差別をじっくりと考えるタフな文化の創造を


好井 裕明

2015/12/03

 

  「そよかぜ」エッセーの番がまた回ってきた。2015年3月に『差別の現在』(平凡社新書)を出したのだが、小林さんから、この新書をなぜ書いたのかについて語ってみたらという依頼を受けた。そこでなぜ私はこの新書を書きたかったのか、改めて考えてみた。

 差別という事実は、それを受けた人や人びとからの告発や異議申し立てという営みをとおして初めて、差別という出来事として世の中に立ち現われる。人権啓発場面でよく使われるたとえを使えば、踏まれた痛みは、踏んだ人にはわからない、ということだ。満員電車のなかで、思わず知らず他の人の靴を踏んでしまっている。踏んでいる人にはそのことがわからない。しかし、踏まれた人は「痛い」。「痛い! どけて」と踏まれた人から言われ初めて踏んでいる人がそのことに気づき「あぁ、すみませんでした」と足をどけることになる。もし踏まれた人が黙っていて何も抗議しなかったら、ずっと踏まれたままになっているかもしれない。そのとき「痛み」は持続し、増加するだろうし、踏んでいる人にはそのことがまったくわからないだろう。
 差別を受けた人びとの痛みや苦しみという被差別の現実から差別とは何かを考え、差別と対抗するためのさまざまな営みを作りだしていく。このことは差別を考えるうえでの原点であり、変わることのない真実だと思う。しかし、この原点が成立するためには、常に何らかの形で被差別当事者の異議申し立ての運動がいま、ここで続けられ、差別が差別として「告発」されることが必要となる。

 他方で、私はずっと気になっていることがあった。自分の中に「差別的なるもの」があって、被差別当事者からの異議申し立てという「声」を聞くまで、なぜそのことに自分が気づかないのだろうかと。他の人の靴を踏んでいて、踏まれている人からの抗議を受ける前に、なぜそのことに自分で気づき、足をどけて「すみませんでした」と言えないのだろうかと。これまでいろいろな差別論や差別問題研究を読んできたが、この問いへ明快に答えてくれるものはなかった。であるならば、自分で考えて書かざるを得ないだろうと『差別原論』(平凡社新書、2007年)を書いたのだ。
 差別を考えるうえでの原点は被差別の現実であり、被差別当事者からの「声」に誠実に耳を傾けることからしか始まらない。確かにこれは差別問題を考える基本であり原点だ。しかし他方でいま一つの原点がある。ひとは誰でも「差別する可能性」があり、その事実に自らがどう向き合えるのか、ということだ。そう考えるとき、確かに差別は「してはいけないこと」だし「なくすべきもの」であるが、自分の内に息づいている「差別する可能性」をただ否定したり「なくすべきもの」としてだけ了解することは難しいだろう。それに気づいてしまった以上、自らの「差別する可能性」を「ないこと」にしないで、まっすぐ向き合いながら、なんとかそれを変えていこうとすべきだし、その意味で「差別する可能性」を、自分がさらによりよく生きていくうえでの「生きる手がかり」として活用すべきではないだろうか。こんな内容を新書にできるだけわかりやすく書いた。

 ただ、ひとは誰でも「差別する可能性」があるという原点を中心にして差別という出来事を考える場合、明らかに発想の違いがそこにはあるだろう。被差別の現実をしっかりと見つめ、被差別当事者の「声」に誠実に耳を傾けることは必須だ。ただこの発想では、指摘を受けたから考える、指摘を受けてから考える、のではなく、指摘を受ける以前から「他の人の靴を踏まない自分」をどう考え、どうつくっていくのかが、中心的な問題となるだろう。その意味で、差別という出来事や問題を考えるのは、被差別の現実や当事者の「ため」ではなく、自分の「ため」なのである。そして「差別する可能性」から差別を考える営みがより確実に意味を維持できるのは、他方で最初に述べた原点が世の中でしっかりと機能している状況においてなのである。被差別当事者のさまざまな異議申し立ての営みが支配的な社会や文化を批判し変革する意味に満ち、それらを受けて学校教育や社会教育の場で人権啓発や反差別のありようが模索され続けるとき、そこで展開される「反差別の主体づくり」をめぐるイメージが「差別する可能性」を反芻し反省する営みと響き合うのだ。

 『差別原論』を書いた時、最初に述べた原点がまだしっかりとしていたと思う。しかしさまざまな時代情況の変化もあり、被差別当事者の異議申し立ての営みである解放運動はかつての勢いをなくしていったのだ。本来解放運動とは独立してあるべき学校や社会での人権教育や市民啓発の営みも、当事者運動の勢いが減少していくなかで同じように勢いを失っていったといえる。たとえば数年前に大阪府のある市から依頼を受け中学校校長会で人権研修講演に行ったことがある。そのとき各中学校での人権教育の取り組み「回数」だけが報告され「成果」として語られていたことに私は驚き、「回数」ではなく「中身」が問題でしょうと思わず口走ったことがあった。講演会に来られていた人権教育を熱心に実践されている先生が「言われることはもっともなのだが、残念ながら以前に比べ、人権教育の取り組みすらまともに行っていない学校も出始めており、そんななかで何回やったかは意味があるのだ」と残念そうに話してくれたことが印象に残っている。
 また1990年代に社会に蔓延する同性愛嫌悪(ホモフォビア)と闘い社会変革をめざすと明快に宣言をした男性同性愛者の当事者研究実践であるゲイスタディーズも現在の状況変化に呼応し、フォビアを打倒すべき「敵」とする直接的な闘争ではなく彼らに対する「寛容」(もちろんカッコつきの寛容であって、彼らをもう一人の他者としてまるごと承認する態度や意識ではない)をいかに解読し、それと向き合って生きていくべきかと実践の形が確実に変容してきているのだ。ヘイトスピーチという粗野でむき出しの暴力的な差別に対しても、直接対峙する対抗の営みはあるものの、かつて差別事件に対して解放運動が進めた組織的な対抗実践はなかなか起こらないし市民啓発の中でヘイトスピーチを「意味なきもの」にするための多様な取り組みもなかなか現れてきていないのだ。

 必須であったはずの最初に述べた原点が変容し弱くなっている現在、私たちは差別を考えるうえで、以前のように当事者の「声」に準拠することが難しくなっているのではないだろうか。また支配的な文化や社会に対抗する標準的な手段であった解放運動が「闘う」という運動の形を変容させてしまった現在、以前のように「声」をあげにくくなっている当事者も、いかに差別と向き合っていったらいいのか悩んでいるのではないだろうか。
 こうした現在にあって、当事者の「声」にだけ準拠するのではなく、差別的な“常識”がたっぷりと含み込まれた支配的文化を生きる私たちが、主体的に「差別をじっくりと考えるタフな文化」を新たな原点として、いかに創造していけるのか。この文化創造実践こそ「差別の現在」を私たちが生きていくうえで必須だと、私は考えているのである。

(よしいひろあき/日本大学文理学部教授。『そよ風のように街に出よう』に「くまさんの本の森」を連載中)


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