変言字在60−事件と施設と匿名と

『むすぶ 589』(2020年2月発行)より




 神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で発生した大量殺傷事件の犯人として逮捕された梅松聖被告の裁判員裁判が、今年1月8日から横浜地裁で始まりました。被告が逮捕されてから3年半、精神鑑定のための留置を経て起訴されてから3年近く経っての公判開始ですが、社会に与えた衝撃の大きさを物語るように、当日は26の一般傍聴席を求めて2千人近くが列を作りました。

 起訴から初公判までにそれだけ時間がかかったのは、再度の精神鑑定を実施したことと公判前整理手続きが難航したためだと言われています。その背景には、被害者が多数(死者19人、負傷者26人)でしかもそのほとんどが知的障害者だという事件の特異性があります。被害者の家族のほとんどが匿名を希望しているために、書面の記載はもとより裁判の進行の仕方にもさまざまな制約もあったでしょう。

 被害者側の思いは別として、それだけの時間が間に置かれたことは事件の本質を解明するためには良かったのではないかと私は思います。その間に多種多様な報道や議論が世に提出されましたし、さまざまな人が植松青年と面会や文通を重ねました。その中で私の記憶にあるのは重度の障害のある娘さんの親で和光大学名誉教授お最首悟さんと月刊『創』編集長の篠田博之さんですが、二人はそれぞれ違った角度から彼に接近して事件の背景を明らかにしようとしました。それに、これは私の勝手な思いかも知れませんが、3年という時間そのものが裁判員や公判に参加する被害者家族はもとよりこの社会全体の、いわば彼を裁く側の心の準備にもつながったのではないでしょうか。

 もちろんだからと言って3月16日に判決が予定されているこの裁判で、どれだけ事件の本質(それは裁く側のこの社会が抱え持つ暗い思想だと私は思うのです)に迫れるのか大いに疑問です。植松青年は現時点では死刑判決が出ても控訴しないと言っているようですから、彼を特異な極悪人として処刑台に送ることで、少しでも早く安堵の胸をなでおろしたいというのが裁く側の本音でしょう。死刑制度存置派の人たちはすぐに被害者感情を前面に出しますが、それでは被害者や家族たちの傷をいやすことにつながらないと私は思います。

 植松青年がどのように裁かれるのかを注視しながら、ここで相模原事件の伏流とでもいうべき事象に目を向けておきたいと思います。昨年10月16日、「小6女児に性的暴行疑い 障害者支援施設の前園長逮捕」という記事が産経新聞ウェブ版に掲載されました。神奈川県厚木市の知的障害者入所施設「愛名やまゆり園」の前園長が、知人の娘に繰り返し性的暴行を加えたとして逮捕されたというものです。指定管理者として県から運営を委託されていたのは「津久井やまゆり園」と同じ「かながわ共同会」でした。それを受けて12月6日の県議会で黒岩祐治知事は次のように発言します。

 「この元園長は、かながわ共同会の理事でもありました。社会福祉法人として、人権を尊重し、すべての人の尊厳を守るべき立場にある、かながわ共同会の道義的責任は看過できません。/その後、この事件に端を発して、かつての津久井やまゆり園の利用者支援に関し、車いすに長時間拘束していた、園の外に出ての散歩がほとんどなかったなど、問題点を厳しく指摘する情報が、改めて次々と私のもとに寄せられてきました」。そして「令和6(2024)年度まで継続している、元の津久井やまゆり園の指定期間を短縮するため(略)かながわ共同会に協議を申し入れていく」とし、公募によって新たな運営主体を選定すると表明したのです。

 知事のもとに寄せられた情報というのは、その後設置された第三者による検証委員会でも確認され、今年1月11日「『やまゆり園』で25人に虐待の疑い 神奈川県検証委、初会合後明らかに」(毎日新聞)と報道されました。記事では検証委の委員長を務める弁護士の「やまゆり園の生活が全然明らかになっておらず、園での支援のあり方や県の関与等について福祉の観点から検証していきたい」というコメントも紹介されています。「虐待」の内容はその時点では「身体拘束」としか報じられませんでしたが、1月21日の第2回検証委の後の会見で、3人が半日から24時間にわたって部屋を施錠され、室内に簡易トイレも置かれていないケースもあったと報告されています(1月22日神奈川新聞)。また同じ日、黒岩知事は記者会見で「愛名やまゆり園」で職員が風呂場で入所者に水をかけたり、夜中に数時間トイレに座らせたりしていたことが判明したと述べています(1月21日産経ウェブ版)。

 報道された内容がすべて事実かどうか、現時点で私には判断できません。1月22日「かながわ共同会」は理事長名で「愛名やまゆり園における虐待事案について(お詫び)」と題する文書をホームページに掲載して今後独自に検証を進めるとしていますが、施設での処遇の全体像が明らかになるまでにはまだまだ時間がかかると思います。

 相模原事件では殺された知的障害者たちがずっと匿名にされてきたことに、私は以前から大きな疑問を抱いてきました。今回始まった裁判では殺された女性の母親が「美帆」という下の名前だけを公表しましたが、他の犠牲者たちは「甲B」や「甲C」という符号に変換されたまま審議が進んでいます。被害者の遺族たちが、名前が明らかにされることで受ける差別を恐れる心情は理解できないこともありません。事件に至るまでに家族としての深い愛や葛藤の日々があったことも否定するつもりはありません。しかし私は敢えて言いたいのです。障害者たちは事件を境にしてではなく、それよりずっと以前、彼らが家族や地域から引きはがされ施設に入所させられた時に匿名化されたのです。彼らはその時から人々の関心を失い、社会から存在を忘れられてしまったのです。人間の生を丸ごと閉じ込めてしまう空間では、仮に大きな善意によってそこが運営されていたとしても必ず人権侵害が起きます。他者の関心が向けられない場所で人々は常に善人であるとは限らない。それだけ人間は弱いものです。家族も私たちも社会も、入所施設という名の収容施設が持つ問題から決して目を背けてはいけない。そう思います。