おじさんからの伝言
              かわの ひでただ

 この絵本のページをめくってくれた、すべての「こども」のみなさんへ。
 この絵本を書いたボクは、今年(2001年)で59才になります。多分、みなさんのお父さんよりは、少し年上のような気がします。ですから、ボクが、みなさんのように学校に通っていたのも、ずいぶんと昔のことになります。そのころの、こどもたちのすがたや学校のすがたは、今の学校やこどもたちとは、大変ちがいました。
 戦争に負けたすぐあとのことですから、ほとんどのこどもたちは、ヨレヨレの半ズボンにランニングシャツ、クツではなく、ゲタをはいていました。学校にはヘイがありません。もちろん、プールや体育館というものもありませんでした。木でできた講堂があり、窓のガラスには、戦争の爆弾でわれないように、細く切った紙でペケもようがはってあるのが普通でした。
 ボクは、勉強がとてもキライでした。遊ぶのにいそがしく、勉強をしているヒマがないのです。ですから、成績は、いつもビリの方でウロウロするばかりです。でも、勉強はキライだったけれど、学校は、大スキでした。先生たちも、まずしくて、こわかったけれど、大スキでした。なぜ学校が大スキだったのかを、59才になった今ふりかえると、あまくて、すっぱい気持ちでいっぱいになります。
 学校には、友だちがいました。ケンカをする友だち、イジメる友だち、勉強を教えてくれる友だち、笑ったり、泣いたりする友だち、野球やチャンバラごっこをする友だち、「障害」をもつといわれる友だちも、普通にいました。教室には、おしゃべりと笑い声があふれていて、ボクのすべてが、学校にあったといってもいいすぎではありません。だから、ボクの思い出のなかの学校は、とってもさわがしいところです。
 ところが、ボクが外側から見ているからかもしれませんが、今の学校はとても静かなように見えます。あまりさわがしくないのです。そこのところに、ボクの心は、ひっかかるのです。さわがしくないのは、元気がないからではないでしょうか。元気のない学校は、ダメなんじゃないかと、50年前のボクが叫んでいます。
 ボクは、小学校5年生になっても、時計の時間の見方ができませんでした。それがはずかしくて目をシロクロさせていると、ある日、先生が30分ごとに時計の前にボクを連れて行き、「短い針と、長い針はこうなっているんだよ」と、教えてくれました。ボクは、目の前がパァッと明るくなるのがわかりました。一日で時間がわかるようになったのです。また、ボクをいたいなぁイラスト.jpgいつもなぐる友だちが、ボクが病気で学校を休んだとき、一番先にボクの家までようすを見にきてくれました。そして、「おまえがおれへんかったら、おれがベッタになるからなぁ」と、笑いました。
 学校には、冒険や発見、夢や希望、笑いやなみだ、元気やおしゃべりがなければなりません。それは「こどもの栄養」だからです。もしも、もしも、その栄養が学校から行方不明になっているのなら、みなさんがそれを作り出せばいいのです。友だちや先生と、たくさんおしゃべりをしてね。この絵本は、そのための「ひっつき虫」です。パタンとページをとじるとき、パァッとなれますようにと。


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