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Gallery(2005年以前)


【紅葉の富士山】

撮影場所は河口湖
紅葉の富士山の撮影場所は多い
その中でも河口湖にはイチョウの木を入れた場所がスポット
多くのアマチュアカメラマンでにぎわっていた
河口湖は行楽場所として春夏秋冬多くの観光客が訪れている


【紅葉 吹き割りの 滝】

昭和11年12月16日文部省より、天然記念物に指定された吹割の滝は、高さ7m、巾 30m余りに及び、ごうごうと落下、飛散する瀑布は、東洋のナイヤガラと言われている
この滝は、凝灰岩、花崗岩の川床上を流れる片品川の清流が、岩質の軟らかい部分 を浸蝕し、多数の割れ目を生じ、あたかも巨大な岩を吹き割れたように見えるところから、”吹割の滝”の名 が生まれた
吹割の滝に続く鱒飛びの滝の壮絶な景観、そして獅子岩と呼ばれる岩壁群の奇景な ど、独特の渓谷美を見せておいる


【南木曾 寝覚の床 】

木曽の名勝「寝覚ノ床」は、中山道の上松と須原の間の道沿いにあり、県歌「信濃 の国」にも歌い込まれ紹介されている景色の優れた場所である
寝覚ノ床は、木曽八京随一の名勝であり、花崗岩の岩盤を木曽川の激流が長い間に 水触して出来たものである
此処は浦島太郎の伝説があり、後日談であるが面白い
亀を助けて竜宮城へ行った話は広く知られているが、故郷に帰った太郎が、親兄弟 は勿論、誰一人知る者がなく淋しさに耐えかねて旅に出た
たまたまこの美しい里に足を止めて、その景色が気に入り此処に住み着いた
しかし竜宮の生活が忘れかね、今一度、乙姫様に貰ってきた玉手箱を開けると、立 ち上る白煙と共に白髪の翁となった
”ああ今までのことは夢であったか”と目が覚める想いであった
と言うことから、この里を”寝覚め”と言い、床を敷いたような岩をを見て、人は ”寝覚ノ床”と呼ぶ様になった
寝覚ノ床には他に人身御供の寝覚の床の庄伝説がある
又地質学上では、方状節理と各所で見られるポットホールは、日本でも代表的なも のと言われている
それぞれの岩は、その形になぞらえて名称が付けられ、中央松の林の中にあるのが ”浦島堂”、その前の平らな岩が”床岩”その奥に”獅子岩”川の向ふ岸の穴が”大釜””小釜”流れにそっ て壁のような岩が”屏風岩”そのほかに”烏帽子岩””象岩””腰掛け岩”と呼ばれる岩もある
大正13年3月”史跡名勝天然記念物”に指定され、現在は”長野県立公園”である


【南木曾 妻籠宿】

中山道は江戸日本橋を起点とし京都まで約530kmの道路で、ここには69箇所の宿場 がおかれていた
木曾駒ケ岳を東に木曾山脈、西には飛騨の山々が続き御嶽山がひときは高く聳え立 つ
この二つの山塊を縫って、木曽川が深い渓谷を形作り、美濃へと南下する
標高400mから1500mに至る 低差の著しい木曾谷を南北に貫通する一筋の道
それが現在の国道19号線にあたる中山道、木曾路です
『妻籠宿』は、木曽路十一宿の中でもとりわけ江戸時代の面影を色濃く残しており 、 その町並にひとたび足を踏み入れると、まるで江戸時代にタイムスリップしたよう な 情緒あふれる町並みが広がっている


【白川郷】

白川郷(しらかわごう)は岐阜県(飛騨国)内の庄川流域の呼称である
大野郡白川村および旧荘川村(現高山市荘川町)に相当し、前者を下白川郷、後者 を上白川郷と呼ぶ
今日では白川村のみを指すことが多い
白川郷は合掌造り集落で知られる
五箇山と主に独特の景観をなす集落が評価され、白川郷・五箇山の合掌造り集落と して、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている
世界遺産白川郷合掌造り保存財団などがその保存にあたる

合掌造りの歴史
大昔は地面に穴を掘り、その上に直接合掌を組んで、人々が居住していた
その後、焼畑のほったて小屋となって風や雪に耐えられるよう工夫したり、茅(ス スキ)やソネといった土地特有の建材を利用するなどの改良が行われ、現在の合掌造りの形に近づいていった
合掌造りの基本的な形が完成するのは、養蚕の影響を受けた民家が出現する18世紀 以降、すなわち江戸中期より後のことと考えられる
現在確認されているものでは、下呂町に移築さた大戸家の棟札に、1833年(天保4年 )越中長坂村大工新右衛門ら4人の職人によって建てられた、との記録がある


【浜離宮】

徳川将軍家の別邸が、明治以降皇室の離宮となり、昭和20年に都に下賜されたもの
国の特別名勝・特別史跡
広さ:東京ドームの5.4倍

潮入の池と二つの鴨場をもつ江戸時代の代表的な大名庭園
潮入の池とは、海水を導き潮の満ち干によって池の趣を変えるもので、海辺の庭園 で通常用いられていた様式
旧芝離宮恩賜庭園、清澄庭園、旧安田庭園なども昔は潮入の池でした
しかし現在、実際に海水が出入りしているのは、ここだけです
浜離宮は、この大名庭園を中心にした南庭と、明治時代以降に造られた北庭とに大 別されます
この地は、寛永年間(1624〜1644年)までは、将軍家の鷹狩場で、一面の芦原でし た
ここに初めて屋敷を建てたのは、四代将軍家綱の弟で甲府宰相の松平綱重
承応3年(1654年)、綱重は将軍からこの地を賜わり、海を埋め立てて甲府浜屋敷 と呼ばれる別邸を建てました その後、綱重の子供の綱豊(家宣)が六代将軍になったのを契機に、この屋敷は将軍 家のものとなり、名称も浜御殿と改められました


【金沢雪の武家屋敷 跡】

長町界わいには旧加賀藩士が住んでいた武家屋敷跡が残る
藩政時代は藩士の屋敷が並び、今なお城下町時代の佇まいを色濃く残す一角
T字やL字形に入り組んだ路地は城下町特有のもので、武家屋敷の土門や門構えは 400年の時をとめたままである用水が流れる静かな町並みは、繁華街のすぐ裏手にあるのが信じられないほど
町名の由来は、長氏の屋敷があったからとも、北の方までずっと続いた長い道のり を長町と称したともいわれている
奥行きをだすために、対角に撮影
舞妓さんが傘でも挿して歩いてくる姿が目に浮かびます
本当に舞妓さんが歩いてきたらもっと良かったかも(~~);


【夕焼けの富士山】

撮影場所は大雄山
2004年10月の16時59分に撮影
真赤な夕焼けになる前の写真
雲の動きがはっきり見えてます
なかなかお目にかかれない写真かも(^^);


            
【紀伊白浜の夕日】

紀伊白浜の近くに円月岩があるのをmご存知かな?
運がいいとあの岩の間に落ちる夕日が眺められる
そこの近くで撮影したもので、手前に見える縦棒のようなものは、何だかわかる かな?
ビックリするようなものである


【彦根城 別名・金 亀城】

幕末安政の大獄で有名な彦根藩十三代藩主である大老井伊直弼など 時代と共に幕府の中核となる人物を輩出した徳川家譜代の井伊氏 三十五万石の居城である彦根城は、市街地北部の琵琶湖湖畔に望み、 今も往時のままの美しい姿を、満々と湛える濠の水面に映し出している
関ヶ原合戦に功のあった井伊直政は、慶長6年(1601)徳川家康から 近江国石田三成の旧領十八万石を与えられた
上州(群馬県)の高崎三万石から佐和山城に入った直政であったが、 城は落城した惨状のままで、とても使えたものではなかった
しかも、修築しようにも中世の山城で交通が不便なうえ、 戦闘形態が鉄砲主体の時期には不適当な城だったので、 新たに近世城郭の建設を、西の湖畔の磯山に築城しようとした


         
【夫婦岩 二見のシ ンボル】

ここから見える日の出は全国的にも有名で、特に5月〜7月頃には、夫婦岩の 岩と岩の間から太陽が昇り、あたりの海を茜色に染める荘厳なシーンは感動もの
また、夫婦円満・縁結びの象徴としても知られ、多く人々が訪れています
夫婦岩は、古来より日の出遥拝所として知られており、晴れた日には遠く富士山を 望み見ることができます
沖合660mの海中には興玉神石(沖の石)があり、夫婦岩はその鳥居と見なされ ています
沖の石は降臨する神の依り代であり、常世の国から神が寄りつく聖なるところとい われてきました
大きい男岩は高さ9m、周囲39.6m。女岩は高さ4m、周囲9m。両岩を結ぶ 大注連縄は、 長さ35m。男岩に16m、女岩に10m巻かれていて、その間9mあります


         
【羅臼岳】

羅臼岳 (らうすだけ)は、北海道、知床半島にある火山群の主峰、標高1660m
古くはアイヌ語でチャチャヌプリ、また良牛岳と記されたこともある
流紋岩質〜安山岩質の溶岩による活動は成層火山を形成したものの、最終的に山頂 付近は溶岩円頂丘を形成させている
約500年前まで火山活動を続けていた活火山であり、1964年には、下流の羅臼町で 100回を超える群発地震や間欠泉の噴出を観測している


【国宝 松本城】

松本城は、姫路城、彦根城、犬山城とともに四つの国宝城郭のひとつです
今残る松本城の天守閣は、戦国時代末期、石川数正親子の手になるもの
高麗門・太鼓門は近年復旧されたものである いずれも当時の姿を留めている
今では天守を含む本丸・二の丸の敷地が、松本城公園として解放されていて、松本 城の姿は、北アルプスの常念岳をバックに、美しい風景美を成している. 松本は、平安時代信濃国府の置かれていたところで、中世には信濃国守護小笠原氏 本拠地であった 小笠原氏の治める頃は深志城、長篠の戦以降は松本城と称した


【神戸ハーバーラン ド】

神戸ポートタワーは、神戸市中央区のメリケンパーク西側に建つタワー
港の景色が楽しめるように、展望用として造られた
世界初のパイプ構造で、和楽器の鼓を長くしたような外観が特徴である
その独特の構造・形状から「鉄塔の美女」とも称され、高層建築物のモデルの一つ となっている
また日本で初めてライトアップされた建造物でもある
神戸港のシンボルとしても有名で、修学旅行などの旅行客が港町神戸を学習する際 にその多くが立ち寄る拠点ともなっている
中には売店・レストラン・ゲームコーナー・展望台がある


【神戸の夜景】

神戸は日本三大夜景の一つに数えられ、神戸1000万ドルの夜景と言われるほどの夜 景の美しい街です
神戸1000万ドルの夜景は六甲山系から見下ろした神戸の夜景を言います
1981年(昭和56年)5月25日に昭和天皇がここから神戸1000万ドルの夜景をご覧に なられたことを記念して「天覧台」と名付けられ、東に紀州、大阪、大阪湾、関西国際空港、和歌山方面、西 には摩耶山、鉢伏山、明石海峡、淡路島が眺望できます
展覧台から眼下には神戸の街並みと、六甲アイランド、HAT神戸、ハーバーランド 、ポートアイランドなどの神戸〜阪神間の人工島が見えます



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