御霊のことわけ  (明治37年旧5月13日 『道の栞』第2巻下の ただし書きより)

◎真如はこれより、神の御教に従いて、厳の霊と瑞の霊との概略の訳柄を書き記しおく。読むもの幾度も繰返して、御霊の由来をよく悟るべし。大本の教の眼目は、この霊の訳柄を悟らざれば、会得すること難し。厳の霊は肉体は女なれども、その魂は雄々しき猛しき男子なり。瑞の霊は肉体は男子なれども、その魂は優しき女子なり。

御霊のことわけ
 伊邪那岐尊、かつて筑紫の日向の橘の小戸の青木が原に御禊祓したまう時、十四柱の神を生みなされて、あとの十二柱目に生みなされた神が天照大御神様で、その次ぎ十三番目に生みなされた神様が月読の命で、その次ぎすなわち十四番目に生みなされた神様は速素盞嗚尊である。

 その時に伊邪那岐尊は、いたく喜びあそばして、われは今まで数多の子を生んだが、今度は別して美わしい尊い子が、終りに三柱できたり。この三柱の神さえあれば、何事も成就すべしとお喜びになって、み頸に掛けたる曲玉を取りはずして、それを神の霊魂として、天照大御神に授けたもうて、汝は高天原の日の御国を治めるがよいぞとの詔が下ったので、日の御国を治めなさることになったのである。また次に生れなさった月読の尊には、夜の食国を治めるがよいぞよとの詔が下ったので、月に御国を治めなさることになったのである。

その次に生みなされた速素盞嗚尊には海原を治めよとの詔であった。すなわちこの大地のあるだけを構うべしとの仰せである。古事記に海原とあるはこの大地のことである。この大地は水が七分ありて陸地が三分よりないから海原というのである。昔から日本の国を四つの海と称うるもこの道理である。そうして天照大御神は厳の霊にして、速素盞嗚尊は瑞の霊である。これからその因縁の概略を書き記すべし。

 そもそも速素盞嗚尊は、御父伊邪那岐尊の詔をかたく守りてこの大地をおかまいなさるについて八百万の神が、日之大御神様が美わしき天の高きにましますのを見て、残らず心を天へ寄せてしまい、肝腎のこの大地の主たる速素盞嗚尊の命令は、一として用いないのであった。  いずれの神々もみな取違いをしてしもうて、この大地は汚れているから、高天原の日の御国に登ることばかりを考えて、速素盞嗚尊の命令を一つも用いなさらぬのである。

しかしその美わしき高天原へ上るには、この大地にてあらゆる罪穢を洗い清めてから、速素盞嗚尊のお取次をしてもらわねば、高天原へは上られぬのであれども、八百万の国津神は思い違いをしておられたので、速素盞嗚尊がこの世の主にして救主たることを知らずして軽蔑にされるので、速素盞嗚尊は、独りみ心を悩ませられ、どうぞして八百万の国津神を悔い改めさせて、神の御国なる高天原へ、救いやらんと思召して、蔭で血を吐く杜鵑、日夜泣き悲しみたまいて、もっぱらに救いの道にのみみ心を砕かれたのである。御顔の髯は胸先まで伸びるをも忘れて、み心を痛めたまい、ついには涙も泣き枯れはてて、み声さえも挙げたまわぬように疲れはてたもうたのである。

 八百万の国津神とは我々の先祖のことである。われわれの先祖のためにそれほどまでにみ心を配りたまいしは、誠に畏れ多きことである。ゆえに我々の先祖はこの救主に敵対うたる罪人であるにもかかわらず、ついには許々多久の罪を御身一人に引き受けて御涙や血潮をもって贖い下されたのである。実に勿体なき次第ではあるまいか。

 さて八百万の国津神たちが、貪りのみに迷うて、速素盞嗚尊の御教を、ただの一度も用いられなんだけれども、速素盞嗚尊は、憐れみの深き御方であるから、耐え忍びてどこまでも世界のため、神々のためとて力限り敵対うものばかりの中に立ちて、お守りなされてござったので、まだ曲津神どもが恐れて、そのわりに悪しき事や災禍をようせなんだけれども、今やこの国の主たる速素盞嗚尊が泣き倒れたまい、み声さえも嗄したまえるを見て、あまたの曲津神どもが、得たり賢しと五月蝿のごとく群がり起りて、この世に怖いものなしで、荒れまわすので、悪魔が栄えるばかりで、青い山もみな枯木ばかりになり、海河もさっぱり泣きほしになったのである。その筈でもあろうか、肝腎のこの世の頭が倒れてお寝みになったのであるから恐い者がないので、強い者勝ちになりて、山に住むものも、川に住むものも、里に住むものも、海に住むものも、みな苦しみ悶えるばかりになったのである。

 この速素盞嗚尊が喜び勇みたもう時には、世界中山も河も陸も海も、生物みな喜び勇むなり、また悲しみ悶えたもう時には、世界中の者が苦しみ悶えるようになるのである。この速素盞嗚尊は、配下の神々のために、千々に心を砕きたもうて、み力尽き果てたれば、すでにこの国を見かぎりて、母のまします夜見の国へ行かんと思召し、十握の剣もてみ腹掻き切り国替なさんとしたもうところへ、父なる伊邪那岐尊現われたまい、汝はなにゆえにこの世界を守らずして女々しくも泣き倒れつるかとお尋ねなされたのであった。

 そこで速素盞嗚尊は答えたもうよう、私はこの世界の主とまで、父の仰せを蒙りましたなれども、八百万の国津神等誇り驕ぶりて、わが命令に服はず、いかにもして悔い改めさせんと思いますれど、あまり曇り切りている世の中のことゆえ、誰一人として悔い改むるものなきゆえ、是非なくこの世のことを我身一つに引受けて千々に心を砕き、いままでは漸く治めて参りましたが、もはや私の力も耐え忍びも尽きはてました。こんな悪道な政治は、とても私の手にあいませぬから、父上にお還し申上げて、私は母の国へ参りたいと思うのであります。

さて私が父上にこの国をお還し申したなれば、後は誰が治むるであろうか、私さえも力尽きたるこの国を、まして後の世を継ぐ人の苦労は一層辛からん、また国民はさぞ苦しまん、また私がこの世を構わんとせば配下の神々が悪神に誑らかされ貪慾に迷いて我命令を少しも用いず、この広き世界を唯一人にて如何にともする由なく、もはや力尽き果てたれば、めめしきようなれども、思い切って今や神去らんとなしつつあるところなりと、涙ながらにことの次第をお物語になったのである。

 ここに伊邪那岐尊は、痛く怒らせたまいて、しからば汝が心のままにせよ。母のまします根の堅洲国に行け、かつこの国には住むなかれと仰せられて、神退いに退いたもうたのである。  さても速素盞嗚尊のみ心の中には、父伊邪那岐尊より八百万の国津神に向いて、速素盞嗚尊の仰せを守るべくお諭しあるべしと思召したまいけるに、かえって父より追払われんとしたまい、また誰一人として素盞嗚尊の大御心をくみ取り奉るものはないのであった。実に道の分らぬ世の中となりていたのである。

 かかる世の中を開きたもう尊のみ心とご苦労を推はかりて、その高恩を忘るべからざるなり。また伊邪那岐尊も、速素盞嗚尊のみ心はよくご存じであれど、わが子を善しとしたもうこともならず、また人の子に悪ありとて悪しきとして傷をつけられずとの深き思召しより、いとしきわが子の速素盞嗚尊を悪しきと審判きあそばして、根の国へ追いやらんとなしたもうのである。

 さてもその時の伊邪那岐尊の大御心は、剣を呑むよりも辛くおわしましけんに、八百万の国津神はただ一方も大御心をくみ取る者はなかったのである。また速素盞嗚尊は、父のみ審判に依估贔屓ありて、我の善きを善きとなしたまわず、かえって穢れたる八百万の国津神の穢れまで、わが罪穢となしたもうかと痛く父を恨みたまいしなり。ここに速素盞嗚尊は海原を守ることを止したまいて、情深き母のまします根の堅洲国へ至らんと堅く決心せられたのである。この決心なされたについては、実にみ胸の中には熱湯を沸らすばかり思いたまいしならんに、一人として、くみ取りまいらする神なかりしなり。

母の国へ行きたもうについて、一度は高天原なる日のみ国にまします姉君天照大御神にご面会の上にて、いろいろと詳しき物語りをなし、母の国へ参るいとま乞いをなさんと思召し、高天原へまい上ります時に山河みな動き、国土みな揺り出したのであった。四海の主が、この国を捨てて高天原へお上りになるのであるから、山も川も世界が動くのは、無理なきことである。つまり大騒ぎが起ったことなのである。今でも日本の天子様が、どこかへお出でになるとか、お隠れになったとかいえば、それこそ山川どころか上も下も大騒ぎである。

 ここに天照大御神は、下津国のありさまをお聞きあそばして痛く驚きなされた。高天原まで揺り動き出したので天照大御神は我那勢の尊今かく猛き勢をもって、この高天原へ上り来ますそのゆえは必ず美わしき心で来たのではなかろう。わが国高天原を奪ろうと思い、悪しき企みありて来たのであろうと仰せられて、そこでにわかに髪をほどいてご気色荒くその髪を美々面にくるくると巻きなされて、左と右との美々面も髪面にも、左右の御手にも、八坂の曲玉の五百津の御統丸の球を巻き持ちたまいて背には弓筒を負い、戦道具をととのえて、弓の腹をふくらせ矢をつがえて庭先まで出で、土踏み鳴らし、地団太踏んでお怒りあそばして、そこらのものなど足もて蹴り散らかし、雄健びに建びて、八百万の天津国軍を引き連れて、四股踏鳴らし、荒きご気色にならせられ宣りたまわく、なにゆえありて我那勢の尊は我が国へきたりませるぞ、かならずこの国を掠め奪らん目的ありて上り来ませるならんと、太き御声を張り上げて問い給えるなり。

 速神素盞嗚尊は、言葉静かに慎みて答え申したまわく、我はこの国を掠め奪らんなど、さる見苦しき心は、毛筋ほどもさらになし、あまり下津国が見苦しくて、何事も思いにまかせぬゆえに、母の国に至らんと思うがゆえに、このことを一度姉上に申上げ参らせんために参上り来つるとぞ申されたり。

 ここにおいて天照大御神は果して那勢の尊に汚れたる御心なくばその清き明らけき霊魂をわが前にて、いかにしてなりとも示すべしと仰せられたり。速素盞嗚尊答えたまわく、おのおのの心を証するために、互の霊をもてみ子生みて、正しき心の証しをなし申さんと、相ともに約したまいて、自もおのも天の安の河原を中におきて誓約たもう時に、天照大御神はまず、建速素盞嗚尊の御佩したまえる十束の剣を請い受けたまいて三段にぼきぼき折りたまいて、三つながら天の真名井の清水にふりすすぎたまい、さ嚼に噛みて息吹の狭霧に吹き捨つる中より生れ出でませる神のみ名は、

田紀理姫命と申し、またのみ名は奥津嶋姫命と申す。
 つぎに  市杵島姫命を生みたまい、またのみ名は狭依姫命と申し奉る。
 つぎに  多岐津姫命  あわせて三柱の神生れ出でたもう。いずれもみな姫神ばかりなり。

 この十握の剣は建速素盞嗚尊の御霊種子なれば、素盞嗚尊の御霊は見かけにもよらずして、優しき美わしきみ心なることの現われしものなり。速素盞嗚尊は表面から拝みまつるときは、誠に猛々しく荒々しく見えたまえども、そのみ心の中こそ、温順しく、優しく女のごとくましませるなり。常に苦しみに耐え忍びかねて泣き叫びたまえることをうかがいまつりても、女の御霊にましませることを知り得らるべし。日の本の神の道の言葉で称うるときは瑞の霊といえども、外国の仏道の言葉もて称うる時は、変性女子の霊性というものなり。ゆえに成るべくは、変性女子の霊魂などと称えざるを善しとするなり。変性女子ということも、変性男子ということもみな仏法家の称うる詞なれば、日本み国の神の信者の称うべき言にあらざるなり。

 それから速素盞嗚尊は天照大御神の左の美々面に巻かせ給える、八尺の曲玉の五百津御統丸の珠をこい渡して、残らず天の真名井に振りすすぎ、さ嚼に噛みて吹きすつる息の狭霧に生れたまいし神は、  正哉吾勝々速日天之忍穂耳命の彦神なり。次に天之菩日命生れたまい、次に天津彦根命生れたまい、次に生津彦根命生れたまい、次に熊野楠日命生れたまえり。

 ここにおいて天照大御神は、速素盞嗚尊に告げて詔りたもうよう、この後に生れませる五柱の男のみ子は我が巻き持てる曲玉の種子によりて、すなわち我がみ霊の生れ付き現われて生れたる神なれば、みな我がみ子なり、また先に生れませる三柱の姫み子の物種汝のものによりて生れ出でけるゆえに、彼三柱の姫み子は汝の御子なりと、かく宣り判けたまえるなりき。

 ここに速素盞嗚尊は、天照大御神に申したもうよう、われは猛く険しき相見ゆるゆえ、いずれの神も疑えども、わが心魂はあくまでも、清く明けく真白なり。ゆえに我がみ霊をこめし十握の剣より、かかる優しき美わしき手弱女を得たるなり。これによりて見れば、わが心こそ姉君のみ心よりも清く白し。

 天照大御神は表面はこの上なく優しく美わしく見えつれどもみ心の底ぞ猛く険しくましますなり。そのゆえは、天照大御神の左の美々面に巻かせる八尺の曲玉より生れ出でませる神は、天之忍穂耳命なり。右の美々面に巻かせる曲玉を噛みしにより生りませる神は天之菩日命なり。また首に巻かせる曲玉を噛みて生れ出でませる神は、天津彦根命なり。また左の御手に巻かせる曲玉を噛みて生れませる神の御名は活津彦根神なり。次に右の御手に巻かせる曲玉を噛みて生れませる神は熊野楠日神なり。この五柱はみな健び男なれば、すなわち天照大御神の御心猛しきこと現われつるものなり。ゆえに姉君は御心のうち我より清からず、美わしからずして坐しますなり。自ら我れ勝てり。この上にもなお我の心を穢しとなしたもうやと詰り給えるなり。

 素盞嗚尊の御身にならば、さもこそあるべき御事どもなりかし。すなわち天照大御神は厳の御霊にして、仏者のいわゆる変性男子の御霊なり。肉体こそ女なれどもその霊魂は健けく雄々しく坐しませるなり。女の優しき肉体を持ちたまいて、男の猛き御霊を持ちたもうゆえに、そのみ霊の生れつき現われて五柱の男神生れ出でたまえるなり。

 ここにおいて速素盞嗚尊は、あが心清かりし、姉君に優れり勝てり。この上にもなお吾が心穢しと強いたまうかといたく怒らせたまいて、天照大御神の作り給える田の畔をとり放ち、溝を埋め、樋を抜き放ち、敷蒔き屎戸許々多久の罪を犯したまえり。  されど天照大御神、み心深く敏き神にましますゆえ、速素盞嗚尊の心の底をよく知りたまいければ、いささかも咎めずして詔り給わく、糞まき散らすはあが那勢の尊の酒に酔いてなすなり。また田の畔を放ち、溝を埋むるも、ところを新しく清めんために、あが那勢の尊かくなすなり。咎むるにおよばずと詔り直したまえり。誠に広き大御心なりというべし。

 されども素盞嗚尊の御いきどおり強くして、悪戯止まずうたてあり。天照大御神忌機室にましまして、神の御衣を織らしめ給うときにその機室の棟を穿ちて、天の斑駒を逆剥ぎに剥ぎて落し入るるときに、天の御衣織女、これを見て驚きて梭に秀処を突きて身失せたりき。ここにおいて天照大御神はあまりのことに驚きて天の岩戸に戸を閉じてさし籠もりたまえり。

 これを天の岩戸隠れと申すなり。ここに八百万の神議りたまいて再び天照大御神を、岩戸より出しまつり、速素盞嗚尊に千座の置座の罪を負わせて、足の生爪を抜き取り、胸髯を抜きなど、種々の苦しみを負わせて流しまつれり。これぞ速素盞嗚尊が、天津罪をわが身一つに贖いたまいて、天津国のみ霊を救われしなり。  実にこの神は瑞の御霊にして、天地八百万の罪あるみ霊の救主なりしなり。読むもの心すべし。  速素盞嗚尊は、天津罪国津罪を残らず、わが身に引き受けて、世界の人の罪を贖いたもう瑞の御霊なれば、天地の有らんかぎりの重き罪科を、わが身に引き受けて、涙を流して足の爪まで抜かれ、血潮を流したまいて、世界の罪人われわれの遠津御祖の罪に、代わりたまいし御方なることを忘るべからず。今の世の神道者は、悟り浅くして、直ちに速素盞嗚尊を悪しく見なすは、誠に畏れ多きことどもなり。

 かくのごとく天地の罪人の救主なれば、再びこの天が下に降りまして、瑞の御霊なる真如の身を宮となして、あまねく世界を救わんとなしたまえるなり。素盞嗚尊の救いの御霊の再び現れたまいしは、天帝の深きみ心にして、この世の岩戸開のために、万のことをまかせて天降したまえるなり。人民の重き罪科も速素盞嗚尊の御名の徳によりて、天照大御神より宜しきに詔り直したまうぞ。尊きの至りなり。

限りなき栄と生命と喜びを得んことを願うものは、瑞の御霊を信仰すべし。
限りなき苦しみ、病い、憂い、曲事を救われんことを願わば、瑞の御霊を篤く信仰すべし。

(『道の栞』 第二巻下) 明治37年旧5月13日筆   より。


オニ(王仁)の道ページ][普暖着ホームページ