「ひっくりかえる」という体験


堀  智晴

2005/01/01

 はじめに
 大阪に来て早いものでもう30年が過ぎようとしています。いろんなことがありました。この30年で、障害のある子の教育についての私の考え方は、少しずつ変わってきました。いや、変えられてきたと言った方がいいでしょう。ここでは思い出すままに私の体験を書かせてもらおうと思います。これらの体験が今の私をかたち作っているのですね。

 知的障害養護学校でのAさんの思い出
 はじめに思い出すのは、知的障害養護学校の中等部にいた女の子Aさんです。Aさんは家が貧しくて修学旅行にも行けませんでした。知的な障害があるのかわかりません。彼女は詩を書いて私に見せてくれましたから、なぜ彼女がこの学校に来ているのか不思議に思いました。
 日本では、ようやく1999年4月から、「精神薄弱」という言い方をやめて、「知的障害」と表現するように法律で決まりました。それまでは、「精神薄弱」というひどい言い方がされていました。学校は精神薄弱養護学校と言い、そこに学んでいる子どもたちは略して「精薄児」と言われていたのです。
 さすがに、そんな言い方はしたくないので、先生たちは「ちえ遅れの子」という言い方をしていましたが、よく考えるてみるとこの言い方もおかしいですね。今の「知的障害」というのもおかしいですが……。
 なにしろ私はびっくりしました。「精神薄弱児」が、詩を書いて持ってくるのですから。今彼女はもう40歳になると思います。今どこでどうしているのか知りたいですね。当時の子どもたちは、現在どこでどのように暮らしているのか、たずねていきたいと今考えています。
 なせ彼女がこの学校に来ているのか。この学校とはどんな学校なのか。Aさんとの出会いから私はこのようなことを考えるようになったのです。この学校に適した子どもというのが存在するのか、と考えはじめたのを覚えています。

 特訓してもよろこんで応じるHさん
 Hさんとは今もつきあっています。彼から私は本当に多くの貴重なことを学びました。彼は語いが少なく自分の言いたいことをうまく話ができないように見られがちです。表現が幼いと見なされるので、彼の内的世界も幼いと誤解されてしまいます。聞き手のつきあい方、聞き方によって、彼の言いたいこと、考えていることが少しずつ分かってくるのですが、なかなかそこまでつきあい、聞こうとしないのが普通でしょう。
 私も若かったのですね、こちらからお願いし彼の家におじゃまして、言語訓練をさせてもらいました。彼の家の2階で、2時間近くみっちりと発声訓練をし、歌を歌い、対話の練習をしましたが、全然へこたれません。彼は楽しんで練習するのです。何度もくりかえして言い直させるのですが、口元にだ液をあふれさせながらも平気な顔をしてくりかえし発声するのです。なぜ彼はこんなに楽しそうにするのか、私のきびしい特訓をこんな風に受けるのだろうか。不思議でした。
 二人で向き合って一つのことを一緒にすることがうれしいのか。彼にとってみると特訓も遊んでいるのと同じことなのか。いろいろ考えさせられました。私としては、彼のように真剣に取り組んだことが自分にはあったのだろうかと考えてしまいました。
 後から彼の少学校のときの成績表を見せてもらい、もう一度びっくりしました。勉強の成績はすべて、「よい」「ふつう」「がんばろう」の3段階の「がんばろう」でした。こんなにがんばる人なのに彼の成績はいわば「オール1」なのですね。これは驚きでした。学校というところは教育という名のもとにこういうことをしているんだと思い知らされました。
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 きっぱり決断したOさん
 Hさんの友だちのOさんも私の家に遊びに来てくれます。Oさんは几帳面です。ゆっくりペースで行動します。近くの学校の校庭で野球をしたときも、私の打った球が自分の横を通り過ぎていったあとから、よっこらしょと球を追いかけていきます。私の打つのをじっと見ているのです。そして、私の打った球が自分の方にころがってくるのを見ているのですが、そちらの方に体が動かないのです。後から分かったことですが、気持ちは球の方に動いていたようです。
 彼は養護学校を卒業後、小さな製本会社で働いて結構稼いでいました。几帳面なのでていねいに仕事していたと思います。この会社を彼はきっぱりと「やめる」と言ってやめたのですが、そのときの電話での彼の言葉に私はびっくりしました。
 「ほんとにやめるの、やめたらもう働けへんで。簡単に働くとこ見つからへんで」
「うん、やめる」
 「ほんとう?」
 「うん、やめるわ」
 「そうか?」
 「うん」
 これがそのときの会話です。えーっこれがOくんか、と私は思いました。そして、時間がたつにつれて、そりゃそうだな、と思うようになりました。
 彼が風呂に入っているとき、お母さんが彼の太ももに大きなアザを見つけました。彼にどうしたのかときくと社長に蹴られたということでした。そこでお母さんが社長に問いただすと、「このような子はからだにたたきこんで鍛えなあかん」と言ったそうです。
 だんだんと分かってきました。雑巾で顔をふかれたこともあったそうです。お母さんが彼にこれからどうするかと聞くとやめると答えたそうです。
 そこでお母さんが私のところに電話をしてきたのです。もう一度本人の意思を確かめてほしい、というのです。彼に電話をかわってもらうと上に書いたようなやりとりになったのでした。
 なんだ、私は彼のことを少しも分かっていなかったじゃないか、と感じました。

 ひっくりかえれない人
 私はこの3人から自信をもたないことの大切さを学びました。他者を理解することはほとんど不可能だと思いました。これは貴重な経験でした。自信をもって他者を理解している人、このような人こそ信用できないということに気づかされました。
 もちろん現実に、誰かと接する場合は、この人はこんな人だというような「仮の理解」をした上でないと相手と接することができません。だから一応の「仮の理解」はします。しかし、これはあくまでも<仮の>理解です。仮そめのものに過ぎません。自分の他者理解に自信を持たずに「仮の理解」だということを忘れないようにしたいと私は考えます。
 今専門家がいばっています。自信を持ってLD(学習障害)とかADHD(注意欠陥多動性障害)とか高機能自閉症とかと、診断します。専門家とは「ひっくりかえることのできない人」ですね。

(ほりともはる/『そよ風のように街に出よう』に「ひっくりかえること―価値観の転回」を連載中)

 


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