ひっくりかえること〈価値観の転回〉
やっぱり そうだったのか!
  

堀 智晴

 


 

筆談との出会い 

 この30年余り、私は障がいのある子どもの保育・教育、そして、福祉について考えてきました。振り返るといろんな思い出があります。その中で、筆談との出会いは衝撃的でした。

 はじめて筆談について聞いたのは、今は広島大学にいる落合俊郎さんからでした。イタリアのボローニア大学の近くの喫茶店で、落合さんから、ファシリテイティド・コミュニケーション(Facilitated Communication)というものがあると聞いたのです。それは、重度の障がいのある人が、信頼できる人から手を添えられて描くと絵らしきものを描いたという話でした。絵には、その人の自宅らしき建物の前に車がとまっている風景が描かれていて、それを見ると確かにその景色だと確認できたということです。落合さんから、この方法はオーストラリアやアメリカではファシリテイティド・コミュニケーション、略してFCと呼ばれていると教えてもらいました。

 障がいのある人で話すことが出来ない人や重度の障がいのある人は、考えることもできない、理解もできないと誤解されているのがほとんどでしょう。しかし、実はそうとは言いきれないのです。

 インターネットで「ファシリテイティド・コミュニケーション」について調べてみると、アメリカのシラキュース大学のダグラス・ビクラン教授と彼のスタッフが発見したコミュニケーションをとる新しい方法、という説明がありました。あるいは、また、オーストラリアのローズマリー・クロスリーという人が考案したもので、「日本の施設でも実際に使われています。介護者が、手を軽く支えてやり、日本語ならば五十音表を本人が指で指し示して言いたいことを表現するというごく簡単な方法です。五十音表の代わりに、パソコンのキーボードを使うこともできます」という説明ものっていました。

 私は、落合さんからのこの話を聞いて、これはどこかで聞いた話だと思いました。よく覚えていませんが、確かテレビで放映されたのだと思います。お母さんが重度の障がいのある息子さんに、手を添えたら字を書くことができるということが分かって、書いて表現してもらうと、その息子さんは実は一人でゲーテ全集を読破していたという話だったと思います。人は見かけで判断してはいけない、と感じたことを覚えています。

行動は自閉症そのまま

 私が実際にこの筆談に出会ったのは、豊中の教育研究所に通っていたAさんの筆談によるノートを読ませていただいた時です。Aさんのお母さんが、小学校の高学年になってAさんの手に自分の手を添えて字を書かせようとためしてみると、ノート一頁大の大きな字でしたが、自分から字を書き始めたというのです。Aさんは字を書いたり読んだりはできないと思いこんでいたお母さんは、びっくりしたそうです。だんだん字も小さく書けるようになりました。また、知らないと思った漢字もかなり知っていて、筆順は異なりますが書くことができるのにも気づきました。

 Aさんは、自閉症と診断されていましたが、研究所でセラピストと二人で遊んでいました。床に座って上半身を前後にゆするのを返したり、ひもを指先で左右にふりそのひもをじっと見ている、という感じでした。

 同じ部屋で私はお母さんから筆談ノートを見せてもらいながら、親がどのように育ててきたのかを聞かせてもらいました。お母さんは、Aさんのことを私に話すことについて既にAさんには了解をとっているということでした。恐らくAさんは遊びながらお母さんと私の様子を観察していたと思います。

心の中で歌っている

 そのノートにはAさんの中学校での生活が書かれていました。学校で合唱コンクールがあるので練習するのですが、Aさんは声を出して歌いません。そこで、Aさんは、先生とのやりとりでタンバリンをたたいて参加するか、トライアングルをたたいて参加するか選択を求められた、と書いてありました。トライアングルで参加するのですが、合唱大会当日の模様がくわしく書かれていました。

 自分のクラスの番になって、友だちが歌う歌は、はじめは緊張していたのですが、だんだんとハーモニーができてきて素晴らしかった。自分も心の中で歌った。ふと前を見ると、お母さんが心配そうな顔でこちらを見ていた、というような内容でした。

 このノートには授業の時の感想、修学旅行に行くときの話し合い、バレンタインデーでチョコレートをもらった話など、いろいろなことが書かれていました。Aさんは担任の先生との間でも簡単な筆談なら書いて表現できるようになってきているということでした。

 たとえば数学の授業では、外見はほとんど参加せず床に横になって寝そべっていたのですが、あとで今日の授業は分かりましたか、との質問には、はい分かりました、平方根のルートの答えもみんなよく分かりました、とノートに書いていました。

 このノートをAさんに了解を得て読ませていただきました。率直な感想として、Aさんは私たちと変わらぬ一人の人間だということでした。いろんな体験をして、自分なりに感じ考え自分の生き方を選択しながら生きているのです。

 Aさんは小さいときから耳にしていた童謡や歌から多くの言葉を覚えてきたといいます。漢字も筆順は少し変わっていますが、自分で覚えたそうです。

 Aさんは自閉症と診断され、コミュニケーション障害があるとされ、話ができない、字も書けないと見なされてきました。これは外見だけの判断です。
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●堀智晴(ほりともはる) 大阪市立大学教授

 

 


 

 

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