ballaがむしゃら親分のボヤキ,呟き,独り言・2001balla

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◆21世紀最初の年は忘れられない年になった。 ('01.12.21 記)

おおっと! このHPの更新も大分怠けていた間に今年ももうあと数日で終わっちまうぜ。
まぁ、WEBページの更新なんてしてる暇もない程、それだけ忙しかったし、また色々大変な出来事があったってわけだ。

先日、親父の一周忌だった。 早いもので、親父が亡くなってから、もう1年の月日が経ってしまった。 本当に風のように時は過ぎ去っていった。 「時の力は偉大」というもので、あんなにショックで傷付いた心が随分と和らいでくれた。

人との出会い、別れ、そして、人に傷つけられる以上に、傷付ける事の方が辛いという事も、死ぬほど味わった。 昨年から今年にかけて、俺は、今までで一番涙を流した時ではないだろうか。 兎に角、いつも一人で、うれしくも悲しくもボロボロだったよ。

ははは。 涙腺が弱い? 歳か? 涙はね、ドライアイにはいいのだよ。同業者諸君!


◆今日も、そして明日も『俺たちの旅』は続く('01.11.01 記)

れるということは、ある種、人間の成長をさまたげるのではないか。 変わる事を恐れるようになる。
でも、変わると言う事が一番人にとって、生きていく上で貴重な経験なのではないか。
そりゃあ、必ずしも変わった結果が前より良い状態になったとは、確実には言えないのだけどね。
今年も、あと2ヶ月と迫っちまったけど、色々、変化のある1年ではあったなぁ。
何か、こう、見えない力に導かれていった様な、なんというか他力の風というべきか…。
生きていりゃ人生の転換期なんて色々あるものだよね。
そして、今日も、又、明日も「俺たちの旅」は続いて行く…。 


◆西新宿は無法地帯 ('01.09.19 記)

っている人は知っている。
西新宿にはブートレッグCD(いわゆる非公式盤,海賊盤)が売っている店があちらこちらに沢山あるんだよね。
 これは音楽好き(洋楽)には堪らない話であって、普通手に入らないようなライブ盤、或いは、正規盤から洩れた曲(アウトテイク)などを集めてあるCDなど、基調な音源をここ、西新宿にて手に入れられるわけだ。
 大方はオーディエンス録音の為、あまり音質には期待できないが、偶にライン録りしてある公式盤顔負けの素晴らしい内容の物に遭遇した時、その喜びはこの上ないものとなる。

さて、そんな西新宿に先日久しぶりに行ってみた。
もちろん、ニールのブートCDを買いに行く為であり、僕はニールヤングのCDは公式盤と同じくらいの数のブートも持っていて、そりゃ凄い事になっている。
ボブ・ディランやジミ・ヘン物も多少持っているが、ニールの枚数には遠く及ばない。
その日の獲物は何か。
そう。 二ヶ月位前に実際観に行ったフジロック・フェスティバルのブートがもう出ている!?という事なのでそれを手に入れる為だ。
 しかるに行ってみると、おおっ!本当にあったぞ!!
『Neil Young Crazy Horse/FUJI ROCK FESTIBVAL'01』
凄いぞ。2枚組で全曲収録してある。 早速GETし、その他もう一枚の計2枚買ってきて、家でさっそく聴いてみた。 オーディエンス録音だったが、まずまずの音源だった。悪くはない。
あの感動が再び蘇ってきて思わず胸が熱くなった。
何としても又、聴きたい曲があったのだ。
なんと過去では取り上げられた事のなかった69年のデビューアルバムからの一曲。
曲は知っていたけど、今まで気にも留めていなかったのだが。。。
それが32年後のクレイジーホースとの演奏でシンプルで目茶苦茶カッコイイアレンジに仕上がっていたんだ。 しかもここ日本で演奏されてね。 中々感動的だったっちゅうわけ。

ということで、当バンドのメンバー達は近いうちこの曲をやらされる事になるであろう。(笑)


『PEARL HARBOR』 ('01.08.29 記)

月最後の日曜日に、ワーナーマイカルシアターにて『パールハーバー』を観に行った。 本当は『A.I』を観ようと思って出向いていったのだが、生憎一番前の席しか空いてないという事だったので、仕方なく『パールハーバー』に切換えたのだ。
この映画、兎角日本では評判が悪くて、酷評も多し! と言う事で、あまり観るつもりはなかったのだが、観てみて、なんと大正解。

素晴らしい映画ではないかっ! 戦争映画としても、また恋愛映画としてもネ。 
確かに日本の不正確な背景描写には多少惑わされたが、(なぜか日本人は屋外で軍事会議をしていた。。 そばでは男の子が凧上げをしている(驚))、 しかしまぁ、そういうところを差し引いたとしてもこの映画はおもしろかったし、僕には十分楽しめた。 3時間は全然長くは感じられなかったぞ。
 中盤の日本軍による真珠湾襲撃シーンは只々“圧巻”の一言。 同時に日本軍の真珠湾攻撃が自分たちの国の歴史でどんな意味を持つのか改めて考えさせられたし、パイロット2人の友情と看護婦を含む三角関係も中々胸に切なくて、噂だけから想像していた安物の恋愛劇ではなかった。
 さらにはトピック。 今回、山本五十六大将を演じていた“マコ岩松”と云う日本人は、昔、マックイーンの‘66年の映画『砲艦サンパブロ』にも出演していたという事。 どうりで面影が似ていた。 あんな小坊主みたいな奴がすげぇ歳食ってたんで時代の流れをえらく感じた。 『砲艦サンパブロ』も傑作な映画だった。 ビデオで出てるから観てない人は必見ですぞ。 

さて、この『パールハーバー』、
映画を観る前に色々な声が聞こえてきな。
(戦争中に、そんな恋愛している暇はない。それどころじゃないさ。) 
−そんな事はない。 どんな時にも、いや厳しい状況下ならではこそ、人は人を心から愛して、そして支えにしただろうさ。
(別に、映画館で見るほどのもんじゃあ、なかったな。 ビデオかTVで十分だよ。) 
−とんでもない。 あのスゴイ襲撃シーンは、映画館の大迫力な画面とサウンドでないと意味がない。 あとでビデオなんかで見たら半減してしまうぜ。

 ある映画について、良かったと感じるか、悪かったと感じるかは、観る人の世代(年齢)、自分を取り巻く環境、物の考え方によって全然違ってくるし、又、同一人物の場合でさえも、その時の精神状態、今時分影響を受けているもの、最近の状況、さらに先入観や期待度等によっても全然感じ方が変ってくると思うのだ。
 実際に戦争を体験した人が、日本人をかなり残酷なイメージで、あくまでもアメリカ側の視点から描かれているこの映画を観ても、楽しむ事が出来なかったのも無理はないと思う。 でも我々が学ばねばならないのは、戦争で苦しんだのは日本だけではなく、他国もやっぱり同じように苦しんでいたのだと云う事を知るべきなんじゃないかと。 そう思う。

と云う事で、これからは人の批評を気にするよりも、先ず自分の中で気になった映画は取り敢えず観に行く事しようと。 そう改めて思い直した。


◆売店のオジさん in Naeba ('01.08.14 記)

月の28日、僕は予告通りニール・ヤング&クレイジー・ホースのLIVEを見ることが出来た。
それについて感動したこと云々はもう掲示板等に前述したが、苗場の会場ゲート前に構えていた売店のオジさんについて書き記してみようかと思う。

 28日の朝10時前、苗場の入場ゲート近くまで来ると騒々しく音楽が鳴っていた。 近づいてみると“オフィシャル・グッズ・ショップ”と書いてあるお店でニールヤングの20年以上も前の“RUST NEVER SLEEPS”というライブ映像を流していた。 画面の中のニールはまだ若く、ピアノを弾きながら“AFTER THE GOLD RUSH”を歌っていた。(このニールを今晩生で見る事が出来るのか…。)
 そんな事を考えながらその画面をボ−ッと見ていると、売店のオジさんは僕に向って
「Welcom To Neil Fest!」と小粋な顔して言い放った。
おっとびっくり! オジさんは僕を見て、(多分こいつはステレオ・フォニックスでもアラニス・モリセットでもなくニールを見に来たハズだ。)とでも悟ったのだろうか。 それにしても凄い決めセリフだな。日本人のクセに。(笑)

 何年か前、ボブ・ディラン30周年記念コンサートにニールヤングが出演した時、彼は客席に向って
「Welcome to BOB FEST!」と言った。それ以来、あのコンサートは一般に“ボブ・フェスト”と呼ばれるようになったわけだが、 あの売店のオジさんは他にも有名アーティストが多数出演するフジロックフェスティバルを個人的に“ニールフェスト”と云い切ってしまったのだから大したものだ。 オジさんも相当浮かれているんだなぁ。 そんなオジさんにボクは堪らなく愛着が沸いた。
 さらにオジさんが着ているニールのTシャツも気になった。同じものが欲しい。 店の中で探していてもニールのTシャツが見当たらない。 ボクはオジさんに向って
「オジさんの着ているニールのTシャツは売ってないの?」 と聞いてみた。
「うーん、コレは個人的に購入したものだから置いてないんだよ…。 コレとは違うけどグリーンステージ脇にあるショップでニールのヨーロッパツアー時のTシャツが売っているよ。 でも、もう開場から結構時間経っちゃったから、3,4時間待ちかもしれないけど。」
とわざわざ別の店を教えてくれた。 結局、オジさんの店ではニールの輸入本を一冊買って、教えられた店に向う事にした。 だがオジさんの言葉通り、その店は長蛇の列が永遠と続いていて結局断念せざるをえなかった。

 さて、時は進み、午後9時半。 とうとう待ちにまったニールヤングの出番となった。 僕等は夕方の6時前からステージ前方に集まっていた。 そうしないと良い場所では見れないのだ。 その甲斐あってか、前から2,3列目中央に陣取れた。 うん、良いポジションだ。 
(おや? ぬぬぬ! どっかで見覚えのあるTシャツ?!)
なんと、隣にはあの売店のオジさんが満面の笑みを浮かべてやはりステージを眺めているではないか!
やはり、あのオジさんは店を抜けてニールを観に来ていたのか。。 

 ウーン、そんなオジさんに心より拍手を送りたい。 オジさんにとっても、僕にとっても“ニール・フェスト”は最高の祭典だった。


◆Fuji Rockは目前。 ('01.07.21 記)

よいよ後1週間に迫ってしまったFuji Rock Festival。 夢にまでみたニール・ヤングのステージを生で観る時がくる。 俺が彼の音楽、そして人となりにどれだけ心酔し多大なる影響を受けた事か、これはもう一言では言い表せない。 単純に、俺にとって“音楽=ニール・ヤング”と云っても過言ではない。 永遠に変る事のない俺の偶像。

 そんな“Neil Young”の何処に拙者が魅力を感じているのか?

・自分で買った新品のギターを30年間変らず使い続けてビンテージにしてしまうところ
・次の世代の若者に向けて、決して悲観的な事を云わないところ。
「とにかく曲を作る事だ。たとえそれがひどいものでも、作り続けろ。きっとすぐにグレートになれるさ。」この言葉は何だか凄くうれしくなる。
・名曲『Heart Of Gold』について。『Heart Of Gold』って一体、何なの? と尋ねられ、暫く考えて「よくわからない…」と答えたところ
・ロックだけでは飽き足らず、ロカビリー,カントリー,テクノ,ブルース等のアルバムを実験的に作り続け、レコード会社から“わざと売れないレコードを作っている”と訴えられたところ。
・ステージに穴をあけて舞台下にリバーブ(エコー装置)を仕掛ける事。その会場では無理な場合でも「絶対穴をあけるんだ!」と言い張るところ。
・『男には女(メイド)が必要さ』と云う曲を作り、評論家からこっぴどく批判され、で、その曲をボブ・ディランに「僕は一番好きな曲だよ」と誉められて、「ボブの方を正しい評価と信じる!」と喜ぶところ。
・ビグスビー・アームをやたら多用化するところ。
・「僕はどんな曲でもチューニングなんておかまいなしだ、なぜならアームを動かしっ放しにしてれば、チューニングが合っているかどうかわからないじゃないか。」なって言ってしまうところ。
(実際、アームを多用する割りに彼のチューニングは狂ってはいない。流石。)
・アコースティックで作ったものがヘヴィ・ロックに変化してしまったりするところ
・「Like a Hurricane」という切な過ぎる曲を世に送り出してくれたところ。(頼むから今回演ってくれ!)
・何のテクニックもなく、フィーリングだけで、ワン・ノートだけで、ギターを弾き続けてきたところ。
・そのワン・ノートのギターが僕にギターを弾く勇気を与えてくれた事と、涙が出るほど衝撃的な感動を与えてくれたところ。

さて、2001年7月28日、21時30分。 僕は涙を流して彼のステージを観ているハズである。 


『敢えてアンハッピーエンドの方を好む』 ('01.07.01 記)

中に突然目が覚めて、なんともやるせない、救いようのない気持ちを味わうことが偶にある。
多分、その直前まで見ていた「夢」が原因なのだろうけれど、これは中々切ないもんだ。
今ではもう会えないような人が其処に突然現れて、、、大方そんなような夢であることが多い。

うーん、そうだなぁ、無理やり云えば、バーブラ・ストライサンド主演の映画『追憶』。あれを観終わった後の感じに、何処となく似ているかなぁという気がする。 そう云ったら、分かってくれる方はいるだろうか。
・忘れようとして、また想い出してしまう胸の痛み。
・帰らざる日々や、忘れられない人々を憂愁に満ちた気持ちで振り返った時の感情。
そういう感情ってのは、今が幸福でも不幸でも関係なく、時々ふぅっと、沸き起こってしまうんじゃないだろうか。
ハッピーエンドよりもアンハッピーの方が何処か奥が深い。
そもそも、あの『追憶』という映画もそのままハッピーエンドで終わってしまったら何の感動もないし、映画にする意味もないではないか。(笑)
本当は離れたくないのに相手の将来を考え、自ら離婚して去って行く。この類の話しに私、滅法弱いんです。 観ていてとても辛いんです。(笑)もう救いようのないくらいにね。 
 でも僕の何処かがこういうものを求めていて、ついつい観てしまう。 で、感動してしまう。 単純にハッピーエンドで終わらなかった話は、いつまでも僕の心の中に残っています。 やはりそこに人生の無常を感じるからでしょうか。

 夜中に突然目がさめて、それと同じ気持ちに陥って、憂鬱さを味わったりするのだけれど、そのまま又寝て、朝起きてみると、これが殆ど忘れてしまって当人ケロっ!としているのだから、まぁいい加減なものなんでしょうけどね。(笑) 


◆俺流ウクレレ・スタイル ('01.06.10 記)

最近、俺がウクレレに凝っていることは、前に述べたと思うが、オカロッチウクレレコレクション(と呼べるほどでもないのだが…。)をHPに掲げる事にしました。 MP3にて下手くそな演奏も試聴出来る様にしたので是非、ギターレジェントのページに飛んでみてね。
あと、まいたけさんのウクレレビュリホーワールドというHPの
ウクレレ私鉄沿線のページに私、登録されています。 覗いてみて下され。 ウクレリアンとしての本格的な活動も間近!(マジか!?)
“おいおい、ギターはどうするんじゃ、ギターは!”  ハーイ。そっちも頑張る所存です。


◆キング・オブ・クールの肖像 ('01.06.03 記)

スティーブ・マックイーンがこの世を去り、早くも20年余りが経過してしまった。 しかし、21世紀に残された彼のクールな肖像は見る者に大きな影響を与えつづけているのだ。  −MONOマガジン3-2より

っと届きました!! スティーブ・マック―ンの豪華装丁の写真集。
俺がマックイーンのファンである事は兼ねがね述べていたと思うが、驚くべきことに彼の没後20年に当たる昨年にその写真集が刊行となった。 そして日本では、フライトジャケット等で有名なリアルマッコイズがプロデュースするクロージングショップ「コントラバンド」が国内正規代理店を行ない今年販売することになった。 一般の書店では手に入らない。直接代理店に注文して手に入れるしかない。

というわけで、2月末頃から注文していたのだが、伸びに伸びて5月の末にとうとう我が家に配送されてきたわけだ。
写真集にも収録されている写真をプリントした特製Tシャツに日本語翻訳のブックレットをシュリンクパックした豪華セット。 まぁそれだけに、御値段も高く、¥15,750‐ 送料を入れると、
¥16,550もするのだ!! (-_-;)

がしかし! 素晴らしい写真集である。よくある映画フィルムから起こしたメモリアルフォトアルバムなんかではなく、'60年代のマックイーンのプライベートシーンを中心とした未発表写真集で構成されているのだ! 40年近くも経過している男の日常を捕らえたそれらの肖像は、現在でも鮮烈なイメージを与えてくれる。 けっして懐古主義なんかではない。 今見ても全然色褪せてはいないのだ!
そんなマック―ンの魅力がギッシリ詰まったこの写真集は、俺の最高の宝物の一つになるであろう。
 

左がその写真集。 右が翻訳ブックレット 写真がプリントしてある特製Tシャツ
写真集のカバーをとると米国版オリジナルカバーが! 更にカバーをとると立派に装丁されていることがわかる。

『父の日か…』 ('01.05.23 記)

月の第3日曜日は父の日だとか…。
父の日なんて、つらいね。

何が欲しいんだか、何を買ってもあんまり嬉しそうな顔しなかったぞ。
嬉しくないのか、喜ぶのが下手なのか。。
んでもって、プレゼントのしがいがなくて、段々何もしなくなってしまったゾ。

確か、何年か前、父にネクタイをあげたことがあったな。
そのネクタイをつけた姿を見たことなかったので、あまり気に入らなかったんだなぁ、
と思っていたが、なんと定年退職の日につけて行っていたのだ。

親父が死んで、遺影を選ぶときに最近の写真から選んでいるときに、
退職祝いのパーティの写真が出てきた。 そこで、そのネクタイをしていたんだな。
もう、明日から背広は着ないという、その最後の日に俺のあげたネクタイをしていったわけだ。
死んでから気づいた。 涙が出てきたな。
 


◆酒 宴 ('01.05.10 記)

かったGolden WeeK、大した所にも出かけられなかったのだが、中日で主に音楽好きな仲間小人数でささやかに行われた飲み会があった。これが中々くつろげて楽しかったってわけだ。
メンバーは5人。上は42才から下は29才。その日の平均年齢は
35.2才! ざっと計算するに我ながらビビってしまう歳の数だなぁと思ってしまったゾ。

ん〜で、その時の内容がこれまた渋い音楽談義。
・陽水の有名なアルバム“氷の世界”は海外レコーディング(ロンドン録音)の為かあの当時としては信じられないくらい音質が優れてるぜ。
・拓郎のエレック時代のレコードは今や結構プレミアがついているぜ。(なんと所持者2人)
・ミッシェル・ボルナレフが好きでよく聴いていたぜ! (俺は聴いてなかったぜ)
・最近、急逝した河島英五。あまりにも悲しいぜ。彼の唄は歌い継がれていくぜ。きっと向こうでも十八番(おはこ)を歌っているはずだぜ。
・中学時代、ベストヒットUSAを毎週欠かさず観ていたぜ。
・荷物の整理していたら、昔録った拓郎のオールナイト・ニッポンのテープが出てきたぜ。(そりゃ聴きたいぜ)
・昔はよくラジオ番組(FM)をまめにチェックして、曲をテープに録音していたぜ。 今じゃレンタルCD,有線放送などにより、“エアチェック”してる奴なんか誰もいやしないぜ。(そもそもAIR CHECKなんて言葉、もう使っていないぜ)

等々,まったくもって楽しい宴会だったぜ! ニャハハハ。


◆モラル・ハザード ('01.05.08 記)

最近、色々な事がとかく面倒臭く感じてしまい、何にもやる気が起こらない。どうも良くない兆候だぜ。
兎に角、音楽活動からも結構遠のいているしねぇ。 仕事にもあんまり情熱を感じられないんだな。これが。。
あらら〜。今のまま、ただ淡々と歳をとっていっていいんだろうか?

常日頃から重〜く圧し掛かる俺の疑問。
自分の目標とした事が思った程うまく進まず、「俺ってあまり才能がないんかなぁ」といった感じの若干の焦り。

そうかと思えば近頃、他人の欠点ばかりがやたらと目につく。つい指摘したくなる欲望をぐっと抑える。
 ウーム…。ますます良くない兆候だぜ…。
 そもそも人の批難ばかりする人は自分に自信のない人だそうで、いつも他人の欠点を責めたてる事で自分を正当化しようとする表れなのだそうである。 当たってるんじゃないのかな。気をつけなきゃならんな。

こんな気分になるもの五月病が始まったせい? こんな時に宝くじでも当たって、もし大金が転がり込んで来たらば、きっと単純にグータラ・ダメ人間になってしまうのでしょうね。へへ。
労働意欲無し。 道徳的危機。 倫理の欠如。 それがどうした。 ここはボヤく為にあるページなのさ。


◆いくつになってもHappy Birthday. ('01.04.09 記)

日で、また一つ歳をとった。35歳になってしまった。 大台だ。もう、どうヒイキ目にみても若者ではなくなってしまったな。 小さな子供に「お兄ちゃん!」なんて呼んでもらおうという考えは、もう諦めた方が良さそうだ。 がしかし!本人はまだ10代の頃となんら変らず若者気分でいるときた。 見た目も体力も、自分が子供の頃見ていた大人達に比べれば、『ウン、まだまだ全然いけるじゃないか。』と思っているのだから始末に負えない。 これからは朝帰りなどと無茶な事はせずに日々摂生を心がけ、食べ物のバランスにも気をつけていかないと、後できっと凄い反動が帰ってくるぞ。 気をつけなきゃな。 でも未だまだ守りに入るというわけじゃないんだよ。
 やりたい事も夢を追う事も相変わらずやめてはいない。いろいろ見る夢も変ったし、それなりに妥協もあったが、まぁ、しかしだ。 40歳までに自分の目標としている事が叶えばいいなと。 いいや、叶えてやるんだぞと。
 そう考えて、もう寝ます。おやすみなさい。 …グゥ…。


『悩むが故に我あり、我あるが故に悩み』 ('01.03.29 記)

日(と言ってももう一ヶ月以上も前の事になるが)新高輪プリンスホテルで行われた『精粋会』という丸井のバーゲンで久々にスーツを買ってみたさ。 三つボタンのサイドベンツ。 お前はビートルズかっ!と言わんばかりの細身シルエット。 ところでビートルズと言えば、『ハード・ディズ・ナイト』がデジタルリマスタリングされて今春リバイバルされますな。 確か邦題は「ビートルズがやって来る ヤァ! ヤァ! ヤァ!」とかじゃなかったかな。そりゃあ凄いセンスってやつさ。

さてと。近頃。
・ギャンブルにのめり込む位なら、株でもやってみようかと、考えてみる。
・外貨建投信なら今後ドルよりユーロの方がいいのかなぁ〜、などと一丁前に考えてみる。
・バレーもあんまり人が集まらないので、テニスでも始めてみようかと考えてみる。
・夜更かしする度に今年こそ早寝早起きの生活に切換えようと決意してみる。
・少しウェイトを落とさなければと、ダイエットを真剣に考えてみる。
・SUVならハリアーより、クルーガーが欲しいかなぁ〜、と考えてみる。
・12弦ギターが1本くらいあってもいいかなぁ〜、と考えてみる。
・携帯はiモードよりFOMAの方がいいんじゃないかなぁ〜、と考えてみる。
・計画性のない俺には管理職なんて、絶対向いてないんだよなぁ〜、と嘆いてみる。
・CS&NはCSN&Yになった方がやっぱりいいんだよなぁ〜、と改めて思ってみる。
・モーニング娘より、ブレイク寸前!の井川遥に注目してしまうんだなぁ〜、などと考えてみる。
・そう云えば市井
紗耶香は芸能界に復帰できるんだろうかなぁ〜、などと考えてみる。

ウーム…。下らない事で頭の中はいっぱい。 よし!ここはひとつ、半世紀生きた犬の気持ちになって考えてみるとするか。
ところで皆様、マイラインの登録はもう御済みですか?


◆誕生日 ('01.03.22 記)

日は親父の誕生日だ。 生きていたら63歳になっていたのだ。
生前は中々恥ずかしくて、親父に「誕生日おめでとう」なんて言ってあげられなかったな。 ましてや大人になるにつれ、会話も随分少なくなってしまったな。 もっと色々な事を話し合えれば良かったな。 でも、まぁ頑張っていくよ。 

最近、よく親父の夢を見る。 

どうか向こうで見守っていて下さい。 父ちゃん…。


◆映画のお話 ('01.03.12 記)

しぶりにいくつか映画を観たので、感想を書いてみよう。

・ウエスタンワールド
 主演 ユル・ブリンナー
 最初パンフを見た時、西部の時代になんでロボットがいるんだ…?、と思ったが設定はあくまでも現代なのね。 で、現代最高の贅沢アトラクションとして、王宮の時代とウエスタンの時代を人間そっくりのロボットなどを作って再現させ、そこに訪れたツアー客を好きな時代を選ばせて参加させて(なんと1日1000ドル!)夢の世界を存分に味わってもらおうという仕組みなんだね。 人間は撃たれないけど、こっちはロボットを撃ち殺すことが出来る。 ところがいつも殺られてばっかりいるロボット達が、(こんなのやってられっか!)とばかりにキレてしまって反乱を起して、人間を虐殺しまくるというストーリー。そのロボットの1人がユル・ブリンナーなのだね。 一応、主役なのにセリフも出番も少ない。おまけに滞在客に殺されてばっかりいる。 しかも衣装は永遠のヒーロー『荒野の7人』の時とまったく同じで黒づくめ(笑)。
 まぁ、でも結構面白かったよ。

・ノイズ
 主演 ジョニー・デップ
 宇宙飛行士である夫が、事故に合ってしまい、交信が2分間途絶えてしまった。その後、奇跡的に生還したのだが、別人のように何処かが違う。 一体途絶えた2分の間に何が起こったのだろうか? なぜか夫はその事を話したがらない。一緒に同行した友人の宇宙飛行士はその後謎の変死を遂げてしまう。 本当に彼は自分の夫なのだろうか? このまま彼の子供を産んでしまってもいいんだろうか? それとも彼は…?
 これ、凄い期待して観たのだけれど、イマイチだったかな。こういうのは結末がどのくらい凝っているかが期待されるんだけど、なんだか中途半端な出来であったような気がする。 非常に残念。

・催眠
出演 稲垣吾郎,菅野美穂,宇津井健
 今更、この映画をビデオ借りて観てみたよ。 原作は、もう前に読んでいて非常に面白かったのだが、この映画は、本当にがっかりさせられたぜ。
 そもそも最初に謎の連続殺人が起こる事からして、「リング」の二番煎じを狙ったかのようでくだらない。 まぁ、その「リング」の時もそうなのだけど、何であんなに素晴らしい原作の良さをこうもいじくって、安っぽい話に替えてしまうんだろうかね。 また、暫く邦画の観る気をなくさせた作品だった。
せめてもの救いは宇津井健氏を久しぶりに見たことぐらいか。

・ダンサー・イン・ザ・ダーク
主演/音楽 ビョーク
初めて映画に酔った! 酔ったといっても“陶酔”という意味ではないぞよ。“車酔い”とかと同じ意味。 要するに吐き気がするくらい気持ち悪くなってしまったのだ。 同伴者は途中で退座してトイレで吐いてしまった。 そして良く観ると映画館の外に『体調不調な方はご注意ください』と書いてある(!)
 実はこの映画、“ドグマ”という「貞節の誓い」(オール・ロケ,手持ちカメラ、自然光による撮影。かつてのシンプルな撮影方法に回帰した映画制作)に基づいて作られて、より人間の目を通して観ているかのような効果をだしているのだが、(それが又リアルなのだが…)とにかく手ブレが多くて、ピントをわざとはずしていて、段々気持ち悪くなってしまうんだよ。 俺も途中で「うっ、ヤバイ」って本当に思ったよ。
 で肝心のストーリーの方だが、これが最高。 映画館を出るときは多少ショック状態。 まぁ、結末は明かさないでくれと本にも書いてあったから、言わないけどサ。 中々の異色ミュージカル映画だったよ。 


『父との別れ』 ('01.02.15 記)

当に時の流れというものは驚くべき速さで過ぎ去ってしまうものだ。
父が亡くなってから、早2箇月経ってしまった。 ハッキリ言って未だに信じられない思いが続く。悲しみはまだ心の中に滞っている。
 何ともやるせない、この辛く苦しい思いを一体何処へ向けたらいいのだろうか…。

 12月15日の夜11時半頃、父は一旦は寝床に就いた後、起きてきて階下に降りてきた。手には市の広報を持って
「ここに電話をすればいいのかな」と夜間の救急センターの箇所を指差す。 
「どうしたの?」
「喉の奥が腫れて息がしずらいんだよ。」と訴えた。 その時点では、これが死につながるとは家族の誰もが(父本人でさえも)思っていなかった。 
 その後近くの中央病院へ自分の車で連れていった。 その時点で深夜0時を過ぎており日付は16日に変わっていたが、父はこの病院から 生きて帰る事は出来なかったのである。

 病院へ入ると父は自分の症状を自分でしっかり話した。
宿直の医師は若く見えた。 俺と同じくらいかもしくは年下か。 但し、救急医療に十数年携わっているという。
「はぁ〜かなり腫れてますね。 私は耳鼻咽喉科じゃないんで詳しくは分からないんですけどね、扁桃腺よりももっと奥の喉頭が腫れているようですねぇ。」  そして医師は心電図もとってみると、
「不整脈も出ているようですね…。喉が腫れて息がしずらいのと同時に不整脈があるという事は、これは密な関係だし馬鹿にしない方がいいかもしれま せんね。今夜は仮入院という形で様子を見たほうがいいですね。で、明日又、正式な入院手続きをとって詳しく検査したほうがいいと思います。  今日は点滴治療をしながら様子を看てみましょう」
医師はそう言った。
「点滴治療、ですか…。」 親父はチョット腑に落ちぬという感じで呟いた。

 そして個室の病室(夜中なので今夜はとりあえず)へと案内された。 看護婦は点滴やら、心電図やら酸素吸入器などの装置を用意してセットして いる。親指にも洗濯挟みの様なものをはめさせられた。酸素量を知る測定機なのだそうだ。 ついさっき会社から帰ってきたばかりの親父の体はどんどん 重病人のように管だらけとなってしまった。 見ていても嫌なものである。 (まだ何処かの耳鼻咽喉科でも開いていれば、喉の奥を刺して膿でもだして、 スッキリしたら直帰れるんじゃなかったかな。。)などと色々と考えてみる。
 点滴の栄養補給も始まり、酸素吸入機をしている父に向って俺は、
「少しは楽になった?」と言ってみた。
「いや。」と父はつらそうに首を横に振る。一向に楽にならないらしい。
その内、父の容態がにわかに変わってきた。訴えるような顔をして、俺に
「なんか、だんだん苦しくなってきた。 もっと腫れてきて息する通りが狭くなってきた。」と言い出した。 とても辛そうに、全身全霊をかけて呼吸をしている。 少しでも酸素を取り込もうと顔を上に向けて、必死に口を開けて吸っている。 俺も知らず知らずの内に親父に合わせて一緒に呼吸をしている。
「苦しいっ、苦しい!」 親父はパニックに陥ってきた。
「苦しい苦しい苦しい苦しい!」 メチャクチャ慌てている。 もう何が何だかわからなくなってきた。どうしてなんだ!?
なぜ、良くならない。医者は何をやっている。
「こんな苦しいんだったらもう死んだほうがましだ。」この時、こんな言葉を父は呟いたらしく、母はそれを聞いたようだ。 俺はこの言葉は聞き逃した。
体内に酸素が入っていく量が基準より少なくなってきたらしく、医者もこれはただ事ではないと思い始めたらしい。
「気管支挿管(口から管を入れて気管に酸素を送る。)をしましょう。 ちょっと辛いですけど、必ず良くなりますので頑張って下さいね。」
「はいっ。」親父は苦しみながらもしっかりと返事をした。多分この時も治してくれると信じて返事をしたのだろうと思う。
「それでは、準備を致しますので、ご家族の方は外へ出てください。」
医師は言った。俺らにしてもその時は同じで、なんとか楽にしてくれるんだろうと思って疑わなかった。だから何のためらいもなく病室の外に出た。 “ちょっと辛いですけど”と言う言葉だけが多少気になった。 気管支挿管はどれ位辛いのだろうか。もうこれ以上辛い事しないで、楽にしてくれないかなと。
 廊下に出てから10数分後、窓から病室の中を覗き見た。 俺は信じられない程びっくりしてしまった。気管支挿管をしたショックかどうかは定かではない。  親父の体は物凄い勢いで痙攣しているのだ。ドッタンバッタン! 何だこれは!? 焦った。
 この時初めて、俺は“マズイ”と思った。『死』というものが心によぎった。
そして、痙攣後直に心臓マッサージが始まった。看護婦が名前を呼んでいる。 俺は頭を抱えて蹲ってしまった。  (やばい、今死んでしまっては困る。何にもしていない。親孝行も何にもしていない。世話になりっぱなしで、何一つ親父の為に良かれと思ったことを やっていないじゃないか。 なんにも。 結婚もしていないから孫も見せてあげられない。同じ父という立場で話しもしていない。 ホント、何も。なんにもしていないじゃないか。 頼むから今、いきなり死なないでくれ。 これを乗り切ればきっと長生き出来るだろう。 そして、これから親父の体にも出来るだけ気を使う様になるだろう。 そして子供の頃の様に親父にもまた、もっと話しかけるようになるだろう。  キャッチボールもまたやるだろう。その為にはあの古いグローブを捨てて新しいのに買え替えなきゃ)色んな事が混乱の最中に考え巡ってきた。

 その後30分くらいたっただろうか。医者が出てきて、
「一番、良くない状態になってしまいました。心臓が戻ってこないんです。」と顔を真っ青にしながら言った。。「まだ心臓マッサージを続けているんですが…。  普通、人は何分間か息が出来なくても酸素を送れば再び心臓は動く場合が非常に多いのですが、お父さんの場合は全然戻ってこないんです。」
 その後、暫くは心臓マッサージをやったが結果そのまま2度と親父は息を吹き返さなかった。どうして? こんな信じられない事があろうか? さっきまで 一緒に車に乗ってきたのに…。さっきまで、30何年間ずっと一緒に暮らしてきたのに…。それが突然どういう事だ? 明日からいないの? 信じられない。  代償は大きすぎる。 医者の説明もあまり頭に入らず、吐き気が催してきた。 辛い。
(お父さん、ごめん。本当にごめん。 何もしてあげられなかったばかりでなく、最後に連れてくる病院まで選択を誤ってしまった。 却って苦しめる為に、 連れてきてしまったみたいじゃないか。畜生! この取り返しのつかない、この悔しさ、哀しさ、苦しさをどうしたらいいんだよ。)

 ちょうど2ヶ月前の父が亡くなるまでの出来事を思い出しながら書いて見た。 この後、警察をよんで、処置の仕方に問題は無かったのか、 病理解剖するか、と遺族で話し合ったりと大変だったが、結局そうすることもなく慌しい中、通夜、葬式、四十九日、納骨と、行ない今にいたっているというわけ。  がまだしかし

 夜眠れず、悔し涙を流す日々はまだ続く。 


◆四十九日法要 施主挨拶(1週間が過ぎて) ('01.02.04 記)

 日は、亡き父の四十九日の法要にご参集いただき、まことにありがとうございました。

 昨年暮れの12/16、あまりにも突然に父が亡くなってからというもの今日までの1ヶ月半、非常にあわただしかったのですが、 そんな日常生活の中で、ふとした瞬間に父の事を思い出しては、もう何とも云いようのない寂しさにおそわれて、その度に涙したり、 ため息をついたりと、そんな毎日を送って参りました。

 それでもやっとこの所、少し落ち着いてまいりまして、自分なりに、父の人生について考えてみるようになりました。
人間っていうものは生前、人に誇れるような立派な事を成し遂げたから、その人の人生は非常に高尚で価値のあるものであったかと云うと、 別にそうではないという気がしてしまうのですね。
人間っていうものはただ生きていくだけでも大変な事で、まず「生きている」それだけでもう人としての価値があるんじゃないかと最近は思って しまうのです。
そんなふうに父の人生を考えてみますと、62年間一生懸命生きてきて、家族の為に働いて、私達を何不自由なく育ててくれて、それだけでもう、 父の人生は本当に凄い事なんだと、素直に感謝しなければいけないないし、誇りに思わなければいけないし、父の事を生涯ずっと忘れず記憶に 留めておこうと思いました。
残された私達は、そんな父の名に恥じぬようこれから一生懸命生きていかなければならないと思っております。

 皆様からも今日まで暖かい支援を沢山いただきまして心よりお礼申し上げます。私達にとって何よりの励みとなりました。

尚本日は、ささやかではございますが、この様な席を設けましたので、故人の思い出話を語りながらゆっくりとおくつろぎぎいただければ幸いです。

 本日はまことにありがとうございました。 


◆気がつきゃ睦月も終わりぞな ('01.01.31 記)

年の思いも寄らぬ不幸から、早、1ヶ月半。 本当に慌しかったせいか、またたく間に過ぎ去っていった様に思う。
父の事に関しては、また後日詳しく書くとして、取り合えず久しぶりにボヤキをいれてみる。

今日は何の日? そうです。 モーニング娘。のベスト盤、発売日だそうで、何でもミリオンセラーは間違い無しと噂されている。 実はロックミュージシャン(自称)の私めも、なぜか発売前日に買いにいってみると(たぶんもう売っているだろうと思い)、 なんと、既に売りきれ。 いやぁまいったな。 で、ヤケクソに(なんで!?)DVDをまとめて3本買ってみる。 
 1本目は『ニールヤングのレッド・ロックス・ライブ』。 これはニールの2000年のライブをほぼ完全網羅した映像だ。 ニール・フォロワーのオカロッチも大満足。
 2本目は、映画『蘇る金狼』。 松田優作主演の映画だ。 これはもう、昔っからこの映画のファンだったのでね。 残しておこうと。
 3本目は、映画『タワーリング・インフェルノ』。 スティーブ・マックイ‐ン主演のスペクタクル超大作。 マックイーンのDVDは「大脱走」、「ブリット」で3本目だが、出来るだけこれから集めるつもり。  マックイーン。 いい男です。
 


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