信仰を持って聖書を読んでいる私と、それ以前すなわち信仰の対象として
聖書を読んでいなかったころ。
信仰者でないころの私はあまり聖書を読んでいなかった。
正直今も勉強会のとき以外はあまり開かない。
で、信仰としての対象でなかったときの聖書をどう私は見ていたかということが、
この本で少しは思い出すかもしれない。
信仰としての解説は教会で聞くが、しかし一般の聖書に対する認識は。そのへんを
ここから導いていきたい。
1受胎告知
カトリックにおけるマリア崇拝は特色であるが、聖書の中でマリアに対する記述は
薄い。しかし、ここの個所はカトリックであればそのとおり信ずるもの。
しかし一般には信じられぬもの。またキリスト教の中においてもいろんなことがある。
しかし、信仰と信仰でなく読むものとの違いもまずここからではなかろうか。
ただ、信仰者においてもここのことで区別するものがあってもいけない。
信仰におけるものが神のお告げに対してその瞬間に対してすなおに受け止めることができるか。
そこが本質ではなかろうか。
続く
岩下壮一著 講談社学術文庫
読みかけの本がたくさんあり、続くの項目が増えています。どうもすみません。
この本も、かつてから2−3年になりますが、また最近読み直しております。
戦前におけるカトリックの思想を垣間見、また公教要理の基本を踏まえ、
また、第二バチカン以前のカトリックの日本における思想の位置付けなど、
興味深いものがある。
また、無教会主義、あるいはプロテスタントとの問答。
そして、私の個としての命題、個人あるいは個と共同体すなわち教会という
視点に於いても深く考えさせられるもの。
カトリックあるいはキリスト教をもとむにして、神父、あるいは牧師に求むる一報、
この本によってまた一人で思索するのもまた必要ではなかろうか。
また、カトリック、プロテスタントわけ隔てなく、この本からみなさんの意見も拝聴できれば
幸いだと思う。
続く
99/03/26