未知への挑戦


NEKO

2017/03/23

 

  50代後半に突入した。還暦も近い。人生で言えば確実に春を過ぎ夏を越え、秋を迎えていると言わざるを得ない。子育ても役割を終え、職場も年下ばかりになり、役割を終えつつある。ふと気がつけば、人生も終焉である。そうなのだ。先が見えて来たのだ。時間は有限であるという自覚もないままに生きて時間を重ねてきたが、時間が限られていることを思い知らされている次第である。

 自分がどのように老いていくのか。やがて迎えるであろう生き物としての死の瞬間、どのように自分の肉体や精神は変化していくのか。終焉の際に自分は自分としていられるのか。死はいきなり訪れるのか、ジワジワと訪れるものなのか。その時、自分はざわつき、取り乱して騒いでしまうものなのか。全くの未知の世界である。

 先日、父親の入所している特別養護老人ホームより連絡が来た。85歳の父は、認知症を患い、順調に悪化し、言葉でのコミュニケーションも出来なくなり、現在は要介護5の認定を持ち入所している。最近は嘸下状態が悪化し、食事を受け付けなくなったため、どうするかという話であった。栄養を補給するために胃ろう造設手術の話があったが、それを断り、自然に任せたいと話した。食事が摂れなくなったら、厳しい状態になるのだろう。胃ろうの手術が本当に必要なのか、悩みながらの結論だった。父は、ゆっくりと死を迎えていくことになるのだろう。どうして欲しいのか。もはや言葉を持たない父は何を望むのか。何を思うのか。息を引き取るそれまで、父は父でいられるのだろうか。

 結局、父の介護は母任せで、たまに帰った時に同じことを繰り返す父の話を聞く位だった。親孝行できたかといえば全く首を垂れるのみである。女に学問はいらぬと進学を巡り対決し、父への反発心だけが、自分の若い頃の原動力だった。いつか見返してやるとう気持ちだけをたぎらせていた。結局、上京後父と話した記憶はほとんどない。その父は今年の桜を見ることが出来るのだろうか。

 自分が自分として前向きに生きていけるのかどうかは、これからの課題でもある。仕事柄、高齢者とつきあうことが多いせいもあるかもしれないが、みな声をそろえて話す。私の年になったらわかるわよ。70、80、90代。その年代になればわかると。確かに、自分も30、40、50代になってわかったことは大いにある。だから、その年代になればきっと共感できるのだろうと思う。

 しかし、きっとそれは喪失の経験でもあるのだろう。出来ないことが増えていく。今日出来たことが明日は出来ない。苛立ちや不安、喪失への不満。ほとんどが負の感情だ。負の感情は良い影響を与えないことが多い。引きずられないよう、自分を保つにはどうしたらいいか。気持ちを明るく保つにはどうしたらいいのか。自分では余り自信がない。

 その中でなかなかお手本にしたいという人に巡り会えない。逆にこうはなりたくないと思う人は多い。筆頭は母である。こんな人だったっけと思う位に、全てにおいてひがみっぽくなり、被害妄想が強くなり、人の悪口を言ったり、人を疑ったりするようになった。暴言を吐いたり、すぐに怒ってしまったり、自分で勝手に判断して行動しては、人のせいにしたりする。元々の性格なのか、本当に扱いにくい。同居していないのが幸いである。認知症ではないと思うが、理解力が低く、同じ質問を繰り返すことが多いのだ。

 しかし、もっと深い問題は母と私が血縁だということだ。私には母のようになる可能性が、かなりの確立であるという恐ろしい現実である。実は既に徴候はあり、息子に鋭く指摘されている。そうなのだ。ああなりたくないと思っているはずが、同じ様な考えにとらわれている現実に愕然とする。ああならないために、ああならないようにと唱えながら、マイナスに引きずられないように毎日を重ねていくしかないのが、現実のようだ。未知の世界はわからない。

 わからないから面白いんだと信じて生きていくしかなさそうだ。    



 


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