変言字在72−国は批准をしたけれど

『むすぶ 621』(2022年10月発行)より

 

  国って何でしょうね。ロシアがウクライナに侵攻して2つの主権国家が戦火を交える事態が続いているところに安倍晋三元首相の国葬が閣議決定され、再び三度、そんなことを考えさせられています。彼を怨恨によって(そこにどんな理由があれ)殺害した男性の行為は断じて許せないですが、私は安倍流国家主義にもアベノミクスにも拒絶反応があるので、国を挙げて弔意を表すなどという行いには一秒、一円たりとも加担したくはありません。「こんな人たちに負けるわけにいかない」と安倍さんが街頭で叫んだ「こんな人たち」の一人として、税金も公共の電波も彼の葬儀には使ってほしくないというのが正直な気持ちです。

  でも安倍さんだから国葬に反対だということではありません。どんなに非の打ちどころのない人物(そんな人がいるとして)であっても、その功績を国が称え弔うということ自体に抵抗があるのです。その一番大きな理由は、国を信用していないからです。これまでの人類の歴史の中で、国が暴走したために他国だけでなく自国の民をも不幸に陥れた例はたくさんあります。ブルジョア革命によって近代国民国家が成立した後の歴史を見るだけでも、その例は枚挙にいとまがありません。「権力は腐敗の傾向がある。絶対的権力は絶対的に腐敗する」というのは英国の思想家ジョン・アクトンの言葉ですが、歴史はその言葉の正しさを教えてくれています。日本ももちろん例外ではありません。1世紀前まで遡らなくても、無謀な戦争によって莫大な被害をアジアの国々と自国に及ぼすという誤りを犯しています。

  ですから国を無条件に信用してはいけないと思います。そんなことを言うと、すぐにネットで「非国民」とか「国賊」などと声を荒げる人がいますが、ここで私が言う国はその時々の政権(政治権力)ど同義です。それを安易に信用しないで、ちゃんと監視して批判すべきことは批判すべきだということのどこが「非国民」なんでしょう。まあ、いつの世も権力には黙って付き従うべきだという人たちから「非国民」と呼ばれることはかえって名誉なことなのかも知れませんが。

  ウクライナのことや国葬のこと、それからミャンマーの軍事政権が46年ぶりに民主活動家4人の死刑を執行したことなどに動揺しながら、あらためて国って何なのかを考えているときに、この国の障害者の権利に関わる重要なニュースが飛び込んできました。2006年12月に国連で採択された障害者権利条約は、「私たち抜きに私たちのことを決めるな」のスローガンのもと、あらゆる差別を禁止し、共に学び生きる社会を目指す具体的な取り組みを各国に求めた画期的な条約です。日本政府が批准したのは採択から7年後の2014年1月ですが、それだけ時間がかかったのは国内の法律が権利条約の理念とかけ離れていたためです。そこで障害者基本法の改定(11年)や障害者差別解消法の制定(13年)を行ってやっと批准に至りました。

  今年の8月下旬、国連の障害者権利委員会が、この条約に基づいて日本がきちんと取り組みを進めているかどうかを審査しました。そしてその結果が勧告(総括所見)として9月に公表されました。9月14日の朝日新聞によりますと、勧告のポイントは、@障害者の強制入院の廃止、A精神科病院での強制治療への懸念、B脱施設化(障害者の施設収容の廃止)、Cインクルーシブ教育の推進(分離教育の廃止)の4つです。一言で言えば、強制治療や強制入院、分離教育をやめなさいという世界の流れを背景にした当然の、しかし日本政府にとってはとても耳の痛い指摘でした。(10月発行の「季刊しずく」18号で、尾上浩二氏が国連での審査の内容や委員会と日本政府とのやり取りなどを詳しく報告しています)

  ここでは精神障害者の強制入院について、少し問題を掘り下げてみたいと思います。中でも、精神保健指定医一人と家族などの同意によって強制的に入院させることができる医療保護入院についてです。自傷他害といった差し迫った状況がなくても強制入院させることができるので、かなり問題の多い制度です。実は今回の審査に向けて厚労省は昨年10月、専門家や関係団体による有識者検討会を立ち上げています。そして今年3月、「基本的には将来的な同制度の廃止も視野に、縮小に向け検討する」との方針を打ち出しました。ちなみに19年度の精神保健福祉資料によれば、精神科の入院患者は27万人を超え、その半数近くが医療保護入院で、その数は徐々に増加しています。

  7月17日の共同通信ウェブ版がその後の経過を詳しく報道していますので、それにしたがって紹介しますと、この厚労省の方針について日本精神科病院協会が噛みつきます。記事によりますと、検討会の協会委員が「(会員の病院から)非常にお叱りを受けた。医療保護入院が廃止されれば、治療の放棄につながりかねない」と反対姿勢を鮮明にしたということです。すると4月、厚労省は「将来的な継続を前提とせず、縮減に向け検討」と文言を修正します。「廃止」を消したのです。しかし精神科病院協会はそれでも納得しません。5月上旬に協会の山崎学会長が検討会に出席し、「『医療保護入院制度を廃止したら、精神科の医療は完全に壊れる。これは忠告しておく』と強い口調で訴えた」と記事にはあります。結局厚労省は「将来的な見直しについて検討」と表現をさらに後退させて、6月に報告書をまとめました。

  記事によれば山崎会長は協会の機関誌5月号で、厚労省に対して「人権屋に扇動されて我々の努力を踏みにじり、低医療費政策を続けるつもりなら、精神科医療を国営化してごらん」と開き直り、前述した国連の審査を念頭に「対日審査などという外圧に対して姑息な言い訳で取り繕うのは恥ずべき行為だ」と政府を非難しています。私は「人権屋」「外圧頼み」と揶揄されようと、強制入院制度は断固なくしていくべきだと思っています。長年の付き合いを通して障害者たちから受け取った想いからすれば、それが当たり前なのです。でも、協会の会長を責め、精神科病院を批判するだけでこの問題が解決しないことも確かです。社会にはびこる差別が異質な者を排除し、その上で作られた社会的な構造(精神科病院)を維持するために当の障害者の権利が制限され剥奪されることがあるとしたら、それは差別の上塗り以外の何ものでもありません。この国が現実の政治的利害関係に操られて条約の精神をないがしろにし人権保障を後退させているとすれば、そんな国はやはりきちんと対象化し批判しないと、火の粉はやがて(そう遠くない時期に)私たちに降りかかってくる。そう思います。