六昔から七昔へと


松浦 信子

2013/07/18

 

 十年ひと昔と申しますが、私が終戦を迎えた年が国民学校5年生、丁度10歳の夏でした。あれからもう70年近い月日が経っている訳ですから、七昔と申せましょう。
 
 私は小学校が国民学校へとなった年に入学、新制中学、新制高校と時代の変遷のテストケースのようなコースを歩んできました。戦勝の高揚気分も、敗戦の惨めさも、戦後の食糧難やインフレ、高度成長期の発展、震災や不景気なども味わってきた、もう歴史的存在だなどと嘯く後期高齢者となりました。

 そんな私が今から30年前に出会ったのが、「創作児童文学」でした。講師の山本真理子先生は広島で被爆され、その体験をもとに書かれた多くの著書があります。

 私もまた、自分の子ども時代の事を書いてみたいと思っていた時でしたので、怖いもの知らずにこの世界に入ったというわけです。  

 でも書き始めてみて分かったことは、時代がどんどん流れているという事でした。

 それまでに出た多くの戦争児童文学は、被害者意識のみで描かれていて、加害者の視点が欠けているという評価がされ、また子どもたちも、戦争の酷さや恐ろしさを避けるようになっていました。

 「戦争の話は怖い」「もう戦争の話は結構です」なんてことも言われました。

 日本の高度成長期、明るい未来を見つめようという時期に、重たい過去は忘れてはいけないけれど、見つめたくはないという気持ちだったのかも知れません。

 歴史上の戦争を調べてみても、勝者の記録は残っているものの、敗者の記録は少ないものです。でも時が経つにつれ、詳しい記録が双方に残されている事も分かってきました。

 確かに加害者としての教育は、被害を受けた国々に比べて少なかったのかも知れません。歴史の授業を思い返しても、太平洋戦争に入る前に時間切れの状態で、後はさーっと読み流す程度で終わっていた気が致します。

 戦争というものは、勝者にも敗者にも同じ様に被害をもたらします。聖戦と言おうが、正義の戦と言おうが、片一方だけが無傷で居るわけには参りません。悲しみに涙する人たちが、どちらにも生じるのです。

 ただ侵略を被った者の立場と、結果敗者となったものの、侵略した者の立場とでは、大きな違いがあるはずです。受けた傷の多きさや認識の違い、対処の不適切が相まって、問題として残るのだと感じます。

 しかし当時を振り返ってみると、10歳の少女は、日本の始めた戦争はとても正しい事だと信じていました。西欧諸国の横暴からアジアを護るために、日本は戦っているのだと。

 そのために亡くなった人は「名誉の戦死」と讃えられ、日本が勝つまでは、何事も我慢して不平不満を言ってはいけない。それが日本の小国民としてのあるべき姿だと教わっていました。

 日本が侵略した国々が過大な被害を被り、日本は加害者だったという事を、当時の子どものみならず、一般国民の多くが分かり得なかったと思います。

 それが敗戦を機に、戦争の真相が次々に浮かび上がってくると、子ども心にも大きな疑問を感じました。

 この戦争は、なんだったのだろうか?

 やがて疑問は不信の目となって、大人社会に向けられていきました。

 教科書に墨を塗ってしまえば、過去に習ったことは消えるというのでしょうか。敵性語と言われたアルファベットを使って、ローマ字を教える先生を、私たちは秘かに笑ったものでした。

 でも今になれば、当時の先生方や大人の苦悩も理解できます。敗戦という日本の歴史上初めての事態に直面し、勝者の指令に背く事など論外の時勢だったのですから。

 しかし庶民は、そんな事を論じたり考えるよりも、食べて生きる事に精一杯の日常を送っていました。日本は四島国ではなく、四等国になったと蔑まれても、そこで生きなくてはならないのが、生き残った者の日常です。反省もせずに、唯々諾々と受け入れていった訳では無く、生きるための一日を頑張って送っていた気がするのです。

 なぜ戦争に反対しなかったのか、なぜ反対の声を上げなかったのかと、若い人たちに言われることがあります。

 勿論反対を唱えた人たちもいましたし、世界的視野を持った知識人も居られましたが、それを表立って声高に言えない時代でもあったのです。「非国民」のレッテルを貼られる事の恐怖や、後ろめたさもあった事でしょう。

 でも知らないうちに、秘かに「戦争賛成論」は人々の中に住み着いて行くのです。そしていつの間にか「そうなんだ」と自分も納得して賛同していく。それが一番恐ろしい事だと思います。

 70年昔の子どもの視点で、その日常を思い出して描いて行くと、折々の小さな疑問はあっても、自分たちが加害者であるという意識は持っていませんでした。

 恐らく『六昔』は加害者としての意識に欠けると言われることでしょう。

 でもあの時代の、普通の子どもたちの日常を知って欲しいと思います。平凡な暮らしの中に、戦争という怪物がどのように浸透して行ったのかを、知っていただけたらと思います。

 知らなければ、目を背ければ、また同じ事をくり返す恐れが生じるものだと、私は思います。

 社会の最小単位である個人と個人との間で、まずは互いに尊重し、理解しようとする努力が成されなければ、紛争解決の糸口は見出せないと思います。

 平和という中に、70年近い年月を送って来られた私たちは、本当に幸せです。それだけに、しっかりと目を見開いて、物事を見つめていって欲しい、今何が起こり、何がなされているのかを、過去を踏まえて見つめて行って欲しいのです。

 六昔から七昔にかけて、生きてきたお婆さんの、ささやかでも切実な願い。ただその願いに、力が及ばない事をお詫びする心境です。

( まつうらのぶこ/『そよ風のように街に出よう』に「六昔前の話」を連載中 )

 


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