あたふたごちゃごちゃの毎日です


宮坂 淳子

2002/03/28

   
長野県からはるだより      

 なんとなくいつも愚痴になってしまう。さるのしっぽです。今年で34歳になります。

 4月から、教育課程が変わるということで小中学生を持つ保護者のみなさんは、塾や通信教材売りの方々からずいぶんいろんな話を聞いてあわてふためいているというということをよく耳にします。「これからはじまる教育課程は、子どもたちの学力低下が心配されるから、学校はあてにあてにならない。」とか、「評価のされ方が変わってくるから、今のうちにいろんな力をつけておいた方がいい。」とかいろいろいろいろ言われて、とても不安になって担任に質問をしてくる保護者も少なくありません。みなさんは、教育課程が変わるって知ってますか。私たちが、受けた教育miyasaka.jpgとはかなり違った学習が行われていくのですが、どんなものか知ってますか。
 こんなたいそうなことを言っても、実は現場はとても混乱しているのです。そして、4月からの学校がどうなっていくのかがみえないのは、現場も同様なのです。そしてわたしは、これはもって10年だろうと思っています。(言ってしまった………どきどき)

 同じ義務教育の公立の小・中学校でも地区によって学校体制が少しずつ違います。県によって全く違うものです。わたしはどこも同じだと思って成長してきたので、他県の話を聞くとすごくびっくりすることがあります。長野県は、教育県とかなんとかいわれてちょこっと威張っている人たちがまだいるので、なかなか新しいことが進んでいきません。他とは違った独自の教育理念??とかいうのがあるらしく古くさいような気がします。(言ってしまった………)言葉一つとってもおもしろいものがあります。学校用語みたいなものですが、「みとり」というのがあります。児童・生徒の学力の分析のようなものですが、「生徒のみとり」などという言葉を使います。「みとる」というと「看取る」をイメージします。ちょっと違和感を覚える用語です。長野県教育で独自に作った造語ということで大事に使っているところもあります。全国で通用する言葉でいいじゃん!!と思っているのです。(言えない小心者………)長野県教育なんて言って威張っているからこうなるんだ!!ってよく分かるよな〜と思ってます。

 今、中学校2年生の担任をしています。長野県では、5年くらい前まで、中学校は3年間同じクラスで同じ担任で持ち上げました。これも長野県教育の特色らしいのですが、「学級王国」ということばがあります。ひとりの担任が、そのクラスを責任もって卒業させるといえば、何となくかっこいい〜って思ったこともないわけではありませんでした。まわりくどい言い方をしてしまったのは、わたしが“3年間同じ担任”という教育を受けていて、他を知らなかったからなのです。3年間持ち上げないと一人前の教員ではないということだったらしいんです。教師サイドから見ればそうだけれど、こどもにとっちゃあたまらない。合わない人間だって、担任だっている。自分を変えるチャンスは、3年間ほぼない。うまくまわればラッキー、ちょっとつまずけば、3年間は暗いものになる。先生のカラーや考えにそぐわない生徒は、悪い子になってしまう危険性をはらんでいる。こわいこわい………(今思うとね)そのときは分からなかったのです。今は、1年生から2年生へ上がるときに学級編成があります。(おうちの人たちからは、反対が結構あるようですが………私と一緒で同じクラスという経験しかないからだと思うんだけど)

 これはどこも一緒だと思うのですが、強いものには逆らわないという世界がちゃんとあります。極端に言えば、校長先生の言うとおり………何でもかんでもえらい人?の言うとおりで、生徒が後回しとということはよくあります。心配なことがあって、直接教頭や校長に連絡をすると、「連絡の順番を守ってください。まず学年主任から、つぎに………」と続くのです。緊急のことで、そんな順列より子どものことが優先だろーが!!!(怒)と思うのですが、なかなかうまくはいきません。
 学校と企業のちがいについて、会社に勤めている友だちと話をしたことがあります。企業は利益を重視するので、利益を出せない人間は相手にされないという考えが中心にあるようです。学校教育に、企業と同じ利益というものを求めたらどうなるのだろう。学校の方針に従わない子、勉強の苦手な子、掃除をしない子などなどは、すべて切り捨てられていくのだろうと思います。見るからに問題のある子は、学校の評判を下げ、職員の評判を下げ昇進できなくなるから。これから大人になっていく子たちがすべて自分の思い通りになったら逆にこわいだろー、そう思わないことが変だと思うんだけどなーというのが本音です。切り捨てないのが、教育のはずだし、だいいち学校というのは大人のためにあるわけではなく、子どもの未来のためにあるはずなのです。形だけがすばらしい実践を発表したり、大々的に何かを発表したりすることで評価を得ている人たちがいっぱいいますが、本当はじっくりゆっくり子どもたちと過ごしている教師が実はいちばん子どものことを考えている教師なんだと現場にいる私は、実感しています。

 私の大好きな先輩の先生がこんなことを言っていました。
「俺は一生一教員がいい。教師という仕事は、子どもといて教師なんだ。定年までずっと子どもと一緒に生活していたい。」
 本当に定年までクラスの子どもたちと飛び回っていました。目立つ活動も大々的な宣伝も実践発表もしたわけではありません。ただ、子どもと一緒に気長にいろんな活動をしてきただけです。彼の定年は、教え子たちのお祝いの会で迎えられました。20年近く前の教え子たちも集まったそうです。決してさみしいものではなかったと私は思いました。
 本当は、先生ってそうであるべきだと思うのです。

 時代は、めまぐるしく変化しています。私が中学生だった頃の中学生とは本当に違います。今、中学生たちは、コンピューターや携帯電話を自由に操っていろんな情報を手に入れています。そしてそれに夢中です。メル友に会いに行くなんて平気です。コンピューターを使った犯罪なんて平気でやってのけます。大人よりももっと巧妙に。
 大人が安易にモノを与えすぎていると私は思います。とても危険なモノだということを、買い与えたり、学習に取り入れたりしている大人の方が知らなすぎると感じます。子どもの今に、大人が逃げないでちゃんと向き合ってほしいのです。向き合いたいと思うのです。礼儀や人への思いやりは、学校教育の中でだけ培われるものではありません。家族が、地域が育てていくものだと思います。子どもや学校や先生という仕事を知ってください。がんばって伝えられることを明るく伝えていこうと思っています。

 4月から大きく変わるであろう学校………。本当に変わるのか?学校!!
どんな年になるのかわくわくするような………、びくびくするような…………。
 あっそうそう、教師の職業病は、胃潰瘍と腰痛。「胃潰瘍になったら、一人前の教師なんだ」って言われたことがあります。(胃潰瘍になったとき「おめでとう」って言われたけど、ちっともうれしくなかった!!)

(みやさかじゅんこ/『そよ風のように街に出よう』74号まで「さるのしっぽ」を連載)


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