変言字在48−『そよ風』が吹いたあと (2)

『むすぶ 557』(2017年6月発行)より

 今夏発行する91号で、38年間発行を続けた障害者問題誌『そよ風のように街に出よう』はいよいよ終刊となります。それを一つの区切りとして、私が障害者たちから受け取ったものについてしばらく書いてみようと思います。どうしてそんな気になったかと言うと、そんなことを書ける人ってそんなにいないからです。ざっと周りを見回してみても、障害者が身近(同居家族とか)にいたわけでもないのに障害者や障害者運動と40年も付き合ってきた健常者っていうのは数えるほどしかいません。考えてみればかなり特殊な存在であり、絶滅危惧種とさえ言えます。そんな人間が障害者たちとの思い出話を語るのも、まんざら無意味なことではないように思うのです。

電車で神輿(みこし)をかついだ日

 昨年の7月、大阪青い芝の会の会長を務めた森修(もりおさむ)さんが67才で亡くなりました。彼は私より2つ年上でともに20代前半の血気盛んな時に出会い、私にもっとも大きな影響を与えた障害者の一人です。学生時代の一時期、私は大学に行かずにほとんど毎日、大阪・四条畷の彼の家を訪ねて、もう一人の介護者と3人で狭い風呂に入り(それが現在の腰痛の遠因だと思っています)、車いすなど一台も見当たらない街に飛び出しました。

 森さんは重度の脳性マヒで、全身の硬直のために座位をとることができませんでした。ですから彼の車いすは、足乗せの部分を前に突き出し、背もたれを45度くらい後ろに倒して、やたらと前後に長いのです。四条畷を走る当時の国鉄片町線(現在のJR学研都市線)の車両には、ドアを入ったところの中央に天井から床まで鉄の棒が1本立っていました。これはスタンションポールと言って、立っている乗客がそれにつかまって安定を保つためのものです。

 その暑い日も、私は森さんの車いすを押して四条畷の駅に向かいました。当時はエレベーターもエスカレーターもありません。通りかかる人を呼び止めて駅の階段を上り、そして降りてホームにたどり着いた時は私も通行人も汗だくです。やってきた電車のドアからすべり込むと、森さんの車いすの足乗せの間に例のポールをはさみます。そうしないと背もたれがドアからはみ出してしまうんです。まるで寸法を測ったかのように、車いすはきっちりと電車に収まります。ドアとポールにはさまれて、車いすはビクともしません。見事成功です。

 ところが、その後とんでもない事態がぼっ発します。お分かりでしょうか? その日、初めて降りる駅で、何と反対側のドアが開いたんです。ポールを中心に車いすを回転させようとするんですが、座席がジャマをしてとても無理です。汗があふれます。私は叫びました。「みなさ〜ん、車いすを持ち上げてくださ〜い」。5、6人の乗客が立ち上がって駆け寄ってくれました。「せーのー!」と声をかけ合いながら、車いすを天井近くまで持ち上げて、やっと180度回転させることができました。ホームに出た森さんは嬉しそうに笑っています。私も乗客たちとの妙な一体感(まるで甲子園球場のライトスタンドみたいな)を抱きながら振り向くと、彼らも額の汗をぬぐいながら満足げにこちらを見ています。突然の、そして一瞬のお祭りでした。

立ち止まって疑う

 森さんと一緒に街に出ると、似たようなことによく出会いました。楽しいことばかりではありません。と言うより、バスに乗車拒否されたり喫茶店から追い出されたり、気味の悪いものに出会ったように視線をそむけられたり、そんな腹が立つことの方が多かったように思います。でも、私は面白かったんです。だから授業をさぼって彼の家に通いました。何が面白かったかと言えば、私は健常者でありながら、いったん森さんの車いすの後ろに回ると、彼が見る世界と彼を見る世界の両方を経験することができたように感じたんです。もちろん私が重度の脳性マヒ者に変身したわけではありません。私は車いすを押す単なる介護者です。だから私が見る2つの世界は、あくまでも仮想の世界だと言えます。でも、その体験はその後の私の想像力というか、ものごとを考える基本的な視点のようなものを培(つちか)ってくれたように思います。

 社会的な問題、例えば出生前診断とか脳死下臓器移植とか尊厳死とかの問題に出会った時、私はまず、「重度の障害者にとって、それはどんな意味を持つんだろう」と考えます。障害をもって生まれることを否定するっていうのは、今現に生きている障害者の生を否定することじゃないんだろうか。知的な活動ができなくなったら生きている意味がないっていうのは、重度の知的障害者を私たちの社会から排除することにつながらないんだろうか。これは私にとってとても自然な疑問です。

 そしてそのような疑問は、障害者問題の外に拡がります。冤罪事件や死刑制度、沖縄の米軍基地や安保法制の問題、貧困とセイフティネットの問題などを考える時も、一番しんどい思いをしている人のことを想像しようとします。もちろん私の想像力など、たかが知れています。考え方の修正を迫られたり、自分の中の差別性を指摘されてたじろいだりすることは今でもよくあります。あまり偉そうなことは言えないのです。でも、いろんな社会問題に出会った時、少し立ち止まって考えてみるクセは障害者たちからもらったものだと思っています。彼らと付き合ってはじめて、自分をある程度対象化することができたし、色合いの違う世界、多重な世界を垣間見ることができたんですから。

 自分の持っている人間観や世界観は自分が経験したことに大きな影響を受けていて、しかも神でもない私たちにはその経験はいつだって不足している。私はそう思っています。私たちは、自由に障害者になったりウチナンチューになったりアレッポの住民になったりすることはできません。だから一生懸命想像力の翼をひろげ、問題の核心に迫ろうとします。そしてそのために、自分とは異なる世界を生きるさまざまな人たちと出会うことが必要だと思います。

 森さんは「就学免除」という“ありがたい”制度のおかげで公教育から完全に排除されました。かれはテレビの大相撲中継で漢字を覚え、それでラブレターを書き、素敵な女性と結婚しました。そんな森さんと出会ってたくさんのことを教わったのは、私にとっては幸運としか言いようがありません。