★☆☆夢 日 記☆☆★

2003年 3月 2日(日)

また夢の中の香港へ行った。どうやら夢の中に存在する香港はお台場にあるらしい。目が覚めると遅刻するのが決定的な時間にだった私はS氏と共に香港へ行った。S氏とビルの中ではぐれてしまった私は一人バスで会社へ向かうことに。(会社は香港でお台場だった)バスの中から香港島のビル群が美しく聳え立っていた。バスを降りた私はスチール棚のようなビルを登るはめに。子供が上りきれずに泣き出していた。トイレにも行きたいらしい。冷たく放置する人々の中で憲司君が「しょうがねーな」と世話を焼いていた。おしっこの匂いが漂う中、私はスチール棚のようなビルを登り終えた。登り終えて見たものは南国色した海辺にそそり立つ香港のビル群だった。

2003年 2月 6日(水)

逆立ちをしてマラソンをした。その後、高級車に乗ってメシを食いに行くのだが、隣りで運転している男は野口健に似ていた。むんむん。

2003年 1月14日(水)

寝入ってすぐ夢を見た。佐野史郎に似た男は既婚者で大きな屋敷に住んでいて、その家の周りを歩いていた私は屋敷に招かれた。「星がとても綺麗だったから」と私が言うと、こっちから見る星はもっと綺麗だ、と屋敷の奥へ案内してくれる。そこにはジャグジーがあった。彼はお湯を入れる。私はトイレへ行った。トイレには男女一つづつ便器があった。どうせ誰もいないし、とカギをかけずに用を足していたところ、3歳くらいの幼児が「パパ、おしっこ」と言いながら入ってきた。パパは岸辺一徳に似ていた。「ちょっとまって。入ってるの」とパンツを上げながら叫ぶ私だった。悪夢だ。

2002年12月17日(火)

寝入ってすぐ夢を見たらしい。知り合いのマンションへ行くと、エレベータが部屋へ直結している構造になっていた。そんな構造なので、見知らぬ人がいきなり入ってきて怖い思いをする。嫌になって帰ろうと、もう一つの透かしエレベータへ行くと中で若い女の人が首をつっていた。警察へ連絡しようとするが巧く声が出ない(こんな時はたいてい魘されていると思われ)。、声を振り絞って通報した。起きたら4時だった。怖くて眠れない、と殊勝な気持ちになった。しかし気がついたら朝だった。オレって。。。。。

2002年 7月19日(金)

今朝方、夢を見た。昨日の晩、VOW WOWの歌を歌ったせいだろうか、恭ちゃんと元基が出てきた。でも、夢の筋は別物で、恭ちゃんの方はオーディションで友達が選ばれ、恭ちゃんも選ばれたというもの。私は観客でその情景を見ていた。元基はLIVEの前に並んだFANからの贈り物を前に、「ねえ、ご飯たいて」と私に言った。見ると無洗米があったので、なぜかそれを炊くことに。ま、夢なのでいいんだけど。

2001年 9月21日(水)

朝方、夢を見た。社員旅行へ行く夢だった。場所は香港。なぜかどこかのホールでレクリエーションをしている。私はなんと渡部篤郎とペアを組んで、一歩進む毎にラテンダンスのキメ技をしなければいけない競争に参加していた。いやぁ〜、めっちゃ幸せやったわ。その後、市内観光へ女同僚と繰り出すことになったのだが、カメラを忘れてきたことに気がついた私は一旦部屋へ戻ることにした。ホテルはあこがれのシャグリラで、でも何故かそのホテルは二段式の建築で一段目の上が一般道になっていた。私の部屋は二段目にあるらしく、そこへ向かう道にはでっかいトラックが走っていたりする。部屋へ向かう道でふいにめまいに襲われた。と思ったら、いきなり道が斜めに傾いていた。脇の非常階段を使って二段目の層へ向かう。二段目の建物に入るには長いスケルトンのエスカレータを使わなければならない。エスカレータを昇りながら振り返ってみる香港の青い海(実際、香港の海はあんなに青くない。どちらかといえば黄色かった)がキラキラと輝いてとても綺麗だった。二段目のエントランスに着くと、このホテルは崩壊の危機にある、と言われた。すぐに逃げなさいと言われ、逃げる。道が二つあって、一つはファミリーレストランの中を突っ切っていく。もう一つは、ジャンクフードカウンターの前を通る。ジャンクフードの方が出口に近い。私はジャンクフードの方を選んだ。通っていくとだんだん天井が狭くなって、がんばって通ったけど腹がつかえてしまった。仕方がなく戻り、少し遠くなるがファミレスの方へ行く。その前に甘い物でも食べよう、と席についてあんみつを食っていると会社の人に見つかり、「お前が最後だ!!」と怒鳴られ、羽交い絞めにされて非難させられた。

2000年 11月3日(水)

朝方、夢を見た。場所は長野だった。バスに乗った時、一度ここは来たことがあると思った。よくこうゆう夢を見る。少し坂になった田舎道をバスは下っていった。天気はあまりよくなく薄曇りのさえない空と風景を残念に思った。

2000年 8月16日(水)

久しぶりに見た夢を憶えていられた。会社の人と京都に行っていたようだ。新幹線を降りて宿へ行き(宿は鴨川のほとり)、夕食までの時間を散歩することにした。女の人が一人か二人一緒で私の隣りにはTV東京でおなじみの誠之助氏がなぜかいた。和傘をさしていた私の手に誠之助氏が手を絡めてきた。しばらくして東屋のようなカウンターだけのような店に入り黄金色の日本酒を飲んだ。ほんの少し甘いリンゴのような酒はむちゃくちゃ旨かった。女三人で宿に戻った。狭い部屋だった。布団が四組敷かれていて、狭いけどこのメンバーでよかったなどと話し合った。

2000年 1月 3日(月)

空を飛ぶ夢を見た。小さな白い帆の張った木製の船で空を飛んだ。高いビルの屋上から急降下させて飛んだ。

1999年12月31日(金)

変な電車が出てきた。大きな車体をしていて先頭車両は宙に浮き次の車両がレールの上を走っていた。クリーム色とひねた緑色のツートンカラーをしていた。特急青砥行きとなっていたので京急だと思っていたらしい。この夢の中で私は高校生と社会人の両方になっていた。起きて遅刻だ、と会社に遅くなる旨の電話を入れ、その後何故か制服を来て駅へ向っていた。挙げ句に一緒にいた友達に反対側のホームへ連れて行かれ乗るはずの電車を逃した。

1999年12月30日(木)

やはり朝方夢を見た。今朝の夢で憶えているのは、卵焼き! 長い座卓上に料理が並ベられていて、その中に卵焼きがあった。私は隣りに坐っていた元同僚と厚焼き卵をどう作るのか談義していた。卵焼き用のフライパンで卵を薄く焼いて丸めて、そこにまた卵を流し込んで、丸めて丸めて作るんだよね、と話したら、うーん、私はちょっと違うな、と彼女は話しだした。が、内容は憶えていない。と、書いていくうちに思い出した。茶碗蒸しを食べ損なった。それから鉄火巻をを作って、これは食べた。

1999年12月23日(祝)

二度寝した時、夢を見た。登場したのは会社の同僚だった。どうやら会社帰りらしい。一人はスーパーで買い物をするといって別れ、駅までの道を三人で歩くことになった。一人が露店を見ている時、私は突然思い立ち二人を残して駅までの道を急いだ。会社は横浜にあるというのに駅にはアメ横があった。とうていアメ横とは似ても似つかない街だったが、私はそこをアメ横と認識していた。靴を買わなくちゃ、と思っている時、枕元の電話が鳴り、目が覚めた。

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