■ 「安楽死を選んだ彼女」を選んだメディア

 

『季刊しずく ��6』(2019年10月発行)より

 少し前の話になるが、今年6月2日に放映されたNHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」は各方面に大きな衝撃を与えたようだ。中枢神経が徐々に変性する多系統萎縮症という難病に罹患した日本人女性ミナさんがスイスの自殺幇助団体に登録し、渡航して52才で死に至るまでを追ったドキュメンタリーだ。彼女は4人姉妹の三女で、上の二人の姉がスイスに同行し、医師が処方した致死薬の入った点滴のストッパーを妹自らが開くのに立ち会う。その現場までカメラが入った。番組の反響はさまざまで「安楽死について深く考えさせられた」という好意的なものも多かったようだが、日本自立生活センター(JCIL)が「私たちの尊厳や生命を脅かす大きな問題点が見られたので、強い危機感をもって」抗議声明を発するなど障害者たちからは反発の声もあがった。

 私は観終わってすぐ違和感や不快感に襲われた。まず、番組のスタッフたちが自殺の現場に立ち会いながら、それを止めることも蘇生措置をとることもせずにカメラを回し続けたことだ。密着取材を続けたスタッフたちが、その過程でミナさんとどんな会話を交わしてきたのか知るよしもないが、目の前で進行する自殺行為を黙視したという事実は動かせない。仮にある人がこれから電車に飛び込んだり、首を吊るのを知った上でその行為を撮影し続たとしたら、撮影者は激しい非難を浴びるはずだ。確かにスイスでは、厳しい条件を付してではあるが自殺幇助が認められ、それは外国人にも開かれている。つまり今回のケースは合法だ。それでも現場に立ち会った番組の取材班や協力者たちは幇助者の一人であって、少なくとも倫理的にはそのことが問われるのではないか。しかし番組からはそういう問題意識はまったく伝わってこなかった。

 次にミナさんの姉たちの存在だ。ミナさんは発病した後、一人暮らしの家を引き払って長姉夫婦と同居していたというから、姉妹間にかなり深いつながりがあったことが伺える。絶望して何度も自殺未遂を繰り返す妹のそばに寄り添いながら、姉たちは何とかミナさんに生きてほしいと願う。しかし妹との濃密な時間を重ねるにつれ、安楽死を認めるようになる。そこには大きな葛藤があっただろうと思う。しかし番組からは、二人が狼狽したり泣いたりしながらも、ミナさんが願うことをただ追認する姿しか見えてこなかった。これは邪推かも知れないが、私はそこに、そうした姉たちに何か重要なメッセージを発信させようとする番組の作り手の意図を感じた。これが二つ目だ。

 そしてミナさん本人の問題である。姉によると、彼女が強く死を意識し始めたのは胃ろうや人工呼吸器をつけた人たちが入院している病院を訪問してからだという。ミナさんは無言で病室を見て回りながら、自分の将来の姿をそこに重ね合わせ、「確実に私が私でなくなっていくのが分かる。それが怖い」、「天井を向いているだけだったり、食事をしてもらったりオムツを変えてもらったり、そんな生活に生の喜びが感じられるのか」と自問し始める。そして「死を選べるということは、どうやって生きるかを選択するのと同じくらい大事なことだ」という結論に至る。そこには「天井を向いているだけだったり、食事をしてもらったりオムツを変えてもらったり」している人たちへの想像や共感の眼差しが欠落している。もう少し自分を対象化することはできなかったのか。そういう契機を周囲のだれ一人ミナさんに与えることができなかったのか。そのことが悲しいし腹立たしい。番組には短い時間だが、人工呼吸器を装着しながら家族との関係を大事に生きている女性も登場した。しかし彼女とミナさんとの対話もなく、二つの相反する生き方の間に生じる葛藤も語られず、中立性を保とうとして無理やり取ってつけたような感じが否めなかった。

 そして、自殺幇助団体そのものへの不信もある。スイスで自殺幇助が認められるのは、本人の意志に加えて、耐え難い苦痛があり、不治であり、代替治療がない場合に限られるはずだ。しかしミナさんの場合、耐え難い苦痛というのは、現在ではなく将来に対するものではないかという疑いはぬぐえない。彼女のケースは、2014年に米国で脳腫瘍のため余命6か月と診断された29才の女性が、今後「自分が自分でなくなる」ことを恐れ、ネットで予告した上で安楽死した事件と重なる。これはオランダやベルギーといった安楽死先進国全体に言えることなのだが、安楽死法が制定された当初の厳格な基準が次第にゆるめられ、精神的な苦痛だけの場合も病気が末期や不治でない場合も認められたり、年齢制限がなくなったりしている。いったん一歩を踏み出すと歯止めがきかなくなるという「滑りやすい坂(Slippery slope)」論が現実のものとなっているのだ。番組にはそのことに対する批判的な視点もなかった。

 唯一の救いは、安楽死に反対するミナさんの妹の言葉が紹介されたことだ。末の妹は「自分の鎧を脱いで、ひとの助けを借りながら生きてほしい」と姉を説得し、ミナさんも他人に頼ろうとしない自分に気づかされて、一時は「もっとひとに頼っていいんだ」と思ったこともあったという。しかし将来への恐怖はそんな気持ちを凌駕してしまう。どんな事情があったのか分からないが、その妹は映像としては登場せず、ただその言葉だけが紹介された。そのこともまた、この番組の限界や偏りを語っているのかも知れない。

 自殺は生命の本能に反する行為であって、どんな生きものにとっても不(反)自然そのものだと言える。その不(反)自然を人間に強いるのは、私たちが取り結ぶ関係でありこの社会だ。安楽死という問題を考える時、その大前提を忘れてはいけない。影響力の大きなメディアならなおさらだ。番組への批判を踏まえた続編に期待したい。


 

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