私の今の仕事 そして思い


矢崎 静代

2012/12/17

 

 自慢する訳でもないけれども、私が住む大阪市城東区は、福祉では国内でも進んでいる方だと言える。区の地域障害者自立支援協議会では、昨年の4月にNPO法人格をとり、区内の居宅介護事業所や障害者作業所などが集まり、介護のことや防災など、地域で私達障害者が日常生活を送っていく上で必要な事柄全般に渡って考えている。各種イベントや週に1回の障害者何でも相談会を、各福祉事務所で集まって一緒に行っている。

 またこの4月に城東区の障害者支援相談センターの委託を受け、それが少しずつ地域に根づいて来たのか、最近、在宅でどこにも行くこともなく、どこの団体にも属することもなく過ごして来た障害者の親子の相談が増えてきている。

 その大方が、親が老いて我が子である障害者の今後の生活を相談するものだ。ほとんどの親子か福祉制度を利用していない。いろいろな制度があることさえ知らない。そして、障害を持っている子がいるということさえ、地域の人々に知られたくはないという親がまたまだ少なくはない。

 それに比べ私の両親は、障害を持っていても、地域でごく自然なあたり前の生活をするということを幼い頃から教えてくれた。だから、買い物、役所など、どこへ行くにも私を連れて歩き、何でも教えてくれた。またいつも外へ外へと連れ出してくれた。また多くの経験をさせてくれた。だから、私は幼いころから、地域で生活をするということがごく自然なことだと感じている。

 

 私たち50歳以上の障害者にとっては、義務教育である小中学校の教育を受けることすら、大変な時代だった。運よく養護学校(現在の特別支援学校)を卒業しても、障害の軽度の者は就職など出来たが、当時は作業所も大阪市内で2ヶ所位しかなく、重度障害者は施設か在宅という道しかなかった時代だった。在宅になり親や家の者の介護を受けながら日常生活を送らなければならない時代だった。35年位前から障害者自らが担う運動が盛んになり、それと共に福祉は急速に進んだ。

 

 福祉の情報は、発信されていても自分自身が興味深く知ろうとしなかったら何一つわからないのは、昔も今も同じである。福祉制度は特にそうだと、私は痛感している。

 福祉制度については、市や区の広報紙などでもよく情報が流れているが、日常生活で困っていなければ、さほど気にとめることはない。その上、福祉制度など頼りたくはないと思っている人はまだまだ少なくない。頼らなくて済むなら、それに越したことはないが、親がいつまでも障害を持つ我が子を見られるとは限らない。

 こんなに福祉制度が進んでいるとはいえ、未だに、親が病死した後、障害者が衰弱していたというニュースは後を断たない。そんなことは私の周りでは関係がないと思っていた。ごく身近で起こっているなど、私には知る由もなかった。

 

 養護学校時代の幼なじみの男性で、彼が元気に走り回っていた姿を見たのは15年位前、仕事もしていたし、安心していた。彼と私は、会えば話もするが常に連絡を取り合うほどの仲ではなかった。

 彼との再会は4年程前である。電動車いすに乗り、言語障害も重くなり、元気で自転車に乗って走り回る以前の姿は想像さえできない彼が目の前にいた。話を聞いているうちにさらに私は驚いた。両親はすでに亡くなっていて、ヘルバーさんを使い一人暮らしをしていると言う。母親が彼の介護に疲れ果てて入院し、弟さんも彼の生活の面倒を見られなくなったため、彼を「施設に入れてくれ」と区役所に頼みに行ったそうだ。しかし、彼は施設に入ることを拒み、ヘルパーさんを使い生活していたが、その半年後母親は帰らぬ人となったそうだ。

 母親が介護に疲れ切ってしまう前に介護者を入れていたら…と思うが、私の世代の親はまだまだ障害を持つわが子の世話は他人任せにせず、自分自身の限界まで人を頼ることをしない人が多い。私たち障害者自身も、親に頼るほうが、わがままを言え、はるかに楽である。でも、それでいいのだろうかと、最近考えさせられる。

 今、彼は電動車椅子への乗降を手伝ってもらえれば、まだ一人で動き回ることが出来る状態だが、最近急に筋力の低下・硬直が激しくなり、這って移動することも難しくなって来ている。その上、言葉も出しにくくなって来ている。私と違い、十数年前までは、一般就労もし自転車を乗り回し、障害者だと言ってもごく一般的な生活をし、家族にも恵まれていた彼には、福祉という言葉も縁遠いものだっただろう。その彼が今は、何時寝たきり状態になってもおかしくない。そのことは彼自身よくわかっている。彼のケア計画に携わっている私に、彼はすぐ「今、出来るうちに好きなことをさせてくれ!」と言う。私には彼の気持ちが痛いほどよくわかる。

 

 私は彼と違い、約40年間この足で歩けた。と言っても、常に付き添いが必要な状態だった。今も彼のように電動車椅子で動き回ることさえ出来ない。車椅子を押してもらえなければ、今の私は外出も出来ない。そして彼と違い、まだ年老いた両親がいる。父は要介護1。母は元気だが、80を過ぎた。両親と私の3人暮らしで、ヘルパーさんを利用しながらの生活である。このように幸せな生活がいつまで続くのか不安にもなってくる。その一方で、彼のように重度障害を持つ友人たちはヘルパーさんを利用しながら生活をしているので、私は大丈夫と自負しているところもある。

 このように生活を組んで、このようにしていきたいという考えは常に持っているが、それは今の障害状態を維持することが出来ての話で、これ以上障害が重くなれば、どうなるだろうと不安が募る。でも、親がいる間に、自分に合わせた、そしてヘルパーさんが使いやすい家の改造などが出来る自分自身に幸せも感じている。

 

 私は障害者だからといって、親と離れて暮らすことだけが、自立だとは思っていない。自己決定、自己実現し、地域で定着していくことが大事だ。そして、たとえ身体が動かなくても老いた両親の支えになっているつもりである。

 しかし、今の介護制度では親子一緒に介護を受けられないという難しい面が多くある。現在の制度では、介護を受けている本人に限ってしか食事・掃除などの家事援助ができないなど、老いた親と障害を持った者が一緒の家で、それぞれの介護を受けながら地域で生活をしていくことは、単独で生活していくよりも難しい。現にそのことに直面している家庭も多くなって来ている。

 

 彼の生活計画を立てながら、私は自分自身の将来の生活設定をしている気がする。だから力も入ってしまう。

 相談にやってくる障害者やその親たちの立場に常に立って、今までの経験なども踏まえてアドバイスしながら、一緒になってその障害者や家族のより良い生活を模索していくことが、今の私の役目であり、今後の私自身のためであると考えながら、障害者相談や居宅介護の仕事に追われている。

(やざきしずよ/『そよ風のように街に出よう』に「し・ず・よの日常茶飯事情」を連載中)


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