変言字在53−再び小さな旅立ち

『むすぶ 569』(2018年6月発行)より

 ずい分悩んだ末に、3月初旬こんなメールを友人たちに送りました。

 「これまでご相談した方もそうでない方も、突然のメールで失礼します。このメールは(10人の名前、略)の各氏にお送りします。『そよ風のように街に出よう』終刊後の情報発信について、私なりにあれこれ思案してきました。その結果、お金や作業で無理(苦労)しない、肩ひじ張らない、あまりオオゴトにしない(ですからこのメールもごく少数の方に送ることにしました)、でも今の分断と排除が進む状況に対して物申さずにはおれない、というあたりを基本として紙媒体の通信を季刊で発行することに決めました」。そして、基本的に『そよ風―』の編集方針を受け継ぎながら、より広い視野で社会的な問題にアプローチする、全員が編集同人というフラットな関係で議論しながら誌面を作る、文字中心で30ページ前後の小冊子とする、などの私の考えや編集上の決め事を書いて、最後に「読みにくくてすみません。ご返事をお待ちしています」と結びました。

 正直に言うと、10人のうち半分くらいが呼びかけに応じてくれたらいいなと思っていました。でも、一人が「私には荷が重い」と断ってきただけで、他の全員が一緒にやろうと手をあげてくれました。そして今年7月、相模原障害者殺傷事件から丸2年をめどに『季刊しずく』を発刊することが決まったのです。

 「しずく」って何だか地味で控え目な名前だなと思われることでしょう。もっと威勢のいい、元気の出るタイトルにした方がいいんじゃないか、と。そこには私のこだわりが込められているんです。私はずっと障害者問題に取り組んできたわけですが、その中で「障害者はあってはならない存在だ」という考え方の頑強さを思い知らされてきました。一言で言えば優生思想です。この連載でも10回にわたって「始まりと終わりの話」というタイトルで、人生の最初と最後の場面で優生思想がどのように現れ、どのように生命の選別が行われているのかを見てきました。その暗い思想は深く静かに私たちの生活に浸透し、出生前診断、脳死・臓器移植、尊厳死などに姿を変えてその勢いを増し続けているのです。それが最悪の形で噴き出たのが76年7月の相模原事件でした。19人の知的障害者が殺され、職員3人を含む27人が負傷した戦後最悪の事件です。

 2001年9月11日の前にも2011年3月11日の前にも戻ることができないのと同様に、この事件の前にも決して戻ることはできないと私は思っています。それほど衝撃は大きかった。40年以上も障害者問題に関わりながら、収容型の施設に生涯閉じ込められている人たちのことに十分な関心を寄せてこなかった自分を腹立たしく思いました。社会の一員として、という以上に、事件を引き受けないといけない、事件について考え続けないといけない。そんな思いが私の中で強まりました。

 事件と次のような事態は決して無縁ではありません。ご存知のように染色体異常を発見する精度が高い非侵襲型の新型出生前診断に妊婦たちが殺到しています。13年4月から4年半の間に5万人あまりが診断を受け、「異常あり」とされた700人のうち94%にあたる654人が中絶を選択しました。700人中20人は胎児が子宮内で死亡したなどのケースですから、それを除くと中絶比率は96%に上ります。そして今、日本産科婦人科学会は、臨床研究段階のこの診断を一般診療に拡大しようという方針を示しています。

 またこの間、旧優生保護法下での障害者に対する強制不妊手術が大きな社会問題になっています。日本弁護士連合会の調査では、優生手術は少なくとも2万5千件実施され、そのうち本人の同意がなかった人が1万6千人余りに上るということです。「不良な子孫の出生を防止する」ことを謳った法律が20数年前まで日本に存在し、そして今もいわば個人の選択としてその思想は脈々と受け継がれているということができます。

 さて、「しずく」です。かくも強大な優生思想(それは私の内にもあります)を「石」とすれば、私がこれまで行ってきたことなど一滴の「雨だれ」にも及びません。でも「雨だれ石を穿つ」ということわざがあります。例え一滴一滴は非力極まりなくても、同じ所に長年落ち続ければ固い石に穴を開けることができる。このことわざは、私が優生思想を強く意識し始めると同時に私の座右の銘になりました。そこで新しい冊子は「雨だれ」と名づけようかと思いました。でもそれでは意図が明瞭過ぎてかえって広がりがないような気がしました。しばらく考えたあげく、出てきたのが「しずく」です。そこには、葉から零れ落ちて池の水面に波紋をひろげる水滴、炎天下の乾いたのどを潤す水、そして石を砕く雨だれのイメージが圧縮されています(どうです、ちょっとは元気が出てきたでしょ?)。

 そしてサブタイトルは、同人で議論を重ねて「だれ一人しめ出さない社会へ」と決めました。そんな社会が実現するはずがないだろうと言われそうですね。世界には憎悪や差別や排除や迫害があふれている。何を甘いことを言っているんだ、と。確かにそうかも知れません。「だれ一人しめ出さない社会」など妄想に過ぎないかも知れません。私たちは差別や搾取のない世界など想像もできないし、そんな世界が現実のものとなるかどうかとてもあやしい。遠い未来に希望にあふれた世界が到来するかどうかは分かりません。でもはっきりしていることがあります。そんな世界を目指して日々努力を重ねることはできます。そして現に私たちはそれをやっています。「だれ一人しめ出さない社会へ」という想いは、一方で遠い未来を照らし出しながら、もう一方で自分の足元を照らす、そんな光です。

 『季刊しずく』創刊号の特集は「相模原障害者殺傷事件から2年」です。牧口一二「自分の命へのこだわり、いま一度」、尾上浩二「相模原事件と優生保護法」、吉田智弥「殺すな」、野崎泰伸「被告の思想と倫理学との『共犯』関係」など、同人たちの個性的な視点にもとづく論考が集まりました。そして特集以外にも、各同人はそれぞれ割り振られた自分のスペースの中で自由な企画を展開しています。年4回発行で年間定期購読料は1、200円(1冊300円)です。購読申し込みは郵便振込(00940‐0‐86109 りぼん社)で。ぜひ、みなさん、買って、読んで、そして投稿してください!