『プログラマ、石をみがく』の正誤表

【解説】

(本文では書ききれなかった点を補足します)

【“K”についての補足】

【寿限無寿限無について】

【ピカソの本名について】

【ヤスパースの警句について】




【正誤表】>

【初版をお持ちの方】
  (1998年5月10日発行)

【持っていない方(それはいけませんね)】
 goto BookStore; //* as soon as possible




















































 
【“K”についての補足】

p.68の「ソフトウェアと“K”」

kの問題を最初に指摘し言及したのは、東芝の米田英一氏であるといわれている。既に廃刊となってしまった雑誌だが『省力と自動化』(オーム社)の連載コラム「コーヒーブレイク」として1992年10月号に載った「ケイかキロか? SI(国際単位系)に対する計算機屋の困惑」の中で指摘したのが最初ではないかと思われる(実は、私は読んでいないのだが)。

フロッピーディスクの容量の表現についての問題提起は、田村千太郎氏から教えてもらった事実をもとにして記述されたものである。

「接頭語の覚え方」は、森野公夫氏による投稿から動機づけされたものである。森田氏の作品は、以下のとおりであった。

“エクサっとペダルを踏んでテラ帰りギガギガメガねの和尚さんキロキロとヘクトデカけたメートルがデシを取られてセンチミリミリマイクロほんナノにピコピコ鳴ってるフェムト腺のアトきヨタく金ゼタい当選改革ゼクトつヨクトも”
 これからも分かるとおり、私の作品はこの森田版によく似ている部分が多い。つまり、強く影響されているといってもよかろう。森田氏が「接頭語の覚え方普及の会」の会長であられ、私が副会長(この任命に当たっては、まだ会長の了解は得られていない!)である所以である。




















































 
【寿限無寿限無について】

p.121の「ソフトウェアと名前」

p.136 【注】<*10>日本一長い名前

 原稿段階で私が用意した寿限無寿限無‥‥は以下のとおりであった。

“寿限無寿限無五劫のり切れ海砂利水魚の水行末雲来末風来末食う寝る所に住む所ヤブラコウジブラコウジパイポパイポパイポのシューリンガンシューリンガンのグーリンダイグーリンダイのポンポコピーのポンポコナの長久命の長助”
(106文字)
 これに対し、中央公論社編集部が独自に確認してくれたものが初版に記載されている以下のものである。
“寿限無寿限無五劫のり切れ海砂利水魚の水行末雲末風来末食う寝る所に住む所ヤブラ小路ブラ小路パイポパイポパイポのシューリンガンシューリンガンのグーリンダイグーリンダイのポンポコピーのポンポコナの長久命長久命の長助”
(106文字)
 どちらが正しいのかは分からない。そこで私は、落語のプロつまり落語家に実際に聞いてみようと思い立ち、三遊亭円丈師匠にメールで問い合わせてみた。するとうれしいことに、懇切丁寧なご教示をいただけた。

 それによれば、落語というものは口写し(ママ)で伝える芸であるから、意外とどう表記するかは、いい加減というか無頓着なところがあるのだそうである。「たらちめ」という古典落語があるが、その中で「‥‥キンたらんと欲す!」というセリフがあったので「きんたらんと欲す」とはどういう意味かと、教わった円生に聞いたところ「知らない!」といわれたとか。

 他のどの先輩に聞いても誰も知らない。つまり誰も知らない言葉が堂々と演じられているのである。途中で一部間違って覚えてしまうと、以後そのまま伝えられたりして元が何だったのかは分からなくなってしまうらしい。

 したがって“寿限無”も正確な表記というものは、音として正しければそれでよいのではないか、ということでした。私の原稿段階のものは正確であるとのこと。ただ、「やぶらこうじにぶらこうじ」の部分を漢字にするかどうかだと思う、とのことでした。

 なに? 「やぶらこうじぶらこうじ」だと? なるほど。円丈師匠は「やぶらこうじぶらこうじ」ではなく「やぶらこうじぶらこうじ」と伝えられたものとみえる。




















































 
【ピカソの本名について】

p.121の「ソフトウェアと名前」

p.137 【注】<*11>ピカソの本名

 ピカソの本名として

パブロ・ディエゴ・ホセ・ツランチェスコ・ド・ポール・ジャン・ネボム・チェーノ・クリスバン・クリスピアノ・ド・ラ・ンチシュ・トリニダット・ルイス・イ・ピカソ

と記したが、この出典は新聞で見た広告欄の記述をメモしておいたものがもとになっている。したがってその信憑性にはいささか疑問なしとしない。しかもスペイン語のカタルーニャ地方の方言を日本語でカタカナ表示したものである点も気になっていた。

 そこで「ピカソ画房」(http://www.picasso.co.jp/)に問い合わせたところ、名前を知るための手がかりとなる各種の情報を提供していただいた。それによると次のような興味深い結果が得られた。実は、二種類の名前が存在するのである。

A:「Pablo Diego Jose Francisco de Paula Juan Nepomuceno Maria de los Remedios Cipriano Santisima Trinidad Ruiz y Picasso

B:「Pablo Diego Rivera Jose Francisco de Paula Juan Nepomuceno Maria de los Remedios Cipriano de la Santisima Trinidad Ruiz Picasso

 もっと面白いのは、A氏は1881年10月25日生まれであるのに対し、B氏は1881年11月25日生まれとなっている。どうやら、ピカソ氏は二人いたものとみえる。

 なお、『ピカソ 天才とその世紀』(マリ・ロール・ベルナダック/ポール・デュ・フーシェ著 高階秀爾監修 (株)創元社)によれば、ピカソの本名は「パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パオロ・フアン・ネポムセノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・シプリアノ・デ・ラ・サンティッシマ・トリニダッド」となっている。




















































 
【ヤスパースの警句について】

「ソフトウェアとペンティアム騒動」のp.36

 哲学者ヤスパースの警句「一人の人間が同時に、ナチであり、知的であり、誠実であることは不可能である」は、米田英一氏から教えられたものであるが、米田氏もその出典についてはまだ最終確認できないでいるという。したがって米田氏は、常に“ヤスパースのものとされている”と注意深く記すことにしているのだそうである。

 この警句は、ハイデガーのナチとの関わりについて言及したときに用いられたものであるといわれている。つまりここで問題とされたのは、ハイデガーが第二次世界大戦中ナチ党員であったという事実よりも、戦後になってもこれに対する反省の念がまったく見られない点にあった。ここでは、インテル社がミスを犯したことよりも、ミスが発見されてからもインテル社に反省の色が見えない点を問題にしているのは明らかであろう。




















































 
【初版に対する訂正】(1998年5月10日発行)

目次の次の頁
   装幀/鈴木正道

 
   装幀/鈴木正道
   挿絵/木下 恂