「ボケる」ということ


岡本 尚子

2010/06/24

 目の前に認知症の人がいる。「これ私が作った人形やねん」と日に100回は指差して言っている。30秒前、目の前に置いたお菓子を「え! これ何? だれの?」と尋ねる。

 私が部屋を何度も出入りすると、「いっぱいいろんな人が来て困ってる」と訴える。トイレでウンコをして、自分のウンコを指差して「大変や! 誰かウンコしてる!」と叫ぶ。「家に帰りたい!(ここは本人の家でアル)こんな他人の家おられへん!」と普段は車イスを使い、杖でヨタヨタ歩く人が、杖もつかずに、外に飛び出す。

 一緒に住む夫を恐がり、「お父ちゃん(夫)に怒られるから大きな声でしゃべらん
といて」と頼む。「あんたとしゃべってるの、お父ちゃんが見たら、私が怒られるか
ら帰って」と拝む。私が帰らないと、「なんで私を困らせるの!」と興奮状態になり、
私を殴る。
 「早くごはん持ってきてえな」と怒り出す時もある。「速く食べなお父ちゃんに怒
られる」と速く食べて、吐いてしまう。口の中が気持ち悪いからと、2時間も歯みが
きをくり返す。しかも、「ああ、しんど」と言いながら、それでも歯みがきうがいを
くり返す。

 この認知症で足が不自由な人は私の母だ。私が結婚してからは、年に一度顔を会わすのが関の山だった私の実の母である。私は、姉や兄に比べて、ほったらかしの子であった。結婚してからは同居の姑(やはり認知症であった)の介護や子育てにあけくれ、ほったらかされた恨み(?)もあり、ほとんど母に会うこともなかった。

 姑は、認知症の究極までいった人でアル。徘徊してパトカーにのせられて帰ってきたことも、見知らぬ人からの電話であわてて迎えに行ったことも数えきれず。明治生まれの女子なのでパンツをはかなかったから、徘徊の途中、ウンコを落として歩いた。
他人の家に入り込み、たたみの上にオシッコをしたり、夜中に近所のインターホンを押して歩いた。サイフももたずに買い物をする。電車に乗って遠くまで行ってしまう。果ては、裸で近所のうどん屋にうどんを食べに行った(!)。

 究極というのは、姑が、大便に体中まみれて、部屋に座っていた時。部屋中、大便がぬりたくられ、ウンコまみれの姑が座りこんでいる。手も足もウンコでドロドロで
あった。これが「ボケる」ということなのか! これが人間のたどりつく先なのか…。

 姑がこの状態の時、私の母はまだ50代であった。姑の状態を知り、母は「私がボケたら施設に入れてな。たのむよ。その時、イヤがっても入れてな」と私に頼んだ。

 今、母は家にいる。独身の兄が母をみてくれている。認知症が進み、兄は仕事を辞めた。父と3人暮らしである(父も88歳で認知症の初期)。兄は、ディサービスもヘルパーも利用ぜず、介護を続けている。兄は、妹の私に定期的に介護を手伝ってほしいと言ってきた。以来、週に2、3回電車で1時間程の実家に通って母の守りをしている。

 兄も周りの人から、ヘルパーを頼めば?と言われるという。だが、兄はなかなかそういう気になれないらしい。母は、70歳でうつ病になった(今、83歳)。その時、治
療法は、何でもハイハイと言う通りにすることと医者から言われた。その通りにして
きた兄は認知症になったからといって、ヘルパーやディサービスをいやがる母に無理じいしたくないのだろう。

 私は、と言えば、兄にヘルパーや、ディサービスをすすめたりはしない。介護の仕
方に意見もしない。姑を介護している時、ヘルパー制度やディサービスは存在しなかった。あれば利用していたであろう。だが、今、兄に私からは口にできない。それを口にすれば、私自身が母の介護を手伝うことがイヤなのだととられかねない。介護をしている人は傷つきやすい。兄が私に不信感を持つことは兄を孤独にしてしまう。

 そして、兄は、ネットなどで情報を見ながら、考えてもいるようだ。「介護している自分が考えて納得してから利用したい」とも言っていた。

 さて、ボケたら施設に入れてねと私に頼んでいた母は、そんなことはもちろんキレ
イに忘れて、兄の名を呼び兄を頼りに今日も生きている。が、その兄を「あんた誰や。知らん人ばっかり来る」と怒ったりもする。

 しかし、母は新聞の内容を全て声を出して間違いなく読んだりもするからマカ不思
議。そして、ほんの一瞬、まともに近いことを言うのだから面白い。

 「生きてたら、いつかは誰でも死ぬ。死なないと日本中いっぱいになって暮らせな
くなる」。「子どもには、うるさく言っても逆効果。絶対いわなければならないことだけ言って、あとは見守るだけ。それが子育て」…などなど。

 ふだんは私を認識できなくても、一瞬私を娘とわかる時もあるらしい。「あんたは、一番親に心配をかけない感心な子やったなあ」と言われた時にはびっくりした。心配かけない子は、ほったらかしになるんやと笑ってしまった。母がボケなかったら、寄りつきもしなかった私には聞けない言葉だったにちがいない。

 母が、今も父を恐がることに対して、兄は手を焼いている。今の父は、反省し、母
に感謝していると私に言う。そして、事実母にやさしい言葉をかけている。しかし兄
はこう言う。「お母ちゃんには今のことは、わからん。恐いお父ちゃんの記憶しかな
い。それがネックになって、老後の生活にも支障をきたす。人間は、その時その時を人に対して誠実に生きとかなあかんと気づかされた」。

 ボケたくないか、ボケたいか、どちらかと問われれば、多くの人がボケたくないと
言うだろう。記憶をなくすのは、まだいいが、外に裸で出ていって、「うわあ、ハダ
カ。あれが、オカモトナオコさん?」と言われ、裸を見られるのはイヤである。が、
その時は分からないから、いいではないかという人もいる。でも、間近に母を見ていると、一瞬まともに近いこともあるので、ハダカで帰ってきたあと、「うわあ、しまっ
た」と後悔するかも知れない。ウンコまみれになって、あとから気づいて、「ひええー
、汚いクサイ。いやや」と思っているかも知れない。でも、自分ではどうすることも
できないのだ!!!

 ボケたくないと思っても何か手だてはあるの?と思って『ぼけになりやすい人なり
にくい人』というボケ予防の本を読んだが、「趣味を持つこと」「骨折しないように」
「筆マメになりなさい」とか普通のことしか書いていない。今は認知症の進行を遅く
する薬もある。母も初期からずっと飲んでいる。それでもいつかはこうなる。

 ボケたくないと思っても、ボケた自分を想像できない。ただ、記憶力がなくなる自
分は想像できる。けど、ウンコをバラまいたり、娘を怒鳴ったり殴ったりする自分は
想像できない。想像できない自分が未来に現実になることは恐怖である。恐い。だったら、ボケ防止十ヵ条を守ることしかできないのだろうか。それとも将来どんなにボケ果てようとも、ここで腹をくくり今を自由に好きに生きる方が得策なのだろうか??

 母を前に「うーん」とうなりながら考えていると「家に帰ろ、あんた連れて帰って!
」と母。「ここが家やんか」と言いそうなのをのみこんで、車イスに母をのせ、しか
たがないから町内を一周する。再び家の前に立つと母が叫んだ。「えー。ここは私の家とちがう。あんた、ボケてるんか?」!!!

(おかもとなおこ/『そよ風のように街に出よう』に「それぞれの花花インタビュー」「ピンポーン う・ふ・ふ おうち訪ね歩き」等を連載中)     

   
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