もうひとつのTRPGってなぁに?




 今まで掲載してきたコラム群は割と初めてTRPGに手を出してみようかという方に
対しての指針になるように配慮して書かれてきたものでしたが、最初のコラムを掲載し
てからはや4年が過ぎました。この過ぎ去った年月でだいぶTRPGに関する環境も様
変わりしてきたように思われます。

まず最初にいえることは、当時まことしやかに流れていたTRPGは廃れていくといっ
た論調をはね除け、メジャーとはいえないものの、1つの趣味のジャンルとしての地位
は維持し続けることができた、ということではないでしょうか。
書店に並ぶTRPGを扱った雑誌の数も減り、今ではほぼそういった雑誌は専門店でし
か入手できないような環境であるにしろ、TRPGは生き残っています。

また、大手出版社がTRPGの出版に乗り出すといったこともありました。
すでに絶版になっているので忘れられているかもしれませんがあの小学館が「ビースト
バインド〜魔獣の絆〜R.P.G.」を発売したり、テレビゲームでメジャーなエンタ
ーブレインがここ1,2年で多数の新たなシステムを市場に投入しています。新たなゲ
ームデザイナーが排出されることは滅多にありませんが、以前からTRPG業界に関わ
ってきた方々が今でも頑張って新しいシステムを排出しています。

TRPGというホビーは急激な変化が起きにくい安定期に入ったと言えるのではないで
しょうか。
それが緩やかな発展なのか緩やかな衰退なのかは各個人によってまちまちのようですが。
こうした流れの中で今一度私はTRPGとは何かをここに記してみたいと思います。

以前にTRPGのことを私は
TRPGとはカードゲーム(トランプやuno等)、やボードゲーム(大雑把な分類で
いけば、人生ゲーム、モノポリー、麻雀、チェス等々)と同じように、固有のゲームの
ことを差す言葉ではなくゲームの、ある1ジャンルを差す言葉だということです。

という前提で賛否両論があることは重々承知しながら、

TRPGとは、こうした明確に「数値化」された「役割」(一般的には「キャラクター」
と呼びます)を受け持ち、場面場面での自分の受け持つ役割による「意志決定」を積み
重ねて行き、最終的に「ゲームマスター」が設定した「目的を達成する」までを楽しむ
ゲームです。

と説明しました。

なぜならば、初めての方には真っ先に一つの判断材料がなければならないと思ったわけ
で、こうした姿勢で取り組めるTRPGのシステムもまだ存在していた時期だったから
です。

しかし、別のこういった言い方もできます。

TRPGとはゲームマスターが用意したシナリオにおいてプレイヤーが自分の「キャラ
クターに対する目標をプレイヤー各自」で定め、各キャラクターがその「目標を達成す
るために競い合う」ことを楽しむゲームです。

こういう説明になると、より自分のキャラクターの表現や世界の表現に重きを置いた説
明になるのではないでしょうか。ただし上の説明ではゲームマスターが設定したシナリ
オの目標達成が抜け落ちています。

では、なぜ一見こうも内容が異なる説明が存在してしまうのでしょうか?
実はここにTRPGという言葉が含む問題点が隠されています。
それを2つの観点から挙げると。。。

一つ目として、困ったことにTRPGが日本で紹介されて20年近くになりますが、い
まだに「TRPGとは」という問いかけに対してユーザー、デザイナーを含めTRPG
に関わる方々の間で統一された認識が存在しません。
10人いれば10種類の認識が、100人いれば100種類の認識が存在するといって
もいいでしょう。
初めてTRPGを遊ぶ方はここで戸惑います。
初めてTRPGの遊び方を教えてくれた方の認識と、そこそこ慣れてきて自分である程
度自由に身動き取れるようになってから新たに知り合った方との間でそもそもの根本的
なTRPGの認識に差違があれば当然でしょう。初めの方が間違っていたのか、はたま
た新しく知り合った方が間違っているのか、そもそもなにが正しいのか、といった風に。

こうした状況で陥りやすい錯覚は、自分の少ない経験の中で良し悪しを判断しようとし
てしまうことです。
ほとんどの場合、今まで自分が信じ込んできたことに対する反証が挙がれば、感情的に
その意見を拒絶してしまうでしょう。
そうした状況で本当に冷静になれる方は多くありません。
この壁を乗り越えられずに残念ながらリタイアしてしまった方もいるかもしれません。
そういった意見もあると受け入れることも大事です。

そして結論をいえば、誰もがいっていることが正しいし、正しくない可能性を秘めてい
ます。
事実として、あるTRPGに対する認識に基づいた遊び方が最良だと主張している方が
いれば、その主張した本人とその周辺の方々は少なくともそうした認識に基づいたTR
PGの遊び方で楽しんできた、ということです。
また、その認識に基づいたTRPGの遊び方が、その主張を聞いた人にとって最良の遊
び方かどうかはその人にしか分からない、ということでもあります。

ホビーとしてのTRPGを楽しまずに続けることは可能でしょうか?
苦労を重ねることによって手に入れられるものに価値を見いだす方もいるとは思います
が、大部分の方はそうではありません。ほんの軽い気持ちで関わっている方のほうがほ
とんどだと思われます。
仕事や勉強の合間に得られる空き時間を自分の趣味に充てるといった方がほとんどでし
ょう。
趣味として長続きするためには、楽しみながら続けられなければなりません。
苦労を楽しむための課程と捉えることができるのは、その先の成果を予測することがで
きるからです。
しかしながら、TRPGではこの成果を予測することこそが難しいのです。

二つ目として、TRPGというジャンルそのものが曖昧に存在しているということです。
自分の趣味を人に説明するときに「私の趣味は球技です」と説明する人はいるでしょう
か?
実際のところは「野球です」とか「サッカーです」とか具体的な球技名が出てくるのが
ふつうだと思います。
なぜ球技を説明に出したかというと、一番説明しやすかったからです。「じゃあ格闘技
はどうなんだ」といわれると、格闘技はもっと根本的なもので理解しやすい共通要素を
見いだすことができます。
例えば「相手と戦って勝つ」ということ、そういった分かりやすい共通要素(他にもあ
るかもしれません)に関して楽しみを見いだしているというのであれば、どんな格闘技
も観戦するし自分で体験もするということは不自然ではありません。

しかしながらTRPGではこの共通要素が見いだされていないのです、というよりは存
在しないといった方がいいでしょう。
「ブレイド・オブ・アルカナ」には「ブレイド・オブ・アルカナ」の遊び方が、「深淵」
には「深淵」の遊び方が、そして「ソードワールド」には「ソードワールド」の遊び方
がそれぞれ別個に存在するのです。

そうです!いままでTRPGという曖昧なジャンルを表現する言葉で一括りにされてい
たこれらのシステムたちはそれぞれ全く別個の遊び方、楽しみ方が存在する別々の「ゲ
ーム」だったのです!

TRPGの各システムは、横並びになることはあっても縦に並ぶことはありません。
これがなにを指しているか。TRPGというジャンルを示す言葉に共通の認識が存在で
きないのならそれを元に客観的にシステムの優劣を論じることはできない、ということ
です。
「このシステムは出来がいい」「あのシステムよりも上」といったことはすべて個人の
嗜好に基づいた主観でしかありません。このシステムを遊んだから次はこのシステムに
ステップアップしよう、というような言い方もできません。

もう一度いいましょう。次に別のシステムに手を出すことは、個人の嗜好に基づいた主
観でしかないのです。その理由は「今まで遊んでいたシステムに飽きた」からなのか、
「そのシステムの方がより面白そうだ」からなのかはその人にしか分かりません。
こう解釈してみると、他人と意見が「不思議と」よくぶつかり合うTRPGに対する個
人の認識の違いが理解できるのではないでしょうか。


ではコンベンションはどうなんだということになりますね、コンベンションは数々の経
験を通して自己を研鑽できる場所ではないかと、皆が共通の認識を持って楽しみに来て
いるのではないかと。
確かにそうだとも言えますし、そうで無いとも言えます。
そうであるといえる場合は、コンベンション主催者が目的をそのように明示し、参加者
全員もそれを了承して参加している場合です。

自然に考えればTRPG(曖昧ですが)を趣味としている人がそうしたTRPGを遊ぶ
場所に参加するということはTRPGを楽しみたいという延長線上に理由が存在するの
が普通ではないでしょうか。
ですから「TRPGをするのが楽しい」「もっと楽しみたい」という理由は普通だと思
います。しかし「新しい人に出会うのが楽しい」といった理由もあると思います。
人との交流を理由とした場合、すでにコンベンションに参加する主たる目的が「TRP
Gを楽しむ」ということから離れているので、TRPGを楽しむためにコンベンション
に参加しているとは言い難いと思います。人との交流を楽しみにするついでにTRPG
も遊べればと言い換えてみましょうか。
TRPGを楽しむことではなく人との交流が楽しいということで、参加する場がTRP
Gのコンベンションである必要がなくなります。

TRPGを楽しむということを理由とした場合、以前のコラムでも似たようなことを書
いたかもしれませんが、参加した全員が楽しめたかは常に配慮されているでしょうか?
コンベンションは同好の士が集うところであって、基本的には公式競技会のように他者
と技術や能力を競うところではありません。ある人が不愉快な思いをしたとすればその
人にとってはコンベンション参加は失敗であり、有意義に趣味の時間を費やせなかった
ことになります。
なぜこんなことが起こり得るか考えたことはありますか?

TRPGとはゲームマスターが用意したシナリオにおいてプレイヤーが自分の「キャラ
クターに対する目標をプレイヤー各自」で定め、各キャラクターがその「目標を達成す
るために競い合う」ことを楽しむゲームです。

この後者の認識をコンベンションでの主たるTRPGを楽しむ目的に据えた場合に、各
キャラクターの行動結果に優劣、勝敗が発生することになります。
そうした遊び方を否定するつもりはありません。また、参加者全員が同意した上での結
果であればいうこともありません。
ただ、もしそうした認識を得られないで度を超した優劣の競い合いが発生したら。
結局は声の大きいものが勝つだけです。
この遊び方が存在できるのはコンベンションやお試しプレイの時、つまりその場限りの
後腐れのない遊び方と割り切れるからではないでしょうか、そこに他者に対する思いや
りを持ち続けられる人がどのくらいいるのでしょうか。
別の遊び方としてキャンペーンゲームという遊び方が存在します。およそ仲間内で遊ぶ
場合はこうした遊び方が主になるのではないでしょうか。継続して同一のキャラクター
で遊び続けるということは、一緒に行動する仲間を些細なことでは裏切らないという安
全装置と捉えることもできます。

前の仕事で裏切った奴と誰がまた今度の仕事で一緒するというのでしょうか?

結局のところは、コンベンション会場であっても自分と極めて近しいTRPGに対する
認識を持った人間としか仲良くできないというのがその人の心理であり、各個人がどう
いう風に「TRPGを楽しみたい」のかというのは大部分の他人には理解され難い個人
の主観に基づいた欲求でしかないということに言い換えることもできるのではないでし
ょうか?
それでも貴方は、コンベンションで仲良くしていると言い切れますか?相手の本心を覗
いたことはありますか?
押しつけがましい主観に基づいたTRPG論を披露されて迷惑そうな顔をしていません
か?

コンベンションにおいても多様な認識は存在し、その誰もが自己を中立に、客観的な立
場に置くことはできないのです。



さて、今までのことを踏まえてTRPGとは何かを説明してみましょう。

TRPGとは共通認識のなりたたない曖昧なジャンルを指す言葉である。
主観に基づいた認識は存在するが、これは各個人の経験論でしかない。
無理に共通要素を見いだそうとするなら、会話を介することによって参加者全員が楽し
む「ゲーム」もしくは「遊び」であり、通常その場をとりまとめる進行役が存在する。



といったところまでしか、説明することはできないと思います。
この説明は、具体的な内容の説明を避け、どういった行動を取る趣味なのかという行為
・状況そのものしか説明していません。
果たしてこれがTRPGだと貴方は受け入れることができますか?

「TRPG」を趣味を指す言葉として使い続ける限り、TRPGとは自分の気に入った
システムを、自分の気の合う人間としか遊べない趣味にしてしまうのです。
もっと気楽に自分の趣味は「クトゥルフの呼び声」というゲームを遊ぶことだと言って
みませんか?



といったところで、今回の妄想はやめておきましょう。願わくば読まれた方がこのよう
な妄想に共感する部分を見い出さないことを願います(苦笑)。

 

 

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Written by ragou