ことば漂流記38

相模原事件のことばたち

小林 敏昭

2017/03/23

 

 

 昨年7月26日未明に発生した神奈川県相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」での殺傷事件は、死者19人、重軽傷者27人(うち職員3人)という戦後最悪の結果をもたらした。犯行後警察署に出頭して逮捕されたU容疑者(以下、単にUとする)は、5か月間の精神鑑定留置の後、2月24日に完全責任能力があるとして起訴された。

 これだけ大きな事件なので、公判で検察が最高刑(死刑)を求刑し、裁判員裁判もそれを追認するというシナリオが容易に想像される。この事件によって精神障害者に対する監視や抑圧が強まったり障害者施設が一層閉鎖的になるとしたら、それはもちろん問題だが、早々とUの死刑が確定して事件の真相が闇から闇に葬り去られるとしたら、それも大きな問題だと私は思う。Uにはとことん自分を見つめ、ことばの限りを尽くして事件に至る道筋を私たちに示す責任がある。そして司法には事件の真相を解明する責務がある。それまでは決して死んでも殺してもいけない。これは私が死刑廃止論者だという理由だけで言うのではない。

 相模原事件そのものについては、この半年でさまざまな視点からたくさんのことばが発せられたし、私もそれなりに語ってきた。新しい事実が出ないところで更にことばを重ねることもない。今は精神鑑定の詳細な内容と法廷でUが発することばを待ちたいと思う。ただ、それは事件への関心をいったん引っ込めるということではない。70年代に日本脳性マヒ者協会青い芝の会の障害者たちと出会い、以来ずっと優生思想や健全者社会について考えさせられてきた者の一人だから、そんなことはできそうもない。そこでくどくどと考え続ける。ここでは事件そのものではなく、事件について語られたことばについて、私の断片的な思いを2つだけ書きとめておきたい。

○事件は「ヘイトクライム」か

 事件後、『相模原事件とヘイトクライム』(岩波ブックレット)、『相模原障害者殺傷事件―優生思想とヘイトクライム』(青土社)など、事件をヘイトクライムとして捉える視点からいくつかの論考が世に出た。盲ろう者の福島智さんも『生きたかった―相模原障害者殺傷事件が問いかけるもの』(大月書店)の中で、事件の本質には「ヘイトクライムと優生思想」、「生物学的殺人と実存的殺人」という「二種類の二重性」があると語っている。彼の主張の力点は「実存的殺人」にあって、障害者の人間としての尊厳や生きている意味が否定されたことへの怒りにあるのだが、ここでも事件がヘイトクライムであることは既定の事実としてさらりと触れるに止められている。

  「ヘイトクライム」は直訳すれば「憎悪犯罪」だ。福島さんは同書で「民族や肌の色、信仰する宗教の違いなどによる差別を理由とする犯罪」と定義している。ただhateはdislikeなどよりかなり強い表現だから、その差別は相手への激しい憎悪を背景にしたものだと言える。ここで私は引っかかるのだ。犯人は果たして障害者に対する憎悪に駆られて犯行に及んだのか。今では誰もが知っている衆議院議長に宛てたUの手紙を読む限り、私にはどうしてもそうは思えない。「障害者は人間としてではなく、動物として生活を過しております」といった表現からは、重度障害者を憎悪の対象とすら見ないUの視線が浮かび上がる。もちろん今回の事件が在日朝鮮人や被差別部落民に対するヘイトクライムと同様、格差と不寛容の社会を背景としていることを見逃してはいけない。しかしhateということばですべてを括ることによって、重度の知的障害者がターゲットになった事件の特異性が見えにくくなるのではないかと私は思う。

 社会学者の市野川容孝さんは雑誌『現代思想』の「相模原障害者殺傷事件特集号」(16年10月)で次のように語っている。

――青い芝の会は、憎悪と非道を否定したのではない。愛と正義の否定から出発したのである。今日のヘイトスピーチがまき散らしているような憎悪(略)が障害者に対しても向けられている、と最初から分かるなら、誰も苦労はしなかったのだ。そうではなく、障害者差別が愛によって始まり、愛によって正当化され、愛によって不可視化されていることを、青い芝の会は明らかにしなければならなかったのである。――

 それが十分に明らかにされなかったことを、と言うよりも社会の側がきちんと受け止めなかったことを、今回の事件は証しているだろう。ただしUは、今回の自らの行為を障害者に対する愛によって開始し、愛によって正当化したのではない。障害者は彼にとって憎悪の対象でなかっただけでなく、将来を案じた親が障害のあるわが子を殺めるような「愛」とも無縁だった。注意してほしい。先の手紙の中で彼は「障害者は不幸だ」とは言っていない。そうではなく「障害者は不幸を作ることしかでき」ず、従って「障害者を殺すことは不幸を最大まで抑えることができ」ると言っている。不幸なのは、あくまで障害者の周囲の人々でありこの社会であって、障害者当人ではない。言うまでもないが憎悪(hate)すら、相手を対等な人間(person)と見ることからしか生じようがない。わずか1時間の間に40人以上を刃物で刺し続けることができたのも、そこに憎悪や怒りが存在しなかったことを示しているのではないか。

○「匿名報道」は遺族の要望か

 もう一つ気になっているのが、遺族の強い要望によって19人の被害者を匿名にするという“物語”だ。神奈川県警は記者会見で確かにそう語ったし、取材に応じた遺族たちも苦悩をにじませながらではあるが確かにそう要望していた。その匿名報道をめぐっては、遺族の心情に理解を示すものから批判的なものまで多くのことばが発せられた。実名にこだわる立場からは例えば、自閉症の子を持つ毎日新聞の野澤和弘さんが、社会を動かす報道の重要性を指摘した後、「その原動力になるのは他に代わるべきものがない生身の人間の存在であり、名前や顔はその人のアイデンティティーを社会的に認知してもらう上で欠かすことのできないもの」だと述べている(『新聞研究』16年10月号)。また二分脊椎の障害のある松永真純さんは、シベリア抑留の経験のある詩人のことばを紹介しながら「事件が起こった背景と、事件後に起こっているこの(匿名報道の:引用者注)問題は通じている。その両者とも、障害者がもつ、唯一無二の具体的な生が否定されているところに起こる問題なのだ」と語っている(『そよ風のように街に出よう90号』)。いずれも福島智さんの言う「実存的殺人」と重なる、とても重要な指摘ではないかと思う。

 そのことを踏まえた上で、時間を事件発生直後に遡る。神奈川県警は記者会見を開く前、実名(顕名)か匿名かについて遺族たちの意向を打診した。そこで一部の遺族が強硬に匿名を主張し、他の遺族もそれに従ったという(先の『新聞研究』)。では一般的な、つまり差別のからまない殺人事件で警察は遺族の意向を伺ったりするのか。ネット社会の今日、状況は変わったのかも知れないが、私はそういう例を過去にほとんど知らない。仮に他の事件でも意向を聞かれれば、多くの遺族は過剰な取材や興味本位な記事を恐れて匿名を希望するのではないか。何が言いたいか。今回の匿名報道“物語”は警察がシナリオを書き、遺族がそれに導かれることではじめて成立したのではないかと私は考えるのだ。だとすればこの“物語”は、遺族の要望に名を借り、警察に手を借りた私たちの社会が望んだものに他ならない。そう言いきるのは乱暴過ぎるだろうか。

 


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