サンフランシスコ旅行日記
1999年5月27日〜5月31日の3泊5日でサンフランシスコへ行ってきました。
初めてのアメリカ大陸です。
今まで私はイギリス系のアジアにしか行ったことがありませんでした。
乗った飛行機はアメリカン航空。
アメリカン航空は結構、機内食が美味しいです。
実は私、機内食だーい好きなんです。
ビーフとチキンが選べたんですけど、
以前の経験からビーフは選ばずにチキンにしました。
でも、ちょっと隣りの人のビーフを分けて頂いて食べたところ、
まあ、JALとは大違いの柔らかさでした。
どちらの味もなかなかでした。
ただ、難点は寿司ですかね。
「っざけんな」でした。
デザートの胡桃タルトもドデンとボリュームがあってgood!
到着の1時間半くらい前に朝食が配られました。
クロワッサンかシリアルかを選びます。
私はちょっと迷ってシリアルにしました。
クロワッサンの方にはフルーツがついていました。
フルーツは嫌いなので、いい選択をしたと思いました。
夕方の5時過ぎに出発して、アメリカへは同じ日の朝10時過ぎに着きました。
この間、一切眠れず。
楽しみにしている時は眠れないんですよ。
もう脳みそからドーパミン大量放出。
機内は空いていたので前方の席に移動し、
なんとか眠る努力をしましたが、悪足掻きでした。
着陸間際、アテンダント席へアジア系の男性パーサーが坐りました。
「こちらへはホームステイか何かで?」
小林念侍似のパーサーが話し相手になってくれました。
彼はサンフランシスコではなくロサンジェルスに住んでいるそうで、
住まいの近くにはジャズのライブハウスがあるなど、
いろいろと楽しい話をしてくださいました。
和やかに話をしている間に機体は地上へ降りていました。
あまりの滑らかさに全く気がつきませんでした。
さあ、初めてのアメリカ大陸よ、とおりたったところは、
Where am I?
どんでもない田舎の小さな空港でした。
飛行機を降りてすぐ役場のようなところで入国審査受けました。
泊まるところはサンフランシスコではなくヘイワードという町。フリーウェイ沿いのモーテルが私たちの宿でした。
SUPER 8 MOTEL
近くにデニーズとマクドナルドがありました。
着いてすぐ、デニーズでご飯をたべることになりました。
でも、あんまりお腹は空いていなかったんです。
何度かメニューをめくった末、ワッフルをたのみました。
ところが出て来たワッフルは、直径15cmはあろうかという
巨大な、
ベルギーワッフル!!
デニーズのベルギーワッフル 旨いぞぇ〜
でした。
中央には苺ソースがたんまり。
それを取り囲むかのように大量のホイップクリームが....。
苦行ながら全部たいらげました。
けれども、本当の苦行はこのあとに控えていました。
午後の時間はサンフランシスコ観光でした。サンフランシスコへはBARTという地下鉄に乗って30分ほど。
BARTの駅までは17分。
タクシーに乗って、さあ出発です。
9人が2台の車に分乗することになりました。
私たちは前に1人、後ろに4人の計5人。
でも、それはほんの数分のこと。
多少の窮屈は我慢、我慢でタクシーに乗っていました。
タクシーには乗員同士、もしくは乗員とタクシー会社が連絡をとれるように
無線が備わっています。
私たちの乗ったタクシーの運転手はスペイン系でした。
彼は時折スペインなまりの英語で
もう一台のタクシーと連絡をとりつつ車を走らせていました。
タクシーが突然、ガソリンスタンドに立ち寄りました。
何を思ったか、メーターを動かしたまま運転席を離れ、
車に給油させているではありませんか。
あ゛〜〜〜〜〜〜?!
「なにすんじゃい、このボケ」
と、英語で叫ぶことができたなら。
この時、自分の力の無さを強く思い知らされました。
唯一の支えは、もう一台の車が近くで待っていたこと。
しかし、このまま私たち5人は遠い異国の地ではかなくも....
という考えは捨て切れませんでした。
不安な気持ちで車に揺られること、数十分。何やら周りの風景が都会的になってきました。
高層ビルが幾重にも連立する、どこかで見たことがあるような。
「もしかして、サンフランシスコ?」
ただ一人起きてくれていた隣人に話し掛けます。
飛行機疲れのためか、5人中3人は眠っていました。
(よく眠れるよな、こいつら)
「どうも、そうらしいね」
「ていうことは、やつら(前の車に乗っている人達をさす)、
車で行くことにしたわけ〜?」
「うーん」
地図を取り出して場所を確認したところ、やはりサンフランシスコでした。
車がベイブリッジに差し掛かった時、
前を走っていたもう一台の車に接近しました。
うーむ、許せん。
何か文句を言ってやろうとして私が見たものは、
助手席で大口開けて居眠りぶっこいている着ぐるみおやじの姿でした。
今、地図を開いてみると私たちの目指していたユニオンスクエアはベイブリッジのすぐ袂。
なのに、なぜかユニオンスクエアへ行くのに
ジャパンタウンの象徴的存在の五重塔を見たのです。
「車で市内観光するとでも言っちゃったんじゃないのー」
「もう、いいからここで降ろしてよ」
「さっき、ここ通ったはずだよ」
その頃には全ての人は起きていました。
タクシーのメーターが110ドルを上回った頃、
ようやくユニオンスクエアに着きました。
1人いくら払えばいいの?と計算している時、
着ぐるみのおやじが前の車から降りて近付いてきました。
「いくら払った?」
今、それを計算してんだよ。
「いいんだよ、60ドルでダウンタウンまで行くって言ったんだから」
なんだと〜〜〜〜〜。
このあと、バスに乗り Haight Ashbury へ行きました。「さっき、このあたり、通ったんじゃない」
古着屋や怪しげなショップの並ぶ通りでした。
ここでしばしの自由行動。
けれども、一通り流してしまうと
時間を持て余すことになってしまいました。
これといって欲しいものはないのです。
同じ意見の武井氏と裏通りをブラつくことに。
表通りは薄汚れた感じがするのに、
ひとつ裏に入ると、小綺麗な住居が立ち並んでいました。
赤い、試験官ブラシのような花がここでも咲いていました。
またバスに乗り、今度はチャイナタウンへ向いました。時間はもう遅いのに辺りはとても明るいのです。
まだ夕方とも言えない高さに太陽がありました。
じゃあ、飲茶でもと中華レストランに入りました。
何か頼むと言われも、私の胃の中にはまだ
巨大なワッフルが発酵して存在を主張しているのです。
1時間以上も狭い車内に閉じ込められ、車酔い。
あれほど不安でなければ吐いていました。
揚げ餃子を3つだけ、メチャ辛のタレで胃を騙して食べました。そして大好きなチャイナタウンへくりだしました。
ここで八卦碑を買いました。
日本のチャイナタウンを制覇した私ですが、
この八卦碑だけは売っていませんでした。
早速3つGET。
でも、私が求めていた中国琵琶は見つけられませんでした。
やはり中華国貨でなければ駄目なのかしら。
しかし、サンフランシスコは寒いです。
この頃になると陽も落ちて、気温がグングン下がっていきます。
見上げるとトランスアメリカ・ピラミッドに霧が。
土産物屋に入っても目が着るものを探してしまいます。
辛抱堪らずボアの長袖を買ってしまいました。
胸のところにSFと橋の刺繍がしてあります。
接客してくれた中国人のおじちゃんは
とてもよく似合うと言ってくれました。
なによりとても暖かい。
極楽極楽。
帰りはちゃんとBARTで帰ることになりました。
夜遅くなっての地下鉄はちょっと怖い感じがしました。
おそるおそる足を踏み入れた薄暗い構内には、
抱き合っているゲイ・カップル
オフィス・スーツを着た人
ティーンエイジ
いろいろな人達がいました。
次の日の朝、同室の3人で朝食を食べに出かけました。とりあえず昨日行ったデニーズのそばにマクドナルドがあったので
行ってみることにしました。
朝食のメニューは日本で見かけるものとかわりありません。
ベーグルサンドはまだ日本にはありませんでしたが、
あえて日本と同じ物を食べてみることにしました。
チーズのはいったエッグマフィンに
コーヒーとハッシュドポテト。
Do you have a ketchup?
と聞くと、むんずとつかんでたくさんのケチャップをくれました。
私たち3人は疲れていたにもかかわらず昨晩ほとんど眠っていませんでした。
帰ってすぐに眠ったのですが3時間もすると目が覚めてしまいました。
辺りが明るくなるまで部屋でしゃべり、
明るくなると共にここへやってきたのでした。
昨晩私がタクシーの中から見つけたショッピングセンターへ朝食の後、行ってみることにしました。
マクドナルドから歩いて数分のところに
それは大きなショッピングセンターがありました。
中に入って私たちは狂喜乱舞しました。
売り場にはたくさんの大きな野菜がうずたかく積まれていました。
スイカ、きゅうり、グレープフルーツ、アンティチョーク。
巨大な苺、キャベツ、りんご。
その奥には肉、チーズ、ソーダ、牛乳。
すぐに私たちはおのおの好きな方向に散って行きました。
私は、サングラスを買いました。
17ドルが50%OFFだったのです。
昨日、チャイナタウンで見かけたものよりも上等で安い。
もっとゆっくりしていたかったのですが、
集合時間が迫って来たのでとりあえず引き上げました。
同じ敷地内にサブウェイがありました。
明日の朝食はこれでキマリです。
この日の午前は、軍艦を見に行きました。近くまではとてもスムーズに。
でも、悪夢は繰り返されたのです。
もう絶対タクシーには必要最低限の距離しか乗らない。
そう胸に誓いました。
ここは軍艦を博物館にしているようでした。
料金を払ってすぐビデオを見るように指示されたのですが、
行く振りをして甲板へ向いました。
甲板からはサンフランシスコの街が伺えるはずでした。
この日は陽も射さない雲天。
空と海の区別もつかないグレー一色の背景。
遠く霞んだ高層ビル群。
しかも強風。
みんなで写真を撮って下へ降りようとした時、ハプニングがおきました。
制服を着た白人のおじちゃんが、
私のリュックサックを指差して話しかけてきました。
初めはリュックのファスナーが開いているのを注意してくれたのかと思いました。
しかし、よく彼の話を聞いてみると、
この艦内はリュックをしょって見学をしてはいけないようでした。
そのことはビデオを見る時に指示されるようです。
私は一人裏道を通って下に降ろされ、
オリエンテーションの場所まで連行されました。
「どこいってたんだ!」
とオリエンテーリング担当のおじちゃんにお小言をくらいました。
一人わびしくビデオを見るのかと思いきや、
一緒にいた仲間も発見され連行されてきました。
けっけっけ。
そこで私たちはこの軍艦に関する歴史をビデオで見ることになりました。
正味9分くらいの短いものでしたが、
真珠湾の話やリトルボーイの話など、
日本人にケンカ売ってんのか!な内容でした。
スケジュールの関係上、すぐにここを立ち去らねばなりませんでした。しかし、呼んだはずのタクシーが何分たってもきません。
待ちわびていたところへ客を乗せたタクシーがやってきました。
とても急ぐ人達はそれに乗って先に帰り、
残った私たちも同じようなタクシーを捕まえて帰途につきました。
午後は、マーセド湖のそばで過ごすことになりました。湖の上をなぶってくる風がとても冷たく、身も凍る寒さでした。
それでも近くを散歩してみることにしました。
湖の周りには、ものめずらしい植物がいっぱいです。
ルピナスの原種みたいな黄色い花
大きな大きな松ぼっくりをつけた黒松
栗のような、椎のような木
柑橘系らしき白い花をつけた常緑樹
まだ少し早い木苺
湖の周りを沢山の人がジョギングをしていました。
どこからともなく湧いてきて、
どこからともなく消えてゆきました。
3日目の朝。約束通り、朝食はサブウェイへ行きました。
注文方法は日本とほぼ一緒です。
私はツナのセットを頼みました。
白いパンか黒いパンか、
全部の野菜を入れるか、
中で食べるか持ち帰りか等を聞かれます。
日本と違うところはセットにチップスがつくことです。
動揺してしまった私はプレーンのポテトチップを選んでしまいました。
チートス(激辛)とかもあったようです。
最後に背の高い紙コップがドンとトレイにおかれて終了です。
これは日本で言うところのLサイズ。
選べるのはソーダ類とハイシーとレモネード。
レモネードを半分だけ入れてみました。
もったいなかったけどね〜。
朝食のあとはこれまたおキマリのお買い物。
巨大スーパーは一日では見きれません。
巨大チーズを前に私は誓いました。
「帰りの朝、君を買って密輸入するよ」
この日は一日中観光でした。朝食の後、主催者一人残して街へ出かけました。
MOTELに呼んだタクシーに乗ってSOUTH HAYWARD駅へ。
運転手のおじちゃんにダウンタウンまで70ドルと持ち掛けられても
NO!
きっぱりと断り駅へ。
BARTに乗ってサンフランシスコへ向いました。
車内で私たち3人は密談をしました。
POWELL駅に着いたら一応ケーブルカー乗り場に行く。
混んでいたらすぐさまバスに乗る。
まあ絶対、混んでいるだろう。
バスに乗ることを想定してスケジュールを組みました。
パウエル駅前とパウエル通りを走るケーブルカー
思ったとおり、ケーブルカー乗り場は長蛇の列でした。
いったい何十分待ったら乗れるの?
次の通りまで並んでいました。
私たちはLombard St.へ向いました。
バスを降りて長い急な坂道を登ること数分。
くねくねと曲がったロンバート通りへ着きました。
しばしの休息と写真撮影。
私には曲がりくねった坂道よりもそれに続く
コイトタワーの望める坂道の方が素敵に感じられました。
ロンバートストリートの反対側
次に私たちは Leavenwoth St. を北上し、
Fisherman's Wharf 方面へ歩き出しました。
フィッシャーマンズワーフへ向う途中で見つけた風景
湾内クルーズをするためです。
Pier 41の袂から Golden Gate Bridge と Alcatraz Island を煽るルートで、
鉛色の空と海の間をフェリーは進んで行きます。
甲板には冷たい風が強く吹きつけていましたが、
我慢して、我慢して、絶景を眺め続けました。
ゴールデンゲートブリッジの近くが一番寒かったと記憶しています。
船上から見た金門橋
波も荒くなり、今にも雨が降り出しそうでした。
アルカトラス島は観光客でごったがえしていました。
船上から見たアルカトラス島
行きの飛行機でパーサーのおじさまが言っていたとおりでした。
土日の上陸は難儀やね〜。
これぞまさしく対岸の火事。
小一時間17ドルのクルーズは終了です。
ちょっと遅い昼食をPier 39でとることになっていました。待ち合わせの時間に主催者がやってこないので、
その間あたりをブラブラ。
でも、これといって面白味のない、退屈な場所でした。
昼食をとった店の名は忘れました。
あざらしのいる生簀が窓の下にありました。
私はカニがそう好きではないので
鮭のサンドイッチを頼みました。
ポテトチップをフレンチフライにかえてもらって11ドルくらい。
厚みがあるので人前では食べづらい代物でした。
きちんとナイフで切り刻んで食しました。
昼食のあとは自由行動です。私は念願の
GHIRARDELLI CHOCOLATE MANUFACTORY
に行くことが出来ました。
ガイドブックに載っていた大きなサンデーが食べたい!
女子3人で途中寄り道をしながらギラデリへ向いました。
ところがなんとギラデリのカフェ前にはこれまた長蛇の列が....。
同行の二人に無理を言って並ばせてもらいました。
思いの外、待ち時間は少なく、
30分もしないうちに中に入ることができ、
とても背の高いサンデーを堪能しました。
バニラとはちみつのサンデー これまた旨いぞえ〜
その後、ハードロックカフェに行き、
ケーブルカーを乗りついでPOWELL駅へ戻り、
カリフォルニア線を走るテーブルカー(左)とパウエル線乗り換え停留所(右)
BARTに乗って帰途につきました。
デニーズでの遅い夕食の後、
FOOD 4 LESSへ行き、最後の買い出しをしました。
ハムのようなチーズ、メープルシロップ、お土産にする変なもの、
明日の朝食を買い入れました。
最後の朝、ピーカンでした。滞在期間中一度も見られなかった青いカリフォルニアの空。
口惜しさを胸にSAN JOSE空港へ出発です。
SANJOSE空港の窓から見た風景
機内ではほとんど眠ってしまっていました。
夕食のデザートはあまり美味しくありませんでした。
おやつのチョコレートを食べのがしたことが最大の後悔。
アメリカン航空の機窓より
30日の朝に出発し31日の夕方に到着。
何故か損した気分。
以上、旅行記終了。