変言字在71−8千キロ離れた地で

『むすぶ 617』(2022年6月発行)より

 

  2月24日に始まったプーチンのロシアによるウクライナ侵攻は、3か月が経過してもまったく出口が見えません。市民や兵士を殺りくし街と生活を破壊するために、日々大量の武器と弾薬が投入され、その量が増大するのに比例して人々の憎悪と復讐の念が高まっていきます。そしてそれが更なる戦争の拡大を招く。人間の愚かさはかくも明白なのに、どんな名だたる政治家も国際組織もその負のスパイラルから脱する術を持たないのですから、私たちはそんな何重もの悲惨のただ中にいると言うしかありません。ただ人々が始めた戦いは人々の力で終わらせることができます。それは決して不可能なことではなく、歴史が教えるように、一つの言葉、一枚の文書、一時間の対話で実現することができます。そこに期待したいと思います。

 ところでこの長期に及びつつある戦争は、両当事国やNATO(北大西洋条約機構)加盟国はもとより、それ以外の国々の、これまで注視されることの少なかった実像を私たちに見せ始めているようです。例えばロシアと接するフィンランドやスウェーデンは、それまでの軍事的中立政策を捨ててNATOへの加盟を申請しました。中立という表向きの看板の陰でNATOとの軍事的一体化を進めてきた実像を、ロシアの脅威を目の当たりにして隠しようがなくなったわけです。ロシアと一体だと見られていたCSTO(集団安全保障条約機構)の国々にしても、ウクライナ侵攻についてそれぞれ微妙な立場の違いが表面化しています。ベラルーシやカザフスタンはロシアの派兵要請に応じなかったと報じられていますし、国連のロシア非難決議にもベラルーシ以外の4か国は反対ではなく棄権を選択しました。

 この日本という国の姿も、今回の戦争がさまざまな角度から照らし出しています。中でも印象に残ったのは、ウクライナ政府の公式ツイッターが4月、「ファシズムとナチズムは1945年に敗れた」というメッセージとともにヒトラーやムッソリーニと並べて昭和天皇の顔写真を掲載したことです。すぐにSNS上で大きな非難が巻き起こり、磯崎官房副長官が「同列に扱うということはまったく不適切であり、極めて遺憾だ」とウクライナ政府に抗議。すぐに天皇の写真は削除され、「ウクライナ政府から外交ルートで謝罪の意が評された」(同氏)ということです。

 ウクライナ政府がツイッターで3人を並べたということよりも、それを受けた日本政府の反応の方が私には気になりました。例えば、日本大百科全書(ニッポニカ)は「ファシズム」を第一次大戦直後から第二次大戦終結にかけて出現した強権的、独裁的な政治運動・政治体制の総称として、その中でも「とくにイタリア、ドイツ、日本の3国がファシズム国家の典型とされる」とはっきり述べています。これが世界史の常識だと私は思います。ですからウクライナ政府がヒトラーとムッソリーニと昭和天皇を並べたのはそれほど異常なことではない。それよりも条件反射のように怒って相手に謝罪を求める日本政府の反応の方が気になったのです。同じファシズムと言っても当時の3国の国家体制は異なっていて、トップの3人の戦争責任の中身にも違いがあるのはもちろんです。でも世界は、そのことを前提とした上でなお当時の日独伊を同じ「ファシズム国家」として束ねているわけです。そのことを冷徹な歴史的事実として、いまだこの国は受け止めることができていない。そのことは、80年近く経っても先の戦争の責任の所在を曖昧にしたままのこの国の姿を浮かび上がらせたように私には思えました。

 今回の戦争は日本の難民政策の特異性も際立たせています。出入国在留管理庁によれば、5月25日現在でウクライナから日本へ避難した人は1055人に達しています。5月22日の朝日新聞は「避難者1000人に」という見出しで、日本政府の対応を具体的に報じています。避難者は「難民」ではなく法的根拠の曖昧な「避難民」と位置づけられ、90日間の「短期滞在」の在留資格で入国し、1年間働ける「特定活動」への切り替えも認められます。生活支援にも積極的で、民間から提供された物資やサービスを紹介したり、日本に身寄りのない人に一時滞在先としてホテルを用意するほか、ホテルを出る際に16万円の一時金や一日2400円の生活費も支給しています。

  ウクライナから国外に避難した人は5百万人を超えると言われますから、千人というのはそのほんの一部に過ぎません。しかしこれまでの日本の難民政策を振り返れば、そこに雲泥の差があることは明らかです。先の記事によれば、日本は1982年から2021年の40年間で915人の難民しか認めていません(認定はしないが特別に在留を認めた人を加えても4200人ほど)。申請に対する認定率も他国に比べるとはるかに低く抑えられています。難民支援協会によれば2020年で、カナダ55%、ドイツ42%、米国26%に対して日本はわずか0・5%しか認められていません。日本の難民政策は、難民の認定や手続きの基準がとても厳しく、単に厳しいという以上に、そもそも難民の保護や救済という本来の意図からはずれていると批判されることもしばしばです。

 ウクライナ避難者への支援が問題だと言いたいのでは、もちろんありません。それは重要なことです。でもそれまでの難民政策とのこの大きな落差をどう説明したらいいのでしょう? そこにはこの国の政府の人権に対する感度の低さがそのまま表れているのではないでしょうか。自国にとって利益をもたらす(とみなされた)外国人は、技能実習生という名の低賃金労働者でも反米を掲げるロシアの被害者であるウクライナ避難民でも受け入れるけれども、そうではない(とみなされた)者は例え送還されれば生命に危険が及ぶことがあったとしても受け入れない。今回の侵攻は、そこから8千キロ離れた極東の国のそんな実像をあぶり出しているように思います。

 プーチンのロシアが仕掛けた戦争は、ほかにもいくつか重要なことを浮かび上がらせているようです。その一つが第9条を国家の最高法規として現にいま私たちが保持していることの意味です。それは安倍晋三政権以来かなりボロボロにされてきましたが、戦争を日常で語る時代になったいま、その輝きを増しているように感じます。そのことはもっと書きたかったのですが、紙幅が尽きたのでまたの機会に譲ります。