軽度障害って、 取るに足りない差別でしょうか?


秋風 千惠

2011/03/23

  『そよ風のように街に出よう』に「The Missing Pieces ―風穴はどこにある」と題するエッセイを連載するようになって早5年が過ぎ、今年6年目に突入しました。ずいぶん長く関わっているように思いますが、わたしは連載執筆陣のなかでは若輩者のようです。連載は6年目ですが、その前にもご縁があって一度エッセイを掲載していただいていました。1999年、乙武さんの『五体不満足』がベストセラーになっていた頃です。あれについては障害当事者からさまざまに反論もあったわけですが、わたしもそのひとりでした。乙武さんが自分のことを書いているだけなら特になんとも思わなかったでしょう。しかし無邪気な若気のいたりとでも言うのか、筆がすべって他の障害者への批判になってしまっている箇所があり、それにはきちんと反論を、いやいや物申しておかねばくらいの心意気で書いたエッセイを『そよ風のように街に出よう』が拾ってくれたのでした。それには後日談があり、わたしのエッセイを読んで異論をもたれた読者の方と、そよ風のホームページ上で何度か対談までしました。その後はしばらく『そよ風…』と連絡が途絶えていたのですが、2004年に『新日本文学』に掲載されたわたしの「鮨と女とスティグマと」という小文を読んでくれた小林副編集長から『そよ風のように街に出よう』本誌に連載をとの話があって、それ以来連載を持つようになったのです。今回は「編集部だより」の冒頭エッセイを仰せつかり、小林副編集長から「“あの原稿を書いているのはどういう人なんだろう”という本誌の読者を意識して書くように」とのご達しですので、あらためてわたし自身のことを書こうと思います。

 連載執筆陣の多くの人がそうであるように、わたしにも障害があります。先天性の身体障害で手にも足にも障害があります。具体的に言うと、両腕とも肘が120度くらいで固まったままで伸ばすことも曲げることもできません。指の関節も足りなかったりします。足は内反足といって足の裏の全面を使って歩くことができない、つまりは足の裏の外側にばかり重心がかかる状態でしか歩けない、そういう状態で生まれてきました。ちょっと想像してみてください。障害疑似体験キットにそういうものはないかもしれませんが、肘が120度くらいで固まっているキットをつけていると想像してみてください。どうでしょう? ちょっと(というか、かなりかもですが)困るけれども、なんとかお箸やフォークを持ってご飯を食べることはできるでしょう? トイレに行くことを想像してみてください。肘120度固定でも、トイレを済ますことができるでしょう? 慣れてくるとまったく問題なく食事もトイレもできることがわかってもらえるかと思います。足の方も、重心がどうだからって歩くことはできます。まあ10年くらい前から外出するときはステッキ杖を突くようになりましたが、家の中では杖も必要なく過ごしています。障害はあるけれども日常生活で困ることが少ない、そういう障害者です。

 1953年生まれですから、就学年齢に達した当時はまだ就学免除なる奇怪な制度が機能していた時代です。最近になって父に聞いたのですが、わたしのところにも就学免除が一応来るには来たようですが、日常生活に困らないことを説明したのではないでしょうか、幼稚園で遊んだ友達と一緒に普通校に入学しました。以来わたしはずっと健常者ばかりの世界に暮らしています。ところが、大学を出てもわたしの時代では女性には仕事が少なく、まして障害があるのです。就職は困難を極めました。それでもやっと見つけた職場で、あろうことか上司から厳しいイジメを受けます。仕事を失うかもしれない恐怖を抱えた2年半でした。わたしは人事担当取締役に直接申し出ました。イジメを行った上司は別の問題もあったようで移動となり、一応の解決をみましたが、わたしのなかにある疑問が沸き起こり、これをどうにもぬぐえませんでした。女性であって障害者である自分は社会のなかでどういう場所なのか、そういうことを考えていました。努力が足りなかったのだろうか、わたしがつまらない存在だったからイジメを受けたのだろうかと。ちょうどその頃『障害学への招待』という本に出会います。この本に出会ったことで、自分だけが苦しいくらいに思っていたことが、学問として体系づけられるようなものだと知りました。わたしのしんどさは社会的なシステムのなかで説明できることであって、わたし個人がつまらない存在だからではない、少なくとも卑屈にならなくてもいいということがわかったのです。そういう意味では救いでした。そこから障害者運動に入っていくまでに時間はかかりませんでした。ところが、運動体内部で意見がまとまらなくなり一度組織を壊して再編しようという話になったとき、なぜかわたしはその運動から外されたのです。外す理由として用いられたのが、「はたして、秋風さんが障害者なのか?」でした。この辺の顛末については連載7回に書いたとおりです。健常者社会のなかにあって周縁におかれ障害者集団にも疎外される、いったいわたしは何者なのか、社会のなかでどういう位置にいるのだろうかという新しい疑問がわたしを大学院にまで連れてきました。わたしは介助のいらない軽度障害者、あるいは介助してもらうとしてもその頻度が少ない障害者を中心にインタビュー調査を行い、その結果を昨年末博士論文に書き上げました。わたしの疑問には一応の区切りがつきました。

 軽度障害あるいは介助の必要の少ない障害者がどれだけ実在しているのかについては資料が少なく正確な数字はわかりません。ただし、『障害者白書』や厚生労働省社会・援護局が出した『平成18年度身体障害児・者実態調査結果』などの公的な資料からある程度妥当な数字を割り出すことができます。そうして割り出しますと在宅障害者で頻繁に日常的な介助を要する人は全体の約35%程度です。したがって残りの約65%の身体障害者が、軽度障害あるいは介助の必要の少ない障害者と言えるでしょう。でもそうかと言ってこの人々の問題が重度障害者の問題とまったくかけ離れているわけではありません。重度/軽度に関係なく、障害者の間に通奏低音のように共通する意識があることもわかりました。差別偏見については重度/軽度の区別はなく共通しています。当事者は同じように痛みを感じています。価値を剥奪される痛みに、重い軽いはないのです。けれども一方で互いに別の問題も抱えています。そのひとつが生活のための収入の問題です。軽度障害あるいは介助の必要の少ない障害者のなかには、年金をもらうこともできないために無理をして働かざるを得ない人々もいます。ところがその収入がとても低いのです。こちらも資料が少なすぎるのですが、たとえば2006年の『障害者の所得保障と自立支援施策に関する調査研究』を見ると、健常者男性を含む男性全体の就労率89%に比べて障害男性の就労率は64%に過ぎません。また障害男性の年間所得は、障害基礎年金及び障害に起因する手当を含めても、健常者男性を含む男性全体の年間所得の半分以下で、障害女性はもっと低い数字です。少ない資料でも、これくらいのことがわかりました。

 軽度障害者や介助の必要が少ない障害者の問題は、いままであまり問題にされてきませんでした。社会通念では重度障害者の方がたいへんな問題を抱えているように思えるからです。軽度の問題は、「『より深刻な差別』の前に『取るに足りない差別』が沈黙を強いられていた」(by上野千鶴子)とも言えます。残念ながら、雑誌『そよ風のように街に出よう』にもそういった傾向が否めないかと思います。しかし、軽度障害者や介助の必要が少ない障害者の問題も捨て置いてはいけない問題ではないでしょうか。わたしとしてはこれからも連載を通して軽度障害者について発信していこうと考えています。もちろん、楽しく読んでもらえるように心配りをしつつ。

(あきかぜちえ/『そよ風のように街に出よう』に「The Missing Pieces ―風穴はどこにある」を連載中)    

   
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