変言字在38−始まりと終わりの話 (2)

『むすぶ 533』(2015年6月発行)より

侵襲してきた無侵襲検査

妊婦の血液から胎児の染色体異常を調べる新型出生前診断(NIPT=無侵襲的出生前遺伝学的検査)が、臨床研究として日本で始まったのは2013年4月でした。血液にほんの少し混じっている胎児由来のDNAを取り出し、23対の染色体のうち131821番目の染色体が通常よりも1本多い(トリソミー)かどうかを調べます。13トリソミーや18トリソミーは重度の知的障害や目や耳の障害、心血管異常を併発し、生後1年以内に90%が死亡すると言われています。21トリソミーはよく知られているダウン症候群で、知的障害や心疾患、難聴などが起きやすいですが、他の2つと違って、生命には大きな問題はないとされています。

ところで新型出生前診断の主要なターゲットは、21トリソミーのダウン症だと言われています。その理由として、他の2つのトリソミーの発生比率が数千人から1万人に1人なのに対して、ダウン症はほぼ千人に1人と高いことがあげられます。そしてもう1つ、ダウン症がターゲットになる理由があると言う人がいます。どんな理由なのか、それについては最後の方で紹介することにして、先に新型検査の中身を見ていこうと思います。

この新型検査は米国のバイオ企業が開発したものですが、日本では当初、ダウン症かどうかを99%の精度で判定できるということで、大きな衝撃をもって迎えられました。しかしそこには統計上のからくりがありました。バイオ企業は、比較的高齢で以前ダウン症児を出産したことがあり、しかも超音波(エコー)検査でひっかかった妊婦、つまりダウン症児を妊娠する確率の高い集団だけを対象にして新型診断を行いました。そしてその後、陽性と診断された妊婦に羊水検査などの確定診断を行って、当初の診断が正しかった確率が99・1%だと発表したのです。ダウン症の出生頻度がもっと低い一般の妊婦集団では、この精度はもっと低くて5割程度だと言われています。

それはともかく、新型診断の精度がそれまでの超音波検査や母体血清マーカー検査と比べてかなり高いのは事実のようです。今年4月に英医学誌に発表された米カリフォルニア大のM・ノートンらの調査によれば、ダウン症の陽性的中率は従来の検査の3・4%に対して80・9%だったといいます。どの検査でも最終的には羊水検査や絨毛検査によって確定診断をしなければならないのは同じですが、確定診断はおなかに針を刺す侵襲的な(体を傷つける)検査なので流産の危険性があります。ですから、確定診断の対象をできるだけ絞り込むために新型診断の有効性が強調されるわけです。

日本での臨床研究の対象は35才以上で、他の検査で染色体異常が疑われる妊婦に限られました。13年4月に臨床研究が始まると、自己負担する検査費用が20万円を超えるにもかかわらず、不安を抱えた妊婦がどっと押し寄せました。その人たちがどんな結論に至ったのかについて、新聞は次のように伝えています。

――新型出生前診断を実施している病院のグループは10日、開始した2013年4月から1年半の実績を発表した。1万2782人が受け、219人が異常の可能性がある陽性と判定された。そのうち、羊水検査などで異常が確定したのは176人。陽性の判定後、子宮の中で胎児が死亡するなどして確定診断を受けられない人もいた。
 また、
人工妊娠中絶をしたのは167人。妊娠を継続したのは4人だったという。――(2015年4月11日朝日新聞デジタル)

記事をもとに計算してみると、受診者の1・7%が陽性と判定され、そのうちの80%以上が確定(陽性的中)しています。「以上」と書いたのは、陽性判定後、胎児が死亡して確定診断を受けられなかったケースがあるからです。そして確定した176人には確定後に流産したケースも含まれているはずですから、中絶した167人と妊娠を継続した4人をもとに中絶率を出すと97・7%となります。この数字をどう見るか、です。中には、どうして4人もの人が胎児に障害があると分かっていながら出産しようとするのかと憤る人もいるかも知れません。しかし私にはかなり高率だと思えます。出生前診断専門クリニックを舞台にしたドキュメンタリー『いのちをめぐる決断』(12年4月20日NHK「かんさい熱視線」)に登場した医師は、胎児に障害があることが分かった妊婦の8割が中絶を選ぶと語っていましたが、それに比べてもはるかに高い中絶率です。

臨床研究に参加したのは妊婦に対するカウンセリングなどの体制が充実した医療機関だから、胎児の障害の確定がすぐに中絶につながらないと考えていた人もいたようですが、そうではありませんでした。実際にどのようなカウンセリングが行われたのか、大いに疑問です。例えばダウン症の人たちがどんな支援のもとでどんな生活をしているのかといった情報は、きちんと妊婦に届けられたのでしょうか。出生前診断は、生まれてくる子どもの病気や障害をあらかじめ知ることで出産後の医療や介護の準備ができるというメリットがあるという意見があります。確かにそういう側面があることも否定できません。しかし、上記の新型診断の結果は明らかに別のことを物語っています。かつて優生保護法でうたわれていた「不良な子孫の出生の防止」は母体保護法となって削除されたはずなのに、そして胎児に障害があることを理由とした中絶は認められていないのに、医療の現場では「優生思想」に基づく選択的中絶が猛烈な勢いで広がっているのです。

「ウェルカム」を聞けない人たち

さて、新型出生前診断がダウン症を主なターゲットにしているもう1つの理由は何でしょうか。2012年1113日に、日本産科婦人科学会が主催して公開シンポジウム「出生前診断―母体血を用いた出生前遺伝学的検査を考える」が開かれました。そこにパネリストとして最後に登壇した日本ダウン症協会理事長の玉井邦夫さん(ダウン症の子の親でもある)は次のように述べました。

――なぜ、ダウン症がここまで、標的になるのか?(中略)/なぜなのだろうと考えたときに、ただひとつたどり着ける結論は、彼ら(引用者注:ダウン症者たち)が立派に生きるからです。しっかりと何十年かの人生を生きるから。だから、この子たちは、生まれてくるべきかどうかを問われるのだとしたら、いったい私たちが問うているのは、どういうことなのか? そのことを、もう一度、会場のみなさんに考えていただきたいと思います。――坂井律子『いのちを選ぶ社会―出生前診断の今』NHK出版2013年162頁)

 強烈で重い問いかけです。中島みゆきの「誕生」は人生を賛歌する作品としてよく知られています。そこにはこうあります。「リメンバー 生まれた時 誰でも言われたはず 耳を澄まして 思い出して 最初に聞いた ウェルカム」。しかし実際は「ようこそ!」と祝福されない生命を選別し排除する社会が進行しています。私たちはその先にどんな社会を築こうとしているのでしょう。  つづく