VS(ヴァーサス) Release 2.0


  俺の名前は「河野貴明」。つい先日....あー、もう3ヶ月ほど経つから、そうでもないか。とにかく、3ヶ月ほど前にお向かいさんの柚原家の一人娘のこのみと結婚した(義理のお母さんの春夏さんの罠に嵌ったとも言う。もっとも、俺としては喜んでその罠に嵌ったんだが)。
 このみとは物心付く前からのつきあいで、一緒に暮らすようになっても暮らす屋根が変わったくらいで、あまり新鮮さは無い。それでも、世間で言う「新婚」の範疇からはまだ逸脱はしていないとは思う。

 これは、そんな俺の家の日常の一コマなのだが....。あ、いや、俺の口から説明するよりも、現実を見て貰った方が早いだろう。この、ちょっと世間から逸脱した我が家の日常を。

    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇

「ふんふんふーん。ふんふふ、ふーん」

 外ハネの赤みがかった髪、抜群のプロポーションの少女が、鼻歌交じりのご機嫌な表情で洗濯物を篭から洗濯機に移しながら、なにやら物色している。
 白いカッターシャツにネクタイを締め、ちょっとタイト目の飾りっ気の無い膝丈のスカート。それにまるで古典マンガの『めぞん一刻』に出てきそうな普通の家事用のエプロンを着けた彼女は、それでも色物やレースなどを的確に分けていく。

「これは、このみのブラね。うーん、いつのまにこんなに。これだと、わたしとあまり変わらないんじゃないかな。まぁ、このみは本妻なんだから、ここは公認二号さんのわたしは喜んであげないとね。これはネットに入れてと」

 そして、男物のトランクスを見つけると、嬉しそうな表情でそれを広げた。遠くでなにやら鍵の開く音と、かすかに「あっ!」という女性の声。

「うん、感心感心、ちゃーんとわたしが見繕った下着、使ってくれてるんだ」

 と、その語尾に重なるように、ドタバタと廊下を駆けてくる足音。それが洗濯機のある脱衣場の前で止まると、バンとドアが開いた。

「ミルファ! あなた、また! いつのまに!」

 彼女がわざと半開きにしていたドアから女性が一人飛び込んできた。先客の少女よりはちょっと年上に見える、半袖のレモン色のワンピースの彼女は、かなりの形相で室内にいた先客を睨んでいる。

「あ〜ら、このみ、遅かったわね」

 飛び込んできたのは、河野このみ、20とン歳。高校入学の頃までは寺女に進学した親友達から心配されるほどの幼児体型だった彼女も、3年で一気に成長し、今では母親の春夏さんとタマ姉を足して割ったくらいの、まぁその、なんだ、いい女になっている(身長もタマ姉には追いつけなかったが、それでも春夏さんはかろうじて追い抜いた)。普通、女性は中学くらいで二次性徴を終えるのだが、春夏さんも高校でナイスバディになったらしく、このみの母方の家系は二次性徴期間が標準的な女性のそれよりちょっと遅いらしい。

 一年の時に久寿川ささら先輩の騒動のおかげで生徒会入りしたこのみは、ささら先輩とタマ姉が卒業した後は副会長となり、俺が卒業した後はそのまま生徒会長として活躍した。本人以外から聞いた話では優しくて可愛いお姉様として結構男女問わず下級生から人気があったようだ。そのおかげか、このみ自身には俺の存在を知らない下級生達からの古風な下駄箱ラブレター攻撃も結構あったらしく、すでに婚約者が居る身の当の本人はかなり困っていたようだった。ちなみにその時の副会長は俺と同級生だった小牧愛佳の妹の郁乃ちゃんだった。小牧とは3年でクラスが別になったが、彼女は卒業まで“委員長”を辞めさせて貰えなかったので、その妹となるとそれなりの素質はあって然るべきだろう。

 そして、そのこのみの相手をしているのは、来栖川エレクトロニクスのお荷物と言われている、最凶のメイドロボ、HMX-17bミルファ。俺が高校二年の時に河野はるみとして“転校”してきて、そのまま一緒に卒業した。在学中のトラブルエピソードは数知れず。だが卒業するまで関係者以外にはメイドロボであると言うことはごく一部の者にしかバレなかったのだから、アンドロイドとしては来栖川製の機体の中でも、確かにずば抜けて優秀なのだ。だが、本来のメイドロボとして本来有るべき姿をここまで逸脱している個体も珍しいだろう。家事を含めた個々の仕事に対する能力は、イルファさんでも一目置く学習能力の高さで、最初の半年ほどはボロボロだった物が、あっというまに他の姉妹でも敵わないほどの技量になってしまったのだが(しかも、来栖川の伝家の宝刀、サテライトサーヴィス抜きでだ)、本来メイドロボとして第一義にしなければならない奉仕の精神が、自分がクライアントとして認めた相手以外にはカケラも出てこないのだ。

 メイドロボ教育に関してはすでに匙を投げてしまった、姉のイルファさん。「お姉ちゃんとしてはそこそこだけど、メイドロボとしては最低!」とはっきり言う妹のシルファ。そんな姉妹とも離れて、ミルファは俺たちが新婚旅行から帰った翌日からわが河野家に居候している。

「タカくんの下着、触っちゃダメ!」

「なんでよー。これはワタシが貴明に贈ったものだもん」

「何言ってるのよ! それは私が買ったんだから」

「え”」

 と、まぁ、実はこの二人、どういうわけか思考が異様に似ていて趣味嗜好までそっくり。というか、どうもミルファはこのみの嗜好と思考を学習したフシがある。

 とりあえず、このみが「いつのまに」と言ったのには理由がある。実はミルファはウチの鍵は持っていない。ウチの鍵は暗証番号式の電子ロック(もっとも停電時は普通の鍵が要る)なのだが、何度番号を変えても高性能の暗号解読器が服を着て歩いているようなミルファの前では用を成さない。
 それじゃ犯罪じゃないかと言う人も居るかも知れないが、ミルファは、これもいつの間にかなのだが、ウチが契約している警備会社の契約社員になり、ウチ専属のガードマンとして登録されている。なので、出入り自由という特権があるのだ。
 このみは契約を変更をしようとしたのだが、ミルファの母親である珊瑚ちゃん(このみとは2年以降は同じクラスだった)が渡米する前に「放っておいたらみっちゃん路頭に迷う」と泣きついてきて、渋々現在に至っている。妹のシルファは寿退社したリオンさんの後釜として、来栖川エレクトロニクスに正式に社員として登録されていてしっかりと職業を持っているのだが、自分の興味が無いことに対してはとことんアバウトなミルファはいわゆるフリーターに近い生活をしていたのだから、珊瑚ちゃんとしては気が気でなかったのだろう。

「おいおい、二人ともまたかよ」

 少し遅れて脱衣場に入った俺はあきれ顔でそう言った。

「タカくん、ミルファがまた」

「このみ、オマエもいい加減慣れろよ。こいつが何を言っても自分の欲求を優先するのは今に始まった事じゃないだろ。それに、もう夫婦なんだから『タカくん』はやめろよなぁ」

「でも〜」

 このみは子供の頃からの癖で、上目遣いでそう言う。彼女は俺の前では完全に無防備になり、高校の途中からは外では絶対に見せなくなった甘える表情だ。随分慣れたつもりだが、傍目に見ても可愛くていい女のこのみだ、思わずところ構わず押し倒したくなる衝動に駆られる。俺は下半身に血流が動くのを感じながらぐっと我慢して、冷静に言う。

「いいから、ここはミルファに任せて玄関に戻る! 荷物ほったらかしだろう?」

「はぁ〜い」

 このみはそう言うととぼとぼと玄関に戻っていった。

「ミルファも、このみを挑発するようなことはやめろよな」

「わかってる!」

 と元気よく言うが、それが実行に移された試しがない。俺はやれやれと肩をすくめると、シュンとして出て行ったこのみの元に向かおうとした。その瞬間、ミルファの手が俺の股間に伸びた。

「う、うわっ!」

「あ、やっぱり」

 ミルファはじと目で俺を見つめる。

「このみ、ホントにいい女になったよね。わたしは本当の女性じゃないから、凄く羨ましいのよ、ほんとうは。大事にしないとダメだよ」と、笑顔だが笑っていない目でそう言う。

 ミルファはこのみをしょっちゅう挑発しているが、絶対にこのみと入れ替わる事は出来ないことを自覚している。一度、このみが居ないときに本音を聞いたことがあるが、その時は泣きながら(元々ミルファたちHMX-17シリーズは涙を流すことが出来なかったのだが、今はミルファだけだがリオンさんと同じように涙が大量に出せるように改造している)生身の女性に生まれたかったと言っていた。これは母親の珊瑚ちゃんでも知らないはずだ。

 だから、自分がこのみを挑発するのはわけがあるというのだ。自分がこのみのライヴァルとして適度に刺激を与えて、俺たち夫婦の絆が緩まないようにするんだという。

 元々、タマ姉のおかげで女性が苦手になっていた俺は、高校2年の時に当事者のタマ姉が戻ってきたあたりから、やたら女性と縁が出来るようになった。そのうち、このみには言えない関係に成った人も何人かいる(ご想像通り、童貞はタマ姉に持って行かれた)。あまり大きな声では言えないが、ミルファとも一時期そういう関係を続けていた。
 だが、結婚したあとは一切そういうことは無くなった。新婚旅行から帰ってきた俺たちの前で、「このみ以外と寝たりしたら、絞めるわよ! もちろん、わたしも含めて」と、余所行きの笑顔できっぱり言い放ったミルファの怖さは今でも覚えている(そのあと、ミルファとの昔の関係がバレて、このみは3日ほど口をきいてくれなかった。ご丁寧になだめすかしたのは当の本人、ミルファだったが)。

「わかってるよ」

 俺はそう言いながら、このみの基に元に向かった。このみをなだめすかすには小一時間かかるが、どうも最近、わざとやってるんじゃないかと思える節がある。まぁ、惚れた女に甘えてもらえるのは悪い気はしないが。
 実のところ、その日の夕方にはもう、このみとミルファの二人は仲直りしていたのだ。

「ミルファ、これは、このくらいで良いのかな」

 このみはそう言いながら、鍋の中身をミルファに見せる。

「ん〜? あ〜、まだじゃがいもの角が落ちて無いなぁ。もうちょっと煮込んだ方が良いんじゃないかな」

 昼間の喧噪が嘘のように、二人はキッチンで仲良く夕飯の支度をしている。歩くデータベースのミルファはこういうときはこのみの良き講師になっている。ミルファはいつも居るというわけじゃないが、週の半分くらいは同じ屋根で過ごしているので、実はこのみとも普段はそんなに険悪ではなく、寧ろ仲は良い方だと思う。それが、俺に対する主導権絡みの利害関係になると途端に険悪になる。
 全く、女心というモノはわからない。


 その日の夜、ベッドの中で虚脱状態になって俺のすぐ横で丸くなっていたこのみに問いかけてみた。このみとミルファはお互いどういう風に相手を思っているのか。

「ふえ?」

 微睡み状態だったこのみは寝ぼけ眼をこすりながら、緩慢な反応を示してきた。当のミルファは今日はウチには泊まらずに留守を守っている姫百合家のマンションに帰っている。彼女は週に最低一回は姫百合家に設置してあるメンテナンス・システムでチェックをしなければならず(珊瑚ちゃんがアメリカから遠隔診断するらしい)、ちょうど今日が一週間目なのだ。

「いや、だから、ミルファの事だよ」

「ふみゅ」

 このみは「うーん」と言いながら丸まっていた体を伸ばした。

「嫌いひゃないよ。タカ君の事いらい(以外)....うーん、最近はそうれもないかな、いろいろそうらん(相談)にも乗ってくれるし....それり....んー....、それに、本当にあたしが嫌がることはしないもの」

 完全に意識が覚醒していなかったのか、最初の方はあくび混じりでちょっと呂律がおかしかった。

「でも、今日も一回やっただろ」

 俺は昼間の洗濯物の件を持ち出した。このみは仰向けになると、両腕をふとんから出して、パンと気合いを入れるように掛け布団を平手で叩いた。

「あれ、わざとだよ。最近、わたし結構やりっ放しにしていることが多かったから、ミルファ、わざとわたしを怒らせるような事して、最近弛んでることを叱咤したかったんだと思う。あの洗濯物だって、ほんとは出かける前に洗濯機を回すくらいはしておかないといけなかったのに、久しぶりに二人で出かける事が嬉しくて、上の空でほったらかしにしていたから」

 このみは天井を見つめながらそういった。もう完全に目が覚めたようで、口調もしっかりしている。

「でも、おまえらの会話、そうは思えなかったぞ」

「うーん、でも、ミルファは意識的にそうしてくれているみたい。夕食の支度の前に『今日はこのみが悪いから謝らないよ』って言われて、気づいたんだけどね。これがお母さんだったら、頭にお玉で一発食らってから言われるもん」

 そういいながら、このみはもぞもぞと体を動かし、布団の外に出していた腕を戻しながらすり寄ってきて、俺の股間をぎゅっと握った。

「おい」

「んもぉ。せっかくいっぱい愛してもらって良い気持ちで眠りかけていたのに、台無し。まぁ、『家族』の問題の話だから仕方ないけど....。で、もいっかい!」

 このみはそういうと、俺の股間めがけて布団の中に潜っていった。

「うわっ、おい、このみ!」

 いきなりな攻撃に俺は一瞬逃げようとした。

『らぁめ』

 ふとんの中からくぐもったこのみの声が聞こえてくた。今日が土曜で本当に良かった。


     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


「ミルファ、おまえ、こんな生活続けていて満足なのか?」

 数日前のことだ。たまたま、いつもは俺よりかなり早く帰宅するこのみが仕事で遅くなり、逆に俺の方が異様に早く帰宅したある日、俺は留守宅を守っていたミルファにそう尋ねた。
 夕食の下ごしらえも終わったらしく、L字型のソファに座ってぼんやりとテレビを見ていた俺の斜め前に、ミルファは腰を下ろしていた。
 その日のミルファは珍しく正統派の英国式のかっちりしたエプロンドレスと、純白のヘッドドレスというメイドの正装だった。いつもは警備会社の制服か、部屋着なのだが。
 メイド服の正装という姿なのに、主と一緒にぼんやりとテレビを見ているあたりがミルファらしい。

「…」

 ミルファはきょとんとしたまましばらく何も言わず、じっと俺を見つめていた。

「ミ...」

 たまりかねた俺がもう一度同じ事を聞こうとすると、ミルファは優しい表情で膝を浮かせて腕を伸ばし、俺の唇に人差し指をあてがって「ちゃあんと聞こえてるよ」と一言だけ言った。外はねだがサラサラの髪の毛が揺れる。
 そして、大きなため息を吐くとソファに座り直してしゃべり始めた。

「ごめん、どういう応え方をしたら良いのか、ちょっと考え込んじゃって」

 ミルファはそう言いながら、苦笑した。

「確かに、わたしの欲求を満たすという意味では、今の生活は、素のわたしなら本当は辛い筈なんだけどね。だけど、わたしは、それ以上に貴明とこのみの傍に居たいの。だから、今は人間の女性をエミュレートしている人格構成タスクから性的な欲求の部分は外してるの。純粋に二人の役に立てれば、それで満足だし、欲求も十二分に満たされてるの」

 服装に合わせてしゃんと背筋を伸ばし、両足を斜めに流して斜め向かい側のソファに座っているミルファの目には、いつものいたずらっぽさを漂わせる雰囲気はない。

「そんなこと出来るのか?」

「もちろん。さんちゃんはそこまでちゃんと考えてる。アタシ、貴明のこと『ダーリン』て呼ばなくなったでしょ? それに、貴明と最初にエッチした時、わたし言ったよね『一番じゃなくていい、貴方の所有物になりたい』っていうニュアンスのこと」

 良くそんなこと覚えてるな、と俺は思った。でも、メイドロボなら当然か。ただ、服装と姿勢に似合わない口調がミルファらしいところだ。

「ひょっとして、忘れてた? なんなら一言一句再現してもいいわよ。あの日の記憶はアトリビュートを変更して消去出来ないようにしているから」

 ミルファはじと目で見つめる。

「いや、覚えてるよ。ミルファが『河野はるみ』だった頃のことは、忘れてないよ。さすがに正確な言葉までは無理だけど」

「ン。ありがと。それで充分」

 ミルファは目を閉じると満足げで嬉しそうな柔らかな笑みを浮かべた表情を見せた。俺は長年同じ屋根の下で暮らしているので慣れているが、初対面の男ならイチコロの表情だ。

「ミルファがそういう機能を持っているなら、イルファさんも…」

 イルファさんはエッチな方面に関してだけ、妹二人から煩悩メイドロボと蔑まれている。

「お姉ちゃんは、そのあたり腹黒いのよね〜」

 表情はほとんどかわらなかったが、ミルファの目は笑っている。彼女は姉のイルファさんをからかう時は本当に楽しそうな表情になる。

 確かに俺の家にシルファが試験運用で居候していた頃のミルファは、無邪気なだけの突撃キャラだったが、その後の一年くらいですっかり賢く、というか大人になった。直接のきっかけはリオンさんとの一件だと、随分前に聞いた記憶がある。
 特にイルファさんに対してはその成長が顕著で、最初の頃はやり込められる一方だったが、リオンさんとの一件以降は対等にやり合うどころか、イルファさんを手玉に取れるほどになっていた。それに、どちらかというと、直系の姉の筈のイルファさんより、リオンさんにべったりなところがある。

「うっそ。お姉ちゃんにはこの機能は無いのよ。わたしが涙を流せるように改造してもらった時に、人格構成タスク制御のアプリケーションにも手を入れてもらったの。元々はHMX系のプロトタイプ・メイドロボの標準機能でリオンお姉ちゃんと同じ最新バージョンなんだけど、イルファお姉ちゃんは色んな意味で怖がって、結局やらなかったの。ついでに言うと、シルファもわたしと同じ仕様になってる。あの子の場合は仕事の邪魔になるので、オンとオフを切り替える必要があるからだって。あの引きこもりが、本当に随分変わったわ。それもリオンお姉ちゃんと貴明のおかげなんだけどね」

 ミルファはふぅとため息を付き、更に続けた。

「この素体が出来る前に熊の縫いぐるみのなかに居た頃、わたしは貴方に恋をした。それは事実だし、その後の貴明との甘い思い出はわたしの記憶の中では宝物。だけど、わたしは少なくとも人間の番いとしての“オンナ”というか、生物学的な雌じゃないから。それ以前に生き物でも無いじゃない」

 途中から声のトーンがぐっと低くなり、ミルファの目は涙で潤み始めていた。

「たしかに、リオン義姉様のように人間の男性と結ばれたメイドロボも居る。だけど、わたしたちメイドロボには絶対出来ないことがある。それは、愛する人の子供を産むこと。本当はわたし、貴明の子供、産みたかった。貴明との家庭を築きたかった」

 ミルファは涙目で微笑んだ。

「だけど、それは、このみに託す事しか出来ないじゃない。わたしは人じゃなくて、モノだから。だから、改造して貰ったの。家族とは行かなくても、せめてこの家の備品としてでもいいから一緒に居たい」

「ミルファ…」

「今のわたしは、貴明、あなたと同じくらいにこのみも愛している。この思いはあなたとこのみの間に生まれる子供にもあげたい。そして、その子供達が大きくなって、いつか貴方とこのみが天に旅立つのを看取って、そして記憶デバイスをあなた達と同じお墓に入れて貰うのが夢なの」

 俺は返事が出来なかった。

「でも、わたしは多分、二人が天に召されるまでは保たない。このボディの耐用年数は30年くらい。もしわたしが貴方たちより先に“死んだ”ら、記憶デバイスだけを残して、いずれは二人と一緒のお墓に入れて欲しい。せめてそれだけはかなえて欲しい」

 ミルファはにっこり笑ってそう言う。

「でも、ボディを換装すれば…」

 ミルファは首を横に振った。

「それは嫌。この身体は今のわたしの全てだし、貴明がわたしを女として抱いてくれた大切な身体だもん。この身体で天寿を全うしたいの」

「ミルファ…」

 俺は立ち上がり向かいに座っているミルファを思わず抱きしめそうになった。だが、それはミルファがやんわりと拒絶した。

「こーら! だーめ、そこまで。いま、ここで貴明に抱きしめられたら、せっかく外しているタスクを再起動して『ダーリン』モードに突入して、このみを裏切ることになっちゃいそう」

「いや、別にそんな気は」

 と、言いつつ、ミルファが止めなければそのまま彼女を押し倒さなかったかどうかは自信がなかった。

「正直言うとわたしもその方が嬉しいけど、その後貴明、半殺しだよ。このみのパワーは春夏さん譲りだし」

 ミルファはいつもの悪戯っぽい表情に戻ると、するりと立ち上がった。

「それに、今のわたしはそういう欲求は人格構成のタスクから外してるから、人間と違って欲求不満にはならないの。余計な心配はしなくていいわよ。そう思ってくれてるのなら、このみをうんとかわいがってあげて、とっとと子供作ってよ。ベビーシッターはお任せあれ!」

 ミルファは右腕をまくって、正統派のエプロンドレスには似つかわしくないガッツポーズを取る。そして、笑顔で「夕飯の支度始めるから」と言って、リビングを出て行った。

 俺はその背中に「お前はウチの家族だよ」と言うのがやっとだった。ミルファはびくっと肩を振るわせたように見え、小声で「ありがと、ダーリン」と言って、キッチンに立った。


 幸い、このみが帰宅したのはその少し後だった。


 ついでだが、あとからわかったことなのだが、実はこの時点で、このみは妊娠していた。


     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


 そして時間は元の戻り....。

 翌朝、朝刊を取りにパジャマ姿で玄関の新聞受けに手を伸ばしたとたん、背後で『ドンガラ、ガッシャン』と大きな音が聞こえた。キッチンの方だ。夕べさんざんこのみに搾り取られて、かなり頭の中がぼぉっとしていたが、それはその音で吹き飛んだ。

−な、なんだぁ?

 一瞬、ミルファが何かやらかしたかと不安がよぎった。最近はまずそんなことは無いが、学生時代に押しかけ女房みたいにウチに居座ってシルファと始終ケンカしていた頃はしょっちゅう何か壊していた事を思い出したのだ。だが、すぐに「こ〜の〜みぃ〜」という、珍しくミルファの怒った声が聞こえてきたので、違うとわかった。

 ミルファは俺たちが起きる前にウチに戻ってきていて、すでに朝食の支度を始めていた。たぶんその作業の最中にこのみが戸棚の中に無理矢理つっこんだか、冷蔵庫の上にでも積み上げていた何かが落ちてきてミルファを直撃したのだろう。

「なんやねん、これはぁ! このずぼら女房!」

 今日のミルファはそうとう来ている。言葉が微妙に姫百合姉妹譲りの関西弁になっている。

「うっさいわねー! それはいずれ物置に片付けようとぉ…」

 答えるこのみの怒鳴り声。あいつは洗面所で顔を洗っていたはずだ。

「いつかって、いつやねん! これ埃たまってるやんかあ!」

 カーンという金属質の音が聞こえた。たぶん、お玉か何かで落ちてきた物を叩いたのだろう。

「忘れてただけでしょう! わたしはあなたがたメイドロボと違って物を忘れるんだから」

「わたしだって頭は連想記憶方式だから、セリオ義姉と違って人間並みに物忘れするの! 言い訳するなぁ!」

 今日も二人の口げんかが始まる。

−やれやれ、またか。

 そう思いながら俺は新聞を片手にリビングのソファに腰を下ろし、天井を仰いだ。

 我が家は、平和だ。


     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


 それからしばらくして、家の表札に名前が増えた。俺とこのみとの間に生まれた子供の名前、そして「河野はるみ」。ミルファは正式に我が家の家族になった。


もどる

作者註:
 ここまで書けばわかると思いますが、ズバリ、本作品のモチーフは「メイドロイド雪之丞」です。あのマンガ、名作とは言いませんが、主人の葬儀後、雪之丞が自分の意志でスイッチを切って稼働停止してしまう最終話(しかも笑顔で涙を流している)はお勧めです。
 雪乃丞は天然ボケですが、ミルファは頭の回転も速く聡明だと思いますので、こうなりました。
 あと、貴明はこのみと結婚してますので、ミルファは階段から落ちていないことにしています。
 それと、冒頭のミルファの服装ですが、上着を脱いだ警備会社の制服ということにしています。