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Gallery(2008年)




【三州足助屋敷】

三州足助屋敷(さんしゅうあすけやしき)とは、愛知県豊田市(旧足助町)にある観光施設である。1980年に開館し、消えゆく昔の日本の暮らしや風景を提供すると共に、技術の伝承を行うことを目的としている。屋敷本体は茅葺屋根の古民家に見えるが、移築ではなく新築されたものである。運営は(株)三州足助公社が行っている。
紅葉の名所、香嵐渓にある施設で、山里の手仕事を子孫に伝えようというコンセプトで昭和55年に開館。足助の豪農を再現した屋敷内には、わら細工、機織り、桶(おけ)作り、番傘作り、紙漉き、炭焼き、鍛冶、木地師、竹細工、藍染めなどの手仕事が、昔のままのスタイルで保存継承されている。実演を見学することも、その手仕事を学ぶことも、さらに手仕事の完成品をみやげとして購入することも可能。鍛冶屋さんが作る包丁はみやげに大人気だ。本場の五平餅を味わえる食事処「桧茶屋」も併設。たれに使う味噌も手づくりという五平餅は300円。いのしし肉を使ったしし肉うどん750円。








【香嵐渓】

寛永11年(1634年)頃に香積寺第11世住職参栄和尚が杉やもみじをお手植えされたのが始まりとされ、大正末年から昭和初期には住民のボランティアでモミジの大補植が施された。昭和5年に香積寺の香、山中に発する山気すなわち嵐気から香嵐渓と命名。モミジの本数は4,000本を超え、11月の間は21時までライトアップされて、昼間とは違った幻想的な雰囲気が楽しめる。
昭和5年(1930年)に、当時の住職と町長が大阪毎日新聞社社長の来町の際に命名を求め、「飯盛山からの薫風は、香積寺参道の青楓を透して巴川を渡り、香ぐわしいまでの山気を運んでくる。山気とは、すなわち嵐気也」から“香嵐渓”という名が付いた。
香嵐渓(こうらんけい)は、愛知県豊田市足助町にある渓谷。愛知高原国定公園の一角に当たる。
寛永11年(1634年)に足助にある香積寺の三栄和尚が、巴川から香積寺に至る参道にカエデやスギの木を植えたのが始まりとされる。さらに、地元住民などの手によって数多くのカエデが植え足されたり、散策道がつくられるなどして現在のようになっている。また、香嵐渓のシンボルとも言える待月橋(たいげつきょう)が命名されたのは昭和28年(1953年)。その後3回の掛け替えを経た後、平成19年(2007年)に新たな橋となった。








【きらの里】

山、田畑、池、小川…。
六六〇〇坪の敷地にあるのは、日本人が心の中に描く、里山の原風景です。
まずは、「きらの里」のゆったりとした時の流れに、静かに身を委ねられる。
そして、少しずつでかまいません。
ここでの過ごし方をご自分で見つけていただき、満ち足りた気持ちを広げてください。
それが「きらの里」の楽しみ方、「自休自足」です。
不便と思いますか。ゆとりと考えますか。
心なつかしい空間は、あなたに問いかけています。
自然の中に身を浸し、自然の気を受けると人は、都会での生活にはなかった「何か」を求め始めます。
自らの手足を使い、額に汗して農作物や焼き物をつくる。
地元の人々とのふれあいを通し、自然とともに暮らす知恵を授かる。
出会った人々と、何気ないコミュニケーションを楽しむ・・・ 等々。
「きらの里」での「もうひとつの生活」。
それは単なる「宿泊」に留まらない、むしろ「滞在」と呼ぶに相応しい悠々と過ぎる時間と日々。
その滞在が、人間が本来持っているはずの力を取り戻し、内面の豊かさを育くみ感じ取る第一歩となることを願っています。










【城ヶ崎海岸】

城ヶ崎海岸は、約4,000年前大室山が噴火した際に莫大な溶岩が海岸に流出し、それが海の侵食作用で削られてできた雄大なリアス式海岸です。
海岸線には絶壁が連なり、幾重にもふところ深く入り組んだ岩礁、岬から岬へと続く眺めはまさに壮観です。門脇灯台を中心に全長9kmのハイキングコースがあり、なかでも門脇崎の海の吊り橋は長さ48m、高さ23mでスリル満点です。
「もずかね」「しんのり」など、地元の漁師がつけたユニークな名前の岬や紀州公ゆかりのぼら納屋、四季を通じて花が咲く伊豆海洋公園、日蓮上人ゆかりの蓮着寺、水原秋桜子句碑など自然と歴史文化をめぐる様々な見どころがあります。
富戸港から発着する遊覧船では、海からの城ヶ崎海岸の絶景を楽しめます。
展望台から、遠く伊豆七島や天城連山の峰々を望むことができます。
門脇崎灯台は、昭和35年3月に建設されましたが、平成7年5月に展望台付きの灯台に改築されました。
新灯台は、地上24.9mの高さですが、地上17mのところに収容人員30名の第一展望台(室内)が、地上4mの所に収容人員60名の第2展望台が設置され、晴れた日には、遠く伊豆七島や天城連山を望むことができます。
城ヶ崎の名所として長さ48m、高さ23mの海の吊橋があります。
「かどかけ」と門脇岬の間は4000年前に大室火山の溶岩流が、表面の冷却した部分を残して海面に流れ出して行った跡で、台地のうしろに大きなくぼ地を残しています。
半四郎落しと門脇岬の間の海蝕洞に、城ヶ崎の名所として、長さ48m、高さ23mの海の吊橋あります。
断崖絶壁のスリルを味わうことができます。 (昭和43年3月完成)








【一碧湖】

一碧湖(いっぺきこ)は、伊豆半島東側の中ほど、静岡県伊東市吉田にある湖。
南東から北西に伸びたひょうたん型をしており、最長部の長さはおよそ800メートル、周囲はおよそ4キロメートル。湖面の標高はおよそ192メートル、水深は正確には測定されていないが最も深い部分でもおよそ7〜8メートルと浅い。
北西側は大池(おおいけ)と呼ばれ、小さな島を2つ持つ湖である。
一方、市道の橋を挟んで南東側は沼池(ぬまいけ)と呼ばれ、全域が沼地または湿地帯となっており、葦などの植物が繁茂する。沼池は水位が低いときには大部分が干上がることもある。
かつては堰止湖と考えられていたが、火山の火口のごく近辺でしか観られない、火山弾を多く含む堆積物が分布しており、現在ではおよそ10万年前に起きた激しい水蒸気爆発によってできた火口湖(マール)であると考えられている。
およそ5000年から4000年前には南南西におよそ4キロメートル離れた大室山が噴火し、流出した溶岩の一部が湖の西側の一部にかかって、ほぼ現在の形ができ上がった。
「伊豆の瞳」とも称される観光地であり、日本百景に選定されている。
古くは昭和初期に与謝野鉄幹・晶子夫妻が当地を訪れて数多くの短歌を残した。
現在ではその歌碑が湖畔に建つと共に、ヘラブナ釣りのメッカとして、またボート遊びやバードウォッチング、更には春の山桜や秋の紅葉の名所として知られる。










【蔵王 紅葉】

蔵王の春は花満開!4月中旬、山裾は桃の花・梨の花が咲き乱れ、残雪が残る蔵王連峰とのコントラストがとても綺麗です。えぼしスキー場に足を伸ばせば、ゲレンデに約50万株のすいせんが敷き詰められています。
4月下旬になると、蔵王エコーラインが開通。5月中旬頃まで雪の壁を見ながらのドライブが楽しめます。
ドライブの後は、遠刈田温泉を起点にぶらりとお散歩してみてはいかがですか?おすすめポイントは、こけし橋から見る蔵王連峰です。松川のせせらぎ・桜並木・蔵王の山並みが一体となった風景を望むことができます。
春の風景を堪能した後は、蔵王町の文化財を探訪してみましょう。国の重要文化財に指定されている我妻家住宅や、県指定文化財「丈六阿弥陀如来坐像」をはじめ、たくさんの見所があります。
山全体が緑に包まれ、コマクサなどの高山植物が顔を出すと、蔵王の夏がやってきます。眩しい陽光を浴びて輝く木々の葉と渓流のせせらぎが気持ち良く、トレッキングにも最適な季節です。
そんな蔵王の裾野に広がる七日原で、爽やかな高原の夏を過ごしてみませんか? 150haの牧場が広がる蔵王ハートランドでは、動物たちとのふれあいはもちろん、乳しぼりやバター作りなどの体験ができます。また、蔵王チーズ工場で人気の「蔵王チーズ」をお土産に買っていきましょう。
野鳥の森自然観察センターことりはうすでは、森林浴を兼ねたバードウォッチングや散策が楽しめます。
山々が紅葉を身にまとい、蔵王が華やかに色づく秋。9月下旬から10月下旬までは、紅葉狩りを楽しむ人やハイカーで賑わいます。
蔵王エコーラインの滝見台からは、赤や黄色に彩られた日本の滝百選の三階滝や、不動滝、地蔵滝を望むことができます。蔵王ハイラインを上った刈田岳には、蔵王のシンボルお釜があり、湖面はエメラルドグリーンの水をたたえ、荒々しい火口壁と対比して神秘的な雰囲気です。太陽光線の当たり方で、様々な色に変わります。休日は混雑することが多いので、時間にゆとりをもってお越しください。
紅葉の後は、県道沿いにある観光果樹園で瑞々しい梨やリンゴ、新鮮な野菜を購入するのも良いですね。果樹畑によっては果物狩りを楽しめる所もあるので、家族みんなで行ってみましょう。
国でも限られた地域にしかみられない「樹氷」が鑑賞できる蔵王の冬は、スキーのメッカです。ナイター営業をしているみやぎ蔵王えぼしスキー場と、雪上車で行く樹氷めぐりが人気のみやぎ蔵王すみかわスノーパークは、変化に富んだゲレンデとツアーコースが魅力で、初心者から上級者までがスキーやスノーボードを楽しめます。
冷えた体を温めてくれるのは、やはり温泉です。足腰によく効く遠刈田温泉で一日の疲れを癒して下さい。
そしてお土産には、遠刈田こけしはいかがですか?みやぎ蔵王こけし館には、全国のこけしが所狭しと並び、素朴な表情が心を和ませてくれます。近くにあるこけしの里「新地」は、こけし発祥の地とされ、工人の家が杉木立の中に集落を作っています。各工人宅では、こけし作りの実演と販売もしています。










【鳴子峡 紅葉】

北上川水系の荒雄川(江合川)の支流、大谷川が形成したもので、一帯には白色凝灰岩が露出する。
一帯には奇岩が卓越し、虫喰岩、夫婦岩、弁慶岩、屏風岩などの岩が見られる。
また一面に落葉広葉樹林が繁茂し、アカシデ、ミズナラ、カエデなどが見られる。
特に紅葉の季節には多くの観光客が訪れ、人並みでごった返す。また、近くには鳴子温泉郷があり、中山平温泉がお膝元となっている。一帯は栗駒国定公園に含まれる。
2007年10月13日に鳴子峡中山平口に「鳴子峡レストハウス」が新装オープンし、軽食コーナーやおみやげ販売コーナー、トイレなどがある。レストラン・売店から鳴子峡を一望できる。
大谷川が刻むV字峡で、とくに奇岩・断崖が連なる大谷橋(鳴子入口)から中山平までの2.5kmをいう。
谷底の流れに沿って遊歩道が整備され、猿の手掛岩、屏風岩、虫喰岩といった奇岩に映える紅葉を楽しみながら歩ける。
所要約1時間(2007年に落石したため、遊歩道は通行止。通行可の区間は9月頃まで未定。詳細は要問合せを)。
灰褐色の岩肌とブナ、ナラなどの黄、鮮やかなカエデの赤、マツの濃緑がそれぞれに引き立てあい調和している。
中山平の鳴子峡レストハウスからは美しい紅葉を楽しむことができる。
日本国内にある11種類の泉質のうち8種がここに集まっています。源泉数は400本以上。昔から東北の湯治場として有名で、温泉の効能や泉質の良さには定評が有ります。春は新緑、夏は避暑地、秋は紅葉、冬はスキーが楽しめるリゾートエリアです。






【宗谷岬】

日本最北端の地に建つ、北緯45度31分22秒を表す、高さ4.53メートルの碑。1988年まではもう少し南にあったが、駐車場建設のために海岸を埋め立てたために移設された。
北国のシンボル北極星の一稜をかたどった三角錐をデザインをデザインしたもので、塔の中央にあるNの文字は「北」を、そして台座にの円形は「平和と協調」を表しています。
「岬」とは称するものの、単に海岸線がカーブしているだけであり、尖った地形ではない。「日本最北端の地」と記された石碑が建てられており、この石碑を目指してやってくる観光客は数多い。現在、日本の最北端は、日本政府の実効支配の及ぶ領土の最北端、宗谷岬の西北西に位置する弁天島という岩礁である。
2004年10月には宗谷岬周辺の丘陵地帯、通称「宗谷丘陵」が北海道遺産に選定された。肉眼で確認できる周氷河地形というのは、全国的に見ても珍しい。この地形を利用した牧場があり、のんびりと放牧されている牛を見ながら丘陵地帯を通る道は、稚内から宗谷岬を目指す観光ルートの一部として定着している。
宗谷岬灯台は、北海道宗谷岬に立つ白と赤に塗られた日本最北端の大型灯台です。前方には宗谷海峡からサハリンを望め、後方には牧場の広がる風光明媚の地です。
この灯台は、1885年(明治18)9月25日に初点灯しましたが、北海道では、納沙布岬灯台、日和山灯台に次いで3番目に古い灯台です。当時は八角形の鉄造灯台でしたが、1911年(明治44)5月に野火のため全焼し、1912年(大正元)10月に再建されました。さらに、1954年(昭和29)6月、現在のコンクリート造に改築されたものです。
現在の灯塔高(地上から塔頂まで)は17m、標高(平均海面〜灯火)は39.8mで、第3等小型フレネル式レンズを使い、光度は18万カンデラ(実効光度)、光達距離は17.5海里(約32km) です。また、霧信号所(ダイヤフラムホーン)や無線方位信号所(中波標識局、レーマークビーコン)も併設されています。










【オタトマリ沼からの利尻富士】

天然記念物、沼浦湿原(オタトマリ)。
湖畔には日本最北限のアカエゾマツの原生林が広がる。湖を一周できる徒歩30分ほどの遊歩道にはカキツバタの群生地があり、6〜7月の開花時期は見ごたえがある。
利尻島の南部、沼浦にある沼。爆裂火口の底が泥炭地となったもので、沼の周囲は湿原。オタトマリ沼と西側の三日月沼の間には、アカエゾマツの森もあるが、林床は、ミズゴケのじゅうたんとなり、くるぶしまで泥のなかにもぐってしまう。7月初旬にはエゾカンゾウやヒオウギアヤメも咲く。沼を一周する遊歩道も整備され、所要20分。オタトマリ沼から眺める利尻山は、万年雪のあるヤムナイ沢を正面にするアルペン的山容だ。
島のハイライトともいうべきオタトマリ沼は、ガイドブックやパンフレットには必ず紹介されているばかりか、沼に映る逆さ利尻山は島の景勝中の景勝地だ。北海道の銘菓“白い恋人”のパッケージデザインは、道路を挟んだ沼浦展望台からのオタトマリ沼と利尻山なのだ。






【仙法師御先公園】

利尻島創世期に噴火した溶岩が海水で冷えて固まってできた公園。
自然の地形を生かした観察場がありうにや昆布など利尻の海の中の様子を見ることができます。観光シーズンにはゴマフアザラシを飼育しています。夜こっそり行くとなんとあざらしの「いびき」が聞けます。
島の最南部、岩が転がる海。利尻富士をバックに綺麗な景色が見れるのだが、雲がかかって残念。北方の海の荒々しさは実感できた。






【沓形岬公園】

隣の礼文島が一望できる公園。沓形岬公園−岬の岩間には各種高山植物や岩コケが可憐な姿で咲いている。また夕陽の絶景スポットでもある。
礼文島を間近に望む園内にはキャンプ場や展望台、みやげ店、ビジターセンター、そして利尻町出身の詩人・時雨音羽の詩碑、音楽碑などがあります。また、平坦な溶岩地帯にあり高山植物生茂る公園で、6・7月にはチシマフウロやクロユリなどが咲き乱れます。
岬からの、日本海に沈む夕日は、澄みきった海中とともに、最北の旅情をかきたててくれるでしょう。








【澄海岬】

礼文島の西北部にある岬。
礼文の海は透明度が高いといわれるが,それがいちばん感じられるのがここ。海水はとても透明度が高く、岬近くでは海底までみえます。特に天気のよい日は南国の海のように鮮やかな美しいブルーを見せてくれます。
澄んだ美しい海を眺めることができるので澄海岬と呼ばれるようになった。澄海岬は、礼文島の西北部にある岬です。海水はとても透明度が高く、岬近くでは海底までみえます。特に天気のよい日は南国の海のように鮮やかな美しいブルーを見せてくれます。その美しさは礼文の海の代表格です。




【スコトン岬】

北部西海岸の断崖がそのまま岬になった、礼文島の最北端にある岬。紺碧の大海原がワイドに広がる岬の正面には、無人のトド島が浮かび、冬はトドが見られるという。
右手には対岸の金田ノ岬を望む。天候に恵まれれば、はるか沖合いにサハリンの島影を遠望するビュースポットだ。
日本最北限の地です(ちなみに最北端は宗谷岬)。
スコトンというコトバは「ス」「コトン」と2つから成り立っています。「ス」は夏という意味で、「コトン」は集落という意味(つまり「コタン」がなまったもの)です。スコトンとは、つまり、夏場に過ごす集落、ということになります。
じつは北海道には全く同じ地名がもう一つあります。それが積丹(シャコタン)。こちらは有名ですね。やはり「シャ」「コタン」と分けます。聞き取りの具合でカタカナへの起こし方が異なったという次第です。
最北限のトイレ・スコトン岬も存在する。(笑)








【元地海岸 地蔵岩】

礼文島の南西、元地集落の外れに「地蔵岩」はあった。まるでナイフでスパッと切ったような切り通しに、高さ約50mもの巨岩が立っている。巨大な岩の剣が、天に向って刺しているようにも見える。
「地蔵岩」の由来は、海から見ると、お地蔵さんが立っている姿に見えるのでその名が付いたという。特に信仰の対象になっているわけでは無いが、漁師の人々から目印として地蔵岩の愛称で呼ばれているとのことだ。
自然が作り出す石の風景は、時として人間の想像を遥かに超えた造形美を見せてくれる。
何故、このような形になったのか?それは海面で堆積した岩が、地殻変動で直利体制となり、荒波により浸食されたことにより、奇妙な形になったそうです。
夕陽を見るビューポイントとしても有名です。




【船上からの利尻富士】

利尻島は日本最北の地、稚内より西、日本海に浮かぶ円形の島で、サロベツの海岸線から利尻水道をへだてて約20kmの洋上に浮かぶ周囲63kmの円形の島。この島の象徴である利尻山(標高1,721m)は利尻富士とも呼ばれ円錐形の美しい山すそを広げています。高山植物の宝庫でもありこの島にしかない固有種も多く見られます。島内一周も容易です。
日本最北の利尻山は、大正12年、名勝NO1に選ばれた山である。
国土地理院では利尻山(りしりざん)という名称がつけられているほか、「利尻富士」とも呼ばれる。 標高は1,721m。高山植物が生息し、夏季は多くの登山客が訪れる。 登山口は利尻町沓形、利尻富士町鴛泊の二ヶ所にある。西壁、東壁、南稜、仙法師稜がロッククライミングの対象となっている。
頂上は北峰(1,719m)と南峰(1,721m)に分かれているが、最高峰の南峰への道は崩壊が進み危険なため、一般登山者は北峰を頂上とみなしている。
山頂部を中心に侵食が著しく進み、火口などの顕著な火山地形は失われている。南山麓で8000〜2000年前以前に起きた噴火でマールやスコリア丘を形成して以降、活動を休止している。
晴れた日には、南北の頂上から利尻島のほとんど全域と、礼文島、道央・道北の山々や、サハリン、サハリンの南東に位置するロシア領の海馬島(モネロン島)などが見える。








【最北端稚内駅 稚内港北防波堤ドーム】

稚内駅(わっかないえき)は、北海道稚内市中央3丁目6にある、北海道旅客鉄道(JR北海道)宗谷本線の駅。駅番号はW80。電報略号はワカ。
日本最北端の市である稚内市の代表駅で、日本最北端に位置する(北緯45度24分44秒)。
最南端、指宿枕崎線西大山駅から北へ伸びる線路はここ、宗谷本線稚内駅が終点です。
日本の最も北にあり、宗谷海峡を中心にオホーツク海、日本海に面している稚内市は、利尻礼文サロベツ国立公園を有する、豊かな自然環境が広がっています。平均気温は7℃前後で、最高気温は25〜27℃、最低気温はマイナス13℃〜15℃となっています。また、冬になると宗谷岬の海には、流氷が接岸することもあります


「稚内港北防波堤ドーム」は、稚内港北埠頭が旧樺太航路の発着場として使われて際、ここに通じる道路や鉄道への波がかかるのを防ぐ目的で、昭和6年から11年にかけ建設されました。北海道遺産 に選定されております。
全長427メートル、高さ13.2メートル、柱の総数70本、半アーチ式構造形式で、古代ローマの柱廊を思わせる重厚な建築物です。稚内市民の間では通称「ドーム」と親しまれています。
1年を通し、全天候型ともいえる「ドーム」内でさまざまなイベントが開催されています。










【千畳敷カール】

千畳敷カール(せんじょうじきカール)とは、長野県駒ヶ根市と宮田村にまたがる宝剣岳の直下に広がるカール地形(圏谷)のこと。
千畳敷カールの麓には、通年営業の駒ヶ岳ロープウェイの千畳敷駅があり、登山客の玄関口となっていることから広く親しまれている。
夏はお花畑、冬は雪山の厳しさという両極端の姿を見せる。
春には、この時期だけTバーリフトを設置し、千畳敷スキー場が開設される。
(4月中旬〜5月末。期間中はスキースクールも開設され、連休中にはスキーバッジテスト(一級まで)も行われる。ちなみにここでの同テストは「日本最高所で行われるバッジテスト」であるらしい)

カールとは

2万年前、氷河期の氷で削り取られたお椀型の地形。
中央アルプスには日本を代表する「千畳敷カール」「濃ヶ池カール」等のカールがあり、「千畳敷カール」は高山植物の宝庫として知られています。
標高3,000mの岩肌の真下に広がる千畳敷カール、ロープウェイを降りると、目の前に千畳敷カールが広がっています。
カール内の遊歩道は周遊約40分です。
春の千畳敷カールは、スキー客と夏を待ちきれない観光客が訪れます。
夏は、カール一面に可憐な高山植物が咲き競います。
秋は、山肌一面が黄金色に輝きます。
冬は、紺碧の空と純白の冬景色が楽しめます。
四季折々ダイナミックに変化する雄大で美しい景色を求めて全国から多くの登山者、観光客が訪れます。
下界では決して味わうことのできない感動のひとときは、決して忘れることなく、永く心に刻み込まれるでしょう。










【白樺湖】

白樺湖(しらかばこ)は、長野県茅野市と北佐久郡立科町の境 、八ヶ岳中信高原国定公園に属する蓼科(たてしな)高原池の 平にある湖。周囲約6キロメートル、面積約35ヘクタールの人造 湖で、湖面標高は1,416メートル。
現在は観光開発が進み、白樺湖を中心とした一大リゾート地と して知られているが、もとは農業用水を確保するため建設され た人工の温水溜池(ためいけ)である。完成当初は蓼科大池( たてしなおおいけ)と呼ばれていたが、1950年代から貸しボー トやスケート場などの娯楽設備が整えられ、白樺湖に改められ た。現在の湖周辺にはスキー場やホテル、遊園地、ゴルフ場な どがあり、長野県下有数のリゾート地となっている。
冬には、 凍結した湖面上でワカサギ釣りが楽しめる。もちろん、本来の 目的である農業用溜池としても現役であり、茅野市北山にある 110ヘクタールの水田に水を供給している。湖畔には国道152号 やビーナスラインが通過し、ドライブコースにも最適である。現在の白樺湖がある地点は、もともとシラカバやカラマツ、ア シなどの植物が茂る静かな高層湿原であった。
この地を訪れた 地元柏原区の守矢仁作は、同席していた判事の男性から溜池を 建設し農業利水(灌漑)や魚類の養殖、観光産業に役立てるこ とを提案される。
この構想は1938年(昭和13年)、地元の総会 にて500ヘクタールの水田を潤す溜池建設の計画として発表。音 無川を堰き止めて池とし、水温の低い川の水を一時的に貯え、 太陽光で温めて供給しようというものであった。組織された池 の平耕地整理組合によって、計画は進められた。


蓼科山(たてしなやま)は、八ヶ岳中信高原国定公園中部にあ り、長野県茅野市、北佐久郡立科町にまたがる。標高2,530mの 火山で、八ヶ岳連峰の一峰。円錐形の美しい山容から諏訪富士 (すわふじ)とも呼ばれる。日本百名山の一つ。
コニーデ(成層火山)の上にトロイデ(鐘状火山)がせり上が った複合火山。 この山域では、針葉樹林帯が帯状に枯れる縞枯 れ現象が見られる。










【八ヶ岳連峰】

長野県と山梨県にまたがる山塊の総称であり、山そのものに八 ヶ岳と名付けられた山は存在しない。
「八ヶ岳」の由来は、「八百万」などと同じように、山々が多 く連なる様子から「たくさん」という意味で「八」としたとも 、幾重もの谷筋が見える姿から「谷戸(やと)」にちなんで名 づけられたとも、文字通り八つの峰に見えるからとも、複数の いわれが存在する。
赤岳を最高峰に横岳などで構成。その山容は、夏沢鉱泉と本沢 温泉を結ぶ夏沢峠を境界として、北八ヶ岳と南八ヶ岳に大きく 分けられる。
北八ヶ岳の方は、樹林帯が山稜近くまで続き、ま た比較的なだらかな峰が多く、湖沼も点在する。それに対して 南八ヶ岳は、主峰の赤岳をはじめ、横岳・硫黄岳・阿弥陀岳の 鋭い峰々や、横岳西面の大同心・小同心に代表される岩峰群な どがあり、急峻な地形となっている。
このため、日本有数のロ ック・クライミングの岩場があることとして知られ、また冬場 は氷瀑のアイス・クライミングでも知られる岩稜が中心となっ ている。このように、南北の山容は対照的である。なお、狭義 では南八ヶ岳のみを八ヶ岳と言うことがある。日本百名山の八 ヶ岳とはこの狭義の山域を指す。八ヶ岳連峰では他に蓼科山も 日本百名山に選ばれている。
この一帯は、火山地帯のため、多くの温泉を有している。火山 としての八ヶ岳は歴史時代、確実な噴火記録は残っていないが 、888年に北八ヶ岳の天狗岳が大崩壊を起こし、その結果、松原 湖 (長野県)などの湖が誕生したことがほぼ確実視されている。 大崩壊の原因は噴火とも地震とも言われているが、地震、噴火 とも今もって全く証拠が見つからず、大きな謎になっている[1] 。また歴史上の記録には残っていないが、北横岳には地質的に 新しい溶岩噴出があり、最近の研究では600〜800年前の噴出と 見られている。
広大な裾野は、東側の清里高原や野辺山高原、西側の富士見高 原や蓼科高原などで知られている。夏の冷涼な気候を利用して レタスやキャベツなどの高原野菜の栽培が行われている。 山麓には伏流水が湧くため、特に西南側の裾野一帯にかけて縄 文時代の遺跡が濃密に分布する。長野県側では井戸尻遺跡、尖 石遺跡。山梨県側では縄文草創期の神取T遺跡(北杜市、旧北 巨摩郡明野村)をはじめ、諸磯式期の天神遺跡(旧大泉村)、 縄文中期の敷石住居郡が見られる上ノ原遺跡など。縄文後晩期 には遺跡数は減少するものの、金生遺跡(旧大泉村)は集落跡 と祭祀施設が複合した遺跡で、縄文時代の精神文化が現れた配 石遺構が見られる。






【粟又の滝】

養老渓谷の奥に位置する房総半島最大級の滝。
養老渓谷の上流にあり養老渓谷随一の景観を誇り、上総養老の滝とも呼ばれています。
階段上になだらかに傾斜した岩盤の上を落差としては約30m、長さにして約100mに渡って滑り落ちている様子は一見の価値があります。
滝までの遊歩道も整備されており、新緑や紅葉の時期はより見ごたえのある景観となります。
高滝は養老川上流の大多喜町粟又にあり、地名から通称「粟又の滝」、河川名から「養老の滝」と呼ばれ、通称である粟又の滝という名称のほうが広く知られている。
千葉県随一の名瀑として観光名所となっており、付近は新緑や紅葉の季節には、道幅が狭いこともあわせて例年自動車による大渋滞が起こるほどである。
養老渓谷の名は、この滝の別名に由来するもの。滝壺まで降りられ、夏なら渓流釣りや水遊びが可能。秋はモミジの紅葉がみごとだ。また広い河原は、休憩スポットとしても最適。








【小沢又の滝(別名・幻の滝)】

田園風景の中に突如「幻の滝」の看板。お店の間を抜けると、滝は眼下の渓谷に忽然と姿を現す。
地元では別名「かっか滝」と呼ばれていたが、大字名を付して「小沢又の滝」と言われている。
滝の入口から工事現場のような急な足場の階段を降りていくと、滝壷へ出る。滝壷には、小沢又の滝のほかにいくつかの人工の滝がそそぎ、それぞれ名前が付けられ様々な表情を見せ、秘境の趣きを感じさせている。








【新緑の養老渓谷】

養老渓谷(ようろうけいこく)は、千葉県夷隅郡大多喜町から市原市を流れる養老川によって形成された渓谷。
中心地は大多喜町と市原市の境界付近。
千葉県道81号市原天津小湊線沿いに旅館や土産物屋が建ち並ぶ。
養老渓谷温泉や秋の紅葉狩りにより、当渓谷の西側にある梅ヶ瀬渓谷とともに千葉県内有数の観光地となっている。
2007年、日本の地質百選に選定された。
養老川の上流、蕪来川が合流するあたりを養老渓谷といわれています。
渓谷は市原市と大多喜町にまたがり、滝、断崖等、房総には珍しい渓谷美を見ることができます。
周囲は自然環境に恵まれており、渓谷での釣り、川遊び、キャンプなどが楽しめるほか、秋の紅葉も見事です。千葉県一の温泉街も魅力です。










【新緑の丹波渓谷】

丹波渓谷の自然と、新緑、紅葉の美しさは、この村を訪ねた人びとを魅了する。
丹波山村は、山梨県の東北部に位置し、東は東京都奥多摩町、西は塩山市、南は小管村、北は埼玉県大滝村に接する、面積は101.55平方キロメートルほどの山村です。
多摩川の源流・丹波川が東西に流れ、都民の大切な水ガメ奥多摩湖に注いでいる。
雲取山、飛竜山、大菩薩嶺などの険しい山々に囲まれ、 全体の97パーセントは山林、そのうち約70パーセントは東京都の水源涵養林として守られ、深い緑と清らかな渓流が四季折々美しい風景を楽しませてくれる。
「ナメトロ」「羽根戸飛び越の岩」「おいらん淵」などの雄大な景観を見せ、新緑・紅葉の山岳美と奥秩父特有の神秘的な美しさは、この村を訪れる人々に強い印象を残してくれる。
山の木々がいっせいに芽吹く春。淡い緑の中にミツバツツジが咲き始めると、訪れるハイカーの数もぐんと増えいる。
メロディー橋を渡って小さな沢を遡ると雌滝雄滝はすぐ、周囲の静けさを破って流れ落ちる滝はいかにも深山幽谷の雰囲気。
後山川から雲取山に至る道は、夏でも霧に包まれしっとりと濡れたブナの原生林が神秘的な姿を見せてくれる。








【斑尾高原の日の出】

森林セラピー基地、斑尾高原

森林セラピー基地とは、リラックス効果が森林医学の面から専門家に実証され、さらに、関連施設等の自然・社会条件が一定の水準で整備されている地域のことです。
より快適に森林セラピーを受けることのできる「整備された森林環境」と、検証に基づく「生理・心理的効果」がともに認められる場合に、森林セラピー基地の認定を受けることができます。また、各地の森林セラピー基地では、訪れる人々のために健康増進やリラックスを目的としたさまざまな森林セラピープログラムが用意されており、利用者は森林ウォーキングのほかにもいろいろな健康増進プログラムを楽しむことができます。
北信州・斑尾高原は標高1382mの斑尾山の山麓に広がる高原で、豊かな森と湿原を有し、数多くのスポーツエリアを持ち、多くの人達に親しまれています。「3つの湿原を彩る花、ブナやシラカバの林につつまれた4つの湖、水山とも呼ばれるわき水の多い斑尾山」として「遊歩100選」にも選ばれました。ウィンタースポーツに春、夏、秋のトレツキング、ウォーキングと斑尾高原は健康的なリゾートエリアです。
「母の森、神の森」という名前のとおり、飯山市の森にはそれぞれのストーリーがあります。その時々のコンディションに合わせて森を選べるというのが、飯山市の森の魅力です。
「母の森」と称するのは鍋倉山麓一帯のブナの天然林地帯です。日本有数の豪雪と厳しい自然条件が育てた里山のブナ美林群と巨木群が、訪れる人を包み込んでくれます。 また、湿原や湖沼が点在する標高1,000Mの斑尾高原の森林歩道は、約20本、総延長50kmに及び、歩く人の体力や趣向、時間等に合わせ選ぶことが可能です。 「神の森」と称するのは、小菅山麓「小菅神社」の奥社にむけて800m続く杉並木の古道と北竜湖畔周遊の道です。この里山一帯は平安末期に修験の場であったといわれ、日本古来の山岳信仰をベースとした伝統と風土が今なお色濃く残されており、森林と精神文化が強く結びつき、より心の癒しに寄与する森林ゾーンです。








【戸隠神社中社の三本杉】

むかし、若狭の国に、妻を亡くした漁師が三人の子供と暮らしていました。ある日、漁師は海で美しい人魚を見つけました。
「これが人魚か」と珍しく思った漁師は、人魚が「助けてください」と嘆願するのも聞かず、その人魚を殺して肉を家に持ち帰ってしまいました。
次の日、漁師が家を留守にしているとき、お腹のすいた子供たちが昨日の人魚の肉を見つけ、それが人魚の肉とも知らずに食べてしまいました。
やがて帰ってきた漁師は、それを知ってたいそう驚きました。と、いうのも、人魚を食べた者は人魚になるという言い伝えがあったからです。そして、その言い伝えどおりに、子供たちにはウロコやヒレが次々に生えてきて、やがて死んでしまいました。
そんなある日、疲れ果てて一瞬、まどろんだ時に「漁師よ、剃髪して出家せよ。そして戸隠大権現に詣で、子供を救うため、忠誠 を誓うため、三本の杉をうえよ。そして、戸隠三社の御庭草を八百日踏んで、そちの無益の殺生の後悔の真情を神に祈れ・・・」とのお告げがありました。ハッと目覚めてみれば、傍らにはすでに冷たくなった三人の亡骸がそこにありました。
漁師は、早速、このお告げを近くの住職に語り、お告げの通り剃髪をし、子供と妻の位牌を身につけ、お告げの通り海辺より戸隠 大権現へはるばる赴きました。名前も「八百比丘」と改めて、そして現世の減罪と永代の繁栄を祈りつつ、正三角形に三本の杉を植え、三社の御庭草を八百日踏んで、八百比丘の名を残しました。








【上高地】

上高地(かみこうち)とは、長野県西部の飛騨山脈南部の梓川上流の景勝地で、標高約1,500m。松本市域に含まれ、中部山岳国立公園の一部ともなっており、国の文化財(特別名勝・特別天然記念物)に指定されている。温泉があり、穂高連峰や槍ヶ岳の登山基地ともなっている。

「かみこうち」の名称は本来「神垣内」の漢字表記だが、後に現在の「上高地」の漢字表記が一般的となった。「神垣内」とは、穂高神社の祭神、穂高見命(ほたかみのみこと)が穂高岳に降臨し、この地(穂高神社奥宮と明神池)で祀られていることに由来する。

上高地は、北アルプスの谷間にある、大正池から横尾までの前後約10km、幅最大約1kmの堆積平野である。かつて岐阜県側に流れていた梓川が焼岳火山群の白谷山の噴火活動によってせき止められ池が生じ、そこに土砂が堆積して生まれたと考えられている。狭義にはこの平野のうち、観光名所として知られる河童橋の周辺だけを指す場合もある。この高度でこれほどの広さの平坦地は、日本では他に例が少ない。

気候的に山地帯(落葉広葉樹林帯)と亜高山帯針葉樹林の境界線付近の高度に位置しているため、ブナ・ミズナラ・シナノキ・ウラジロモミ・シラビソ・トウヒなど、両者の森林の要素が混在し、更にヤナギ類やカラマツを中心とする河川林や湿原が広がるなど、豊かな植生で知られている。








【金閣寺・雪景色の金閣寺】

通称「金閣寺」の由来となった金閣は、漆地に金箔を押した三層の建物で正式には舎利殿と称する(金箔を貼るのは二・三層のみ。ただし最上層のみとする異説もある。)。初層・二層・三層のそれぞれに異なる様式を採用した特異な建築である。初層は寝殿造風で「法水院」(ほっすいいん)と称し、中央に宝冠釈迦如来像、向かって左に法体の足利義満像を安置する(安置仏像を「阿弥陀如来」とする資料もある)。二層は住宅風(武家造)の「潮音洞」で、岩屋観音像と四天王像を安置する。三層は禅宗様の仏殿風で仏舎利を安置し「究竟頂」(くっきょうちょう)と称する。屋根はこけら葺きで上には鳳凰が飾られている。
鹿苑寺金閣は第二次大戦前から(旧)国宝に指定されていたが、1950年(昭和25年)、学僧・林承賢(当時21歳)の放火により炎上(金閣寺放火事件)。林は寺の裏山で自殺を図った。彼の母親は事情聴取のために京都に呼ばれ、その帰りに保津峡で投身自殺。建物は全焼し、国宝の足利義満像も焼失した。なお、屋上にあった鳳凰は火災以前に取り外されていたため焼失をまぬがれ、現存する。この事件は三島由紀夫の小説『金閣寺』、水上勉の小説『五番町夕霧楼』・『金閣炎上』の題材にもなっている。現存する金閣は1955年(昭和30年)に旧建物の資料を基に再建されたものである。
なお、最上層の天井板は「楠天井の一枚板」であったと伝えられるが、それは誤りであり、複数の板を用いた鏡天井であった[1]。
8代将軍足利義政は祖父の義満が建てた舎利殿にならい、造営中の東山山荘に観音殿(近世以降銀閣と通称される)を建てた。
銀閣(慈照寺観音殿)、飛雲閣(西本願寺)と併せて『京の三閣』と呼ばれる。








【神田明神】

社伝によれば、天平2年(730年)、武蔵国豊島郡芝崎村に入植した出雲系の氏族が、大己貴命を祖神として祀ったのに始まる。神田はもと伊勢神宮の御田(おみた=神田)があった土地で、神田の鎮めのために創建され、神田ノ宮と称した。
承平5年(935年)に敗死した平将門の首が京から持ち去られて当社の近くに葬られ、将門の首塚は東国の平氏武将の崇敬を受けた。嘉元年間(1303年 - 1306年)に疫病が流行し、これが将門の祟りであるとして供養が行われ、延慶2年(1309年)に当社の相殿神とされた。平将門神に祈願すると勝負に勝つといわれる。
江戸時代、江戸城増築に伴い現在地に遷座した。江戸城の鬼門除け、江戸総鎮守として尊崇され、神田祭の山車(当時は山車が中心だったが、明治に入ると電線の普及等により山車の数は大幅に減少した)は将軍上覧のために江戸城中に入ったので、一名「天下祭」とも言われ、江戸三大祭りの一つと言われる。現在「神田囃子」は無形文化財に指定されている。江戸初期に豪華な桃山風社殿が造営されたが、1923年の関東大震災で焼失した。その後再建され、1945年の東京大空襲では本殿・拝殿などは焼失を免れた。
明治元年、准勅祭社に指定されたが、明治7年、明治天皇が行幸するにあたって、天皇が参拝する神社に逆臣である平将門が祀られているのはあるまじきこととされて、平将門は祭神から外され、代わりに少彦名命が大洗磯前神社から勧請された。平将門神霊は境内摂社に遷されたが、戦後昭和59年(1984年)になって本社祭神に復帰した。
また、野村胡堂の代表作「銭形平次捕物控」の主人公・銭形平次が当神田明神下の長屋に住居を構えていたという設定から、敷地内に銭形平次の碑がある。(銭形平次自体は架空の人物)
           








【上野・東照宮】

上野東照宮は、元和二年(1616年)二月駿河城に徳川家康を見舞いに赴いた、藤堂高虎、天海大僧正が危篤の家康鋼の病床で末永く鎮魂出きる場所を造って奉ってほしいとの遺言をうけ高虎の屋敷領地であった上野の山に、寛永四年(1617年)本営を造宮した。
その後三代将軍家光がこの寺院に満足出来ず慶安四年、現在の社殿(金色殿)を造形し以後江戸の象徴とした。
上野東照宮には家康、八代吉宗、十五代慶喜が奉られている。現在の社殿は慶安4年(1651年)に家康の孫である徳川家光が改築したものである。
藤堂高虎は上野山内の屋敷の中に、徳川家康を追慕し、家康を祭神とする宮祠を造った。これが上野東照宮の創建と言われている。ちなみに上野の地名は藤堂高虎の出身地である伊賀上野にその地形がよく似ているということで付けられたという。
現代の社殿は慶安四年(1651)に三代将軍家光が大規模に造り替えたもの。社殿の構造は、手前から拝殿.幣殿.本殿からなり、その様式を権現造りという。
本殿は日本に一つしかない金箔の唐門(唐破風造りの四脚門)で扉は梅の亀甲の透彫り、門柱には左甚五郎作昇龍(右)降龍(左)高彫。門の側面左右上部に松梅に錦鶏の透彫で実に豪華な造りである。
参道には50基の巨大銅籠が並んでいる。銅籠は神事.法会をするときの浄火を目的とするもの。これらの銅籠も東照宮社殿とともに、昭和40年 国の重要文化財に指定された。
「土地の自慢を聞くのは旅の楽しみのひとつだが、伊賀の上野へゆくと、「東京の上野のは伊賀の上野の地名をとったものです」と教えてくれる。


           






【草津温泉 ・ 西の河原公園】

面積8.5平方キロメートル PH1.62
町の西側にある西の河原公園は、温泉が湧き出し川となって流れ出すところ。湯畑から湯滝通りを進むこと、歩いて10分ほどのところにある。
その昔は東屋の横にある小さな滝つぼに露天風呂がありましたが、現在は更に上段に大きな露天風呂が出来たため使われていません。周辺は上信越高原国立公園であるため、昔の景観をいまだに残しています。
湯川沿いのいたる所から50度以上の温泉が湧き出す源泉地で、湯畑と並んで人気の高い名勝。遊歩道が整備されており歩きながら散策が楽しめます。
園地内には、齋藤茂吉や水原秋桜子が草津を詠んだ、歌や俳句が刻まれた石碑があり、また、草津の温泉と環境を絶賛し世界に広めたドイツ人医学者ベルツ博士とその共同研究者スクリバ博士の銅像が立っています。奥には、町営の大露天風呂があり、周辺の自然を眺めながら温泉が楽しめます。
湯畑からお土産屋・饅頭屋などが並び観光客でにぎわう西の河原通りを過ぎると溶岩がゴロゴロ転がり、煙がもうもうと上がる荒涼とした河原に。園内に流れる湯川にそって至る所から50度以上の温泉が毎分1万5千リットル湧き出している。
強い酸性の温泉の為、河原に草木は育たない。その為、別名「賽の河原・鬼の泉水」と呼ばれる。昔は、何人もここへ来たら大声を出してはならないと言われていた。しかし湯川にはマリゴケという珍しいコケが生育している。
園内には石畳で歩きやすく遊歩道が整備されている。途中には「瑞祥の池」や「琥珀の池」など、エメラルドグリーンの美しい輝きを放つ温泉の池がある。
ドイツ人医学者ベルツ博士と、その共同研究者スクリバ博士の胸像がある。彼らが草津の温泉と環境を世界に広めた日本近代医学の先駆者である。またその奥には草津の歴史や自然をパネルや模型で紹介するビジターセンターがある。また斎藤茂吉や水原秋桜子が草津を詠んだ、歌や俳句が刻まれた石碑も見所。
遊歩道を更に進んだ奥には総面積500平方メートルの西の河原露天風呂がある。
一言で「池」のような広大な露天風呂に是非入浴して欲しい。特に夜はライトアップされ、星空を眺めながの入浴は最高。            






【草津温泉 湯畑】

草津温泉(くさつおんせん)とは、群馬県吾妻郡草津町(旧国上野国)にある温泉のことである。
正確には温泉のあるところが町になったというべきであろう。林羅山の日本三名泉に数えられる。
江戸時代の温泉番付では当時の最高位である東大関にランクされ、名実ともに日本を代表する名泉の一つである。
北西部には、草津白根山(白根山(2,160m、湯釜)・本白根山(2,171m)・逢の峰(2,110m))が聳えている(上信越高原国立公園)。



湯畑(ゆばたけ)とは、温泉の源泉を地表や木製の樋に掛け流し、温泉の成分である湯の花の採取や湯温を調節する施設のことである。
湯畑は湯の花採取を実施している温泉地に多く存在し、群馬県草津町の草津温泉では地域のランドマークであるとともに観光名所となっている。
また、造成温泉では、地表水などを火山地帯の噴気孔周辺の地表に掛け流して温泉を造る施設を指すこともある。
温泉のシンボル湯畑は、毎分4437リットル(ドラム缶25本分)の湯が沸き出す町一番の源泉だ。周りには遊歩道が石柵に沿ってあり、のんびりと湯畑鑑賞が楽しめる。
また夜の湯畑は、ライトアップされる。昼間とは違う、幻想的な湯畑を見ることが出来る。
           






【榛名山・榛名湖】

榛名のシンボル的存在。
榛名冨士、掃部(かもん)ヶ岳、烏帽子(えぼし)ヶ岳、天目山等から構成される榛名山は標高1,449m、上毛三山の一つに数えられる名山です。
その美しい山並みに囲まれて標高1,100m付近に榛名湖があります。
榛名湖と榛名冨士の構図は美しく、四季折々に大胆にその彩りを変える色彩と相まって多くの観光客に愛されています。



榛名山のカルデラに生じた火口原湖。
東西1km、南北1.3kmの湖面には、榛名富士の優美な姿が映し出される。
春は桜やツツジ、秋は紅葉に彩られる湖岸をサイクリングができる。
4月中旬〜11月にかけては、遊覧船やペダルボート、手漕ぎボートに乗って、湖上からの景色が楽しめる。
湖が氷結する1月下旬〜2月下旬は、氷上ゴーカートや氷上ワカサギ釣りもできる。            







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