変言字在62パンデミックの渦中で考えた2つのこと

『むすぶ 593』(2020年6月発行)より




 事ここに至っては、世界で新型コロナウィルス(COVID-19)感染症の影響を受けていない人など皆無と言ってもいいでしょう。6月に入っても感染の拡がりに衰えは見えず、毎日10万人以上が新たに感染して累計で700万人に迫り、死者も40万人に達しています。医療現場の懸命な努力や政策的な対応によって回復者の数は増えていますが、それでも感染者数の増加に追いつかず、患者の数は増え続けています。

 その規模の大きさだけではありません。今回のコロナ禍は、日常のささやかな所作から労働や文化のスタイル、ひいては社会のあり方に至るまで、私たちの生活にさまざまな変化を迫っています。現役を半ばリタイアした私にも、それは巣ごもり、リモート会議、会食やイベントの中止、走る時でもマスク、「ハッピー・バースデー・トゥー・ユー」2コーラス分の手洗い、「できれば2m、最低でも1m」のソーシャル・ディスタンシングといったこととして立ち現れています。

 それは当然私のような、国家が非常事態宣言を発し、地方自治体が営業自粛要請を出しても、それに唯々諾々と従うのはまっぴらごめんだという人間たち、思想・信条の自由や集会・結社の自由は民主主義の根幹だと考える人間たちに大きなストレスを与えます。それでも、新型ウィルスの正体が不明で治療法もワクチンも未だ開発されていない、感染した者(被害者)はすぐに感染させる者(加害者)に転化する、しかも甚大な被害を受けるのは貧困層や高齢者や身体的弱者だといった現実が、私たちに自ら進んで自分の自由を制限させようとしているわけです。

 ドイツのメルケル首相は3月18日、新型コロナ対策のために国境封鎖などの厳しい措置をとった後、国民に向けてテレビ演説を行いました。生後数週間でハンブルクから当時の東ドイツに移住し、35才の時にベルリンの壁崩壊を間近で体験した彼女は、その演説の中でこう語っています。

 「旅行および移動の自由が苦労して勝ち取った権利であることを実感している私のようなものにとっては、このような制限は絶対的に必要な場合のみ正当化されるものです。そうしたことは民主主義社会において決して軽々しく決められるべきではなく、一時的にしか許されません。しかし、それは今、命を救うために不可欠なのです。(略)私たちがどれだけ脆弱であるか、どれだけ他の人の思いやりのある行動に依存しているか、それをエピデミック(伝染病)は私たちに教えます。また、それはつまり、どれだけ私たちが力を合わせて行動することで自分たち自身を守り、お互いに力づけることができるかということでもあります。一人ひとりの行動が大切なのです」。(林フーゼル美佳子訳)

 ここで彼女はただ政策を告げ知らせるのではなく、人々と民主主義への信頼を語っています。もちろん今回のような非常時を利用して人権を制限し権力を強化しようとする動きには十分注意する必要がありますが、自由より統制を愛し、歴史を都合よく塗り替え、個人を国家を支える部品程度にしか考えていないどこかの国のトップとはかなり違うように思います。歴史から何を学ぶかによって、政治家の質は大きく異なるのです。それはともあれ今回のコロナ禍は大きな代償と引き換えに、為政者から私たち市民一人ひとりに至るまで、自由とその制限、民主主義と強権という問題を日常の具体的な事柄として考えさせることになりました。

  もう一つ、今回のパンデミック(感染症の世界的蔓延)が問いかけていることがあります。それはいわゆる医療崩壊に関して、です。現時点では日本はなぜか、かろうじて、その危機をまぬがれているようですが、欧米をはじめとする世界各国で深刻な問題として表面化しています。

 例えば米国はトランプ政権の初期対応のまずさもあって、感染者数2百万人、死者数11万人と人的被害は世界で抜きん出ており、中でもニューヨーク州の医療現場はかなり厳しい状況のようです。ニューズウィーク日本版(5月1日)は、米国では新型コロナで240万〜2100万⼈の⼊院患者が出て、そのうち10〜25%に⼈⼯呼吸器を装着する必要があるという⽶疾病対策センター(CDC)の推定を紹介しています。その推定に基づくと「単純計算すれば、最悪の場合、1台の⼈⼯呼吸器に対して31⼈の患者が使⽤を待つことになり、最善の場合でも14⼈の患者に対して⼈⼯呼吸器は10台しかないことになる。感染者が多い地域はもっと悲惨なことになるだろう」と警告しています。

 そこではどういう事態が勃発するでしょうか。もちろん医療はできるだけ多くの生命を救済しようとするでしょう。しかしそれが困難な場合、次の選択はできるだけ多くの「生存年数」を確保することだという生命倫理学者の意見を同記事は紹介しています。平たく言えば年寄りより若者を優先するということです。さらに「生存」の質(QOL)を重視しようとすれば、障害のある者よりない者を優先的に治療することになります。

 そうしたトリアージ(治療の優先順位の決定)は、今回のコロナ禍以前から世界各地の災害や事故の現場で日常的に行われてきています。ジャパン・イン・デプスの記事(4月30日)によれば、米国でも例えばアラバマ州の公衆衛生局のサイトには、重度の知的障害者や進行性の認知症のある人は人工呼吸器の対象からはずされる可能性があると最近まで記されていましたし、他の多くの州で同様の規定が存在しています。

 安楽死先進国のオランダでも事態は深刻なようです。朝日新聞デジタルの記事(4月18日)によれば、新型コロナの感染拡大を受けて、アムステルダムの緩和ケア専門知識センターは余命1年未満と判断された者、重篤な心臓疾患がある者、病弱なため自分で入浴や衣服の着脱ができない者を集中治療室に運ばないという基準を改めて確認し、さらに集中治療室医組合は3月に救命対象基準を80才とする指針を作り、後に70才に引き下げていたことも判明したそうです。

 新型コロナの脅威は当面薄らぐことはなく、治療の現場は過酷さを増す一方でしょう。そこでは本能的で功利主義的なトリアージが横行し、自由や民主主義といった近代の理念をせせら笑うかのように、またしてもあの優生思想が闊歩することになるでしょう。それでいいのか、とCOVID−19は問いかけています。