天授の真理を説く      (『瑞祥新聞』 昭和五年十月号)

 私は元来宗教は嫌いだ。宗教家あつかいされると私は癪にさわる。世の中に宗教家ほど憐れむべきものはない。時代錯誤の教典にしがみついて、やたらに戒律を強いる。人間には天賦的に、省みる、恥じる、悔いる、畏る、覚る、の霊能があるのに、その上何を必要とするのか。まるで人間を獣あつかいにするのが既成宗教である。

 この人生を殊更に苦の世界と呼んでみたり、美しい地上を厭離穢土などと言って人心を混惑させている。実に言語道断である。宗教は阿片なりという言葉があるが、既成宗教ことごとくが実にその通りである。神仏の慈愛を説き人の践むべき道を明かす宗教家が、これに抗弁するだけの信念がないとは何という情けないことだ。現代は――今後も既成宗教の力によっては何事も成し得られない。

 天地を和め人心を安らかにすることの出来ない既成宗教は、時代とともに自然消滅してゆくだろうが、一刻も速やかに、霊的にも体的にも力のある権威のある、人間に真生命を与うる宗教が生まれなければいかぬ。物質的方面にのみ解決をあせり、霊魂の実在を無視するマルキシズムも困るが、下手な倫理に神仏を調合して世人を迷わす、既成宗教家の真理に対する無智と時代の進歩を理解できぬ迷盲は一そう困る。

 私はただ自然の法則を説くのみである。天地自然の道は単一である。無雑である。既成宗教のごとく時・所・位によって所説の異なる宗教は、天地自然の道に反している。大本はただ天地自然の道――天授の真理を説く道である。宗教なるものは元来後天的なものであって、教祖なり宗祖なりの人間的要素がかなり混入されているが、道は先天的なものであって、天地を一貫し古今を通じて謬らず中外に施して悖らざる真理である。現代は、日本と言わず全世界は、既成宗教によって決して救済されるものではない。今迄もそうであったように、今後も同じである。ただ天地自然の道・惟神の大道によってのみ成し遂げられるものである。

(『瑞祥新聞』 昭和五年十月号)


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