キリスト教は信じうるか  八木誠一著

この本の感想を書いたのをこちらのミスで消していたのを

最近知り、復活させました。

 

キリスト教か仏教かで、鎌田氏、故秋月氏、本田氏らとの討論にて、

八木氏のひとつのキリスト教に対するアプローチに興味を覚え、

この本を購入しました。

キリスト教に対する日本人の特有な論述を明確にし、

インマヌエル、われ神とともにいますを一連の討論から、

私にこの命題を示した人物たちに感謝する。

哲学思考と神学、あるいは仏教との明確な接点と非接点における

これらの事柄は、学術な信仰上における問題と、日々における

信仰上の論点の交差を明確にするものだと思う。

常にこれらはどちらか一方に傾いた空論上の物になるのだが、

実際には両方を個としての明確なものがやはり必要ではなかろうか。

八木氏は、自分の神学においてドイツ哲学や禅において追及されている。

私もそれほど学問的に知識はないが、これらの体験としてやはり

自分のものとしていくべきではないだろうかと。

01/1/12

この本に関係ないけれど、イエスを信じてそして苦しむ人もいる。

それは、本質的にイエスでなく、教会やそれに付属するいろんな問題が、

ことして耐え切れないところに発する。

その耐え切れないところがキリスト教信じうるかという点に落ち着く。

哲学的思考でなく、現実的に存在する諸問題は、個として問題と共同体としての問題と、

本質的にはきり話せられない。

信仰とはなにか、教会とはなにかと。

2001/01/12

 

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