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母の事


 私の母は80歳を越えた。田舎で一人で住んでいる。腰が曲がっている。男まさりで気が強い。体はとっても丈夫。自分の思うようにならない事に対しては折れない。だから回りとうまくいかない。まあ社会性が無いのだ。

 父が若い時に体を壊して、30代の頃からもう父に代わって私達一家6人の大黒柱だった。私達女姉妹4人は母に育てられた。

 父が若い頃満州に出稼ぎに行っていて、そこへお嫁さんとして行って、そこで長女が出来、終戦直前に引き上げてきた。引き上げの時の苦しい旅は、小さい頃何度となく聞かされた。そして父はその頃からもう体が悪く、母が働くようになった。母は「失業対策事業」俗に言う「しったい」で働いて私達を育ててくれた。国中が貧しかった時代で、特に貧しかった。生活保護も受けていた。

 いくら元気な母でも肉体労働は辛かったのだろう。とにかく愚痴が多かった。父が働かない事に対しての愚痴だった。小さい事からぐちゃぐちゃ言う母の愚痴を聞いて大きくなった。父はじっと聞いていて何も言わなかった。特に母の、父に対する不満は父が「所帯」(炊事)をしてくれないという事だった。よその男は自分が働かないんだったら「所帯」ぐらいはするのに自分の男はなんと自分に対して冷たいんだ。自分は不幸だ。毎日身を粉にして5人の子どもを養っているのと同じだ。と言うような事を毎日毎日聞いて大きくなった。

 母はプライドも高かった。今でも高い。子どもの教育と言う事では、特に人には負けたくなかったのだろう。私達4人を高校まで行かせてくれた。あの当時は、男女を問わず中学を卒業して直ぐに就職すると言うのはそんなに珍しい事ではなかった。だけど「これからは勉強が出来る人間が一番」と言うのが母の口癖だった。姉は小学校の時は学校で一番だった。母は姉が自慢だった。

 私達4人がそれぞれ独立して、父と母と二人で暮らしている時に、ある日突然父は亡くなった。風呂をわかしていて、たきぐちから炎が出てきたのだろうか、とにかく家が全焼し、父が焼死した。父は真っ黒な遺体だった。今でもあの父の遺体を思い出すと涙が出て来る。死ぬのにこんなむごい死に方もあるんだと、何ともいえない体験をした。

 母はそれからずっと一人暮らしをしている。近くに長女夫婦が住んでいるが一緒に住もうとしない。すごい精神力だなあと思う。とにかく強い。私の体の強さは母からもらったものだと思う。精神力の強さもか。

 今でも屋敷の内には少しだが野菜とか花とか作っていて、毎日水遣りに余念がない。言いたい事は遠慮なく言う。私は帰省してせいぜい2日仲良くできればいいほうで、大体3日目ぐらいになると喧嘩している。人の言う事が聞けない。自分が大将でないと気が済まない。田舎の姉は本当に大変だと思う。

 でも母には出来るだけ長生きしてもらいたいと願っている。近いうちに母に会いに帰省しようかな。是非アロママッサージをしてやりたい。今度は少しは仲良くいられる時間が長くなるかな?

 母は私。

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