現代には一つも宗教無し (大正14年10月・八号 『神の国』誌 :出口王仁三郎 )
一、宗教の起源については古今東西の学者の間に種々の所説がある。
その一は、啓示説で、神様が直接に選まれたる人間の心に啓示されて、ここに宗教が生れたといい、
その二は、天賦説で、人間には神から賦与された宗教心という特能力があると唱え、
その三は、詭計説で、宗教とは治者が民を化するために構えた方便に過ぎないと説き、
その四は、恐怖説で、世界における最初の神は恐怖心の作れるものと見做す説あり。
その五は、恐怖心と希望心との二元説で、人間は恐怖を感ずるがままに外界に恐るべき力の存するを
思い、これに信頼しもって己を利し得べしとの希望を抱いたと推測し、また恐怖の情は唯
これが希望を起さしめ、祈祷をささげしめるゆえにのみ宗教発生の原因をなしたと称し、
その六は、利己説で、利己心をもって宗教の起源となし、人間は利己心を外に投影し、もって外界に
おのが欲望を充すべき不可思議の力ありと思いて、これを神と斎くと解し、
その七は、知力説で、原始人は生死の別を怪しみて想像を廻らし、人に生気あり、諸処を彷徨し、万象は
皆この生気に充ちて人の運命は生気の司るところと思考したのが宗教意識の起源であって、
万象に生気の宿れるを信じ、これに仕えこれを宥めようと企てついに宗教が生れたと説き、
その八は、無限説で、人間は有限なりとの観念は同時に彼岸なる無限を予想してこそ存し得るなれ。
この無限をあこがれる思慕が宗教意識の芽ばえで、この憧憬は有形より無形へ、感覚より
心意へと馳せ、ついに宗教となって現われたものと解し、また宗教の起源は我の裡に無限を
有すとの思惟に基くと唱えている。
その九は、衝突説で、人間には理想我と、実現我との争闘たえず、有限界を脱して無限界に帰せむとするの
初一念があり、この体験より救いという宗教意識が生まれたと説き、
その十は、良心説で、良心とは聖なる実在者より人心にひびく声である。無上絶対命令に服従すべき
義務より宗教が生れたと唱え、
その十一は、想像説で、良心声聞の神を思考し、無限という観念を抱くのも理想世界を憧がれるのも
みな想像作用の所産であるといい、また呪詛と悪魔との想像より宗教の萌芽なる神話が
生れたと述べ、
その十二は、絶対憑依説で、絶対憑依の感が宗教の起源で、敬虔とは外界の力が働くために我が
裡に湧き出づる感情だと説くものもある。
いずれも皆その正鵠を捕えたものとはいわれないのである。
一、惟神の道を宣布しつつある吾人をしていわしむれば、宗教なるものは、人間のこの地上に発生せし時において既に己に宗教なるものは生れているのである。人間には知情意の三霊が存する以上、その内分的活動は絶えず宗教心となって現るべきものである。神が人間に愛善の心、信真の心を与えたまうたのは、現実界のみの為でなく、神霊界に永遠無窮に生活せしめむが為の御経綸である。ゆえに宗教は現代の政治や倫理や哲学の範囲内に納まるような、そんな浮薄軽佻なものではなく、人間の真生命の源泉であって、人間は宗教によって安息し、立命し、活躍し得るものである。
如何なる無宗教家をもって自任する者といえども、スワ一大事という場合にならば必ず合掌し、天の一方を拝してその苦難を免れむとするに至るものである。国家も国境も人種も政治も倫理も超越して、真の生命に活きむとするのは宗教をおいて天下何物か在らむやである。
現代の宗教は政治の一部として取扱われ天来の権威も、信用も全然地を払い、僅にその余喘を保っているに過ぎない。実際のことを言えば今日の世の中には宗教らしき宗教は皆無である。遠くの昔に宗教の生霊は死滅し了って、その残骸が残っているだけである。有害無益の厄介者となってしまったのである。
ゆえに惟神の聖教を説く所の宗教は、俗悪極まる政治の一部として監督せられなくてはならなくなったのである。吾人の唱うる宗教なるものは、天地惟神の聖意のままに愛善と信真の発達に向かって進むのであるから、すべてに超然として立っているのである。政治や倫理などは実は宗教の一部分の活用に過ぎないのである。
アヽ真の宗教の光は東方より輝き初めたり。すべての人間は本然の誠、すなわち惟神の大精神に立復り、現界における最善を尽し、しかして後、天国永遠の大生命に入り、太元神の大意思に叶いまつり、人としての本分を尽し、容易に会い難き人生をして酔生夢死に終らしむることなきを希わねばならぬのである。
要するに宗教なるものは、政治でも、哲学でも、倫理でもなく人間の真性の発露であって、大根本の意識であり、人生本来の聖糧である。ゆえに天下一人として、宗教心のない者は無い筈だ。無宗教者と自らいっている人々にも、形骸的の宗教は無いとしても心の奥は歴然として宗教心が輝いているものである。人間本来の精神に吻合するものでなくては、宗教の名を附するは少しばかり僭越である。ゆえに曰く、現代には一つも宗教なしと
(大正一四・一○・八号 『神の国』誌)
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