■ そして彼は神輿(みこし)になった
『季刊しずく �bR』(2019年1月発行)より |
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前号で私は、日本脳性マヒ者協会青い芝の会の入部香代子さんのことを書いた。重度障害者が街で暮らすなど想像すらできなかった1970年代、私は彼らと出会い、自分の価値観を大いに揺さぶられた。入部さんが亡くなった3年後の2016年、やはり病のために67年の生涯を閉じた青い芝の会の森修さんからも実に多くのものをもらった。そのごく一部を紹介したい。 70年代中ごろ、私は前号にも書いた在宅障害者訪問活動で出会った2つ年上の森さんの家に足しげく通っていた。あまりにも入れ込み過ぎて、夢の中にまで彼が出てきた。自分の前を、縦縞のスーツ姿の男性が颯爽と歩いている。もちろん直立二足歩行だ。そしてふと振り返ったその男性の顔が森さんだった時、私は実際に悲鳴を上げたに違いない。自分の声に驚いて目が覚めると、布団から身を起こし汗だくになっていた。そんな悪夢を何度も見た。 彼は脳性マヒの中でも最重度で、全身の硬直のために座位をとることができなかった。母親と二人暮らしだったが、すでに彼女一人で息子を介護するのは困難だった。元気な若者でも入浴介護は一人では無理だ。私はもう一人の男性と彼の家の狭い風呂場で格闘した。森さんの頭を洗おうとすれば彼の足が壁を蹴り、少しでも手をゆるめれば脳性マヒ者特有の不随意運動で湯船に沈みそうになる。はたからは、3人がプロレスの取っ組み合いでもやっているように見えたに違いない。 もう一つ、つらいのが泊まり介護だった。彼は自分で寝返りを打てない。そこで寝返り介護が必要になる。それも1時間おきに。ある時、これは森さんから直接聞いた話だが、「眠いから勘弁して」と寝返り介護を拒否した若者は、翌朝森さんから「お前は24回寝返りをした。それなのにオレは1回の寝返りも許されないのか」と詰問された。彼は一晩中一睡もせずに介護者の寝返りの数を数えたのだ。執念の人である。 森さんとは毎日のように外出した。先ほど彼は座位がとれないと書いた。だから車いすは、足乗せの部分を前に突き出し背もたれを45度くらい後ろに倒して、やたらと前後に長い。彼が住む大阪の四条畷市を走る当時の国鉄片町線の車両には、ドアを入った所の真ん中に天井から床まで鉄の棒が1本立っていた。今ではあまり見かけないが、これはスタンションポールと言って、立っている乗客がそれにつかまって安定を保つためのものらしい。 その暑い日も、私は森さんの車いすを押して四条畷の駅に向かった。当時はエレベーターもエスカレーターもない。通りかかる人を呼び止め、駅の跨線橋を上り下りしてホームにたどり着く。電車に乗り込むと、車いすの足乗せの間にそのポールを挟む。そうしないと背もたれがドアからはみ出すのだ。まるで寸法を測ったかのように、車いすはきっちりと電車に収まる。ドアとポールにはさまれて車いすはビクともしない。完璧だ。 ところが、その後とんでもない事態がぼっ発する。その日初めて降りる駅で、何と反対側のドアが開いたのだ。ポールを中心に車いすを回転させようとするが、座席がジャマをする。汗があふれる。私は叫んだ。「みなさ〜ん、手伝って!」。5、6人の乗客が駆け寄ってくれた。「せーのー!」と声をかけ合いながら、車いすを天井近くまで持ち上げる。そしてやっと180度回転させることができた。ホームに降りた森さんは嬉しそうに笑っている。電車の方を振り返ると、乗客たちも額の汗をぬぐいながら満足そうにこちらを見ている。突然で一瞬のお祭りだった。 当時、森さんのような障害者を街中で見かけることは皆無だった。だから彼と一緒に街に出ると、似たようなざわめきが随所で起こった。楽しいことばかりではない。バスに乗車拒否されたり喫茶店を追い出されたり、視線をそむけられたかと思えば逆に遠慮のない好奇の目線を向けられたり、大仰に驚かれたり敵意をむき出しにされたりした。でも、誤解を恐れつつ言えば、私はそれが面白かった。いったん彼の車いすの後ろに回ると、彼に向かって押し寄せる世界の眼差しを経験することができた。もちろん私は単なる介護者だから、それはあくまでもフィルターがかかった眼差しに過ぎない。しかし彼の後ろに回って一緒に動かないかぎり、決して気づくことのない眼差しだった。その体験は、その後私がものごとを考える上での基本的な視点を培ってくれたように思う。 例えば出生前診断や尊厳死の問題に出会った時、私はまず、「重度の障害者にとって、それはどんな意味を持つのか」と考える。障害児が生まれることを否定するのは、今現に生きている障害者の生を否定することではないか。知的な活動ができなくなったら生きる意味がないというのは、重い知的障害者を社会から排除することにつながらないか。これらは私にとってとても自然な問いだ。そしてその問いは障害者問題の枠を超え、沖縄の米軍基地、死刑制度、貧富の格差や難民の問題などに拡がる。それらの現場で一番厳しい状況にある人のことを想像してみる。もちろん私の想像力などたかが知れているから偉そうなことは言えない。ただ、さまざまな社会問題に出会った時、少し立ち止まって、かつて車いすの後ろに移動したように自分の視点を移動してみようとするクセは森さんたちからもらったものだ。 私たちの価値観は自分が経験したことに大きな影響を受けていて、しかも神でもない私たちにはその経験はいつだって不足している。私たちは自由にウチナンチューになったり死刑囚になったりロヒンギャ難民になったりすることはできない。ゆえに私たちの人間観や世界観はいつだって十全ではない。狭くなったり歪んだりする。だからこそ自分とは異なる価値や文化を生きる身近な「他者」との出会いが必要だ。私にはその重要な「他者」が森さんだった。 |
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