おばあちゃんの茶断ち


福場 誠二

2014/02/06

 

 50過ぎてもまだまだ若いつもりでいるけど、ふと気がつくと職場40数人の中で上位5番手位になっている。同世代以上はほぼ管理職になっていて、楽しそうじゃない(と思う)。僕は、運動会でグランド中を走り回り、野外活動では、オリエンテーリングやキャンプファイヤーの係で、生徒と一緒に動き回れて楽しい。普段目の前にいてくれるのが中学生で、いつも(背が低いので)紛れ込んでいるから、気持ちだけは若いんだけど…。ただ身体のあちこちが、歳に追いついてきたようだ。ここ数年はラグビーの古傷が辛い。折った肋骨や靭帯損傷の右膝は天気予報より確実に雨を教えてくれる。さらに最近は近くが見えにくくて困る。眼科で「遠視ですかねぇ?」と先生に聞くと、キッパリ「いえ、老眼です!」と断言された。半世紀も動いてきたんじゃけぇ、しゃーないか…と思っている。

 当然、若い先生や生徒とのギャップも感じる。傷と言えば「アカチン」だけど、通じない。傷薬と言えば、白(透明)か黄色しか知らないそうだ。「何でも正露丸とオロナインで治す!」という気合は、異星人を見るかのようだ。根性のうさぎ跳びと、バテるからと水を飲まずに練習してきた世代…。ただこのギャップがおもしろい。ええっ!とお互いがビックリするのがいいかも。今では全国的にも有名になっている広島の「フラワーフェスティバル」だけど、その始まりはカープ初優勝の時の平和大通りでの「優勝パレード」だ。僕にとっては普通のことだけど、若い人は知らないので「えーっ!」とビックリしているが、僕の方こそビックリなのだ。今シーズン初のCS出場したカープだけど、昔はすごかったんだぞ! ルーツ監督で赤ヘルになり、引き継いで交代した古葉監督で初優勝! 打って走って守りきって、日本一にもなったし! 広島市民球場で日本シリーズも闘ったんだぞ! と自慢できるのは僕ら世代。そんなギャップが多くあるけど、僕が子どもの頃の話は生徒たちの気持ちに届くことも多い。

 今年は3年生の担任…進路に向かって、みんなに「僕のおばあちゃんの茶断ち」の話をした。

 『おばあちゃんの茶断ち』

 中学校3年生の夏休みの終わり…部活の試合も終わって暇になった僕は「涼しい所で集中して勉強をするため!」というもっともらしい理由をつけて、総領町の山奥にある祖父母の家に泊まりに行った。たまっていた宿題と、一応、受験用の問題集とノートを全部リュックに詰め込んだ。芸備線に乗り三次…福塩線に乗り換えて 三良 ( みら ) ( さか ) へ。1日2〜3本しかないバスにゆられて1時間余り。バス停からさらに山道を歩いて30分。家が見えると走り出してしまう。「ただいまぁ!」…池の鯉と30羽以上いるニワトリにあいさつして、開けっ放しの戸口から飛び込む! おじいちゃんの頑丈な腕と、おばあちゃんの優しい笑顔が待っている。いつも僕を歓迎してくれる。

 昔、牛を飼っていたという納屋の2階。4畳半の部屋をおじいちゃんが片付け、古い机を置いてくれて、僕の臨時勉強部屋になった。自分の家では部屋も机も無かった僕は、それが嬉しくて勉強もはかどるはず…だった。しかし、自然の中、虫が大好きな僕にとって、そんなのは絶対無理な話! 気持ちのいい風の入る窓からは、一面に広がる里山が見える! 草木の繁った山があり、田んぼやだんだん畑。ちょっと下には川が流れ、魚が跳ねる。山の上でミンミンゼミが鳴き、夕方にはカナカナ…とヒグラシ! オニヤンマ、シオカラトンボ、もうアキアカネも飛んでいる。田んぼや小川には、ゲンゴロウやガムシ、タガメやタイコウチ、マツモムシもたくさん! 鮮やかな赤い腹のイモリがすいすい泳ぐ。川にはハヤの大群、真鯉も見える。ナマズやギギも釣れる。夜になればカエルの大合唱。ブーイブーイとウシガエル。混じってキリギリス、クツワムシ、ウマオイ…もうコオロギなどの秋の虫も鳴いている。電灯をつけていると、カブトムシやクワガタなどいろんな虫も飛んでくる。勉強なんかしている場合ではないのだ。

 結局…僕は、虫取りに魚釣り…山や川を走り回って10日間を幸せいっぱいに過ごしてしまったのだった。それから僕は、2学期になっても相変わらず部活を続け、受験モードから逃げていた。大切なことをズルズルと後伸ばしにして、自分でごまかしていたのだ。

 「勉強する!」と言いながら、一日中、虫を追っかけ魚を捕り、野生化して遊びまくる孫を見て、祖父母とも相当心配したらしい。高校はきっと無理だから、引き取って農業の手伝いをさせようか…猫よりマシだろう…という話も出たそうだ。そんな心配もあってか、僕が祖父母の家から帰った後、おばあちゃんは「茶断ち」を始めたらしい。「茶断ち」とは、何かを祈ったり願をかけたりする時に、一番好きなものを断つ(お茶なら飲まないこと、その他、食べない、しない…など)ことである。おばあちゃんは農作業の後、曲がった腰をさすりながら、よくお茶を飲んでいた。総領町名産の ( ) 総羊羹 ( ぶさようかん ) (メチャ甘くて僕は少ししか食べれん)の切れ端や、時には自分で漬けたタクアンや広島菜を食べながら、おいしそうにお茶を飲んでいた。その大好きなお茶をピタッとやめて、ずっと 白湯 ( さゆ ) を飲んでいたそうだ。

 お年寄りにとって、お茶を飲むシーンは一日中たくさんある。そのお茶を断つのだから、いつも僕のことを意識してくれていたんだと思う。一番好きなものを我慢することで、少しでも僕の受験がうまくいくようにと願い、祈ってくれたのだった。そんなおばあちゃんの気持ちも知らず(おばあちゃんは誰にも言わなかった)、当の僕がなかなか本気になれなかったのだ。

 少し遅すぎたけどラストスパートを始めた僕は、第一志望には落ちたが、おばあちゃんのおかげか、無事に希望する高校に入学することができた。春になって合格の報告に行った時、おじいちゃんは大好きなウイスキー、おばあちゃんはしみじみ味わうようにお茶を飲んだ。その時、背中が曲がりいっそう小さくなったおばあちゃんの姿や、しわだらけの優しい表情が、春の木漏れ日を浴びて息を飲むほど美しかったのを今でもはっきり覚えている。

 その後、すぐ裏山にある先祖代々のお墓に3人でお参りした。お墓は、大きな栗の木がある山の斜面に、祖父母の家を見守るように建てられていた。あらためてたくさんあるなぁって思った。古くて小さいお墓の裏には「元禄…」という文字がやっと読めた。長い間風雨にさらされてきたのだろう…墓石の角は丸くなり苔むしていた。丸いのやお地蔵さんの形のもの、上に屋根みたいなのがあるもの、いろんな形のお墓があった。そんなたくさんの墓に線香をあげ手を合わせながら、おじいちゃんやおばあちゃんにお世話になったのはもちろんだけど、はるか昔からずっとつながって今の僕の命があるんだなぁと思った。たくさんの人のおかげの命なんだなぁって思った。だから精一杯やりたいなぁ…そう思いながら、祖父母の家を後にした。

 「茶断ち」…目標を達成するために、好きなものを我慢して断ち切る…僕にはできるんだろうか…? でもおばあちゃんは、僕にも誰にも言わず、願いが叶うまで7ヶ月も実行してくれたのだ。結局、お礼も言わないままになってしまった。おばあちゃん、ごめんね。ほんとにありがとう。おばあちゃんのおかげで、今の僕があるのかもしれません。「茶断ち」の効果?ではなく、そうまでして僕のことを思い心配してくれたおばあちゃんの気持ちが、今の僕にしてくれているのです。きっと今でも僕のことを守ってくれていると思うのです。

 よく僕は、おばあちゃんの夢を見るのですが、必ずおばあちゃんはお茶を飲んでいます。ところが時々おばあちゃんは、お茶を飲むのをやめて湯飲みを置くのです。それは、僕が何かに悩んでいたり困っていたりする時なのです。おばあちゃんに好きなだけお茶を飲んでもらえるように、しっかりしなくっちゃって思うのです。

(ふくばせいじ/『そよ風のように街に出よう』に「ふくちゃんの広島焼き」を連載中)



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