『悲しみの効用』−五木寛之講演会を聴いて− ('00.12.10 記)
作家・五木寛之が我が街、八千代市にやってきた!!
去る12月2日(土) 八千代市市民会館大ホールで五木寛之の講演会が行なわれた。
僕は20年来の愛読者であり、もう中学時代から「さらばモスクワ愚連隊」、「風に吹かれて」、「蒼ざめた馬を見よ」 等をそれこそ夢中になって読みまくった。
現バンドのベーシスト内田氏とも、その当時から作品について語り合ったりしたものだった。(生意気な中学生…。) 最近では、「生きるヒント」、「大河の一滴」など人の生き方を問うエッセイが話題になっていて当然それも押さえていた。 それこそ大ファンであり、尊敬すべき人であり、心を癒してくれるそんな存在でもあった。
その五木寛之が自分の街まで講演をしに遥々来てくれるとあらば、行かないわけにはなるまいな! というわけで前売りチケットを即購入、そして当日観に行ったわけである。
で、実際の講演の方はどうであったかというと、これがやはり感動的であった。 直接拝見するのは初めてだったが、とても優しい声で静かに語るのが印象的であり、却ってそれが説得力を増した様に僕には感じられた。
当日お話になった主な内容を以下にまとめてみます。
★「心身の不自由が進み、病苦が堪え難し…」という遺書を残して自殺した文芸評論家の江藤淳氏の死について−
病んでいる人の痛みや苦しみは、決して最後まで他人にはわかってもらえるものではない。 その人にとってみれば、人間存在の根源に触れるほどの痛みかもしれない。 “病苦が堪え難し…”、この一言だけでもう十分ではないか。 自らの命を断ったと云う事を否定的に受け止めるのではなく、これはこれで静かに見送るしかないと、ああ、楽になってよかったなと、そう思ってあげてもいいんじゃないかと…。
★≪暗愁≫ というあまり聞き慣れない言葉がある。 どこからくるとも知れぬ不条理な暗い気持ちの事なのだそうである。 人間の心の何処かに残っているもの、得体のしれない、原因のはっきりしない悲しみ。 これは誰でも感じた事があるのではないかと思う。 そういう≪暗愁≫を無理やり押し殺して前向きに考えようとすると、どんどんたまってきて、憂愁に必ず何処かで復讐されるのではないか。 むしろその事で暗い思いをされたり、悩んだり、淋しい思いにふけったりすることのほうが、実は人間にとってとてもいいことなのではないだろうか…。
★最近の日本人はあまり泣かなくなったのではないか…。 涙とか、泣くとかいう陰気な表現は今の世の中から嫌われ、拒絶される傾向があるのではないか。
(壇上にある御絞りをとって)「ここにある御絞りは、湿っているので重さがあります。 乾いてしまえばタオルとなって軽くなります。」
泣かなくなり、乾いた心となった今の日本人は、それだけ命の重さを軽く考えてしまっているではないか。 悲しい時に泣く事が出来ないから、苦しみは倍加され、自殺に走ってしまうのではないか。 悲しい時は、涙を流して泣く。 思い悩む。 取り乱す。 弱音を吐く。 深いため息をつく。 その方がどれほど人間の心を潤し、楽にしてくれるのではないか。 そして命の重さを再確認できるのではないか。
★今年の流行語とまでなってしまった「IT革命」。 実はこの言葉こそが、(“情報”の意味を取り違えさえしなければ)今の日本の状態を救える一つの鍵なのかもしれない。
そもそも本来「情報」とは、“情の報”、すなわち「人の心の状態」である。 これを正しく認識する事が大事なのだ。 普通一般に云われている数値的なデータなんてものは一番下級な情報なのである。
例えば会社にとって最も大切な情報とは、「売上データ」とか「市場データ」とか、そんなものではなく、「社員の心の状態」(彼らはどのような気持で仕事に臨んでいるのか、不満や不安はないだろうか…。) なのである。 この真の情報を掴んでいる会社こそが救われるのではないか。
概ね、以上の様な内容であったかと思います。 皆さんも一度、著作を読んでみては如何でしょうか。
◆箱根は晴天であった。−オカロッチ撮影画像付き− ('00.11.29 記)
先日(23、24日)、箱根に紅葉を見に行ってきた。
幸いにも天気は秋晴れ。風は冷たく、多少寒いが心地よかった。
・駒ケ岳頂上から見る富士山の偉大な姿にキャピおじは、しばし見とれた。(写真@)
・水族館では意外にもお魚たちとキャピおじは、無邪気に戯れた。(写真A)
・「らくやき」の色塗りでは、キャピおじは暫く我を忘れ、一心不乱と化した。
お蔭で仕上がりは上々。店のご主人に「良く塗れたねェ。うちの見本よりも全然いいヨ。」と誉められた。(写真B)
・そして宿の貸切露天風呂で、一日の疲れを取る為にキャピおじは、しばし恍惚となった。(写真C)
もう〜キャピキャピだったのである。
◆対 極 ('00.11.18 記)
諺には、よく正反対の意味を表すものがあるよねぇ。 考えるに凄く興味深いのだが、さて自分はどちらに当てはまるのだろうか。 いくつか例をあげてみよう。
【君子危うきに近寄らず】 と 【虎穴に入らずんば虎子を得ず】
さて、どうだろう。 身を慎んで危険なことは初めから避けるか、 危険を冒しても望みのものを手に入れるか。 どうも前者の傾向もあるようだが、意外とボクは、欲しいものはなんとしても手に入れたいという欲望も大きい。 それゆえ、撃沈することもある。
【先んずれば人を制す】 と 【急がば廻れ】
これは難しいゾ。 両方共当てはまる所ありそうだな。 でも使う局面が違うのかな。 前者はいつもそう思っているのに、なかなか行動が伴わない。 まさに、言うは易く行なうは難しかな。
【二度ある事は三度ある】 と 【三度目の正直】
前者はあまり良い事柄には使われない傾向があるかな。 どちらかと言うと悪い予感の時などで使う。 しかしこれは確実に当てはまる。 この諺を考えた人は凄いぞと。 それに相対して後者は、願望的な意味合いでよく使うと思う。 そしてそれは必ずしも叶うとは限らない。 日常生活において僕は両方共ジンクスのように使っている(かな)。
【渡る世間に鬼はなし】 と 【人を見たら泥棒と思え】
これこそ両極端 どちらにもボクには当てはまらないような気がする。 確かに、今の世の中悪い奴も多いが、そこまで卑屈になって人を見てもいない。 誰を信じるか、それを養う目が必要だぜ。 そういえばドラマ『渡る世間は鬼ばかり』。 鬼ばかりといっているが、あのドラマの中で“鬼”と呼べるのは、赤木春江くらいじゃないのか。
まだまだあるだろうが、もう出てこないぜ。 それにしてもやはり究極の対極は、なんといっても【男】と【女】。 もうこれは人間でありながらも別の生き物と考えて、女心を理解出来るなんて簡単に思うのはもうやめよう。 そうしよう。
◆ドタキャン徹底分析PartU ('00.11.11 記)
以前、“ドタキャンする奴、しない奴”というタイトルで、このコーナーに書いたと思うが、この‘幹事泣かせ’の“ドタキャンする人”の特性を今日はもう少し分析してみようと思う。(そんな事分析してどうするあるか…。 でもやる。)
よく、「来週の〜日に、コレコレこう云うイベントを行なうんだけど、@@ちゃん来れそうかい?」
まぁ、こんな風に発案者は切り出したりするわけだが、その時、こう云う答え方をされた事はないだろうか?
「うん。 今のところ大丈夫ぅ。」
コレなんだよ! この言葉がすこぶる怪しい。 ドタキャンする可能性大。 “今のところ大丈夫ぅ” すなわち真意はこうだ。 (現段階では、その日に何も予定は入っていないのだが、今後いつ予定が入るやもわからない。 もしそれが先に約束した事よりも、もっと魅力あるものだったら、そっちに寝返えうっちゃうよーん。) とまぁ、こう言う意味じゃないかと。 そう聞こえないかい?
で、実際そんな魅力的な誘いがきたら、『え、楽しそうー。行く、行くー。』 とばかり罪の意識なしに二重の約束をしてしまう。 その時すぐに最初の予定を断るのだったら、まだ先方も救われるのだが、 それではあたかも心を見透かされるようで決まり悪い。 其処でギリギリまで延ばしておいて、当日に急遽予定が入ったかの如く見せかけ、「ごめ〜ん。 今日急用が出来て行けなくなっちゃったぁ。」 と、こういう戦法だ。
そもそも“今のところ大丈夫…” なんて相手に失礼な答え方だよね。 「今大丈夫なら、もうその日は予定いれるなーっ。」 って言いたくもなるよね。(もちろん本当の急用は別だよ。) 兎に角、この様な人達に罪の意識などは欠片も無いだろうし、相手に失礼な事をしているともそんなに思ってないだろう。 急な仕事が入って都合悪くなったらしい、と良い様に解釈してくれてんだろうと思っているぐらいの人もいるさ。
でもね、相手の人はチャント見抜いているのですよ。 その人の性格をね。 フフフ。
傘。 ('00.11.01 記)
久しぶりに色々な傘を改めて眺める機会があった。
先日行われた祖母の四十九日は、その前の葬式の時と同じく雨が降っていた。
納骨の際、傘を持ったまま、一人ずつお墓に線香を上げたので中々大変だった。
そんな折、一段後ろに立って皆の傘の模様をボンヤリと眺めていた。
僕は今まで傘にだけはこだわった事がなかった。例えば、靴,鞄,洋服,時計,眼鏡(伊達),あるいは携帯電話からギターに至るまで、(いつもじゃないよ、勿論。)こだわったりする時が必ずや過去にあったわけだけど、傘だけはビニール傘でも何でもOK!なわけで、何処へ忘れてこようが壊れてしまおうが大して悔やんだりはしなかった。 雨の日でも出来れば差したくないぐらいだ。 要するに傘にはとんと無頓着であったのだな。
ところが、先日の法要で、10年前に5,000円で買った傘を今も大事に使っている叔父がいたり(これだけは無くさない様に気を付けているのだそう)、可愛らしく成長した従妹(!)が自分に合うお洒落な傘を差しているのを見つけたりしているうちに、雨の日の傘は人間を演出しうる大切なアイテムのひとつなのだなぁと改めて思ってしまったわけである。 うーむ…。 洋傘セミナーとか、特注傘とか、やはり色々あるのを最近知って、もうびっくり。
『雨天だけの限定お洒落』といった、もったいぶった感じがすこぶる良い。 今度、雨の日が待ち遠しくなるくらい、お洒落な傘を買ってみるとするかな。
『俺は何処へ行こう,君は何処へ行く』 ('00.10.22 記)
つい最近の話、俺は大きな痛手をくらってしまった。 なんというかね、時は遅すぎたとわけだ。 まぁ、ここ数年感じた事のなかった、所謂『直感』というやつがビビビっと働いて、出来る限りそれに基づいて行動したのだが、どうやらそれは大ハズれか、又は遅すぎてしまったわけだ。
まぁ、かといってこれで全てがダメになったわけじゃなし、もうひと山ふた山、面白いことが起こりそうだよ。 そんな気がする。 これも、あてにならない『直感』!(苦笑)
◆夏と君と冷やしだぬき〜吉田拓郎LIVE2000 ('00.10.12 記)
毎年恒例、吉田拓郎のコンサートへ行ってきた。一昨日のことである。場所は、有楽町にある東京国際フォーラムA。
とっても楽しく素晴らしいコンサートだったのだが、 『もう今回限りにしよう。いい加減卒業しよう。』 な〜んて、ここ数年見終わったあといつも考えてしまう事である。
ライブの観方なんてものは人によって様々だと思うけど、僕は自分でも音楽をやっているわけで、盗めるものは全て奪い取ってしまおうと思いながら観ているのです。 例えば、歌い方,ギターの弾き方,ポーズの決め方,間の取り方,気の利いたMC,演出,曲のアレンジ等。
吉田拓郎はそれら全ての面で自分にとっては理想的なレベルにいた数少ないアーティストの1人であった。
だから単にファンという事だけでなく師範にしていたわけなのだな。
ところがここ数年来、自分の中でバンドへの拘り方,音楽の方向性が多少変わってきた為か、前ほど影響を受けなくなってしまったのだ。 昔は彼がステージへ登場するやいなやゾクッと鳥肌がたったものだが、最近はそういう感覚もなくなってしまった。 なぜだろうかね(笑)?
あのグランジロックのゴッドファーザー、アイツの影響か?
まぁ単純に楽しめばいいじゃないか、とも思うのだが、 皆さんどうだろうネ。
“覆水盆に帰らず”は本当か? ('00.10.09 記)
覆水盆に帰らずは本当か? いやいや、そうとは限らないゼ。 盆を持って辛抱強く待っててごらんよ。 地面に落ちてしまった水は、その後水蒸気となって、空に帰り、また雨となって、再び盆を満たしてくれるであろう。 やり直せない事なんて何もないのさ。 皆がそう思ってくれればネ。
◆ボヤキ,嘆き(T-T) ('00.10.01 記)
あらかじめ用意しておいた会話のネタは、予想した通りにはうまく運ばないないものだ。 思わぬ方向性に話がそれていく, 予想外の答えが返って来る, そしてその後、自分の思った通りに会話のコントロールが出来なくなってしまった時の焦りと失望。
“今度こそ!”と決めの一言を言おうと思ったのに、その通りに巧く流れが傾いてくれなかった時。 あららら…。 でももう同じ事は繰り返したくはないもんだ。 うーん、 焦らずフランクに行きたい。 捨て身の戦術と云う事もある。 まぁ 頑張ってみるか。 ちょっとシンドイけど。
◆映画館貸切 ('00.09.23 記)
先日、映画を1人で観に行った。(僕は1人で観に行くのが好きなのである。) マイケル・ダグラス主演の『ワンダー・ボーイズ』という映画である。 “ワンダー・ボーイ”とは、人生の早いうちに大きな成功を手にした人のことを云うのだそうだ。 しかし、そのせいで残りの一生涯、自分がその名に恥じないように不安にさいなまれ、びくびくし続けなければならなくなる。 映画ではこの試練が、マイケルダグラスをはじめとする3人のワンダーボーイ達によって巧みに描かれていた。 音楽が、ボブ・ディラン、ジョン・レノン、ニール・ヤング等、僕の好きな人たちばっかり。
さて、当日はサッカーのオリンピックがあり決勝進出が決まるかどうかの大事な日だった為、映画館はきっと空いているだろうと思って行ったのだが、人気の無い映画と云う事も手伝って、予想以上に少なかった。 俺を含めて全部でナント4人。 俺は、2番目に入った。 その後、2人づれが入ってそれで全て。 そして映画のラスト、ボブディランのエンディング曲をのんびりと聴いていたら、知らないうちに皆帰ってしまったのか、広い映画館に俺1人しかいなかった。 いや、びっくりしたよ。 なんか広大な部屋を1人で貸し切ったようなそんな気分。 でも決して気持のいいものではなかったが。 上映後、館内が明るくなって、係りの人が扉を開けて、僕1人がトボトボ出て来たのは、ちょっと恥ずかしい気すらした。
うーん。 なんちゅうか かんちゅうか。 で、肝心の映画の評価なんだけど、 まぁまぁだったよ。
◆活字中毒症 ('00.09.20 記)
ここ最近、重度の活字中毒症に陥っている。暇さえあれば文庫本片手に、レストランの待合室、電車、車の中、トイレまでもと何処でも持ちこんで読みまくっている。 この症状は周期的に時々やってくるのだが今回は特に重症だ。 ふと気がつくと町の本屋に行って、あれもこれもと買いあさっている。 もう、兎に角読まないければ済まされないという恐怖観念がつきまとう。 はて、どうしてなんだろう? 決して仕事とは関係のない本ばかりである事が特徴ではあるんだけどねぇ…。
◆抱腹絶倒 ('00.09.20 記)
最近、腹を抱えて大笑いしたことがあっただろうか?
この数ヶ月間をふりかえる限りでは、記憶にない…。
又再び(近いうち)に、そんな日が来ることを祈ろうと思う。
『心が辛い』 ('00.07.25 記)
まずは土曜日。
この日はバレーであったが、こちとら東京まで学校に通っているわけで、急いでも19時は越えてしまうわけ。
まぁ、既にやっている人を迎えによこすのもなんだし、海浜幕張の駅から体育館まで走って(ウォームアップ兼ねて)、行った僕を自分で誉めてやろうと思う。
アフターバレー。
つくづく悟った。 早く帰るに限る。
バレーの日でも早く帰れば9時半には家に着く。
意外と時間を有意義に使うことが出来る事が判明し、
(学校での復習も出来るし…)
その他、次の日の休日も朝早起き出来き、効率がよい。
兎に角、惰性でだらだらと夜は過したくない俺なのだ。
いろいろ。 ('00.05.28 記)
近況より:
T.来週よりまた、調布に行かねばならない。冗談じゃない。
バレーも行けやしないし、バンドの練習も、…の勉強も出来やしない。
ホント、コン畜生だ。
U.最近、読んだ本。超有名な女優シャーリー・マクレーンが書いた当時の
大ベストセラー,「アウト・オン・ア・リム」
その続編の「ダンシング・イン・ザ・ライト」、 このあたりを読んで、何の
疑いも無く素直に受け入れられると云う事は、その準備が出来たと云う事
だろう。
V.ニール・ヤング/シルヴァー・アンド・ゴールド〜ライヴ
のDVDを買う。
前回の映画『イヤー・オブ・ザホース』の嵐のような轟音とは、うってかわって
こちらは、1人静かに弾き語るアコースティックライブ。
マーチンD−45の音はあまりにも心地よく、時には、アップライトピアノを、
また時にはオルガンをニールは静かに奏でて、円熟したボーカルを聞かせてくれる。
ギター倶楽部の連中に是非、一度は見て欲しい作品。
拓郎、陽水のギターよりは、全然勉強になります。(当たり前だのクラ…。)
『黄金週間』 ('00.05.04 記)
まったく、ゴールデンウィークってやつは、曜日感覚が無くなってしまう。 ウカウカしていると無駄に日にちを過してしまいそうで非常にもったいない。
そこでワタクシ、これは何かを始めなければと考える。 旅行に行くのも良いが何処も満員で混んでいるといった状況。 しからば、どうする!?
ちゅうことで私めは早速、とある所に電話をし資料を請求する。 おおっ、早い! 2日後にはもう資料が届いたゾ。 さて、早速申込用紙に記入し即ポストへ投函。
実際これが使えるのは暫く後と言う事だが、これで僕もいわゆる○○○○気分。 果たして、オカロッチは何を始めたのでしょうか。 これは、また、次回のお楽しみと言う事で…。 へへへ。 メールをくれた人には、教えちゃおーかなーと思う。 いつも掲示板書いてくれる人にもね。 まぁ、大した事は無いんだがネ。
もったいぶるほどの事でも決してないんだがネ。
ところで、全然!話は変わるが、ゲームセンターが最近面白い!! 特に体を使って遊ぶ奴だ。 昔から、バスケットボールや、サッカーのシュートはあったんだが、最近では卓球やら、バレーボールのスパイクまで出てきて、ホント感心させられるぜ。 元々昔は俺は、ゲームセンターなんてあんまり好きなほうじゃなかったんだが、最近はどうもハマってしまう。 また、健康にもお宜しい。 ホホホホ。
◆遊ぶ女は嫌いだー!? ('00.03.21 記)
ついこの間2000年を迎えたばかりなのに、気がついたら春がもうすぐやってくる。 4月になれば早々に僕は、これでまたぞろ歳を取る。
そして未だ大人に成りきれていない自分がそこにいる。
先日、バンドの練習の後にベースのウッチー君と深夜3時までコーヒーを飲みながら語り合ってしまった。
(もう若くも無いのに、無茶な事をね。)
『俺たちはもう遊びたくない。』というテーマで意見が一致して、そりゃ盛り上がってしまったのだ。
周りの同年代(30前後)の友人達によく、“まだ遊んでいたいから”とか“遊び足りない!”などと云う人がいるが、 とんでもない! とまぁ、こういうわけである。
「遊ぶ」という事の真の目的は、やはり「遊ぶ事」意外でしかないわけで、ここ数年、遊びたいという欲求が僕はまったく起きてこない。 休日にただ理由もなく遊びに行くなんて、目茶苦茶シンドイ。
何かをやりたい、とは今でも常々思っているのだが、そこには明確な意味や目的がハッキリしているのである。 だからそれに夢中になったり熱中したりする。(バンドだって勿論遊びとは当然思ってはいない。 わかっていると思うが。)
そりゃ時には、息抜きや、気晴らしという意味でなら遊ぶ事も必要であろう。
しかし、例えば、まる一日競馬場で朝から夕までレースやって最終で有り金全部掏られちまって、
「まぁ、でも一万円でこれだけ今日は遊べたんだから、楽しかったんじゃないの。」 などと言っている人の考えは、もう僕にはついていけないのである。
「遊びたい!」は、「休みたい」というのとも「習いたい」というのとも勿論違う。
昔、スターリンと云うパンクバンドがいたけど、「遊ぶ女は、嫌いだー!!」と、叫びまくっていた歌があった。 只それだけの繰り返しなんだけど、異様な程に説得力のある歌だった。
更にもう一つ。 つい先日、とあるテレビ番組で俳優の高橋秀樹氏がこんな事を言っていた。
「昔は、“遊びも芸の肥しの一つだ”なんてよく言われりしたもんだが、色々経験してわかる事は、『遊び』は芸の肥しには決してならない。 遊びは単に遊んで終わるだけだ。」
とさ。
◆女優 森口瑶子の美しさに心、絞めつけられる。 ('00.01.26 記)
「モナリザの微笑」(主演:江口洋介)を本日観たんだけれども、(誰か観たかな。) 前々から“美しいなぁ(ポッ)”と思っていた森口瑶子が出演していた。 いやいや改めて見るに本当に美しかった。 まいった。(なにがじゃ)
ただ綺麗なだけではない。 俺と同い年なのだが、すごく可愛らしくって、そのくせ愁いがあって、哀しくなるほどの愛くるしい笑顔だった。 何だか遠い昔に経験したような、切なく、悲しくなって、胸が絞めつけられるような気持ちがしたのは、一体なぜだろう?
俺は、全然しらなかったのだけど、「東京ラブストーリー」などを手がけた脚本家、坂元裕二氏と結婚していたのですね。 やはり、悲しくなってきた…。
◆ブラック・ジャックの最新刊が出ていたぜ。あ、焦ったぜ。('00.01.15 am2:36 記)
秋田文庫のBJ全14巻(と思っていた)のに最新刊が発売されていた。 驚きだぜ。 僕は全部持っていたので(それもかなり大人になってから集めた。)慌てて買って読んだのだが、やはり読んだことはなかったぜ。 僕はあまり漫画は読まなくなったけど手塚治虫の作品だけはむさぼる様に今でも読んでいる。 なぜなら何か重要なメッセージを今の人達に伝えているような気がしてならないからだ。 いなくなられた今、余計にそんな気がする。生前手塚大先生はこんなことを言っていたのが妙に心にひっかかる。
「科学は物凄く発展し進歩したけれど、何処か間違った方向に進んでしまったような気がするんです…。」
『コンビニのお姉ちゃんはたまらないぜ。』 ('00.01.05 記)
俺の働く近くのコンビニで働くお姉ちゃんが可愛いくてたまらないぜ。 もう火傷をしそうだぜ。 なにがじゃ。
しかし、その可愛さといったら、モーニング娘。の中に入れても決して見劣りしないくらいの美しさだぜ。
ウーン、レジであの娘に打ってもらうとなんともいい感じの一日が過せそうだ。 良い事だ。 これは非常に良い事だ。
こんなことくらいで幸せな気分になるっちゅーんだから、俺も相当単純という事になるのだが。 まぁ、いいではないか。
オトコは元々、女の人に対しては、こと複雑に考えるよりも、単純に『かわいい…』と思う気持、これが大事なのだ。
一体、どういう根拠があるのかは分からないが我はそう考えておる。
◆頭の中で鳴っているぜ ('00.01.04 記)
今日は仕事始めだぜ。 なぜか一日中、モーニング娘の“LOVEマシーン” が頭の中で鳴りっぱなしだった為、仕事が手につかなかったぜ!!(あの、fu-、fu-っていうところネ。)
『早いな。明日で休みも終わりか…。』 ('00.01.02 記)
カウントダウン 2000年! 皆さんはそれぞれ、どの様に向えたのだろうか。 僕は、とあるファミレスの中にいたが、そのファミレスはカウントダウンもせずに、サラリと流しやがった。 瞬間を味わえなかったわけさ。
まぁ、いいか…。 ところで、僕は年明けにいつも(自分だけの)今年の目標を定めている。 何年か前の目標は、“自分の殻を打ち破ること”だったかな。 カッコイイ。 で、今年は、“価値あるものをクリエイトする事” だ。 ウーン、今年もカッコイイではないか。 勿論仕事の事じゃないぜ。 ホッホッホ。 by 自我自賛のオヤジより。