変言字在70共に生きる一人へ

『むすぶ 615』(2022年4月発行)より

 

  2月24日にロシア軍がウクライナに侵攻し、歴史上幾度も繰り返されてきた理不尽で不毛で悲惨な殺りくがまた始まりました。どんな理由があろうと、都市の破壊と大量殺人によって目的を遂げようとするプーチン大統領を私は許せません。その強者の傲慢さには心底怒りを覚えます。問題は目的がどこにあるかではなく、手段そのものなのです。一刻も早く血に染まった矛を収め、謝罪し、国際的な話し合いのテーブルに着くべきです。

 それにしても、テレビや新聞やSNSで流される大量の情報が、異なる国や文化に住む人々とのコミュニケーションを促進させるのではなく、逆に人々の交流を遮断し分断し対立させている現実に、悔しいというか腹立たしいというか、そんな気持ちを禁じ得ません。そう言う私自身、日本の大阪という街に暮らしてウクライナ侵攻を伝えるマスメディア報道に連日さらされると、プーチン氏の顔が日増しに悪魔性を増していくように見えて、自分もまた“西側”の一員であることを痛感させられます。一方に絶対悪なるプーチン、他方に絶対善なるバイデンやジョンソンがいるという勧善懲悪の構図はとても分かりやすい。でもその分かりやすさこそ警戒しなければなりません。反論の余地のない正義、絶対的な善というものがもしあるとすれば、それはどんな異見も批判も受けつけないという意味において独善であり、政治的には独裁につながるものだと私は思います。

 これは以前にも書いたかも知れませんが、私たちは世界を、ただ鏡に映しとるように見ているのではありません。自分の関心に沿って情報を受け取り、自分が生きる上で有利なように処理しようとします。それは例えば人間の視覚のメカニズムを見ても明らかです。外から入ってきた光は網膜で電気信号に変換された後、視神経を通して脳の後ろにある第一次視覚野に送られます。それからいくつかの経路を通って脳の前方の視覚連合野に伝えられ、他の情報と統合されてやっと私たちは“見る”ことができます。

 つまり私たちはたくさんの情報が詰まった脳のいろいろな部位を使いながら世界を見ます。“西側”にいる私たちは“西側”からの情報を支えにして世界を見ます。見る者の視点がどこにあるかによって世界は違って見えます。プーチン氏もバイデン氏もそのことを自覚しているでしょうか。もし自覚しているのなら、もっと相手に対して謙虚になるころができるはずだと思います。

 それにしてもなぜ人は国家のために、時に自分の命を犠牲にしてまで戦おうとするのでしょうか。ウクライナ侵攻の問題を離れて考えてみたいと思います。この日本では今世紀に入って教育基本法の改定(2016年)、特定秘密保護法の施行(14年)、安保関連法の施行(16年)、共謀罪の成立(17年)など、国家に絶対的な優位性を置く国家主義への転換が相次ぎました。私は日中戦争も太平洋戦争も経験していない戦後世代ですが、ひょっとしたら今は新しい戦前ではないかと不安を覚えることがあります。そして仮に先の大戦の前に生きていたとしたら、あの愚かな侵略戦争を止めようとしただろうかと自問します。実際に行動に出なくとも、戦争に反対の意思を表明することができただろうか。

 私は長く障害者差別をなくそうとする活動に関わってきましたが、その先達たちの中には、戦中に軍国少年・少女だった自己を反省し、戦後は反戦平和の活動に邁進した人がいます。そしてその反戦の思想と反差別の思想とがつながっていくのです。どういうことか、少し言葉をつないでみたいと思います。

 私は70年代初頭、数年後に日本脳性マヒ者協会青い芝の会の関西連合会を結成することになる障害者たちと出会いました。青い芝の会についてはこの連載でも何度か触れていますから重複は避けますが、重度の障害がある当事者が初めて被差別の立場から健全者中心社会を告発した、時代を画する運動でした。その重度の脳性まひ者たちとの出会いは、まず介護を通してでした。公的介護保障の制度がまったくないと言っていい当時、一歩も外へ出ることができない家や山奥の収容施設を拒否し、24時間介護を受けながら地域で生きるというのは大変な冒険でした。私たちはよく「違いを認め合うことが大切だ」と言いますが、それは決してきれいごとではありません。トイレや食事や着替えはもとより寝返り一つするのにも助けが必要な障害者にとって、日々の介護者を確保するのは生命に関わる重要で過酷な作業でした。文字通り命がけだったのです。

 その現場にはある問いが発生します。それは「人間とは何か」「生きるとは何か」というラジカルな問いです。「不良な子孫」とされ「社会のお荷物」と言われ、実際に家族や施設の職員に殺されてきた障害者たちが、「私もあなたと同じ人間ではないのか」という問いを発した時、この社会も私もその問いに背を向けることはできなくなります。生きることを否定されてきた人たちから発せられたものだからこそ、その問いはとても重いものです。

 そこで若かった私はウンウンと考えて、一つの答えを導き出しました。それは、人間であることにどのような条件も付けてはいけないということです。西欧近代が作り上げた人間観を一言で言うと「理性的で自立した個人」です。その人間観は必然的に人として生きることが許される人々を限定します。それではいけないと思うのです。その人間観を超えないといけない。障害者たちから私はそのことを教えられました。

 個人の生命こそが無条件に大切なのです。当たり前じゃないかと言われそうですね。その通りです。当たり前なんですが、そのことを具現化するのはけっこう難しい。現に私たちは出生前診断という場で生命の価値を選別し、戦争という場で国家のために個人を犠牲にしています。それではいけないということを私は障害者たちから教わったのです。

 人間の生の条件を取り払うことで、国家の前にきちんと個人を据えることが必要です。そしてその個人は「理性的で自立した個人」という孤立した冷たい西欧近代の人間像を超えた、温かい共同的な個人です。「多様な人々が共に生きる」という共同性を手に入れることができれば、もはや国家のために個人を犠牲にすることはない。ここで反戦と反差別が手を結び、国家は個人の背後に身を潜めるのです。