変言字在47−『そよ風』が吹いたあと (1)

『むすぶ 555』(2017年4月発行)より

 1979年の創刊以来、私が副編集長として編集の実務を担ってきた障害者問題誌『そよ風のように街に出よう』がいよいよ今年の7月で最終号を迎えることになりました。最後の号数は91号ですから、季刊誌としてスタートしながら年平均2・4冊しか発行できなかったことになります。年4回が年3回となり、この十数年は年2回発行が精一杯でしたから、市場原理に従えばもっと早くに消え去るべきだったかも知れませんし、手弁当路線でよくぞ38年も続けてきたと編集部の仲間に拍手を送るべきかも知れません。終刊の理由は、読者数の減少と編集部の高齢化(それは結局は内容のマンネリ化につながります)というありきたりなものです。でも、やや、と言うか大いに我田引水的に言えば、一般的な商業雑誌とは一味違った「市民運動」としての情報発信を続けた雑誌として、障害者運動の歴史に名を残すものではないかと自負しています。

 編集会議で話し合って小誌の終刊という方向性が決まったのが一昨年の暮れあたりでした。ただし、定期購読者には4号分を先払いしてもらっているので、その分は発行しようということで今夏の91号まで出すことになったのです。そうして終刊を決めた半年後、編集部にとってとても大きなできごとが起こりました。昨年7月26日に相模原市で発生した知的障害者施設での大量殺害事件です。これまで「互いの違いを認め合い共に生きる社会を」と呼びかけ続けてきた編集部は、それを真っ向から否定する惨劇を見せつけられて言葉を失うほどの衝撃を受けました。事件の全容はいまだ明らかではありませんが、起訴された若者が犯行前に衆議院議長あてに書いた手紙を読むと、その背後に、障害者の生そのものを否定する優生思想が存在するのは明らかです。小誌の38年間という時間は、多くの障害者と健常者の出会いを生み、全国各地の共に生きる実践を紹介してきましたが、それでもこの事件の発生を防ぐことはできませんでした。事件から9か月がたった今、世間の関心はすっかり薄れたように見えますが、であるのならなおさら、私は事件のことを語り続けないといけないと思っています。 

 今回からしばらく、相模原事件を念頭に入れながら、私という(足腰は弱ったものの取りあえずの)健常者にとって障害者問題とは何なのかを考え、『そよ風のように街に出よう』終刊のその後への思いをつづるつもりです。障害者運動は多くのプレゼントを私たちの社会に与えてくれたはずですが、そのことが十分に社会に伝わっていないように思えます。長年障害者たちと付き合ってきた者の務めとして、彼らからもらったものを皆さんに伝えておきたいのです。

 まずはイントロとして、小誌の終刊を決めた私の思いから始めたいと思います。小誌には毎号、奥付のところに6つの編集指針が掲載されています。

○障害者自身の立ちあがりをよりどころとした本づくり
○障害者や家族、また、それらをとりまく人たちの声をよりどころとした本づくり
○頭の中だけにとどまることや、言葉の乱用をさけ、身体と実感に支えられた本づくり
○社会の動きや差別のありように、しっかりと向きあった本づくり
○さまざまな動きの中から、みんながともに歩ける道すじをつくりあげる本づくり
○みんなが、どこででも、だれとでも、活用し話しあえる本づくり

 この6つの編集指針と、表紙のサブタイトル「障害者の自立と解放のねがいと、すべての人たちの生活と思いを結ぶために…」には、創刊当時の私たちの想いが込められています。今、小誌を終刊する理由を語ろうとすると、創刊当時の私たちの思い、つまり『そよ風のように街に出よう』という雑誌を特徴づけるものと、今の障害者や社会の状況を重ね合わせて考える作業が必要になります。

 まず小誌は障害者の「自立と解放」を求める運動とつながる雑誌として出発しました。障害者解放は障害からの解放ではなく障害者差別からの解放だと私たちは主張しました。それは今では「個人(医療)モデル」から「社会モデル」へ、というちょっとスマートな言葉で語られます。そして16年施行の障害者差別解消法に象徴されるように、その流れは年々大きくなっています。もちろん差別がなくなったわけではないし、福祉制度にも不十分なところがたくさんあります。でも、多くの障害者が街に出てそこで生活し仕事をすることが可能になったのは事実です。そしてそれと並行して、障害者が情報発信する媒体が飛躍的に増えました。インターネットが普及したこともそれを後押ししましたが、何よりも障害者自身の地域での活動が活発になったことが大きいと思います。障害者の生の声や現場の思いは、創刊時のように小誌を媒体にしなくても社会に伝えることができるようになりました。

  次に小誌は、「身体と実感に支えられた」表現を追及しました。私たちは生活に役立つ情報や障害者の生の声、現場の人たちの思いを読者に届ける雑誌を作ろうとしました。そのために私たちは直接生活や活動の現場を訪ね、その場のにおいをできるだけ忠実に誌面に反映させようとしました。全国の障害者が熱いメッセージを寄せ、私たちの取材を心待ちにしてくれました。しかし誰かに執筆を依頼する原稿とは違って、この作業には相当の体力と気力(と金力)を要します。次第に、依頼原稿の比率が高くなりました。現場主義という小誌の当初のスタイルの維持が難しくなったのです。

 もう一つだけ小誌の特徴をあげるとすれば直接販売路線です。私たちは障害者や団体を全国に訪ね、情報交換し、取材し、そして小誌の販売を委託しました。今日まで発行を続けることができたのは、こうして出来上がった販売取次者を中心とするネットワークのおかげです。この販売路線には若さと体力が必要です。何せ、発行のたびに車に雑誌を詰め込んで全国各地を巡回するのですから。編集部の高齢化が与える影響が、取次・書店経由で売られる本や雑誌とは比べものにならないほど大きいのはお察しいただけるでしょう。その上この販売路線は、私たちを受け入れてくれる活発な市民運動があってはじめて成り立ちます。その運動が今、全体的にとても厳しい状況に追い込まれています。それが小誌の部数減につながったのも確かです。

 さて、終刊を公表した後、読者はもとより多くの方々から「よく頑張った」とか「もう少し続けて」という言葉をたくさんいただきました。相模原事件が起きたこともあって、新聞社やテレビ局からの取材も続きました。私の正直な気持ちとしては、小誌は終わるべくして終わるのだと、いくぶんさっぱりした気分です。でも宿題はたくさんあります。格差と不寛容が進行する社会で、優生思想はいっそう深く静かに拡がりを見せています。小誌の刊行は終わっても、まだまだリタイアするわけにはいきません。