ballaがむしゃら親分のボヤキ,呟き,独り言・2002balla

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本当のことが云えなくなった ('02.12.30 記)

づいてみたら、明日はもう大晦日。 今年もまた『風』のように瞬く間に過ぎ去ってしまった。 そう云えば、まだ悲しみの記憶が新しいハズの親父の急逝から既に早2年。 三回忌法要もこの前、終わってしまった。 なんて早いんだろう。 時の流れは、色々な人や出来事を、どんどん過去へと追いやってしまう。 なんとも切なくて、やるせない、そんな気持ちにチョットばかりさせられたな。

昨年から今年にかけて、本当に色々な事があった。 まさに人生にとっての大きな転機を迎えたわけだ。 あまりにも色々な事が先を生き急ぐかの様に起こってしまったので、俺自身が事の成り行きについていけてない、そんな不思議な感覚だった。 なんだか自分の事を他人事のように冷静に眺めている自分がもう一人いたような。

若かりし10代の頃、20代の頃、そして今。 その時々で、考える事は勿論変わっていったけど、 一貫して変わらないことは、「自分自身が納得してヤリタイ事をやっていきたい。 進むべき道を歩いて行きたい。 夢を追うことも変わっていない。 但し、その「夢」自身はずいぶん変わってしまいましたがね。

さて来年を迎えるにあたって、今を少し考えてみよう。
どうやら、進みたいと思っている道から不思議な位 遠ざかってしまったようだ。 これ以上遠くならないうちに、なんとか修正したいものだ。 きっと人の人生は、その人自身しか見つめないのだから、他人に助けてもらおうなんて考えてしまってはいけないのだろうな。 そして大事なことは、互いの道も縛らないことだ。 切なくなるから。
…。


芸術の秋、ピカソに浸る ('02.11.27 記)

日、一人で、ふらっと風に吹かれながら、東京に向かってた。電車に乗ってみると、 つり革広告に“上野の森美術館で若き日のピカソ絵画展開催中”なる記事を見つけた。
(初期のピカソ!? あれ、五木寛之がエッセイでなんか言ってなかったけ…。そうだ、これは観ておこう‥)
なんと僕は、その後の予定を変更し、そのまま其の足で上野へと行ってしまった。


正式なタイトルは『バルセロナ・ピカソ美術館展〜ピカソ天才の誕生』
ピカソの若い時代の作品をバルセロナ・ピカソ美術館から220点とパリ・ピカソ美術館からの2点の全222点が展示してあった。
パブロ・ピカソと云えば、『20世紀最大の芸術家』などと称されているが、彼の9歳から22歳までの作品は、今まで日本では あまり紹介されたことはなかったそうで、これ程まとまったコレクションを公開されるのは今回が初めてのことらしい。  現在バルセロナ・ピカソ美術館が改装工事中の為、大量の貸出しが実現可能となったわけだ。  そして、これからもこんな機会はめったにないだろうと云う事である。
だから、行ってしまったのさ。 思い立ったが吉日ってね。

ところで、ふつう一般大衆がイメージしている『ピカソの絵』というのは、どういうものだろう?
作品の対象を抽象化したり、変形させたりする、なんとも現実離れした世界の絵、(まぁ端的に云えば『ヘタウマの極致』とでもいうのか) と感じている人が殆どではないだろうか。
ところが若き日のピカソはまったく違う。 対象をまさにそのままの形で忠実に描いて古典的な手法をちゃんと取り入れている。 手書き新聞、町行く人々のスケッチ、肖像、美術学校での石膏像や裸体、人物のデッサンなど初期の作品群には、対象を的確に生き生きと捉えるピカソの驚くべき観察眼と描写力を其処に見ることができる。 
テーマも実に多岐にわたっていて、宗教画,戦争画,家族や自我の肖像,死をモチーフにした作品,はたまたエロスの世界(女性の方は赤面する位、それはそれはドギツイものがあった。)等、 こんなにも色々なテーマで臨んでいたのかと感嘆してしまったよ。
僕は、初期のピカソのその時々の思考をストレートに表現された絵が、往年の作品よりも非常に好きなんだ。
俺に本物の芸術を見極める目があるのかどうかはわからない。 
美術にしても 音楽にしても同じだけども、ただ素直にその作品が好きだとか、感動したとか、そういう感覚を大事にしていけばいいのじゃないかなと思っている。 そして自分の感性を自分自身で認めてあげることだな。
例えば「ゴッポの様な絵こそが、本物の絵であって、ピカソのは、どうも納得がいかん…」 そんな意見を持っている人だっているだろうけど、それも立派なひとつの感性だよね。

さて。 こんなエピソードがあるのを知っているかな。
ピカソの父親は美術学校の教師だった。 彼は自分の息子が並外れた才能の持ち主であることを早くも見極め、それからというもの自分で絵を書くのを一切やめて、画材道具一式を息子のピカソにあげてしまったと。

そんな父親のとった行動も、この時代の絵を観てみると本当によくわかるよ。 とにかく素晴らしい! 彼はまさしく本物の天才なのだよ。改めてそう思ってしまったな。

当日、会場の中はかなり混雑していてちょっと閉口したが、ゆっくりと2時間かけて作品を堪能できて、本当に良かったよ。

http://www.picasso.jp/


YOKOHAMA HONKY TONK BLUES  ('02.11.02 記)

立て続けに宇崎竜童の最新アルバムを2枚買った。 タイトルはそれぞれ『SAD&BLUE』と、『SMOKE&BOURBON』
両方とも「S」と「M」ですな。 前作と今作ではタイトルを橋渡ししているかの如く、2枚ともD・T・B・W・B、その他今までのセルフカバーアルバムである。
これまた珠玉の名曲揃いで、まことに素晴らしい。拙者は満足しておる。
さて、その曲の中に、横浜ホンキートンク・ブルースという曲がある。
知っている人はいるかな?
藤 竜也,エディ藩,原田芳雄,松田優作等の愛唱歌であり、作詞 藤竜也、 作曲 エディ藩のコンピ である。

まさに本物のブルースと言えよう。 名詞であるし、また曲の雰囲気がなんともたまらん。
僕は、この曲はTVで原田芳雄が歌っているのを聴いたのが初めてで、続いて松田優作が唯一夜ヒットに出演した時に 歌ったのを聞いたのが2回目。 (それ以降、優作のCDは買ったので、良く愛聴している。ちなみにバックでギターを弾いているのはエディ藩)
そして宇崎バージョンを今回初めて聴いた。(藤 竜也バージョンは残念ながら未聴。)
で、聴いてみての感想というと、"さすが"の一言。 かなりメロディーを崩して自由に歌っているぜ。
宇崎は抑揚のつけ方がうまくて唄に表情が出てるんだよね。 なんともケダルイ雰囲気も出ててテクニック派な印象。

がしかし。 どれが好みかと云えば優作バージョンがやはり一番好きなのかなぁ。
松田優作と言えば、アクション俳優のイメージしかない人が殆どかと思うが、彼は、日本では数少ない本格的なブルースを 歌えるシンガーなのである。 特にこの横浜ホンキートンク・ブルースは彼のライブアルバムで聴けるのだが、傑作といっていい。
不器用でストレートな熱いボーカルが、却って心に滲みる。しばし疲れも癒される。

まぁ、とは云え、両方も素晴らしい。
もし、興味を持った人がいたら双方聴き比べてみるもいいだろう。

宇崎 竜童 →『SMOKE&BOURBON』 (COCP-31948)
松田 優作 →追悼盤『Yusaku Matsuda1978-1987』 (VICL-10)
        HARDEST NIGHT LIVE (VICL-15062)

あなたの影を捜し求めて
 独りさすらったこの街角
 本牧あたりの昔の話さ
  横浜ホンキートンク・ブルース…


サイン  ('02.10.04 記)

日の新聞に載ってましたな。
空港に訪れた俳優リチャード・ギアのサインを勤務中にもらったとして、某航空会社が女性契約社員の交代を人材派遣会社に求めていたとか。

最近、俺も派遣会社の社員の使い方については考えさせられる出来事が多々あったが、 しかし、サインもらっただけでクビとはな…。
うーん、そうだなぁ。 ひとつ考えられる事は、その人の“常日頃の行ない”はどうだったか?だな。  それによっては対処の仕方もずいぶん変わっていたのではないだろうかね。
「ふだんから個人的な行為を慎むよう注意をしており、厳しく対処した云々…。」とか会社側は話していたと載っていたしね。
普段から職務に忠実だったら、たかがサインくらい大目に見てくれたのじゃないのかなぁ、と思ってしまった。
普段から職務に怠惰な点が目に付いたら、この件はダメ押しで心証悪くしたのだろうなぁ、と思ってしまった。
ふむ…。 こういう基準って なかなか、判断に難しいわな。

ころでサインと云えば!
先日の「開運!なんでも鑑定団」は観たかい?!
松田優作のサイン入り「太陽にほえろ」の台本(『ジーパン・シンコ その愛と死』の回)がなんと30万円の値が付きましたな。
なんでも鑑定依頼人の従姉は30年前に女優をしており、ドラマ「太陽にほえろ」に松田優作扮するジーパン刑事を射殺する犯人の恋人役で出演していたと。 お宝はその従姉から貰ったそのときの台本だってさ。
そして、評価の内訳は、人気のある最終話ということで、台本だけでも8万円の値。  出演者の台本のなので2万円プラスして台本としては10万円の評価。 で、問題の優作のサインだけど、日付と番組タイトルが入っており、もうそれだけで20万の評価。 で合計30万円。 但し、この値段は業者値段であり、オークションにかければ100万円の値が付くかもしれないのだそうだ。 
すっっげぇぇぇなぁぁぁ。  さすが、松田優作。 あぁ俺の青春だった優作。

まぁ同じサインでも 上と下とでは見事に明暗を分けたといった感じだぜ。 


京都一人旅 −ドカロッチ撮影画像付き− ('02.09.23 記)

9/23記は、一挙、連続2段 掲載です。まずはこちら。

今年の夏休みは、ちょっぴり遅めの9月17日〜20日を休みに当てた。  ということで、祝祭日を重ねると結果的には14日〜23日の10連休となる。  折角それだけ休むのだったら、一度自分自身を見つめなおす為のゆっくりした旅がしたいと,,,思い立ったが吉日!  以前から友人と一緒に行こうと考えていた京都へ一人旅立つことにした。 下記のベンチャーズのLIVEの2日後だ。
以下、廻ったところを撮ってきた画像を交えて簡単に紹介致しまする。

・京都第一日目。 清水寺へ行く。 清水寺の舞台は壮観だった。 素晴らしかったよ。(写真@)
・夜の京都駅。 あまりに近代的なので、ドカロッチは“ビツクリ”してしまった。
(写真A)
・2日目。 まずは金閣寺(鹿苑寺)だ。いつか此処へ行きたいと思っていたのだが、とうとうやって来た。うーん。素晴らしい。このアングルもなかなかなものでしょ。 自慢の
(写真B)
・そこから20分程あるいて、次は竜安寺だ。 竜安寺の石庭は枯山水の代表だね。カメラのアングルに困った。 おまけに午後の逆光の為、写真自体がちょっと暗くなってしまったのが残念だ。 
(写真C)
・同じく竜安寺の中にある。蹲踞(つくばい)。 徳川光圀(水戸黄門)の寄進といわれているのだね。  中央の水穴を「口」に見立て、禅の精神「吾唯知足」(吾唯足るを知る−“知が足りている者こそ豊かである”の意。)の4つの漢字を表現しているのだ。 画像でわかるかな? 
(写真D)
・次は、銀閣寺(慈照寺)。 金閣寺の絢爛に対して、銀閣寺は哀愁。この画像見て、そう思わないか? これも自信作だ。
(写真E)
・さて、折角ここまで来たので、3日目は大阪まで足を運んで大阪城へ行ってしまった。 こちらも圧巻。 
(写真F)

ずっと寺や城を廻って情緒を深めたのだが、この後、道頓堀に行って“たこ焼き”やら“ラーメン”を食い、 こうして、ドカロッチの3日間の旅は過ぎ去ってしまったのだった。


THE VENTURES 来日40周年記念 Japan Live2002 ('02.09.23 記)

なんとあの世界のベンチャーズが地元、八千代にやって来た。 時は9/15、場所は八千代市市民会館。
家からは歩いて20分位で行ける。 当然の事ながら「これは行くしかない!」と。ちゅうわけでチケット購入。その日が来るのを心待ちにしていたわけだ。

そして当日。 会場の大ホールは満員。客の殆どは俺の親の世代にあたる人々だった。俺は以前このホールで作家の五木寛之,今度は世界のベンチャーズと、偉大な人ばかりを観る事が出来て本当に幸せ者だぜ。

さて開演。ライブの感想は一言。最高であった。メンバーはここ数年来固定のドン・ウィルソン,ボブ・ボーグル,ジェリー・マギー,リオン・テイラーの4人。(という事でノーキー・エドワーズはいない)
日本での公演も長いせいか、皆日本語を本当によく喋る。タイトルも日本語で(邦題で)紹介するのがなんとも可愛らしい。
『つぎは〜、「10番街の殺人」でぇす。』と。2曲目にしてこれを聴いたときは思わず感涙ものだったよ。
ソロは殆どがジェリー・マギーがとった。オリジナルの他に結構他人の曲もカバーしていて、これが中々の名演だった。ステッペンウルフの
『BORN TO BE WILD!』,プレスリーの『ミステリートレイン』,その他ストーンズの『Paint it Black(黒くぬれ!)』ではジェリーがエレキ・シタールに持ち替えての演奏。雰囲気が凄く合ってた。あと、アメリカのトラディッショナル・ブルース(アニマルズの演奏が有名)の『朝日のあたる家』。この曲の中間部のジェリーのアドリブ・ソロはまさに名演。ギターソロの集大成。ステージを降りて客席で弾きまくり、そりゃ盛り上がった。

ジェリーとボブがギターとベースを交換して、ボブがリードソロをとった『Walk Don't Run(急がば廻れ)』。これも生で聴けて感動! アンコール前のラスト曲、『ダイアモンド・ヘッド〜パイプライン(メドレー)』は、もはや云うまでもない。リバーブを思いっきり効かせた“テケテケテケ”のフレーズはもうシビレまくり!!

故メル・テイラーに代って息子のリオン・テイラーが97年よりドラムを担当しているのだが、彼も凄く良かったなぁ。アンコールの『Caravan』で、ベースをドラム・スティックで叩く(チョッパーのような音がでる。)ところは吃驚したが、ファンならば知っている100%のお約束事なんだそうだね。 ベンチャーズ生初体験の僕には何もかもが新鮮だったよ。

もはやベンチャーズを過去のものとして、やはり60年代が最高だったと思っている人が多い様だが、決してそんな事はない。40年経っても音楽に対する情熱や意識を全く失っていない事をこのライブで証明させられた。

俺の最後の文句はいつも同じ。“J−POPしか聴かない貴兄へ、究極の、そして本物のエレキサウンドを是非聴いてくれ。”


携帯電話物語 ('02.09.11 記)

帯電話を初めて手に入れたのはもう6年位前になろうか。
最初に買った携帯は今じゃ考えられない程大きくて、また分厚くて、カタカナ表示のみの単色の物だった。 確か値段も結構高くて3万5千円位だったっけか。もちろんメール機能なんかついていない。電話番号登録が出来るだけのメモリー機能しかなかった。
それでも初めて携帯を持った時は物凄く嬉しかった。 未だ一人暮らしを体験していなかった僕は、生まれて初めて『自分専用の電話番号』を手に入れたからだ。 自宅にかかってくる電話は必ずしも自分宛てのものではないが、この携帯が鳴った時は間違いなく自分宛ての発信である。 そんな単純な事柄が僕には無性に嬉しかった。

今でも憶えている。 携帯を買いに行くのを一緒に付き合ってくれた彼女が、買った直後まだ誰もこの番号を知らないにも関わらず、電話が鳴るのを心待ちにしている僕の心を察してか、「じゃあ、今日家に帰ったら早速かけてあげるよ。」と言って、その夜かけてくれたのだ。 記念すべき第1号の着信は相手が分かっていたけれど、それでも音が鳴った時は、やっぱり嬉しかったな。

1年位後、彼女も携帯を買った。それに呼応して使用頻度は益々上がっていった。 その頃は確か2機種目。相変わらずカナのみの表示だが、かなり軽量小型化された為、所持するのにあまり邪魔にならなくなった。 気に入った留守電のメッセージはいつまでも携帯内の伝言メモに残すようになった。

3回目の買い替えの時に、短いメール機能が使えるような機種になった。料金節約も顧慮してか、僕らの間はお互いミニメールでのやりとりが主となっていった。 短い文章の中で如何に工夫して相手を喜ばせたり、笑わしたり、愚痴ったり、宥めたり、僕たちはPCでのEメールとは異なるリアルタイム受信機能の新鮮な面白さにハマってしまったのだ。
それは、電話で話すのとはまた別の楽しさがあった。

その後、携帯はどんどん進化してカラー液晶画面となり、Eメールの何千文字をも送受信可能、スケジュール機能、ゲーム、さらにはデジカメ付き等、格段に進化していった。 にもかかわらず通信料は割安となった。 その反面、ワン切りコール、迷惑メールなど昔じゃ考えられないような、ありがたくない副産物も付いてくるようになった。
電話が鳴っただけで嬉しいなんて思っている人は 今ではいないのではないだろうか。

一方、僕らの間には、過去の幸せな時分からは予想もしえない出来事が起こった。 それはひとつの人生の区切りであった。
彼女から送られてくるメールは、悲しさ、辛さを訴えたあまりにも切なくやりきれないメールが何十通も届いた。
あの小さな画面の文字を読んで、何度涙した事だろう。 胸が張り裂けそうになった。心が痛い。 けれど僕はそれらのメールを捨てる事なく全て自分への戒めと受け止め、一通一通丹念に読んでいった。 その後も決してメモリーから消すこともなかった。

初めて来た時の心弾むような楽しいメールも、潜在意識の奥底まで届いてきそうな悲しいメールも、どちらも今の僕の心の中に焼き付いて離れない。
僕は時々、あの最初の頃の純粋だった気持ちを思い出しては、“果たして今の自分はこれで良かったのだろうか?”と自問自答する時がある。

今度携帯を買い替える頃には、少しは風向きが変わっているだろうか。


少年の心を持った大人達へ…。('02.08.27 記)

月も後半になってきました。 学生の夏休みもあともう少し、といったところですな。
昔はこの時期、かなり焦っていた記憶がある。 夏休みの宿題ってやつは、ちょっと多すぎと思うわけで…、これがどれほどまでに子供たちの自由を奪い、激しい情熱を束縛して、さらに、創造の芽を摘み取ってしまったか、真面目に考えてみた事があるのかっ!
(誰に訴えているとお思い?)

さてさて、御託はこれくらいとして最近の僕は、久しぶりにアニメなんかにハマっております。
何かと申しますと、『マジンカイザー』というOVA(オリジナル・ビデオ・アニメ)ですわ。原作は永井豪。 そう、30年程前、僕ら少年の心を夢中にさせた「マジンガーZ」の続編っちゅうわけです。 といっても今までのTVシリーズとは違い、「マジンガーシリーズ」の設定のみを引継いだストーリー構成になっています。
まぁざっと、あらすじを紹介すると、
Dr.ヘル率いる機械獣軍団の猛攻の前にマジンガーZと、グレートマジンガーが、ついに敗北する日がやってきた。
そんな絶望的の中に、兜甲児が手に入れた新たな力。それは神をも倒せる強力のパワーもった危険なロボット(マジンカイザー)だったっ!
兜甲児はカイザーに乗り込んでドクターヘルの悪の機械獣軍団と戦っていく
っちゅうお話。

で、このビデオには凄い見どころがあって、当時(30年前)の「マジンガーZ」の時のオリジナル声優さん達が起用されている!
これは、凄い! あの兜甲児が「マジーン・ゴー!」「ロケットパーンチ!」「ブレストファイヤー!」マジンガーZ
などと叫んでいるのを聞いていると思わず、懐かしくなって画面に引き込まれます。
しかし…。 当時と全然変わってないんだから、スゲェなぁ…。
あしゅら男爵も男女二人が同時にしゃべるシーンは当時と一緒で息バッチリだなぁ…。

現在、レンタルビデオ屋には、1〜6巻位まで出ております。またDVDも発売しているようですね。
興味のある人(昔夢中になって観ていた人)は、是非ご覧になっては如何でしょうか?

ちなみにHPはこちらですね。 クリック⇒ マジンカイザー 公式サイト

(尚、今年2002年はマジンガーZ生誕30周年にあたるそうですよ。)


なんじゃらもんじゃらほげら('02.07.16 記)

お好み焼きよりもんじゃに夢中 / メールや携帯がここぞ,という時に繋がらない奴 / 「鬼も十八番茶も出花」かな / 「鬼の居ぬ間に洗濯」とはまさに今!?(爆) / 人前でのろける精神,何たるや。 / サバイバル映画のリバイバル / ヤキもち焼き、あまり焼きすぎると焦げついちまう / デジタルよりアナログの良さを再認識せよ / 応援も過ぎればお節介となる / 自分が結婚した途端、未だの人にやたらと結婚しろしろーと言う奴。独身の頃はそんな話題、一言たりとも出さなかったのに(よくいるよな,こういう奴。) / 焼き鳥はタレより塩。 / 食べ物の好き嫌いの多い奴のお勧めの店は当てにしない方がいい。 / もっと自分を愛せよ。もっと自分を許してあげようよ。 / 何をするにも個人プレーより団体プレーの人、またその逆の人 / ワンマンなんてくそくらえ! / 引っ込みがつかなくなってしまって、いつまでも本当の事が云えなくなっちまった奴 / 流行りの音楽しか聴かないetc. / スポーツ紙に載っているような話題しか、喋らない奴 / 無理やり流行に乗ろう乗ろうとしている人。見ていて辛いものです。 流行は随時変わっていくのです。 そう波乗りと一緒だぜ。 ノッテケノッテケ。 / 「イチ抜けた〜」が男であり、さっぱりしていて格好の良いものなのです。 2抜け、3抜けはあまり格好良くないのです。 / 逃げるが勝ちさ / ボヤキはストレス発散の証なり。 / ニンマリ。


心が届いた ('02.06.10 記)

あの時の俺はどうかしていたらしい。

錯乱、中毒、真夏の世の夢、胡蝶の夢よ。

そして今現在、俺は…、迷夢から覚めた。

自分にとって何が一番大事なものなのか。

そして何が必要なのか。

自分は今後如何にあるべきなのか…。

人の心は何一つ確実ではなく不安定なものだけど、

あまりにも強い哀願、切願、念願。

これらは、人の心をも変えられる凄いものを持っている。

ひとつの心が届いた。

強い心は確実に届くものなのだ。

本当に大事なものが今、明らかに蘇ってくる。

さて、何一つ遅すぎることなんて事は何もないけれど、

これから留意しておかねばならぬ事。 それは、

単なる“思い込み”を“直感”と取り違えないように意識することだ。

これが肝心だ…。


無 題 ('02.05.17 記)

かと一緒にいても どうにも心が淋しくて 辛い時がある。
ひとりっきりの時でも なぜか心が満たされて 楽しい時がある。

最近、嫌いなものが少なくなってきた。 変な『コダワリ』がなくなってきた。
こうやって、妙に物分りのよい、年寄りになっていくのでしょうか?


Are You Passionate? ('02.04.28 記)

なたは情熱的ですか?! 
そんなタイトルのニールヤング約2年振りのニューアルバムが出た。
勿論、僕は発売日前日の4/9、いつも買うCDショップにて購入していたのだ。 あぁ、そりゃ勿論そうさ。

そう云えば昨年、ニールヤングは12年振りの来日を果たしたんだったね。
そう。もう何回も語っているように『FUJI Rock Festival'01』に出演したわけだよね。
正規盤の全てと、更にそれ同等の数の海賊盤を持っている熱狂的な僕は、多分知らない曲など一曲もないハズだろう。。と高を括っていた。
ところが、前半から既に知らない曲が連続で演奏され、焦ってしまった。
結局FUJI Rockでは未知の曲が4曲もあった。驚いたぜ。
どうやらそれらは未発表曲(新曲)だったそうで、年末発売予定のアルバムにそれらは収録されるという噂が伝わってきた。
その4曲とは、@
Going Home AWhen I HOld You In My Arms BStanding In the Light of Love CGetway of Love という4曲。
FUJI Rockのブートレグを買って何回も聴いているうち、4曲のうちB,Cは僕は凄く気に入ってしまい、今度のライブで是非カバーしたいと思った。
コードまで採ってギターをコピーしたのだが、どうしても歌詞カードがないと歌詞(英語)は聞き取れない。早く正規盤に収録されて出ないかなぁ〜と思っていたので、僕にとっては待望のニューアルバムなのであった。
結局、年末から延期されて今年の4月に発売となったそのアルバムに収録された曲は、な、なんと上記4曲の内@、Aの2曲だけだった!
ま、まいったぜ。 なぜにアウトテイク行きになったのだ? 歌詞だけでも知りたいのだがなぁ…。

 さて、改めてこのアルバムを聴いた感想であるが、相変わらずのニールのおぼつかないギターソロが心地良い。 2曲目は明らかにボブ・ディランのボーカルを意識した曲。ボソボソと嗄れ声で囁くように歌っておる。
但し最近のディランよりもこちらのメロディーラインの方が僕の好みにあっている。
全体的にクレイジーホースと演った時のような激しさはないのだが、リラックスしたこの作品もいいんじゃないですかね。 兎に角ニールのソロが心地良いのだよ。
夜、車で走っているときに聴いていると疲れがとれる。全体的にリラックスした雰囲気のアルバムだったな。
アルバムタイトルにもなった曲
『Are You Passionate?』は、激しいかと思いきや、意に反して静かに語りかけるタイプの歌。
同時テロの時に、急遽発売され全米のヒットとなった『Let's Roll』という曲は是非、一聴の価値あり。

そういえば、今年の『FUJI Rock Festival'02』は井上陽水が出演するね。


俺はユートピアン。 ('02.04.21 記)

はユートピアン。
俺は空想する。
俺は夢想する。。
俺はユートピアン。
俺はよく夢を見る。 夢の中で何をか思ったりする。
時には、寝言も云うらしい。(笑)
実際、夢のようなことを思い描くことも時々する。
そう。バラ色の人生を夢想してみる。
俺はユートピアン。
夢に神仏のお告げがあることも夢想というらしい。
ふぅ〜ん…。
夢は不思議だ。 夢判断とかあるらしいけど。
夢の中での人との対話。
相手のセリフも結局、自分の頭の中だけで考えている事なのかい?
なのに…相手の答えが予測できない。相手の言葉に驚いたりする。
人間は自分ひとりだけで会話が成り立つのかい?
二重人格と似たようなものなのかしら?

俺はユートピアン…。


『Oldies』 ('02.04.18 記)

久々にリリースした吉田拓郎のNEW ALBUM『Oldies』を買って聴いてみたんだ。
これは、『Oldies』という70年代の未発表曲と『家へ帰ろう』という新曲、それ以外は、殆ど70年代前半の自作曲のセルフカバーであり、まぁプチ・オールディーズといった感じだね。

『襟裳岬』,『りんご』,『高円寺』,『祭りのあと』等,名曲が新録音として収録されているんだね。

 まずざっと1回視聴してみる。さて?
人によって賛否両論あるかとは思うけど、"Simple Is Best"をモットーとしている僕としては、荒削りながらもダイナミックな感がある昔のアレンジの方が好みかな。
当時のアレンジを担当していた石川鷹彦のギターは、やっぱり味があったんだなぁ。
それに比べると今の
鳥山雄司(LOVE LOVE ALL STARS)のアレンジは凄く『優等生』なんだよね。ギターのテクニックも凄いし、よく考えられているよ。
でも音楽は『巧い』でも『凄い』でもなく、ただ『いいな〜』って思うか思わないか、俺にとってはそれだけ。
だから必ずしもテクニックが凄くて凝ったアレンジでも、それがいいと感じるとは限らないのだね。
 最近はJ-POPも音楽の質もかなり高くなっているから、逆に荒削りなサウンドは凄く新鮮に心地よく感じるんだよ。
 俺が、荒削り過ぎるニール&クレイジーホースの演奏ばかりを聴いているのはその為だな。
 
 さらに、その音楽(歌)を好きになるか否かの要因がもう一つある。それは“VOICE”だね。
声には、誰しも年数に応じて多少なりとも変化していく。 まぁボブ・ディランの様にその時々に応じて故意に声音を変えてあたかも別人か? と思わせるようなアルバム作りをする人もいるけれど…。
まぁ、俗に云う『七色の声音』を使い分けられるアーティストは凄く魅力的だよね。ボブ・ディラン程でないにしろ、拓郎も歌の雰囲気に応じて多少「声」を変えていたんだよね。

 で、ここ最近の拓郎の声は…、やはり若い頃のような切れがなくオッサン声になってきているね。
それに応じてか、発声法もちゃんと変わっているんだよ。 ライブへ行くとそれが良くわかるよー。
 所謂、正統な腹式法でちゃんと歌っているんだよね。。 盛り上りの時に昔のように、張り裂けんばかりに喉を嗄らして叫んでいたのではなく、腹筋に力を込めて腹の底から声を出す。
 だからマイクの通りは凄くいいのだけれど、何か、こう、熱いものが足りない(気がする)んだよねー。
多分、年齢的に今の様な歌い方になるのは必然的だったんだと思うけどね。
いつまでもあの頃の歌い方をしていたら、声が持たないもんね。

僕は、拓郎が30歳を過ぎたあたりのアルバム『明日に向かって走れ』の頃が一番好きな「声」だったんだよね。
当時、(この人、こんな歌い方していたら、歳とって声が出なくなるんじゃないのか?)
なんて心配していたけど、それは見事に裏切られたね。(笑)

まぁ、とはいえ、このアルバムは昔からのファンも最近好きになった人も、色々思いを巡らせながら聴いてみる価値は十分にあるのじゃないのかな。
今尚、現役バリバリでアルバムを作って発表しているという事だけでも素晴らしい限りだよ。
今回この中で一番気に入った曲は、偶然とはいえ『Voice』という曲。
これは中々お勧めだよ。


Yesterday is My Birthday of 36 years old.  ('02.04.09 記)

をとったと思いますか?
まだ若いと、突っ張り通すつもりですか?
自分にいつまでも甘えていませんか?
失恋の痛みをしっかり記憶していますか?
人を傷付けた事はありますか?
人を傷付けた時の後味はどうですか?
結婚と恋愛は別に考えていますか?
今の結婚生活にはもう慣れましたか?
将来の目標として何か企んでいますか?
今の会社にずっと居続けますか?
いつまでも音楽をやり続けるつもりですか?
ずっとギターを弾き続けますか?
まだこれからもギターを買い続けるつもりですか?
以前に付き合った人と寄りを戻したいですか?
父の突然の死を乗り越えられましたか?
これから自分が父親になる自覚はありますか?
人生についての価値観を何か探し出せましたか?

答えは風に舞っている…。


不良中年の凄み〜The Who LIVE AT THE ROYAL ALBERT HALL〜 ('02.04.06 記)

し前になるが、ザ・フーの2000年ロイヤル・アルバート・ホールでのライブDVDを買った。
そう云えば、1970年にリーズ大学で録音された名盤『ライブ・アット・リーズ』(全6曲)が未収録分を追加してライブを完全に網羅した全33曲の2枚組CDに生まれ変わって、30年後に日の目をみたのにはびっくりしたが、それもつい最近の話だ。

勿論拙者、そちらも購入したのだが、驚くべきことは、その全盛時代のフーの勢い,グルーブ感、ドライブ感が今も少しも衰えていないので、これは凄いぞっ!と改めて感嘆してしまった。この50代のオヤジ集団には参ったっといった感じだ。
 昔、フーはキース・ムーンという凄いドラマーの死によって1回は解散した。しかしその後、フェイセスのドラマーを加えて再結成したのだが、このドラマーがキースムーンの様に叩きまくらず、リズムをきっちりキープするタイプだったので、いまいちフーのサウンドとしては不満が残った。
ところが、今回ロイヤル・アルバート・ホールでサポートしている若手のドラマーはド派手にリズムを叩きまくる。 当時のWHOサウンドが戻ってきたって感じだ。

オープニングを飾る1曲目の『I Can't Explain』,3曲目の『Pinball Wizard』、もう30年前のライブ・アット・リーズとなんら変わらないじゃないか! 凄いぞ。凄い。まったく同じ迫力だよ。  頭は禿げ上がったもののピートのアクションも更にエスカレートして相変わらず腕をブンブン振りまわしながら弾くギターは健在だぜ。
ベースのジョン・エントウィッスルも凄い。 彼は一番良い歳のとり方したのではないか。 凄い速弾きベース。『5:15』ではベースギターのヘッドに固定カメラを付けて彼の速弾きベーステクが堪能出来る。さすが“サンダーフィンガー”の異名をとるだけのことはある。

さて、今回のこのライブ。ガン治療に苦しむティーンエイジャー達のためのチャリティーコンサートということで、またゲストも多彩だ。ブライアン・アダムス、パールジャムのエディ・ヴェダー等だ。
他にオアシスのノエル・ギャラハーと『Won't Get Fooled Again』を演るのだが、俺はどうもこのニヤケ顔のノエル・ギャラハーはあまり好きになれんなぁ。 なんだか格好付けてギター弾いているようだが、彼がソロをとったおかげで、この曲もいつもの迫力には及ばなかった様な気がするぞぉ。 やはりピートのソロの方が俄然いい。
特筆すべきは、ケリー・ジョーンズ(ステレオフォニックス)。 彼がステージに出てくるなりロジャー・ダルトリーが一言、
「俺よりも低いね(笑)」と行った。 それを聞いたケリー、一瞬ムッとしたような顔をしたかに見えたがすぐ気を取り直して名曲『Substitute』のボーカルをとった。 これが意外や良い。 かなり厚くてパワフルなボーカルを聴かせてくれた。 彼の歌は昨年、FUJI Rock Festival'01で生で聴いたのたが、小さい体からもの凄い声量だった。。 

兎に角、これだけ若手ミュージシャンと対等に張り合えるザ・フーの偉大さ、力強さに拍手を送りたいもんだ。
 最近のJ−POPしか聴かない貴兄へ。 是非極上のブリティッシュ・ロックを聴いて欲しい。


『されど私の思うところ』 ('02.03.26 記)

かが一人間。いつも正しい事ばかり行なっているとは限りません。
(理屈では)それが間違っている、さらには人の道から外れている事ですら、時には行なってしまいます。
それが不条理だってことは、こちとら言われなくてもわかっているんだよ。
だからそんな時の極々!正当な、人様のお説教なんか聞く気はさらさらないのです。
そんなわけで当然、人の批判もすまい。 
「お前のやっていることは間違っているっ」な〜んて人に指摘をする資格はない。
またそんな余計な事に神経を使う所以もない。
人の噂話で盛上るのも… もう大人だ。 やめようではありませんか。。

誰にも迷惑かけていないならいいじゃないか。
自分にとって、それが今必要と思ったら行動するしかないじゃないか。
後悔先に立たず。 してしまったことは、悔やんでみてもしょうがないじゃないか。
やり直すことに遅すぎることなんて 何もないのだから。

これからも俺は、自分の思った通り、
まなじりを決して、突き進んで行くしかないのでしょう。


『パーフェクト ブルー』 ('02.02.10 記)

♪~気分は ぶるう。 とにかく ぶるう。 ありったけ ぶるう。」
拓ちゃんの唄にこんな歌があったが、これを書いた松本 隆(元はっぴいえんど)と云う人は、この時どんな気持ちで作詞したのだろうか。
 最近の俺は如何や。 現在、近年まれにみるブルーな気分である。 もう何もかもから逃げ出したい気分。 兎に角やる事なす事すべてが空しくなってしまうし、人の嫌なところばっかり目につくし、人に会いたくないし、人の話も聞きたくない。ましてや、テメエの事ばっかりしか語らない奴の話しなんか論外だ。
 しくみやしがらみも、まっぴらご免。 しきたりも風習の違いもくそ食らえ。 愛だの恋だのも騒いでいるのも馬鹿ばかしい。

金も未来も何もなかったけど、ただそれだけで良かったあの頃に戻りたい。
今の時期にこんな事をほざいているのは、不謹慎でしょうかね。

くたびれて戻る部屋。 今夜も遅くに寝るよ。 明日の朝目覚めたら 少しは風向き変わってるだろう。
気分はぶるう…。


『豚まん職人』 ('02.01.18 記)

が街の駅前に、『豚まん職人』という中華饅(肉まんだけ)を売っているの出店がある。
ラジカセからは、♪ブー、ター、マーン職にぃ〜ん、ブー、ター、マーン職にぃ〜ん、という派手なテーマ曲を流し、それに伴って、肉まんのいい匂いが立ちこめてくる。
売れているのか、いないのか、店番の兄ちゃんは暇そうで、自分の携帯をいじくってばかりいる。 メールでも打っているのであろうか…。

そこで拙者、試しに買ってみた。
『ふたつ、下さい。』
携帯をいじくっていた若い兄ちゃんは手を止めて、
『あっ! ありがとうございます。』
意外やこれ丁寧。 買ってくれた事を明らかに感謝している様子。 そして豚まんを蒸籠より取出し、馴れた手つきで袋に入れてクルクルっと廻す。
コンビニ,スーパーに置いてある普通の肉饅よりは一回り大きいサイズだ。
うーん、なんともおいしそうだ。
『辛子をお付けいたしますかぁ!? お好みで使用して下さいっ。』
兄ちゃんは、ペコペコとお辞儀をし、何度もお礼を言っていた。

さて、家に帰って食べた『豚饅職人』の味は!?
やはり美味い。 肉がなんともジューシー。 辛子を付けながら食うと確かに美味い。 ボリュームがあるので1個食べると、お腹一杯。 結構満足な味であった。
あの兄ちゃんは今頃 又携帯をいじくっているであろうか。

さて、今晩の夕食は軽めにしておいた方がよさそうだ…。


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