変言字在45−始まりと終わりの話 (9)

『むすぶ 545』(2016年8月発行)より

相模原事件の衝撃

 これまで人生の「始まりと終わり」にまつわる話を長々と続けてきました。「終わり」に関しては安楽死・尊厳死と脳死下臓器移植の問題を取り上げ、前回は脳死の定義への疑問を呈しました。前回紹介した脳死判定後の出産例の他にも、判定後の生還例や子どもの長期脳死など、脳死を人の死とするには無理があることを示す事例は枚挙にいとまがないのです。

 それを受けて今回は意外に知られていない脳死体の「ラザロ徴候」について紹介し、それを「始まりと終わりの話」の最終回にする予定でした。しかしどうしても、7月26日未明に相模原市で起きた障害者大量殺人事件について触れざるを得ません。その衝撃が大きかったこともありますが、事件がこのシリーズを通して考えようとしたこと、優生思想や安楽死の問題と深く関わっているからです。

 この事件については連日多くの報道が流れましたから、改めて詳しく説明する必要はないでしょう。障害者収容施設(一般には「入所施設」と言われますが、私は自主的な入所ではなく社会の都合による収容だと考えるのでこう呼びます)の19人の知的障害者が刺殺され26人が負傷し、この施設の元職員だった若者が警察に出頭して逮捕されました。

 事件後すぐに、「殺される側」の障害者からさまざまな意見や声明が提出されました。例えばDPI(障害者インターナショナル)日本会議は、事件翌日に「障害者を『あってはならない存在』とする優生思想に基づく行為に他ならず、ここに強い怒りと深い悲しみを込めて断固として優生思想と闘っていくことを改めて誓う」という声明を発しました。巨大な収容施設の存在こそ事件の背景にあるという指摘もありました。確かにグループホームなどの地域に開かれた小さな施設であればこんな事件は起きようがなかったでしょうし、そこで働く職員の意識も違っていたかも知れません。また、事件の被害者がすべて匿名で報道され、その個別性(かけがえのなさ)がそがれていることに異議を唱える人もいました。神奈川県警はプライバシーの保護や遺族の強い意向で匿名にしたと説明しましたが、仮にそれが事実だとしても、そこに障害者に対する否定的な意識を見ることができます。事件や事故の被害者は実名で報じられるのが原則です。しかしごくまれに実名が伏せられます。適切な例ではないかも知れませんが、12年の福山市のラブホテル火災の場合も、亡くなった7人の名前は今回と同じように匿名でした。なぜでしょう? 障害者たちはそういうところに敏感に反応しているのです。

 そうした障害者たちの思いの一方で、U容疑者が措置入院させられていた経緯を踏まえて、措置制度の見直しを目論む動きも出ています。例えば塩崎恭久厚労相は、社会防衛的な視点から措置入院が解除された人の所在地を継続的に把握し監視する制度を検討する考えを示しました。また障害者施設の監視カメラを増設したり管理体制を強化して、事件の再発を防ごうという動きも目につきます。しかしこのような動きは障害者を社会から分断し、いっそう孤立に追い込むのではないかと危惧します。そういう方向をさらに推し進めれば、事件の再発防止どころか誘発につながるのではないかと思うのです。そうではなく逆に、子どものころから障害者と健常者が一緒に勉強して互いの違いを認め合う素地を作っていくこと、収容施設を廃し地域で共に生活する環境を整備することが求められているのではないでしょうか。

新しい名前と顔と…
 

 今回の事件の背景について、さまざまな角度から議論されることはとても重要です。もちろん犯人は一線を踏み越えた凶悪犯ですから、その内面を分析し厳しく罰する必要があります。しかし、あらゆる犯罪には社会的背景があります。とりわけ今回の犯行は思想犯、政治犯といっても過言ではないほど確信的なもので、社会的犯罪と言っていいと思います。その思想的、政治的な確信はどのように形成されたのか、そのことを私なりに考えてみたいと思います。

 事件の半年近く前の今年2月、Uは大島理森衆議院議長の公邸を訪れ3枚の手書きの文書を職員に渡しました。実際にそれが議長の手に渡ったのかどうか分かりませんが、その文書で彼は「障害者は人間としてではなく、動物として生活を過して」いて「不幸を作ることしかできません」と断定し、「私の目標は重複障害者の方が…保護者の同意を得て安楽死できる世界です」と自論を展開しています。2枚目には「U(自分の実名)の実態」というタイトルが付され、「私は大量殺人をしたいという狂気に満ちた発想」で今回の「作戦」を提案するのではなく「全人類が心の隅に隠した想いを声に出し、実行する決意を持って行動しました」とあります。

 そして「作戦内容」とタイトルが付された3枚目では、職員の少ない夜勤時に決行する、職員は絶対に傷つけない、重複障害者が多く在籍する2つの園の260名を抹殺する、その後自首するといった具体的な犯行内容が予告されています。私が一番気になったのはその後です。Uはこう書いています。

  「作戦を実行するに私からはいくつかのご要望がございます。逮捕後の監禁は最長で2年までとし、その後は自由な人生を送らせて下さい。心神喪失による無罪。新しい名前(Uは架空の名前を記入しています)、本籍、運転免許証等の生活に必要な書類、美容整形による一般社会への擬態。金銭的支援5億円。これらを確約して頂ければと考えております。ご決断頂ければ、いつでも作戦を実行致します」。

  この部分はあまり報道されなかったようですが、私はUが直訴状のような文書を衆議院議長に提出し、「安倍晋三様にご相談頂けることを切に願っております」と書いた真の狙いはここにあると思っています。つまり、法の壁があるために国家がやりたくてもできないことを代わりに実行してやるのだから、その代価として新しい名前と顔と5億円を提供しろと言っているわけです。

  この文書を手渡した2か月後、Uは再び議長公邸を訪れ、「あの手紙は議長に渡してくれたか」と警備担当の職員に尋ねたといいいます。そのまますぐに立ち去ったようですが、Uはその後何のお咎めもなかったので「ご決断頂いた」と判断したのかも知れません。「作戦を実行」するのはそれからさらに2か月後です。

  安倍政権が自分を支持し保護してくれると思い込んだUを、あまりに愚かだと嘲笑してすまされるでしょうか。私にはそうは思えません。今回の事件は、私たちが支えている現在の日本国家がどんな価値観によって形成されているのかを、一人ひとりがじっくり考えることも要求しているように思えるのです。