変言字在67想像するサル

『むすぶ 605』(2021年6月発行)より

 

 「流言飛語」という言葉があります。最近はあまり使われなくなりましたが、「飛語」はもともと「蜚語」と書き、この「蜚」は虫が羽根をひろげて飛ぶようすを表しています。ですから虫のように飛び交う確かな根拠のないうわさ、というような意味です。昔から人間社会にはこの手のうわさは付き物です。たぶん、人々が家族より大きな集団を形成した当初から、つまり文明を起こすはるか以前からずっと付きまとってきたものだと思います。ヒトは大脳皮質を発達させ想像力や共感力を強めると、それにつれて集団の規模が大きくなり、集団が大きくなるとさらにその力が強まるという相互作用をくり返すことで、地球の命運をも左右しかねない今日の地位を手にすることができたと私は考えています。そして他のサルたちに類を見ない想像力や共感力を得たことの副産物として、ヒトはうわさと切っても切れない関係になったわけです。

 ところでその「流言飛語」は、ただハエのように飛び交っているのではなく何らかの意図を含んでいる場合がほとんどです。うわさを拡げることで利益を得たり何かの目的を達しようとする。その意図の部分を強調すると「デマ」になります。G・W・オルポートとL・ポストマンは1947年に著した『デマの心理学』の中で、デマが拡がる条件として、そのデマの内容が話し手や聞き手にとって重要であること、その内容の真実性が隠されたり根拠が曖昧であることの二つをあげ、〈R=I×A〉という式を提示しました。R(Rumor=デマの流布量)はI(Importance=重要性)とA(Ambiguity=曖昧さ)の積に等しいということです。確かに人々がまったく関心を持たない(重要でない)ことや誰の目にも事実がはっきりしている(曖昧でない)場合は、デマが拡がる余地はありません。

 デマはデマゴーグ(扇動的政治指導者)という言葉で知られているように、もともとは人々を誤った方向に誘導しようとする政治的な手段を指します。現在はもっと広く流言やうわさと同じような意味でも使われますが、いずれにせよデマが大手を振って歩く社会は健全とは言えません。そこには政治的抑圧、社会不安、相互不信といった負のイメージが色濃く沁みついています。

 いま巷には、デマの背後に邪悪な個人や集団や国家による謀略を見ようとする陰謀論があふれています。それは流言飛語と同様、太古の昔から人間社会に存在していたのでしょうが、米国にトランプ大統領が出現し、世界に新型コロナウィルスによるパンデミックが拡がってから特にひどくなったような気がします。自称「米国政府の内部告発者」であるQとその支持者たちのQアノンは「アメリカはディープ・ステート(闇の政府)によって支配されている」「トランプは、子どもの人身売買に関与するオバマやクリントンとひそかに戦う救世主だ」などという主張を繰り返し、大統領選挙に敗れたトランプ氏が「選挙は盗まれた」と叫ぶに及んで、陰謀論は現実的な政治的危機を呼び寄せたのでした。

 私はそれを、ある調査によれば旧約聖書の創世記を信じダーウィンの進化論を否定する人が4割もいるという海の向こうの国の出来事だと思っていました。インスタグラムやツイッターといったSNSをやらず大手メディアの情報にしか触れることがないので、日本にもそうした陰謀論を信じる人が少なからず存在することを知らなかったのです。ところが注意して見てみると、大手の新聞もこのところ盛んに国内の陰謀論を取り上げていました。その中から、読売新聞オンラインの2つの記事を紹介したいと思います。「陰謀論、家族引き裂く…SNSで傾倒 言動激化」(3月13日)と、「ワクチンで『黒幕が人類管理』『人口削減が狙い』…はびこる陰謀論、収束の妨げにも」(5月16日)です。

 東京の50代の女性は、「コロナは存在しない。世界の支配層が仕組んだ偽装パンデミックだ」「ワクチンは危険。彼らは人口削減を狙っている」という主張を繰り返すようになった夫と最終的に別居を選びました。夫は精密機器メーカーに勤務していましたが、昨春以降在宅勤務を続けるうちにネット上に拡散する陰謀論から強い影響を受けたようです。東日本のある男子大学生は、母親がユーチューブにはまって「昨年7月に自殺した人気男性俳優」(三浦春馬さんのことだと思います)が実は、外国の幼児誘拐組織に立ち向かって殺されたのだと言い出して、説得しても聞く耳を持たないと嘆いています。また神奈川の40代の男性は、「コロナはただの風邪。世界の資本家が各国の政府を操っている」「ワクチンで人間にマイクロチップを埋め込むのが目的」などと主張して毎週東京や福岡の街頭で演説をしているといいます。

 そうした主張を頭から全面的に否定するつもりはありませんが(それはきっと逆効果でしょうし)、曖昧な根拠に依存し異論や反論を受け付けようとしない姿勢はとても危険です。特に今日のそれは、新型コロナがもたらしたパンデミックによって一層拍車がかかっているように見えます。陰謀論の背後に隠された欲望、社会不安や人間不信が増大し、さらに激しい思い込みを生み出す。そういう分断のスパイラルを引き起こすに違いありません。

 中島みゆきの「永遠の嘘をついてくれ」に「人はみな望む答だけを聞けるまで尋ね続けてしまう」というフレーズがあります。ステイ・ホームが推奨され人々がインターネットのバーチャル世界に埋没すればするほど、その傾向は強まります。その世界ではクリックするたびに思考や嗜好が分析され、その人が望む情報だけが世界中から押し寄せてきます。

 想像力や共感力を発達させたヒトは、他者をいたわり将来に備え、複雑な社会システムを構築して他のサルたちを圧倒する地位を獲得しました。その一方で、同じ想像力を駆使してうわさ話に興じ、流言飛語やデマに流され、陰謀論を振りかざします。それは「想像するサル」の宿命と言えるのかも知れません。そう言う自分自身も、ひょっとしたらそのワナにかかっているのではないか。時々は自分を振り返ってみることが必要なようです。