人間観をめぐる社会的諸問題について―“個”への分断を食い止めるために

花園大学人権教育研究センター『人権教育研究』第21号(2013年3月発行)より(一部改変)





1 障害者を裁いた2つの事件における量刑判断

1―1 求刑を上回る量刑を選択した平野事件

 2012年7月30日、大阪地方裁判所第2刑事部(河原俊也裁判長)は、実姉を殺害したとして殺人罪に問われた大阪市平野区の男性(42歳)に対して懲役20年の有罪判決を言い渡した(以下、「平野事件」とする)。本裁判員裁判が懲役16年という検察側の求刑を4年も上回り、併合罪を除けば有期刑の最高刑である懲役20年を選択したことは、事件関係者はもとより広く社会に大きな衝撃を与えた。男性に広汎性発達障害の一種であるアスペルガー障害が認められたことから、なかでも障害当事者、福祉関係者が受けた衝撃は大きかった。

 本論は、脳死・臓器移植、出生前診断、尊厳死などの現在的諸問題の背後に存する人間観(=「近代的自己」の発展-純化概念としての人間観)を俎上に乗せようとするものであるが、そこに入る前にこの間の社会的風潮を映し出す一つの象徴とも思われるこの平野事件判決と、2008年12月にやはり大阪地裁で知的障害の男性に言い渡されたいわゆる八尾事件判決の2つの判決における量刑認定について考察する。ただし八尾事件については、私は事件を社会的な課題として捉え被告人を支える立場から「八尾事件を考える会」世話人の一人として深く関わり公判記録にも接することができたが、一方の平野事件については、新聞報道以外には判決当日裁判所が配布した「判決要旨」が手元にあるのみである。従って、平野事件については事件の背景や本質について論考するに足りる材料の持ち合わせがなく、「判決要旨」に沿って、つまり裁判所の認定に沿って事件の概略を紹介するにとどまることを予め断っておく。

 まず平野事件の「判決要旨」の「犯行に至る経緯」「罪となるべき事実」を見ておきたい(以下は要約)。

「被告人(以下、Oとする)は小学5年生の途中から不登校となり、約30年間のほとんどを自宅で引きこもる生活を送ってきた。Oはこのままでは駄目だから、誰も知らない遠い場所で生活したいと思って親に頼んだが実現せず、それを長姉のせいであると思いこんで姉を恨むようになった。そこで姉に金銭的ダメージを与えようとして母親に金を無心させたり、Oのためにパソコンを買うよう頼み込んだりさせた。30代半ばの頃、姉が中古のパソコンを買い与えると、他人が触ったものは嫌だったことなどから姉への恨みがさらに募り、殺意を抱くようになった。Oは母親と二人暮らしだったが、以前母親が入院した時に姉が買い物をして届けてくれたことがあったので、母親に暴力をふるって入院させ姉がO宅に来た時に包丁で刺し殺そうと考えた。2011年6月、姉はOに暴力をふるわれた母親を施設に入所させ、Oに生活用品を届けるようになった。そして7月13日、Oの自立を願った姉が『食費やその他のお金は自分で出しなさい、買い物はする』と書き置きを残すと、姉が報復してきたと思いこんで殺害を決意する。そして7月25日、かねて用意していた包丁でO方を訪れた姉の心窩部(みぞおち)や左上腕等を多数回突き刺し、出血性ショックによる低酸素虚血性脳症により死亡させて殺害した。」

  一審公判で弁護人は、Oさんにアスペルガー症候群の障害があり、その影響で恨みの感情をコントロールできなかったとして保護観察つきの執行猶予を求めた。アスペルガー症候群というのは、自閉症の中でも知的障害はないが社会性やコミュニケーション、想像力に問題があるとされる。恐らく弁護人はOさんの障害に関して精神鑑定を求め、情状酌量の必要性を強く主張をしたのではないかと思われるが、以前の職業裁判官による審理よりはるかに迅速さが求められる裁判員裁判において、真実追究のためにどれだけ丁寧な審理が行われたのかは不明である。ともあれ先に紹介した「判決要旨」によれば、姉はOさんの生活を支えようと懸命に努力したのであって、逆恨みをしたOさんに全面的に非があると裁判所は認定したことになる。

1―2 平野事件における「量刑の理由」

 更に問題となるのが「判決要旨」の「量刑の理由」である。その中の「第2 具体的な量刑 2」の部分をそのまま引用する。  「被告人は、本件犯行を犯していながら、未だ十分な反省に至っていない。確かに、被告人が十分に反省する態度を示すことができないことにはアスペルガー症候群の影響があり、通常人と同様の倫理的非難を加えることはできない。しかし、健全な社会常識という観点からは、いかに病気の影響があるとはいえ、十分な反省のないまま被告人が社会に復帰すれば、そのころ被告人と接点を持つ者の中で、被告人の意に沿わない者に対して、被告人が本件と同様の犯行に及ぶことが心配される。被告人の母や次姉が被告人との同居を明確に断り、社会内で被告人のアスペルガー症候群という精神障害に対応できる受け皿が何ら用意されていないし、その見込みもないという現況の下では、再犯のおそれが更に強く心配されるといわざるを得ず、この点も量刑上重視せざるを得ない。被告人に対しては、許される限り長期間刑務所に収容することで内省を深めさせる必要があり、そうすることが、社会秩序の維持にも資する。」

  Oさんが十分に反省せず(できず)、家族がOさんとの同居を拒み、社会にもアスペルガー症候群に対応できる受け皿がないので再犯の可能性が高いから、社会秩序維持のためにもできるだけ長く刑務所に隔離しておくべきだ、「健全な社会常識という観点からは」再犯の心配は当然であり「量刑上重視せざるを得ない」と言うのである。

  この判決が「発達障害 求刑超す判決『社会秩序のため』」(7月31日付け毎日新聞朝刊)、「姉刺殺に求刑超す判決 発達障害『再犯心配』」(同日付け朝日新聞朝刊)などと報道されると、障害当事者や法曹界から猛烈な反発が起こった。日本自閉症協会は判決を厳しく批判し、「アスペルガー症候群および自閉症圏の人々とその家族が地域で排斥されることなく暮らせるよう(略)偏見や差別のない社会となることを強く要望する」という声明を出した。また日本発達障害ネットワークや全日本手をつなぐ育成会など4団体も、発達障害を正しく理解せず、受け皿も何ら用意されていないという誤った判断に基づくもので、障害を理由に刑罰を重くするのは差別的だとする声明を出した。そして大阪弁護士会は、この判決は刑法の責任主義(行為者に対してその責任を非難できない場合は刑罰を科すべきではない)という刑事司法の大原則に反し、保安処分の理念に基づくもので許されないという会長談話を公表した。

1―3 八尾事件における「量刑の理由」

 ここでいったん平野事件を離れ、その判決の4年前、裁判員裁判の開始に半年ほど先立つ2008年12月に同じ大阪地裁の第3刑事部(樋口裕晃裁判長)で言い渡された八尾事件判決を、特にその刑の量定を中心に振り返りたい。八尾事件というのは、2007年1月17日、大阪の近鉄八尾駅前で授産施設のクッキー販売をしていた知的障害の男性Yさん(当時41歳)が、通りがかりの見ず知らずの3歳の男の子を歩道橋から6メートル下の車道に落として重傷を負わせ、殺人未遂罪に問われた事件である。他に例を見ない特異な事件であったために大々的に報道され、その背景や動機をめぐって様々な憶測が飛び交った。動機について後の地裁判決は、Yさんが「施設内での人間関係が思うようにならないことなどにうっ憤を募らせ、大事件を起こして警察に捕まれば同施設との関係を断つことができると考え」たと認定し、確かにYさんは取調べでも公判でも同様の供述を行っているが、果たしてそれが真実だったのかどうか、現在に至っても動機が十分に解明されたとは言いがたい。Yさんの障害や施設の事情もからんで、それだけ難しい事件であった。

 2008年12月10日、職業裁判官による14回の公判を経て言い渡された大阪地裁判決は、懲役5年6月の有罪判決であった。懲役12年の求刑に対して、裁判官はその半分を切る刑を言い渡したのである。従来、求刑の8割が相場だとされていた量刑よりかなり軽く、また「Yさんには広汎性発達障害がある」という弁護側の主張も認められなかったが、検察側、弁護側双方とも控訴せず刑は確定した。なぜそのような量定となったのか、判決文の「量刑の理由」を見ておきたい。

 判決は「知的障害とストレスが高じた影響による衝動的な犯行とはいえ、ストレスの原因となった人間関係から逃れるために本件のような犯罪を犯すこと自体が身勝手であることは明らかであり、犯行動機に酌むべきものは認められない。そして、その犯行態様は、前記のように被害者を死亡させる危険性の非常に高いものであったといえ、相当に悪質である」「被告人は、いずれも幼児を被害者とする拐取罪等により4件の懲役前科を有していながら、またしても幼児を被害者とする一層悪質な本件犯行を敢行しており、被告人による再犯が危惧される」と述べる。拐取(略取・誘拐)罪の前科については若干注釈が必要かも知れない。Yさんは、以前、幼児を連れ回したあげく困り切って警察署に駆け込むなどの犯行を繰り返し2度の実刑判決を受けているが、その中身は幼児に大けがを負わせた八尾事件とは異なって遊び相手として幼児を連れ回したという印象が強く、ほとんど危害も加えていない。

 判決は以上のように犯行の悪質さや再犯の危険性に触れた後、それでも求刑を大幅に下回る量刑とした理由について次のように述べている。

「本件殺人が未遂にとどまったこと、本件当時、被告人が知的障害等の影響により心神耗弱状態にあったこと、(略)被告人なりに真摯な反省の態度を示し、被害者への謝罪の言葉も述べていること、(略)被告人側が、被害者側に治療費及び通院費等として146万円余りを既に支払い、慰謝料の内金400万円も用意していること、いずれも証人となった実母、実弟及び障害者施設の理事長が、そろって出所後の被告人の更生に協力する旨供述していることなど、被告人のために酌むべき事情を十分考慮しても、被告人に対しては、主文の刑をもって臨むのが相当である。」

 弁護団はYさんが「特定不能型広汎性発達障害」である旨主張して精神科医の意見書を提出したが、裁判官はそれを否定して「知的障害」だけを認定した。そして犯行の悪質さや再犯の危険性を指摘しつつも、「実母、実弟及び障害者施設の理事長が、そろって出所後の被告人の更生に協力する旨供述している」として厳刑を避けた。そこには、いたずらに長期の自由刑を科すことより福祉的な支援による社会内処遇の方が再犯を防止する上でも有効だと説いた弁護方針が反映していると見ることができるだろう。

1―4 両事件において量刑判断はなぜ分かれたか

 ここで、八尾事件判決と平野事件判決で刑の量定に大きな相違が生じた理由を考えてみたい。検察の求刑(前者12年、後者16年)を基点として考えれば、相違と言うより正反対の結論(前者マイナス6年6月、後者プラス4年)に至ったとも言えるが、それはなぜなのか。もちろん両事件では殺人未遂か殺人か、犯行が衝動的か計画的か、慰謝の措置(謝罪や慰謝料)や家族などの支えがあるかないかなどにおいて違いがあり、量刑判断を単純に比較することはできない。しかし検察側もそれらの事情を十分考慮した上で求刑を行ったはずである。更に言えば、被告人の再犯の可能性という点では、平野事件が抽象的なレベルにとどまるのに対して、八尾事件の場合は前科を引き合いに出して相当具体的に危惧していると見ることもできる。そういう意味では、八尾事件の方が逆に求刑を上回る量刑を科す可能性もあったのではないか。

 両事件で量刑判断が分かれた理由としてまず考えられるのは裁判員制度の影響である。八尾事件判決翌年の2009年5月に裁判員制度がスタートし、平野事件裁判には6名の裁判員が参加していた。感情に流されやすい市民感覚が反映したために厳刑判決に至ったのではないかという見方は当然あるだろう。しかしこの見方は正確とは言えない。裁判員裁判における評決は多数決でなされるが、被告人に不利な決定をする場合は単純多数決ではなく、裁判官、裁判員双方から1名以上が参加していなければならない。有罪か無罪かの評決だけでなく刑の量定においても同様である。つまり、懲役20年という量定には職業裁判官が1名以上賛成しているはずなのである。もちろん裁判員たちの強力な主張が裁判官に影響を及ぼした可能性は否定できず、それが先に引用した平野事件の「量刑の理由」にある「健全な社会常識という観点」という表現になったとも解釈できるが、いずれにしても厳刑の原因を裁判員の参加にのみ求めるのは誤りである。

 裁判員制度の影響ということではそれよりも、審理の迅速さを追求する余り事件の背景やアスペルガー症候群について丁寧な検証ができなかったのではないかという制度の根幹に関わる問題が浮かび上がる。平野事件裁判において、精神障害者を支える社会システムが実際にどの程度機能しているかについて十分に検討されたのかという疑問が残る。あるいは保護観察つきの執行猶予を求めた弁護人が、家族の協力を望めない状態でOさんが社会に戻った時、それでも十分な生活支援ができるということを、マンパワーを含めた具体的な態勢を提示して主張したのかどうかという弁護方針に関わる疑問もなくはない(ただし私にはこの点について確認できる材料がない)。いずれにしても、国民の司法参加としての裁判員制度に求められる迅速さと公正さをどのように両立させるのかは、証拠の全面開示や取調べの完全可視化などの問題とも相俟って大きな課題であり、今後根本的な見直しが必要だろう。

  さて、以上のように裁判員制度が抱える矛盾が2つの量刑判断に影響を及ぼしたことを認めた上でなお、私には釈然としないものが残る。それは平野事件「判決要旨」の「量刑の理由」が示した、「社会秩序維持のためにも許される限り長期間刑務所に収容するべきだ」とする思想や、「健全な社会常識という観点」を前面に押し出すことによって障害者をはじめとする社会的マイノリティへの排除圧力を強めようとする姿勢に対する懸念である。その懸念は、改定臓器移植法の施行、出生前診断の飛躍的拡がり、尊厳死法案提出の動きなど、人間観に関わる現今の社会的潮流に対する警戒心と重なる。もちろん八尾事件判決時にはそれらが存在せず、平野事件判決時にはそれらが存在したなどと言いたいのではない。それらの潮流を下支えする思想が次第に勢いを増し人々がそれまで抱いていた違和感を排除していく、その一つの証左として平野事件厳刑判決があるのではないかというのが私の問題意識であり、それゆえに判決から受けた私の衝撃は大きかった。以下、章を改めてそれらの社会的潮流、中でも2010年改定臓器移植法完全施行の意味について考察し、出生前診断や安楽死・尊厳死などを含めた現今の社会潮流を横断する思想と人間観についての検討に最終章を当てたい。


2 “生殺与奪”としての医療

2―1 改定臓器移植法がもたらしたもの

 1997年10月に成立した臓器移植法(臓器の移植に関する法律)は、日本で初めて脳死体からの臓器移植を認めたという意味で画期的な法律であった。この法律をめぐっては、脳死(全脳死)は確実に判定できるのか、脳死は本当に人の死なのか、生命・人権にとって脳死・臓器移植問題とは何かといった議論が噴出し、現在に至っても一定の社会的合意に達したとは言えない。ゆえに日本においては、法の成立後も脳死体からの移植はほとんど進まなかった。しかし2009年に臓器移植法が改定され、翌2010年に完全施行されると状況は大きく変わり移植が増大することになる。具体的に言うと、法が施行された1997年10月から改定法完全施行の2010年7月までの12年10か月の間に行われた脳死体からの臓器移植は86例であったが、施行後の2010年8月から2012年10月の2年3か月の間では109例となった。月あたりの件数で見ると改定前の0.56例が改定後には4.04例となり、ほぼ7倍に増えているのである。

 そうして見ると、1997年の法成立はもちろん重要だが2009年の法改定はそれに劣らず重要であったことが分かる。改定されたのは、@本人の拒否がない限り家族の承諾のみで移植が可能となったこと、A15歳以上という年齢制限が撤廃されたこと、B親族(配偶者と親子間)への優先提供が認められたこと、C死の定義が変更されたことの4点である。中でも移植数を大幅に増大させることに貢献したのは@の改定である。日本臓器移植ネットワークが発表した直近のデータでは、2012年11月13日に近畿地方の20代男性からの脳死・臓器移植が行われ、これが法施行以来200例目となるのだが、そのうち家族承諾のみだったものは92例にのぼる(11月14日付け毎日新聞報道ほか)。先に紹介した改定法完全施行の前と後の移植数に照らせば、改定後の114例の内の92例、実に81%が家族承諾のみによる移植だったことになる。移植の推進をめざす人たちにとって、家族承諾のみによる移植を可能にすること(それが可能になって初めてAも可能となる)は悲願だったと言うが、まさに事実はその思惑通りに進んだと言うことができる。

2―2 死の定義をめぐって

 4つの改定点はいずれも重要だが、移植を推進する側がもう一つ特にこだわったのがCの「死の定義の変更」であり、具体的には臓器移植法6条2項の「『脳死した者の身体』とは、その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定されたものの身体をいう」の下線部を削除することでそれは実現した。この「死の定義の変更」については大々的に報道されたこともあって、臓器移植以外でも一律に死の定義が変更されるという誤解を世間に生じさせたようだ。全面施行直後の2010年7月21日付け朝日新聞に「『脳死は一律に死』は誤解」という辻泰弘参議院議員の寄稿が掲載された。彼は、前年の臓器移植法改定時、参議院厚生労働委員長として審議をリードした人物である。寄稿の主旨は、同法はあくまでも臓器移植に限って定めた法律であるから、そこで死の定義が変更されても、その法の範囲を越えて「脳死は一律に人の死」とされることなどあり得ないというものであり、法理論的にはまさにその通りである。ではなぜ敢えて6条2項の下線部分が削除されたのか。そこには何か隠された意図があるのではないか。

 私はすぐに辻議員にEメールを送ってその疑問をぶつけた。寄稿の主旨はよく理解できるけれども、下線部が削除された理由がまったく述べられていない、ぜひそれを説明してほしいという内容のものである。辻議員からはすぐに「ご指摘の点について国会答弁で触れられているので、それを送ります」という返信があり、2009年7月7日の参院厚労委における山内康一議員(その後可決成立した改定A案の提出者の一人)の答弁が添付されていた。山内議員は下線部削除の意味を問われ、「脳死が人の死であることは概ね社会的に受容されている」という彼の認識(しかし脳死後臓器提供をしたいと答えた人は2008年総理府世論調査においても43.5%に過ぎない)を示した後、次のように語っている。

「提出者の意思といたしましては、脳死した者の身体の定義についてもこの(引用者注:脳死を一律に人の死とするという)ような考え方によりふさわしい表現となるように(略)文言を削除したものであります。ただし、あくまでも脳死が人の死であるということについては、A案の前提となる考え方ということであります。臓器移植法は、臓器移植に関連しての脳死判定あるいは臓器摘出の手続等について定める法律であって、臓器移植以外の場面については一般的な脳死判定の制度や統一的な人の死の定義を定めるものではありません。したがって、この文言を削除したとしても、臓器移植以外の場面において、A案による改正後の六条の二項の規定により脳死が人の死として取り扱われることにはならないと考えております」。

 ほとんどが改定案の説明の繰り返しであって、回答と言えるのは「脳死した者の身体の定義についてもこのような考え方によりふさわしい表現となるように(略)文言を削除した」の部分のみである。推察するに、改定案の提出者たちには脳死を一律に人の死としたいという願望があり、その願望の実現に向けた一歩として法的にはほとんど意味のない下線部削除を行ったということだろう。つまり辻議員の言う「脳死は一律に死」という“誤解”が世間に拡がって人々の思考の中で既成事実化することこそ、改定案提出者たちが目論んでいたことなのではないか。その後再び辻議員と電話で話したが、私の推察はそれほど的をはずしていないように思われた。

2―3 脳死概念と選択的中絶

 1992年の「脳死臨調最終報告」は「脳による身体各部に対する統合機能が不可逆的に失われた場合、人はもはや固体としての統一性を失い、人工呼吸器を付けていても多くの場合数日のうちに心停止に至る。これが脳死であり、たとえその時個々の臓器・器官がばらばらに若干の機能を残していたとしても、もはや『人の生』とは言えない」とし、これがわが国でも脳死の定義として定着している。しかし「数日のうちに心停止に至る」ことのない長期脳死が世界各地で報告され、脳だけが身体各部の統合機能を担っているという点については小児神経学や生命倫理学の研究者からも異論が提出されている(例えば『慢性脳死―集積分析と概念的帰結』アラン・シューモン1998年、参議院厚生労働委員会における森岡正博氏の発言2009年7月7日)。脳死概念を支えるのは脳が身体すべてを支配するという“科学的”知見とされるが、長期脳死以外にも脳死からの生還例やラザロ兆候と称される脳死体の複雑な身体の動きが報告されていて、実は「脳中心主義」という一つのイデオロギー(支配的価値の押しつけ)に過ぎないという批判は早くから提出されている。日本における脳死移植はアメリカやスペインなどの移植大国に比べるとはるかに遅れてスタートした。その理由として日本独特の文化観や人間観、人体実験ではないかとして捜査の対象となった和田心臓移植(1968年)の影響などが指摘されるが、脳死概念そのものに対する懸念があるのも事実だろう。

 ともあれ臓器移植法の制定によって日本の脳死移植は最初の一歩を踏み出し、その改定によって更に大きな一歩を踏み出すことになった。恐らくそんなに遠くない未来に「脳死は一律に死」とする社会が待ちかまえているかも知れない。そこでは脳死と判定されればもちろん医療の対象ではなくなり、死体として処理される。そこでは西欧近代以降に形成された理性的で合理的な人間像にそぐわない一群の人々、重度の知的障害者や重篤な病の床にある高齢者などへの安楽死が当たり前のこととして日常化しているかも知れない。

 昨今の出生前診断の急速な拡がりや尊厳死法制定の動きの活発化と併せて考えれば、そうした危惧を単なる杞憂として片付けることはできない。例えば出生前診断に関する新聞記事は私の目にとまったものだけでも「中絶20年で6倍/エコー精度向上 異常発見増え」(2011年7月23日付け毎日新聞)、「出生前診断で中絶倍増」(2011年9月17日付け読売新聞)、「『異常』理由に中絶10年で倍増/出生前診断指針作り」(2012年4月5日付け朝日新聞)などがある。いずれも日本産婦人科医会が1985年以降、毎年全国約3000の分娩施設を対象にアンケート調査した結果をもとにしたものだ。毎日新聞の記事は検査で「異常」が見つかったために中絶したのは「85〜89年は1000件未満だったが、95年〜99年は約3000件、2005年〜09年は約6000件」とし、「どれぐらい深刻なのか、医師の説明が不十分で妊婦も理解しないまま、中絶したケースが少なくないとみられる」という横浜市大教授・平原史樹氏のコメントを載せている。

 読売新聞は「2009年までの10年間(略)は1万1706件で、前の10年間(5381件)比で倍増した」と報告し、「異常」が発見された「その先どうするのかについて、判断を支援する医療体制、すなわち遺伝カウンセリングなどの体制が整っていないことが問題だ」(出生前診断専門医・左合治彦氏)、「生命倫理に携わる研究者は本来(略)技術の使い方について、社会的、倫理的、法的な問題など幅広い視点から考察する場を設けるべきだ」(科学史家・米本昌平氏)、「診断の結果が告知されると、『中絶しかない』という社会の圧力から逃れられなくなるのが実情だ。(略)出生前診断を実施する医療機関は、ダウン症に関する医学的な特性だけでなく、どうすれば育てられるのか、どのような支援制度があるのかなど多様な情報を提供してほしい」(日本ダウン症協会理事長・玉井邦夫氏)という関係者の意見を紹介している。現在の母体保護法では胎児に障害があることを理由とした中絶は認められていないにもかかわらず、「母体の生命に危険を及ぼすおそれ」「母体の健康度を著しく低下するおそれ」(母体保護法3条)という理由にすり替えることで、選択的中絶とセットになった出生前診断は着実に拡がっているのである。

 ではそうした状況はどのような人間観に支えられているのか。次の最終章では生命倫理学の領域で展開されているパーソン論を批判的に検討することを通して、理性的で合理的な人間という近代的人間像への疑義を提出することとしたい。


3 近代的自己の純化形態としての“パーソン”

3―1 映画『ザ・コーヴ』のイルカ観

 2010年、あるドキュメンタリー映画の上映をめぐって日本各地で騒動が巻き起こった。「反日映画、虐日映画の上映を許さない」と街宣活動が展開されて上映を中止する映画館が相次ぐと、文化人たちが共同記者会見を行って「表現の自由」を訴えるなどした。それが『ザ・コーヴ』(2009年アメリカ)である。反捕鯨の立場から和歌山県太地町のイルカ漁を追ったもので、欧米を中心に大きな反響を呼び2010年のアカデミー長編ドキュメンタリー賞を受賞した。「コーヴ」は「入り江」を意味し、映画のエンディングで入り江に追い込まれたイルカが漁師たちの手で殺され、入り江全体がまっ赤に染まるシーンは衝撃的であった。反捕鯨のプロパガンダとしては完成度が高く、それゆえに捕鯨国日本の国民は過剰な反応を示したと言えよう(ただし、プロパガンダに比重を置き過ぎていてドキュメンタリーとしての質は高くないと私は思う)。エスノセントリズム(自民族-文化-中心主義)や食文化の多様性の問題としても話題となった作品である。

 私はこの映画を観て、生命倫理的な側面からある違和感を覚えた。映画の主人公リック・オバリーは若い頃、人気テレビシリーズ『わんぱくフリッパー』の調教師役で活躍した俳優である。その番組に登場したイルカが極度のストレスで死んでしまったのを境にイルカの保護活動家に転じ、イルカの救出のために世界を飛び回り、時には国際捕鯨委員会に乗り込んで捕鯨禁止を訴えたりしてきた。そのオバリーに誘われて太地町にやって来た監督のルイ・シホヨスをはじめとするスタッフが、映画の中で「イルカは知能が高く、言葉を持ち家族を持ち文化を持っているから殺してはならない」と力説していて、そこに違和の感覚を覚えたのである。「今、グローバルな環境保護が喫緊の課題であって、その象徴がイルカなどの鯨類の保護なのだ」と言われれば、それが正しいかどうかは別としてその主張自体はよく理解できる。しかし反捕鯨を支持する人たちの主張はそこにとどまらず、鯨類に人間と同等かあるいは同等に近い特別の地位を与えているようなのである。鯨食という食文化を持つ日本人にはなかなか理解できないそのような考え方は、いったいどこからやって来ているのだろうか。

3―2 トゥーリーの2つの「懸念」

 私は自分が感じた違和感の正体を探るためにいくつかの生命倫理学の文献を調べるうちにパーソン論に行き当たった。これはオーストラリアの哲学者マイケル・トゥーリーが人工妊娠中絶や新生児殺しを正当化するために提出した理論である。彼は1972年の論文『妊娠中絶と新生児殺し』でこう述べている。

「ある有機体が生命に対する重大な権利を備えているのは、経験やその他の心的状態の持続的主体としての自己についての観念をその有機体が備えており、なおかつ、その個体が自らをそのような持続的実体であると信じている場合のみに限られる。」(神崎宣次訳、『妊娠中絶の生命倫理―哲学者たちは何を議論したか』所収p.89〜90)

 トゥーリーは、単に「生物学的なヒト」であるだけでは生存するための権利を持たない、自己意識を持った主体的存在としてのパーソン(人格)のみが生存権を持つと主張するのである(自己意識要件)。そして同じ論文の最後で、自分の考え方が正しいという前提に立てば「実践的な道徳的意志決定のレベルで二つの懸念がある」として、「軽い方の懸念」と「いずれ深く憂慮すべき懸念」を挙げている。ここでは、前述した私の違和感と関連する後者の「深く憂慮すべき懸念」を先に取り上げたい。トゥーリーはこう説明する。

「厄介な懸念は、ホモサピエンス以外の種に属する成熟した動物も、生命に対する重大な権利をもつか否かである。ある有機体が、持続的主体としての自己という概念と、自分がそのような持続的存在であるという信念とを、その概念や信念を表現する手段をもたなくてももちうるならば、動物たちは生命に対する重大な権利をもたらす特性をもちうるか否かという問いに直面せざるをえないからである。」(同書p.113)

 このトゥーリーの懸念は、その後同じオーストラリア人の功利主義哲学者ピーター・シンガーの『動物の解放』(1975年)で展開される「動物解放論」として世に知られることになる。シンガーは「利益に対する平等な配慮」、つまり利益だと自ら感じることができる存在すべてに対し平等な配慮を与えることを大原則に据えて、人間以外の種にも「自己意識要件」を備え生命に対する重大な権利を持つパーソンは存在すると主張する。

「大型の類人猿―チンパンジー、ゴリラおよびオランウータン―は、人間以外の最もはっきりした事例であろうが、他にも同じような動物がいるのは、十中八九確実である。類人猿に比べて、クジラとイルカの体系的な観察は(略)ずっと遅れているが、大きな脳を持ったこれらの哺乳類が理性的で自己意識を持っているとわかるようになる可能性は大きい。」(山内友三郎ほか訳、シンガー『実践の倫理[新版]』p.143)

 ここにおいて私に違和感をもたらしたものの正体が明らかになる。パーソン論は「自己意識要件」を備えている可能性が大きなチンパンジーやイルカなどの殺害を「種差別」として厳しく糾弾するが、そうした考え方は反捕鯨国を中心に広く支持されていると見るべきだろう。そして問題はそこにとどまらない。「自己意識要件」を備えているがゆえに生命に対する重大な権利を持つとされるものが人類という種を超えて他の動物に拡がることは、裏を返せば人類をその権利を持つ者と持たない者とに峻別することでもある。トゥーリーのもう一つの「懸念」、彼が「軽い方の懸念」としてほとんど歯牙にもかけようとしない「懸念」こそ、私が本論全体を通して疑義を呈したい思想の核心である。トゥーリーは、では新生児はどの時点から生命に対する重大な権利を持つのかと自問した後でこう書く。

「新生児が生命に対する権利を獲得する正確な時点を知る深刻な必要性はないので、大きな問題にはならない。なぜなら、新生児殺しが望まれる事例の圧倒的多数においては、その望ましさは誕生後すぐに明らかになるだろうからである。」(『妊娠中絶の生命倫理』p.112)

 含意されているものは明らかである。彼は論文の冒頭近くで次のように述べている。

「ほとんどの人たちは、重度の形成異常や重度の身体的、情動的、知的ハンディキャップに苦しんでいない子どもを育てる方を望むだろう。新生児殺しに何の道徳的な反対意見も存在しないということが示されうるならば、社会の幸福を著しく、かつ正当に増加させることができるだろう。」(同書p.83〜84)

 トゥーリーが正当化しようとするのは一般的な「新生児殺し」ではなく、あくまで重度の障害をもって生まれた新生児を殺すことである。しかもそれは彼にとっては道徳的意志決定における「軽い方の懸念」であり、大した問題ではない。ここに私は、西欧近代がもたらした理性的、合理的な人間像の一つの現代的な着地点を見る。しかもその着地点はしっかりと地に足をつけ豊かな交流を育むことができる広場ではなく、狭く急な坂の途中なのかも知れない。

 

 社会的背景を捨象して個人責任のみを追及する新自由主義の風は一層その勢いを増し、刑事裁判における障害を理由とした厳罰化として、脳死移植や出生前診断の拡がりとして、そして本論では触れることができなかったが安楽死・尊厳死法制化に向けた動きとして、人間として生きる当然の権利は風前の灯火のごとく細く揺らいでいる。私たちが今、狭く急な坂のどこかにいて、その滑りやすい坂道(slippery slope)を既に滑り始めているのであれば、少しでも早く「社会的諸関係の総体(アンサンブル)としての人間の本質」(カール・マルクス)を取り戻す作業に取りかからねばならない。本論はささやかだが、その作業のために私たちが直面するいくつかの人間観をめぐる課題を提示するものである。(了)

 

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