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目の前に認知症の人がいる。「これ私が作った人形やねん」と日に100回は指差して言っている。30秒前、目の前に置いたお菓子を「え!
これ何? だれの?」と尋ねる。
私が部屋を何度も出入りすると、「いっぱいいろんな人が来て困ってる」と訴える。トイレでウンコをして、自分のウンコを指差して「大変や! 誰かウンコしてる!」と叫ぶ。「家に帰りたい!(ここは本人の家でアル)こんな他人の家おられへん!」と普段は車イスを使い、杖でヨタヨタ歩く人が、杖もつかずに、外に飛び出す。 一緒に住む夫を恐がり、「お父ちゃん(夫)に怒られるから大きな声でしゃべらん この認知症で足が不自由な人は私の母だ。私が結婚してからは、年に一度顔を会わすのが関の山だった私の実の母である。私は、姉や兄に比べて、ほったらかしの子であった。結婚してからは同居の姑(やはり認知症であった)の介護や子育てにあけくれ、ほったらかされた恨み(?)もあり、ほとんど母に会うこともなかった。 姑は、認知症の究極までいった人でアル。徘徊してパトカーにのせられて帰ってきたことも、見知らぬ人からの電話であわてて迎えに行ったことも数えきれず。明治生まれの女子なのでパンツをはかなかったから、徘徊の途中、ウンコを落として歩いた。 究極というのは、姑が、大便に体中まみれて、部屋に座っていた時。部屋中、大便がぬりたくられ、ウンコまみれの姑が座りこんでいる。手も足もウンコでドロドロで 姑がこの状態の時、私の母はまだ50代であった。姑の状態を知り、母は「私がボケたら施設に入れてな。たのむよ。その時、イヤがっても入れてな」と私に頼んだ。 今、母は家にいる。独身の兄が母をみてくれている。認知症が進み、兄は仕事を辞めた。父と3人暮らしである(父も88歳で認知症の初期)。兄は、ディサービスもヘルパーも利用ぜず、介護を続けている。兄は、妹の私に定期的に介護を手伝ってほしいと言ってきた。以来、週に2、3回電車で1時間程の実家に通って母の守りをしている。 兄も周りの人から、ヘルパーを頼めば?と言われるという。だが、兄はなかなかそういう気になれないらしい。母は、70歳でうつ病になった(今、83歳)。その時、治 私は、と言えば、兄にヘルパーや、ディサービスをすすめたりはしない。介護の仕 そして、兄は、ネットなどで情報を見ながら、考えてもいるようだ。「介護している自分が考えて納得してから利用したい」とも言っていた。 さて、ボケたら施設に入れてねと私に頼んでいた母は、そんなことはもちろんキレ しかし、母は新聞の内容を全て声を出して間違いなく読んだりもするからマカ不思 「生きてたら、いつかは誰でも死ぬ。死なないと日本中いっぱいになって暮らせな ふだんは私を認識できなくても、一瞬私を娘とわかる時もあるらしい。「あんたは、一番親に心配をかけない感心な子やったなあ」と言われた時にはびっくりした。心配かけない子は、ほったらかしになるんやと笑ってしまった。母がボケなかったら、寄りつきもしなかった私には聞けない言葉だったにちがいない。 母が、今も父を恐がることに対して、兄は手を焼いている。今の父は、反省し、母 ボケたくないか、ボケたいか、どちらかと問われれば、多くの人がボケたくないと ボケたくないと思っても何か手だてはあるの?と思って『ぼけになりやすい人なり ボケたくないと思っても、ボケた自分を想像できない。ただ、記憶力がなくなる自 母を前に「うーん」とうなりながら考えていると「家に帰ろ、あんた連れて帰って! (おかもとなおこ/『そよ風のように街に出よう』に「それぞれの花花インタビュー」「ピンポーン う・ふ・ふ おうち訪ね歩き」等を連載中) |