死刑と陽光

『花園大学人権教育研究センター報 第37号』(2010年12月発行)より

 突然だけど、刑務所と拘置所の違いを知っているだろうか? 簡単に言うと、刑務所は自由刑(自由を奪うという刑罰)が確定した人を収容し、拘置所は被疑者や被告人など、まだ刑が確定していない人を収容する。では死刑が確定した人はどちらに収容されると思う? 知っている人も多いかも知れない。そう、拘置所だ。なぜだろう? 死刑囚にとっては、刑の開始は即、死を意味する。つまり、刑の終了だ。だから死刑が執行されるまでは、刑が開始されていない未決囚と同様、拘置所に入る。日本にはこの拘置所が八か所、刑務所の中などに設置された拘置支所が一〇三か所ある。そして死刑が確定した人は、東京、名古屋、大阪、広島、福岡の拘置所か、札幌、仙台の拘置支所に収容される。死刑執行施設、つまり刑場はこの七か所にしかない。

今年の八月、東京拘置所の刑場がマスコミに公開された。ニュース映像を見て、予想していたよりも明るくて清潔そうだと感じた人も多いだろう。でも、東京拘置所は四年ほど前に改築が終わったところで、施設が新しい。だからここを公開したんだと思う。他の拘置所の刑場は古いから、もっと生々しく執行の跡が残っているはずだ。ところで、少し前までは死刑執行の事実さえ公表されなかった。三年前になってやっと、法務大臣が記者会見を開いて、誰がどこで死刑執行されたかを公表するようになった。今回の公開も情報開示という点では一歩前進だとは言えるけど、拘置所のどこに刑場があるのか知られないために、記者たちはスモークガラスが入ったマイクロバスに乗せられたりした。そして質問も一切許されなかった。

法務省の秘密主義は徹底している。刑が確定したら、死刑囚は家族や弁護士としか面会や文通ができなくなる。そしてある朝、刑場に連れて行かれて初めて自分が執行されることを知る。だから死刑囚たちはその日がいつやって来るのか、毎日(執行のない週末や年末年始以外は)戦々恐々として過ごすことになる。その苦痛は想像を絶するものだ。それで精神を病む者も少なくない。

どうしてそんなに秘密にしたいのだろう。法務省は「死刑は厳粛な行為だから」などと言うけど、本当のところは、実態が知られて死刑反対派が増えることを警戒しているんじゃないかと思う。その警戒は当然だ。だって、残酷でない死刑などあるはずがないから。死刑囚がどんな毎日を送りどのように殺されるのかを知れば、何とか違う刑罰にできないかとみんな考える。法務省や国はそれが怖い。死刑という究極の力を行使する権利は、何とか自分たちの手元に置いておきたいというのが本音だろうから。

死刑のことを私が真剣に考えるようになったのは、ある死刑囚との出会いがあったからだ。免田事件や島田事件など、死刑囚の再審が認められて無罪となるケースが一九八〇年代に続いたこともあって、もともと死刑制度には反対だった。冤罪の場合に取り返しがつかない、死刑には犯罪抑止効果はないといった、どちらかと言うと理屈先行の廃止論だった。でも、一九九八年に起きた和歌山カレー事件(夏祭りのカレーにヒ素が混入されて四人が亡くなり六三人が中毒になった)の犯人とされた林眞須美さんと出会って少し変わった。私があるミニコミ紙に和歌山カレー事件のことを書いて、それを目にした彼女から手紙が来た。それ以来、時折、手紙のやり取りをするようになった。で、どう「少し変わった」のか。一言で言うと、少し自分の感覚や生活に近づけて死刑のことを考えるようになった。死刑という刑罰そのもののおぞましさ、死刑を必要とする社会のゆがみ、「あいつを殺せ!」と叫ぶ私たちの感情の飢え…。と書いても、なかなか伝わらないかも知れない。具体的に語ることはとても難しい。

例えばこういうことだ。二〇〇九年四月、最高裁への上告が棄却されて林さんの死刑が確定した。前にも書いたように、確定すると家族と弁護士以外は会えなくなる。ただ、正式に確定囚処遇に移るまで一か月ぐらい時間がかかる。その間だとまだ会えるのだ。私は翌五月、友人の二人と一緒に大阪拘置所の林さんに会いに行った。それが二度目の面会だった。だいぶ待たされて通された狭い面会室で、黒いTシャツにピンクのトレーナーの彼女はとても饒舌だった。でも、確定したことのショックは隠せない。言葉の端々から絶望と、それでも最後まで再審無罪を求めて闘うという決意がにじみ出てくるようだった。私はただ、アクリル板の向こうから届く彼女の声に耳を傾けるだけだ。ほんの一〇分ほどだったが、暗く濃く厳しい時間だった。

面会を終えて拘置所を出ると、外には五月の陽光があふれていた。川を越え大きな道路をまたぐと、交差点の角に小さな保育所があった。そこには若い保育士と子どもたちの笑い声があふれていた。まぶしいほどきらきらと命が輝いていたんだ。その時私は、ほんの一〇数分前に自分が存在していた空間と目の前の光景との隔たりに愕然とした。このように美しい光景のすぐ裏に、私たちは死刑というおぞましい制度を用意している。そのことの異様さに足がすくむ思いがしたんだ。

ここまで書いて紙幅が尽きた。さてどこまで伝えることができたか、とても心もとない。ここから先は、きみたちの想像力と共感力にすがるしかない。

 

ホームページへ