗合のソンテオ(小型トラック改造のバス)で国境ポイントまで向かうのだが、
今はまだ朝早いためかソンテオは運行していなかった。
仕方なくサムロー のオヤジに声をかけ、
値段も確認せずに乗り込んでしまったのが失敗だった。

 国境に着いた所でオヤジに「いくらです?」と訊くと、
なんと奴は「150バーツ」と信じられない様な金額を提示して来た。
あまりの事に、オイラは思わず大声で叫んでしまった。
「アライナ!?(なんだって!?)」
冗談じゃない、あそこからここまで ソンテオなら5バーツ、
バイク・タクシーだって20か30バーツで 来られたハズだ。
いや、どころかバンコクであれだけの距離を乗っても 50バーツを超える事はあるまい。
それを150バーツとは・・・!

 「ォワイ!ルン!!(やい!オヤジ!!)何だってぇそんなに高けぇんだ!!」
とダダをこねると、ヤロウは木で鼻を括った様なツラで、

「適正料金だよ、朝も早いしね」 と意にも介さない、といった風にぬかしやがった。

ニャロウメ、オイラをただの旅行者と思うなよ!
 ここで大人しく引き下がっては
帰化タイ人(自称)スゥータット・久慈の名が泣くってモンだ。
散々やり合った挙げ句、
なんとか80バーツにまで下げさせる事ができたが、 それでもまだ高い。
しかし、もうこれ以上は勝ち目が無いだろう。
どんなにイキがった所で、奴等から見れば所詮、
オイラは金持ちの甘ちゃん日本人なのだから。
渋々金を払い、その場を去ろうと歩き出したオイラの背中を、トドメの一声が追いかけて来た。
「帰りも乗って行けよ、待っててやるぜ」

「要るか!バカヤロウ!」          まったく、朝っぱらからけったくそ悪ぃぜ。

国境のゲートが開くのは午前6:00。 以前に来た時は確か8:00頃だったハズだ。
きっと、ここからビルマへ 正式に入国できる様になった為に 、利用者が増えたからだろう
(以前は、一時的な入国しか認められなかった)。

 開門と同時にタイ側のイミグレーション・オフィスへ行くと、 ちょうど顔なじみの係官がいた。

「よう、また来たかね、今回はオーバー・ステイじゃないだろうな」
と、セリフは恐いが、顔はニコニコしている。

「はい、今日がその期限の日なんです」と答えると
彼は、 よし、よし、と言うように満足気にうなずいた。
出国手続きを済ませ、50バーツ払い、橋の上をビルマ側へと渡って行った。
ビルマ側のイミグレーション・オフィスへ行くとまだ開いていなかった。
なんでも、カギを持っている人がまだ寝ていて来ていないらしい。
30歳前後の男前の係官が申し訳無さそうに

「悪いね、もうすぐ来るから待っててくれよ。」と、 イスを持って来て座らせてくれた。
別に急ぐ旅じゃなし、のんびり待つさ。 イスに腰掛け、国境を行き来する人々を眺めていた。

 タイ側から、ビルマへ商売に行くラーメン屋。
ビルマ側から、タイへ客引きに行くガイドの男。 買い出しのオバチャン、托鉢の坊さん。
オートバイに乗っかった、ちょいとイカしたタイ娘、ビルマ・ギャル。
ありとあらゆる人々が行き過ぎてゆく。朝からすごい活気だ。
係官が通りかかったサラパオ(中華まん)屋から二つ買って、 一つオイラにくれた。
ちょうどハラペコだったので有り難く頂戴する。

30分ばかり待っただろうか、オフィスのカギ持ち男が眠ったそうに現れて カギを開けた。
250バーツ払い入国のスタンプを押してもらった。
ビザが無いので日帰りでの入国許可しか降りないが、
ともかくも、これでタイのビザのクリアはできた。めでたし、めでたし、と。

ビルマ側の街タキレクには、たくさんの商店が並んでいて、
タイのウィスキーやタバコ、漢方薬や食料品等が
バンコクより 3、4割程安い値段で売られている。
なかなか散歩するには面白い街なのだが、 ここに来たのは4度目なので、もういい。
さっさとタイへ戻る事にした。
タイ側の街、メーサイへ戻ってもやはりここを散歩する気は起こらなかった。
それよりもチェン・ラーイへ行きたいので、ソンテオ乗り場に直行した。

少しメーサイの街の事を書こう。
この街は、バンコクから延々と伸びて来た
国道1号線 (アジア・ハイウェイ2号線)の終着点、タイ最北端にある街だ。
道をはさんだ両側に沿って街が形成され、ちょっと奥に入れば
バクチ場や売春宿などがあったりして、妖しい一面もある。
まあまあ面白い街だが、もう飽きてしまった。

ソンテオに乗りバス・ターミナルの入り口まで来ると、
折りよくチェン・ラーイ行きのバスがやって来た。
運賃は20バーツ、安いモンだ。 そして、このバス、相当にボロい。
こいつに乗っかっているといつも、ある歌が口をついて出てくる。

♪田舎のバスわァ〜オンボロバ〜スぅ〜 タイヤはガタガタ 窓は閉まらないぃ〜♪

のどかな田園風景の中を、オンボロバスがガタピシと走ってゆく・・・。なんか幸せだ。
午前9:00前にチェン・ラーイに到着。
この街にもやはり何度も来ているが、 何故だか飽きが来ない。
だから北部を旅する時には、必ず立ち寄る事にしている。
なんとなく水が合うというか、この街にやって来るとホッとするのだ。
 後、もう一つ、私事を言って申し訳ないが、
オイラが初めて付き合った女のコがこの街の出身だったということも
オイラがこの街に引き寄せられる一因なのかもしれない。

 バス・ターミナルのすぐ近くでは、夜になるとナイト・バザールが開かれ、
そこに設けられたステージでは毎夜、タイの民族舞踊や プレーン・プア・チーウィット
(直訳すると、生きるための歌、いわゆる メッセージ・フォーク)のショウをやっていて、
タダで見る事ができるので、
オイラの様にヒマで金の無い奴には持って来いのヒマつぶしになる。
いやさ、ヒマつぶしにタダで見せてもらうには 申し訳ない程いいショウを見せてくれるのだ。
前回に来た時も、三泊して三夜ともここへ来ては、
カンビール片手に美しい踊り子を眺めて鼻の下を伸ばしていたものだ。

 今夜も一泊して見に来たい所だが、残念ながらあまり時間が無い。
ピッサヌロークへ行くつもりなので、ここで泊まる訳にはいかないのだ。
まだ誰もいないバザールを横目に見て、 街外れにある馴染みのゲスト・ハウスへ向かった。
泊まるつもりは無いが、そこにいるメー(母ちゃん)に挨拶に行こう。

 ターミナルからメイン通りを南へ10分程歩いた所に、
そのゲスト・ハウス "PAN−TIM"はある。
ここに初めて泊まったのはちょうど一年前の事だ。
その時、ここを経営する家族の人たちに気に入ってもらい大変世話になった。
それ以来チェン・ラーイに来た時は必ずここに泊まる事にしている。

 切盛りしているのは、で〜んと肥った優しいオバチャンで、
彼女は、初めて出会った時からオイラの事を
"ルーク"(息子)と呼んで、 なにくれと面倒を見てくれた。

 前回来た時には、失業中だったオイラに、
「バンコクが辛かったらいつでもここへおいで、 そしてメーを手伝ってくれればいい」
と言ってくれて、まったく泣かされたものだ。

「サワッディー・クラップ・メー(母ちゃん、こんちわ)」 合掌(ワイ)して挨拶すると
彼女は相好を笑みくずし、 「ああ、来たのかいルーク」と迎えてくれた。
しばらく立ち話していると今度は、これもやはり恰幅のいい娘さんが
赤ちゃんを抱いて外に出て来た。
その他に、おばあちゃんや アルバイトの兄ちゃん達も姿を見せ、
その度にオイラはワイをして挨拶をした。

 最後に、呑んべぇのここのオヤジ、つまり、メーの旦那さんが現れた。
「よお、元気だったかね」。 皆、しきりに泊まって行く様に勧めてくれたが、
オイラはバンコクで仕事が見つかった事を話し、あまり時間が無いんですと、
ちょっとつらかったがその親切を断った。
それでも皆オイラに仕事が見つかった事を喜んで、口々に 「よかったね」と言ってくれた。
やはり旧知の人々はいいものだ。

11:00頃にPAN−TIMを辞してバス・ターミナルへ戻った。
ここからバスで一気にピッサヌロークへ行く事もできるが、
バスにはもう飽きたし、それではつまらない。まずチェン・マイまで行き、
そこから汽車で、ピッサヌロークへ向かう事にする。

好んで遠回りする旅、まさにオイラの人生そのものだ。        <つづく・・・と思う>


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♪◎♪《スゥータット・久慈の実用的タイ語講座》♪◎♪ PART3
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 ZZZZZ・・・・
門下生その1「先生、先生!」

スゥータット「う〜ん・・・アライヤ(なんだよ)
       ラムカーン・チャン・・・(うっせいな)」

門下生その2「アーチャン(先生)!講義の時間ですよ!!起きてください!!」

スゥー 「トゥーン・マイ・ワイ・ロ〜(起きらんねぇよ〜)」

門1   「先生、そんな事言って、
    もう何週間皆さんを待たせてると思ってんですか!!」

スゥー 「マイ・ペン・ライ・ロ〜(大丈夫だって)
      ワン・ラン・コ・ダーイ、ナ?(また今度でいいじゃん、ね?)」

門2 「そんな!
      マイ・ミー・ラップ・ピット・チョープ(無責任)ですよ!!」

スゥー 「マオ・カーン(二日酔いなんだ)キー・キィャット(面倒臭ぇ)」

門1 「ダメです!!ヘン・ケー・トア(わがまま)
       は許しませんよ!すぐに起きてください! さあ、早く起きて!
    起きろ!!この野郎!!!(アイ・ヒィア!!!)」

スゥー 「マイ・アオ!マイ・ヤーク!!    
    マイ・ヨーム!!!(よせ!やだ!!起きねぇぞ!!)」

門2 「ふん、ターイ・サ(死んでしまえ)」
と、言う始末でして、大変申し訳ありませんが、
今回の「スゥータット・久慈の実用的タイ語講座」は休講とさせていただきます

コー・トート・チング・チング・クラップ(本当にごめんなさい)
                             (つづく)


◆◇◆コバちゃんの世界で、たま乗り◆◇◆
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(3): めいいっぱい Going my way
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 松田聖子が再婚した。

 あの人は、とても活動的な人だなと思う。
若いときは、アイドルとして活動し、すぐさま結婚し、子供を産み、 大胆に不倫をし、
ママさんアイドルとしてまた活動し、こんどは再婚、
ということで、終始世間を騒がせる活動に余念がないといえる。

 週刊紙などでよく、「倫理感がない」などと いろんなことを言れれているが
多くの人は、内心では結構、
松田聖子の自由奔放な活動を羨ましがっているんじゃないかと思う。

 僕は、基本的に自分のしたいことをめいいっぱいしている人が好きだ。
人に何を言われようが、 自分の好きなことをしている人には魅力的なところがある。

 高校三年生の二者面談のときに、担任の先生は、 僕の目を見ながらこう言った。
「おまえは、我が道を行きすぎるところがあるな。
英語で言う(Going on my way)というやつだ。 それじゃあ、世間では通用しないぞ。」

 僕はその年、自分の高校から一番遠い大学を志望して、入学した。
我が高校からは、三年ぶりか五年ぶりとのことだった。
姉からは、「おまえは、島流しの刑だ。」と言われた。

 バンコクの街かどで、ぶらぶらと店をふらついていたら、 ある医者のおじさんに知りあった。
道端で突然こう言れれたのだ。

「君は、内臓が弱いでしょ!」 「背骨も曲がりぎみだから、そのうち腰痛になるよ。」
なんとも意味ありげなことを言われたので 彼と話をすることにした。

 彼は、三年アメリカに居たにしては、あまり英語がうまくなかったが、
Wifeはアメリカ人だに言った。
 つぼや整体学を専門としていて、 60を過ぎて禿げた今は、
開業医を止めて、個人的に活動をしているらしかった。

「今の医療は、薬で何でも直そうとするが、それはけしからん!
 大事なのはつぼなのだ!
 つぼは人間のホムモン分秘線や、内臓、神経系統につながっている。
人間のつぼを適切に刺激することによって多くの病気や、神経症が確実に直る。」
 私はそれを実証するために、40年間医療現場で働いてきたのだ。」

  彼は熱く語り始めた。
 そして、 「最も大切で重要なところは"ちんちん"なのだ。」と力説した。
「体の精力というのは、腰の背骨の奥から生み出されるのであり、
精力が強くなれば、ちんちんも強くなるのです。」 彼の話にも一理あったので、
彼のホテルに行って、話を詳しく聞くことになった。

 個人的に患者さんがいるようで、 その人達のカルテを内密に見せてもらうことになった。
そこには、治療前と治療後の達いが患者によって明確に書かれていた。

〈治療前〉 ◎いつも体がだるく、力が出ない
       ◎精的に弱く、インポテンツになりやすい
       ◎記憶力が弱く、何ごとにも自信が、弱気である
       ◎すぐに風邪をひき、なかなか直らない
       ◎立っているだけで、めまいがする

〈治療後〉 ◎体に活力が見なぎって来ているのがわかる
       ◎彼女と一日に何回でもできるほど精的に強くなった
       ◎風邪をひかなくなり、倦怠感もない
       ◎何ごとにも自信が持てるようになり、記憶力が上がり、試験にも合格しました

 すこし大袈裟なところがあった。
たぶん、医者が喜ぶことを、患者自身としても書きたくなるのだろう。
が、それにしても怪しいほどの劇的な違いである。

 彼は、「ちんちんを見れば、その人の精力や体の状態がよく解る。」 ということで、
僕はズボンを脱がされ、あそこをじろじろと見られた。

「うーん、これはあまり良くないぞ、君は一体、週に何回自慰をするのかね?」
と聞かれたので、
「いえ、僕は自慰行為はしません。」 と正直に答えると
顔をしからめて、
「なに〜、私など60を過ぎた今でも、最低週に三日はするのだよ。
今、Wifeはアメリカにいるから、一人でするしかないのだけれども...。」
と、ちょっと眉をひそめ説得力なく言った。
60を過ぎたはげたおじさんが一人でしている姿を想像するのは、
すこし気分がよくなかったが、滑稽でもあった。

「"糠済み散髪"って意味わかる?」・・・・・・・・・「エッ?」

一瞬何を言っているのかわからなかった。

「何って意味です、それ?」 「抜かずに三発だよ。」

「はあ・・・」

「私のつぼ療法を実践すれば、君も確実にそれができるようになる。」
と彼は自信に満ちた顔で、にんまり笑みを浮かべた。

 彼はその後、僕のちんちんの毛を一生懸命引っ張りだした。
「いかん、いかん、これはいかんぞ、 ちんちんの毛がこんなに抜けやすいとにうのは、
精力が弱っている証拠! 最近なんか、女性の雑誌に、
ちんちんの毛がすぐに抜けるような男は失格だって、特集で書いてあるんだよ、
今の女性は、そういう雑誌見て研究してるんだからね!

(女性の方々、それ本当ですか?)

いざ、女性に毛を抜かれてチェックされる前に、今のうちに抜いておきなさい!」

(女性の方々、それも本当ですか?) と怒られ、

「ほら、僕も手伝うから」 と、彼も一生懸命やってくれた。
 彼は純粋に、自分の信念に基づいて行動していたが
あるホテルの一室で、60過ぎの禿げたおじさんにあそこの毛を 抜かれているというのは、
あまり心地良いものではなかった。
が、彼は、自分のしたいことをめいいっぱいしている
(Going on my way)の道を突っ走っていた。

                               〈つづく〉