仮面をつけた作品たち


吉田 たろう

1999/01/06

 

 今年の10月中旬、天王寺美術館で「大阪市中学校美術展」があった。
 私自身の問題として、昨今、小・中・高校の美術教育に非常に関心が深くなってきたところなので、自分が出品している美術文化協会展をそっちのけで、とびこんだ。
 地下1階の南側奥の部屋のスペース。それぞれの校名の下に4〜5種類に分割された作品が、天井から床上まで、ぎっしりと展示されている。水彩、アクリル、スクラッチ風、コラージュ、点描、ペン画やデザイン的なもの、パターン、シンボル。特殊な画材や技法をベースにしたものなど、タッチは様々である。
 モチーフも、身近な花や野菜や生活小物。部屋、風景、そして人物画。さらに空想やメルヘンの世界など、テーマに対してのイメージ展開。大阪市内139の中学校のうち110校の自由参加、今回は展示作品は平面作品のみという条件という数1000点の力作を見ながら、妙になつかしく、やがて、そのなつかしさの中から何か落ちつかない気配を感じはじめた。
《何かが違う…》何度も会場を巡回した。
 中学生といえば、現在63歳の私の生存歴で50年前。つまり昭和23〜26年頃か。
 日本が敗戦からぬけ出しかかって、それが私たち児童へも色刷りの教科書などという形で少しずつ影響がではじめたけれど、美術の時間では名作を前に正確に再現しようとしていた頃。当時は、絵というものは「習う」ものであって、自由にかいて自己を表現するという風ではなかったように思う。
 ……そして今、1998年秋、天王寺美術館の壁面一ぱいに、当時の記憶に「するりと入ってくるなつかしい作品たち」がずらりと並んでいる。《何か》の正体が、だんだんはっきりしてくる。目前に在る中学生たちの作品は、私が同じ年頃にかいていた絵と、殆どちがっていない気がしたのである。
 画材も画法もテーマも、技術も明らかに違っているのに、50余年という時代で濾過される前の絵のイメージに、あまりにも近すぎる。
「ああ…古いなァ…、あの頃のまんまや…」と思わず言葉で吐いてしまう。
「中学校美術展」という文字に思わず引き入れられたのは、向いの会場に並んでいる私たち大人の美術展とはちがった《荒削りの新鮮さ》を期待したのであろう。
 幼児の絵を見て時々ドキリとさせられる、あの形振りかまわないストレートさを、中学生という文字に重ねたのだろう。勝手といえば勝手だが、落差は大きかった。
 壁一面の作品群の完成度(表現技術に対しての)は、かつての私たちよりはるかに上ではあるが、画用紙のサイズに綴じ込められなかった、溢れる絵心の熱さが伝わって来ない。
 多感な年令の最中にいる若者たちのメッセージ。自己に対しての、社会に対しての、大人に対しての、将来に対しての怒りも、呻きも、喜びも、自己主張も殆どきこえてこないのである。
 総てではないが、大部分の作品は、与えられたテーマやテクニックへの多人数による連作であり、整理されたディスプレイの中にあって、はみ出すこともなく、すっきりと整列している。自己主張のあまり紙面を飛び出して周囲の作品を侵蝕している暴れ者は、ほんの一握りしか見当たらない。指導の問題か、選出のせいか。
「こんなに穏やかで、ええんかいな…」と、またまた独り言ちてしまう。
 新聞やテレビでよく話題を提供する、いいかえれば大人社会との摩擦面積の一番広いであろう中学生たちが、創作(自己表現)という最も解放された行為でみせるこの不思議な柔順さに、問題はないのだろうか。
 今や若者たちにとって、絵をかくこと=創作行為は「建前」の世界に入ってしまったのだろうか……。《仮面をつけた作品たち》
 中学生の美術教育とは、何を目指しているのだろう。そんな中で「中学校美術展」は、どんな位置づけに存在するのだろう……。
「平面のみ」という今展の方針では特に創作の平面性が顕著だったのかもしれない。
 しかし、本音で創作した学生の作品は出展用に選ばれなかったのではないか…という不安。多感な中学生たちの絵が、こんなにも管理されていると感じることへの恐さ。
 何よりも、少年少女たちがもう自分のことばや表現を持たなくなった、又は持てなくしてしまった現状こそ、教育に拘る大人達が直視しなければならない現象ではないかと思う。
 一つの展覧会をのぞいただけで、情想教育の永い不在が結晶しはじめていると騒ぐのは、私の浅智恵のせいであれば、大いに安心ではあるが…。「大阪市中学校美術展」にクレームをつけるつもりなど毛頭なく、そんな立場でないことも充分承知の上での、一人の創作アシスタントとして云ってみたい。
「ヘタでもええ。本音で描いてえや!」
 私もここ30年近く、いくつかの専門学校で、イラストレーションや絵本を受け持って、若者達の創作行為に関わってきたので、誘っても、仕掛けても、時にはおどしても、興味のないことにはノッて来ない現実を充分体感してきた。
 つい数カ月前も小学5年6年・中学生を相手に一日中ポスター造り(「大人への注文:いいたいことを絵にかこう」)で付き合って、子供等のタテマエに10分ばかり立往生した。吉本興業ばりのリップサービスで危機を突破した後の、彼等の創作洪水にうれしい悲鳴をあげたが、侵掠防禦力の強さに、改めて心寒い想いを抱いた。
吉田.gif ましてや中学生達の心を創作に向けて全開させることは至難の技であることにちがいない。
 週2時間の美術の時間数は、受信と模倣を中心の社会日常の中に生きる彼等を、創作のオリジナリティの面白さに引き込むには、殆ど無いに等しい時間量といえる。そんな中で自己表現の喜びを教え、創作本来の価値を伝え、やがて本人独自の「美の意識」の種を植えつけるのは、並大抵のことではないだろう。
 けれども、けれどもである。本質的な自己流の美意識こそが、自分や他人、個々の存在の意義に継がっていくのではないか…。
 自分を素直に表現すること。そしてそれを認めて評価し応援してくれる大人が居ること……そんな社会になっていけば、「差別もなくなるなァ…」「戦争も意味ないなァ…」などと夢を見たりする。楽観にすぎる気もするが「夢が一枚の絵からはじまるとええなァ…」と思っている。子等や若者に、描きたいことを好きにかいてもらって、美術の分野から生きる本音がひろがって、大人が捩ってしまった世界に、少し生気を吹きこんでもらいたい。
 そして私は、あと少しの時間だけれど、そんなことの手伝いをしてみたい。
《仮面をつけない作品たち》の為に。

(よしだたろう/イラストレーター)

吉田たろうさんは2003年10月、がんのため他界されました。享年66歳。
写真家・北井一夫さんの後を受けて、7号(1981年6月)以来、22年間にわたって『そよ風のように街に出よう』の表紙絵を描き続けてくださいました。
本当にありがとうございました。そして、お疲れさまでした。


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